飯田線(JR東海) 各駅探訪~大嵐駅(大嵐-小和田) 
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 このページでは特に「飯田線」の「大嵐駅(大嵐-小和田)」周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
飯田線の秘境駅として小和田駅などが知られていて、大嵐駅は秘境駅としては語られませんが、実は大嵐駅の周辺には
飯田線の歴史を垣間見ることができる遺構やミステリアスな箇所が多くあり、探訪する価値が大いにある駅の一つと考えています。

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水窪駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 小和田駅


飯田線(JR東海) 大嵐駅 おおぞれ Iida Line
大嵐駅 【豊橋起点:80.8km】

 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家にある飯田線の大嵐駅(おおぞれえき)です。

 上の写真は、大嵐駅の構内踏切付近にて撮影したもので、写真左方向(北方向)が小和田駅方面(飯田・辰野方面)、右奥方向が水窪駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

 大嵐駅は、島式ホーム1面2線の地上駅となっていて、写真右端側には当駅構内西側にある側線が見えています。

 現在の大嵐駅は、佐久間駅、相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅が佐久間ダム建設時に新線に代替・開業された時に、かつての大嵐駅があった場所よりも約50m~100m程度北東側に移設(1955年/昭和30年)されて開業しています。

 かつての大嵐駅は、1942年(昭和17年)9月に豪雨で駅舎とプラットホームが天竜川に崩落する事故が発生したそうで、佐久間湖(ダム湖)の水位変動の影響も考慮して、山側へ移設されることになったようです。

 大嵐駅は、三信鉄道により1936年(昭和11年)12月29日に開業されたのが始まりで、その後1943年(昭和18年)8月1日に鉄道省(後の国鉄)の飯田線の一部として国有化され、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により現在のJR東海の飯田線の駅となっています。

 2013.01.12現在



大嵐駅の駅舎(休憩所)

 大嵐駅の駅舎を西側から撮影したものです。

 現在の駅舎は、1997年(平成9年)に当時の富山村(2005年11月に豊根村に編入)が建設費を負担して建てられたものなのだそうで、JR東海所有ではなく、現在は豊根村の施設となっているため、厳密には駅舎ではなく「休憩所」とされているそうです。

 なお、以下ではわかりやすい「駅舎」という表現を使用させて頂いております。

 2013.01.12現在
 (以下に掲載する写真は、特に記述が無い限り同日のものです)


大嵐駅の駅舎を南西側から見る

 写真中央手前側には「バス 大嵐駅 おでかけ北設」の標識が見えています。

 大嵐駅の駅舎は、東京駅をモチーフとしていて、赤レンガを模した不燃パネルなどが使用されているそうです。

 新駅舎の完成式は、飯田線全線開通60周年記念日となった1997年(平成9年)8月20日に開催されたそうです。

 なお、愛知県北設楽郡にあった富山村は、かつて2000年代に人口が約200人程度となり、日本における「離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村」となっていたそうです。

大嵐駅の駅舎を南側から見る

 写真左奥側には、当駅の北西側にある駐輪場が見えています。

大嵐駅前にある駐輪場

 自転車やバイクを置けるようになっています。

大嵐駅の駅舎を再度南側から見る

 先に掲載した写真では、軽トラックが手前側に駐車されていましたが、出かけて行ったようで、駅舎の南側の様子がわかりやすくなったため再度撮影したものです。

 駅舎の右奥側には、当駅のすぐ北側にある大嵐トンネル(44 全長=601m)が見えています。

 また、写真右端側には「愛知県豊根村 とみやまガイドマップ」の案内板が見えています。

大嵐駅の駅舎南側にある小さな池

 金魚が何匹か泳いでいました。

大嵐駅の駅舎を西側から見る

 写真に見える大嵐駅前を通る道路は、静岡県道287号で、この道路は天竜川(佐久間湖)に架かる鷹巣橋の中間地点から約200mほどの距離しかないようです。

 静岡県道287号の先(写真右奥)は、かつて佐久間ダム建設により廃止された旧飯田線が通っていた路盤を道路に転用した静岡県道288号に接続していて、夏焼トンネル(夏焼第一隧道、夏焼第二隧道)を超えると夏焼集落があることで知られています。

大嵐駅前の様子(西方向)

 大嵐駅前から西方向に見える風景を撮影したものです。

 写真に見える道路は静岡県道287号で、写真奥のほうには鷹巣橋(たかすはし)が見えています。

 鷹巣橋を写真奥のほうに渡っていくと、愛知県豊根村(旧富山村)に行くことができます。


大嵐駅の駅舎に設置されているトイレ

 大嵐駅の駅舎北側にはトイレが設置されています。

 写真右下側には郵便ポストが見えています。

大嵐駅のトイレ入口付近の様子
駅舎入口

 写真奥のほうに行くとホームに出ることができます。

駅舎内の様子

 左側に見えるドアの奥の部屋は休憩所になっています。

 また、駅舎のホーム側出入口付近には公衆電話が設置されていました。


駅舎のホーム側出入口

 写真奥のほうには、天竜川(佐久間湖)に架かる鷹巣橋が見えています。

駅舎からホームへと連絡する構内踏切
駅舎内にある休憩所の様子

 木製の椅子や机などが置かれています。

ホーム側から駅舎を見る

 駅舎を東側から見た様子になります。

大嵐駅前から南方向(中部天竜方面)を見る

 写真に見える道路は静岡県道287号で、この道路を写真奥のほうに進んでいくと、旧大嵐駅跡、佐久間ダム建設時に廃線となった旧飯田線の夏焼隧道などを利用した静岡県道288号があります。

 写真奥のほうには、当駅のすぐ南側(水窪・豊橋方)にある大原トンネル(43 全長=5,063m)の出口が見えています。

 また、写真に見える自動車が駐車されているスペースは、駅前駐車場として利用されているようです。


駅舎の南側にある「愛知県豊根村 とみやまガイドマップ」

 豊根村役場富山支所(旧富山村役場)、湯の島温泉、御神楽祭り、八嶽山遊歩道、日本ケ塚山遊歩道などが紹介されているほか、ヤマユリ、モリアオガエル、ヤシオツツジ、アマゴ、ニホンザル、カモシカなどの豊かな自然も紹介されています。

大嵐駅の駐車スペース(旧大嵐駅構内)

 大嵐駅の南西側には、自動車などが駐車できるスペースがあります。

 写真左奥のほうには鷹巣橋が、右側には大嵐駅のホームが見えています。

 現在、自動車などの駐車スペースとなっているこの場所は、かつて佐久間ダム建設時まで存在した旧大嵐駅の構内だった場所だと思われます。

大嵐駅のホームの様子を西側から見る 大嵐駅のすぐ南側(水窪方)にある大原トンネル

 大原トンネルの出口は、大嵐駅のホーム南端のすぐ目の前にあります。

 大原トンネル(43)は全長5,063mで、飯田線における最長のトンネルとなっているそうです。


大嵐駅構内の様子を南西側から見る

 写真左奥のほうに、駅舎と、当駅のすぐ北側(小和田方)にある大嵐トンネル(44 全長=601m)が見えています。

 また、写真左側には、当駅構内の西側にある側線が見えています。


大原トンネル出口を北西側から見る

 大嵐駅のホームは、南北両側をトンネルの出入口に挟まれた形となっています。

 写真右側に見える舗装された広い場所辺りには、かつて佐久間ダム建設時まで存在した旧大嵐駅の構内があったものと思われます。


大嵐駅構内の様子

 写真左奥に見える大嵐トンネルの先(3.0km先)のほうには、秘境駅として知られる小和田駅があります。


大嵐駅の西側を通る静岡県道287号

 佐久間ダム建設時に廃線となった旧飯田線は、このあたりを通っていたものと思われます。

旧大嵐駅跡付近から見える鷹巣橋

 旧大嵐駅跡付近から北西方向を見ると、佐久間湖(ダム湖/天竜川)に架かる鷹巣橋が見えます。

駅舎のホーム側出入口から西方向を見る

 再び駅舎のほうへ戻って、今度はホームの様子を見てみました。

駅舎とホームを連絡する構内踏切

 写真左方向が北方向で、小和田駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

構内踏切から大嵐トンネル入口を見る①

 大嵐駅のすぐ北側(小和田方)にある大嵐トンネル(44 全長=601m)の入口です。

 駅舎のすぐ横は、もうトンネルとなっています。

構内踏切から大嵐トンネル入口を見る②

 大嵐トンネルの入口付近は複線のように見えますが、トンネル内に分岐器があるようです。

 トンネル内で光っているのは信号機です。

入口側が広く作られた大嵐トンネル入口
(←写真左)

 大嵐トンネルの入口付近内部をよく見てみると、トンネル入口付近が2段階に横幅が広く掘られて作られていて、数十メートルほど奥のほうに、三信鉄道開業時に掘られて造られたと思われる形状のトンネル入口を見ることができます。

 左の写真は構内踏切から撮影したものです。
構内踏切からホームを見る

 写真奥のほうには、当駅のすぐ南側(水窪方)にある大原トンネルが、写真右側には当駅構内の西側にある側線が見えています。

ホーム北端側(小和田方)から見たホームの様子

 大嵐駅は、島式ホーム1面2線と側線(写真右端側)のある駅となっています。

 構内踏切とホームはスロープで行き来できるようになっています。

 なお、佐久間ダム建設時まであった旧大嵐駅の構内は、写真右奥のほうに見える軽トラックが駐車している場所あたりにあったようです。


ホーム北端側から見たホーム上の様子

 写真右側(西側)が1番線で天竜峡・飯田方面、左側(東側)が2番線で中部天竜・豊橋方面になります。

ホーム北端側から見た駅舎の様子

 写真左側に見える案内看板には、「天竜奥三河国定公園 豊根村 えっころ いいとこ おいでなんしょ」と書かれ、湯の島温泉(当駅から車で5分。3km)、バンガロー村(当駅から車で10分。6km)が紹介されています。

ホーム北端側から見た大嵐トンネル入口の様子 ホーム上にある切符回収箱

 ホーム上の駅舎寄りには、切符回収箱が設置されていました。

 切符回収箱には「ありがとうございました 使用ずみのきっぷは この箱にお入れください」と書かれています。


ホーム上の駅名標のある場所あたりから南方向を見る①

 2番ホーム側から南方向(水窪・中部天竜方面)を見たものです。

ホーム上の駅名標のある場所あたりから南方向を見る②

 1番ホーム側から南方向(水窪・中部天竜方面)を見たものです。

ホーム上にある待合所

 ホーム上には、屋根と椅子が備えられた待合所が設置されています。

ホーム中ほどから南方向(水窪方面)を見る

 写真右奥のほうの道路沿い(静岡県道287号)に、2本の立派な木が見えていますが、その場所に旧大嵐駅跡の遺構が残っています。

 ですので、写真右奥辺りに見えているひらけた場所は、かつての旧大嵐駅の構内があった場所だと推測されます。

ホーム中ほどから北方向(小和田方面)を見る

 写真奥方向が北方向で、小和田駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

ホーム中ほどにある記念植樹の碑

 「記念植樹 飯田線全通60周年を記念して、ここに植樹する。 平成9年8月20日 60周年号運転記念」と書かれています。

 なお、大嵐駅の現在の新駅舎完成式は、飯田線全線開通60周年記念日となった1997年(平成9年)8月20日に開催されたそうです。

 また、飯田線60周年号は、「飯田線全通60周年」と書かれた円形のヘッドマークを掲げたEF58-157号機がユーロライナー(3両)を牽引して、飯田線にて1997年(平成9年)8月10日に運転されたそうです。

ホーム南寄りから北方向を見る

 写真奥方向が北方向で、小和田駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

ホーム南寄りから南方向を見る

 写真奥方向が南方向で、水窪駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

 写真奥に見える大原トンネル(43)は全長5,063mで、飯田線における最長のトンネルとなっているそうです。

ホーム南端側から北方向を見る

 写真奥方向が北方向で、小和田駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 写真左奥のほうには、天竜川(佐久間湖)に架かる鷹巣橋が見えています。

ホーム南端側から南方向を見る

 ホームの南端側(水窪・中部天竜方)には、大原トンネル(43 全長5,063m)の出口が目の前にあります。

ホーム南端側から大原トンネルの内部の様子を見る

 ホーム南端側では複線のように見えますが、大原トンネル内に分岐器があります。

 また、トンネルの先は、水窪駅方面へ向かって左方向(南東方向)にカーブしています。

水窪駅方面から大嵐駅に到着した213系
(←写真左)

 水窪駅方面(中部天竜・豊橋方面)から大嵐駅の1番線に到着した213系5000番台(H6編成・2両編成/5006)です。

 ホームと駅舎を連絡する構内踏切の駅舎側にて撮影。


 2013.01.12[13:14]現在
小和田駅方面から大嵐駅に到着した313系

 小和田駅方面(天竜峡・飯田方面)から大嵐駅の2番線に到着した、313系1700番台(B153編成・3両編成)「普通 豊橋」行です。

 2013.01.12[13:45]現在

大嵐駅から出発していく313系「普通 豊橋」行

 大嵐駅の2番線から出発して水窪駅方面(中部天竜・豊橋方面)へ行く、313系1700番台(B153編成・3両編成)「普通 豊橋」行です。

 後追い撮影の形となっています。

 2013.01.12[13:45]現在




飯田線(JR東海) 大嵐駅周辺 Iida Line
大嵐駅と愛知県豊根村富山地区を結ぶ鷹巣橋(たかすはし)

 鷹巣橋(たかすはし)は、愛知県と静岡県の県境を流れる天竜川(佐久間湖)に架かる橋で、静岡県側にある大嵐駅と愛知県の豊根村富山地区を連絡する橋となっています。

 上の写真は、愛知県側から撮影したもので、対岸の写真中央奥のほうに、静岡県側にある大嵐駅が見えています。

 鷹巣橋はとても立派な造りとなっていますが、完成したのは意外と古く、1956年(昭和31年)5月竣工となっています。

 かつては、愛知県の富山村と大嵐駅を連絡する旧鷹巣橋が天竜川に架かっていましたが、現在の鷹巣橋が竣工した5ヵ月後の1956年(昭和31年)10月に完成した佐久間ダムのダム湖である佐久間湖に水没してしまったようです。

 余談ですが、秘境駅として知られる小和田駅の下のほうに遺棄されていることで有名なダイハツ ミゼット(販売期間 1957年8月~1972年1月)は、ひょっとしたら、この鷹巣橋と西山林道、門谷川に架かる橋を経て、小和田の集落と愛知県の富山村を行き来していたのかもしれません。

 なお、鷹巣橋は、愛知県側が愛知県道426号、静岡県側が静岡県道287号となっているようです。






天竜川(佐久間湖)で作業する浚渫船

 鷹巣橋から撮影したもので、写真奥方向が南方向(中部天竜・豊橋方面)になります。

 佐久間湖では、湖底にたまる土砂を取り去る作業を行う浚渫船(しゅんせつせん)が活躍しています。

 このあたりは山奥で、通常は人工的な音はほとんどしないわけですが、当日この場所を訪れた時に、どうにも機械音が山中に響き渡っていたため、気になって周囲を見渡してみたところ、どうやら人工的な機械音は、写真の浚渫船だったようです。

 本来静かなはずの山奥に、ひとつだけの人工的な機械音が響き渡っているのも、どことなく不自然な感じがしてしまいます。

佐久間湖の浚渫船と左岸の崖崩れ

 浚渫船を拡大(望遠)して撮影してみると、佐久間湖(天竜川)の静岡県側の左岸に土砂崩れが発生していました。(写真中央奥やや左)

 このような土砂崩れによるダム湖への土砂の堆積は、貯水量に影響を及ぼし、湖底の汚染などにもつながるため、浚渫作業が非常に重要だということがわかります。

 また、このような佐久間湖周辺の土砂崩れは、大嵐駅の南方にあった夏焼集落と佐久間ダムおよび中部天竜方面を結んでいた静岡県道288号を通行止めに追い込んだ原因のひとつとなっています。


旧飯田線のトンネル

 大嵐駅の西側を通る静岡県道287号をしばらく南方向(中部天竜・豊橋方面)へ行くと、廃線跡好きな方ならおそらくご存じの、佐久間ダム建設時に飯田線新線開業とともに廃線となった旧飯田線の路盤を利用した静岡県道288号に接続します。

 この付近には旧大嵐駅跡もあり、大嵐駅を訪れて時間に余裕があるときは是非訪れてみたい場所のひとつとなっています。

 写真奥のほうに見えるトンネルが、かつての旧飯田線の栃ヶ岳隧道で、現在の静岡県道288号の夏焼第一隧道になります。

 写真奥方向(南方向)へ夏焼第一隧道と夏焼第二隧道(旧飯田線の夏焼隧道)の2つのトンネルを抜けて進んでいくと、2015年に無人集落となった夏焼集落があります。


夏焼第一隧道(栃ヶ岳隧道)

 夏焼第一隧道は、全長 98.6mのトンネルで、飯田線が通っていた時は「栃ヶ岳隧道」と呼ばれていたそうです。

 写真の夏焼第一隧道を抜けた先に見えるトンネルの出口が、夏焼第二隧道(旧飯田線の夏焼隧道)になります。


夏焼第二隧道(夏焼隧道)

 大嵐駅側にある比較的短い距離の夏焼第一隧道を抜けると、今度は夏焼第二隧道に至ります。

 夏焼第二隧道は全長 1,233m(竣工時 1,238m)のトンネルで、飯田線が通っていた時は「夏焼隧道」と呼ばれていたそうです。

 夏焼第二隧道は、先の出口の明かりが見えない、内部の照明も暗い典型的な古びた隧道となっていて、本当に入って行っていいのか、普通の人なら一瞬は躊躇してしまいそうな雰囲気を存分に醸し出しています。


夏焼第二隧道(夏焼隧道)のトンネル内部の様子

 写真を撮影した辺りでは、トンネル内の壁面は素掘りのままで岩肌がむき出しという状態ではなく、コンクリートで固められているようで、比較的しっかり整備されていたようです。

 写真奥方向が南方向で、夏焼集落方面(佐久間ダム・中部天竜方面)になります。


通行止めの静岡県道288号(←写真左)

 夏焼第二隧道を無事通り抜けて、しばらく道なりに行くと、すぐに通行止めの看板が見えてきます。

 残念ながら、これより先の静岡県道288号は、ところどころ土砂崩れが発生していて、現在は通行止めとなっています。

 少し先の様子をのぞいて見てみると、もはや荒れ果てた状態で、道路として使用できる状態ではありませんでした。

 それでも10年くらい前は、もう少し先までは普通に行けたような記憶もあります。
行き止まりの静岡県道288号付近にある旧飯田線のトンネル跡

 夏焼集落付近で行き止まりとなっている静岡県道288号付近を探索してみると、佐久間ダム建設時に廃線となった旧飯田線のトンネル跡が見つかりました。

 佐久間湖の湖面に近く、静岡県道288号よりも下のほうにあります。

 右上の写真は、拡大(望遠)して撮影したものです。

 調べてみたところ、おそらく「第三難波隧道」の入口ではないかと推測されます。

行き止まりの静岡県道288号付近にある旧飯田線の橋脚跡

 上の写真は、同様に夏焼集落付近で行き止まりとなっている静岡県道288号付近を探索してみた際に見かけた、旧飯田線の橋脚跡です。

 少しわかりにくいですが、写真中央奥の白くなっている、ほぼ垂直に建っている構造物が橋脚跡です。

 調べてみたところ、「松沢橋梁」の橋脚である可能性があります。

夏焼第二隧道の南側入口

 夏焼集落側から大嵐駅方面へ引き返すときに撮影した、夏焼第二隧道の南側入口(夏焼集落・中部天竜側)の写真です。

 トンネル内は変わらず暗闇のような独特の雰囲気を放っています。

 夏焼第二隧道のこちら側の入口は、道路に転用される際に、佐久間湖満水時の水没を防ぐため、5mかさ上げするように100mほど掘り直されているそうですので、旧飯田線廃線当時からあるものではないそうです。

 なお、写真の手前あたりで道路は左右(東西)に分岐していて、西方向(写真左方向)へ行くと夏焼集落があり、東方向(写真右方向)へ行くと静岡県道288号の行き止まりとなります。

夏焼第二隧道のトンネル内部の様子

 写真奥方向が北方向で、大嵐駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 現在の夏焼第二隧道(旧飯田線の夏焼隧道)の内部の壁面は、コンクリートで固められている部分もある反面、写真のように素掘りのままで岩肌がむき出しになっている部分もありました。


夏焼第一隧道(栃ヶ岳隧道)の南側入口周辺の様子

 夏焼集落側から夏焼第二隧道を抜けると、次の夏焼第一隧道(旧飯田線の栃ヶ岳隧道)までの間に、比較的広い場所がひらけています。

 写真奥に見えるのが夏焼第一隧道ですが、写真では平地のように見えるこの場所は、かつては谷の地形となっていて、全長53.8mの「栃ヶ沢橋梁」が設置されていたのだそうです。

 また、この辺りには、佐久間ダム建設時に飯田線の新線工事で同線最長となった大原トンネル(全長 5,063m/大嵐~水窪間)を掘削する際に、掘削箇所を増やして工事期間を短縮するために、この辺りから大原トンネル方面(写真右方向/東方向)へ向けて、横坑が2本ほど掘られていたそうです。

 かつては谷の地形だったこの場所は、新線の大原トンネルを掘削した際の岩石や土砂(ズリ)で埋め立てられて、現在の平地のような地形となったようです。

 なお、写真奥に見える夏焼第一隧道を奥方向(北方向)へ抜けると、すぐに大嵐駅に出ることができます。





飯田線 旧大嵐駅跡
旧大嵐駅跡

 大嵐駅の西側を通る道路を、同駅を越えて約100mほど南方向(中部天竜・豊橋方面)へ進んでいくと、進行方向右手側に旧大嵐駅の一部のものであると思われる構造物が残っています。

 上の写真を撮影した場所辺りが、かつての旧大嵐駅の構内があった場所になるようです。

 写真右側(西側)のほうには、佐久間湖(ダム湖/天竜川)が見えています。

 現在の大嵐駅は、佐久間ダム建設時に飯田線の中部天竜~大嵐間が新線に代替された時に、かつての大嵐駅があった場所よりも約50m~100m程度北東側に移設(1955年/昭和30年)されています。

 かつての大嵐駅は、1942年(昭和17年)9月に豪雨で駅舎とプラットホームが天竜川に崩落する事故が発生したそうで、再度の崩落事故を防ぐことと、佐久間湖(ダム湖)の水位変動の影響も考慮して、以前よりも山側へ移設されることになったようです。

 前述のとおり、1942年(昭和17年)9月に豪雨で駅舎とプラットホームが天竜川に崩落したという事実をそのまま受け入れると、現在残っているこの旧大嵐駅跡の遺構は、1936年(昭和11年)12月の三信鉄道による大嵐駅開業時からのものなのか、1942年の崩落事故以降に再建された大嵐駅の遺構なのか、はっきりと断定するのは難しそうです。

 この場所辺りから写真奥方向(南方向)に続く道路は、佐久間ダム建設時に飯田線新線開業とともに廃線となった旧飯田線の路盤を利用した静岡県道288号となっていて、写真奥方向(南方向)に道路を進んでいくと、夏焼トンネル(2つのトンネルの総称)を通過して夏焼集落方面へ行くことができます。

 写真左奥のほうには、旧飯田線の時は栃ヶ岳隧道と呼ばれ、現在は夏焼第一隧道(全長 98.6m)という名称になっているトンネルの出口が見えています。



旧大嵐駅跡

 旧大嵐駅跡にある遺構を南東側から撮影したものです。

 写真左側(西側)には佐久間湖(ダム湖/天竜川)が見え、左奥のほうには佐久間湖に架かる鷹巣橋(たかすはし)が見えています。

 また、写真右奥のほうには、大嵐駅の駅舎が見えています。



旧大嵐駅跡

 旧大嵐駅跡にある遺構を北側から撮影したものです。

 写真右側(西側)には佐久間湖(ダム湖/天竜川)が見え、奥のほうには、旧飯田線の時は栃ヶ岳隧道と呼ばれた夏焼第一隧道(全長 98.6m)の出口が見えています。




現在の大嵐駅の南西側にあった旧大嵐駅の跡地
(←写真左)

 旧大嵐駅の遺構がある場所辺りから、北東方向に見える現在の大嵐駅の様子を撮影したものです。

 かつて、このひらけた場所辺りには、旧大嵐駅の構内があって、写真中央奥(北方向)に見える大嵐トンネルに向かって線路が伸びていたはずです。

 なお、ここで、今回の大嵐駅のご紹介は終わりとなり、そして、いよいよ次の駅は、いわゆる秘境駅として人気があって、たびたびテレビでも紹介されてよく知られている小和田駅(こわだえき)になります。

 以下は、大嵐駅周辺の様子についてご紹介しています。



夏焼集落
夏焼集落

 上の写真は、愛知県側の県道1号から遠方(北方向)の山の斜面に見えた夏焼集落を撮影したものです。

 写真右下には佐久間湖(天竜川)が見えています。

 写真中央やや下あたりの山の斜面の少し開けたところに夏焼集落があります。

 夏焼集落は、2015年に最後の住人の方が去った後は、誰も居ない無人集落となっているようです。

 夏焼集落は、天竜川左岸(写真右側)の同集落以南の静岡県道288号が土砂崩れなどにより通行止めとなってからは、大嵐駅からの夏焼トンネル(2つのトンネルの総称)を通るルートが唯一のアクセス道路となっていました。

 なお、写真右下のほうの、湖面の少し上の岩肌に黒い穴が2ヵ所ほどとても小さく見えているのですが、これは佐久間ダム建設時に廃線となった旧飯田線のトンネルの入口です。

 右上の写真は、拡大(望遠)して撮影したものです。


旧飯田線のトンネルの入口

 上の写真は、愛知県側の県道1号から遠方(北方向)の湖面近くに見えた旧飯田線のトンネルの入口です。

 拡大(望遠)して撮影したもので、調べてみたところ、写真左側が「第一難波隧道」(全長 78.5m)で、写真右側が「第五白神隧道」(全長 50.7m)となるようです。

 現在はこれらのトンネルは廃線となり、放棄されて朽ち果てていくのみとなっていますが、建設当時には幾多の困難がありながらも、鉄道をこの場所に通すことに情熱を傾け、夢や希望を抱いて懸命に隧道を掘削し続けていた当時の人々の思いを考えると、とても切ない感じがしてしまいます。


愛知県側の県道1号から見た夏焼集落

 上の写真は、愛知県側の県道1号から遠方(北方向)の山の斜面に見えた夏焼集落を望遠で拡大して撮影したものです。

 久しぶりに夏場に訪れたためもあってか、樹木が生い茂り、少々こちら側からは見えにくい状態となっていました。

 なお、右上の写真をよく見てみると、白い手すり(ガードレール)がついた夏焼集落につながる小道が見えますが、あとでこの小道を自分が登っていくことになるとは、この時は想像もしていませんでした。

 夏焼第二隧道を抜ければ、西方向に約10分ほど歩けば夏焼集落にたどり着けると聞いていたので、山のきつい斜面を登った先に夏焼集落があるとは思っていなかったからです。


 2023年7月30日(日)現在 ☆以下の写真は特筆がない限り同じ日のものになります。


放棄された乗用車「トヨタ カローラ SE」

 夏焼第二隧道の入口(中部天竜・豊橋方)から西方向へ上がる道を進んで、しばらく行くと、左側に放棄されて朽ち果てていく乗用車がありました。

 おそらく、トヨタの4代目「カローラ」の「カローラ SE」(1981年8月のマイナーチェンジ後のヘッドランプ異形角型2灯式。1983年5月販売終了)だと思われます。

 夏焼集落に向かうにあたっては、上の写真の場所あたりが自動車で来られる限界の場所になります。(現在は自動車での進入禁止)


夏焼集落に向かう途中の崩落個所

 道は左のほうにカーブしていますが、土砂や落石のため、道が一部崩れて危険な状態となっているため、通るときには十分注意が必要です。


夏焼集落へと続く小道

 このあたりは竹が多く見られました。


おそらく夏焼集落へとつながっていたモノレール

 夏焼集落へ向かう小道が、いよいよ上り坂になる場所の手前には、上の写真のようにレールが付いたモノレールが設置されていました。

 レールの先は緩やかに上方へと向かっていて、おそらく夏焼集落に住む方が、自宅とこの場所を行き来するためにこのモノレールが設置されたものと思われます。

 住民の方の個人の費用負担でこのモノレールを設置したのか、公的補助を受けて設置されたのかはわかりませんが、夏焼集落の高齢の住民の方にとっては重要な交通手段として重宝されたものと思われます。

 今は夏焼集落は無人となってしまっているようなので、このモノレールも何年も動いておらず、朽ち果てていく可能性があります。


夏焼集落への上り坂の入口

 ここからは、いよいよ夏焼集落へ向けて山の斜面を上っていくことになります。

 写真左下のほうには佐久間湖(天竜川)の水面が見え、このあたりはガードレールのようなものがないので、滑落しないように十分注意して歩いていく必要があります。


見事な風景

 夏焼集落へ向かう上り坂を上がって行く途中で、ふと佐久間湖(天竜川)のほうへ目をやると、青空(少々雲が見られますが)と高い山々の間に静かに水を湛える佐久間湖で構成された、ふだんは見ることのできない異世界的な風景を見ることができます。

 写真奥方向が南方向になります。


ひたすら上がって行く上り道

 この日は夏の暑い日ということもあって、夏焼集落へ向かう上り道は非常にきつく感じました。

 高齢になればなるほど、この上り道は体力的にきつかったことは容易に想像できます。

 反面、体力のあるうちは、とてもいい運動になっただろうとは思います。

 このあたりは、愛知県道1号の佐久間湖(天竜川)対岸のほうから見えた白いガードレールが見えてきました。


夏焼集落へ向かう途中にあった木箱

 この木箱を最初に見た時は、夏焼集落の住民の方達のための集合郵便受けなのかな、と思いましたが、詳しい方のサイトを見ていたら、どうやら「養蜂箱」のようです。


さらに高いところから望む佐久間湖(天竜川)

 夏焼第二隧道の高さからだいぶ上がってきた感じの風景となっています。

 写真奥方向が南方向で、写真左側に見える山の斜面の下部のほうには、かつては飯田線の旧線が通っていたことになります。


ようやく見えてきた夏焼集落の民家

 しばらく上り坂を歩き続けていくと、ようやく夏焼集落の民家が見えてきました。

 さきほどから上り坂がきついことばかり書いていますが、とてつもなく長い上り坂というわけではなく、ほどほどの距離ではありますので、若くて体力に自信のある方にはなんとも思わない行程なのかもしれません。

 とにかくこの日は夏のとても暑い日で、ようやくここまでたどり着けたのは嬉しい限りでした。

 かつては、さらにこの夏焼集落を越えて、現在の大嵐駅方面へ通じる山中の小道があったようです。(現在も通行できるかは不明。途中が私有地になっている可能性有り)

 夏焼集落の歴史は、16世紀末期頃の豊臣秀吉が樹立した豊臣政権時代の頃から始まったようで、約400年以上の長きにわたる歴史があるようです。


かつては人の営みがあったであろう民家

 現在は人が住んでいないものと聞いてはいますが、かつては確かに人が住まわれていて、今も所有者の方は御存命でいらっしゃるかもしれませんので、むやみに他人の方の家を覗き込むような行為は控えようと思い、今日はこのあたりで引き返すことにしました。

 また、引き返すことにした理由の半分は、これ以上登って行くのは体力的にきついと考えたこともあります。


帰りは下り道

 夏焼集落からの帰り道は、佐久間湖(天竜川)と山々の風景を目にしながら、山の斜面を下っていくことになります。


帰路の途中で見える風景

 この日の佐久間湖(天竜川)は、雨の影響なのか、水がとても濁っていました。

 それとも、佐久間湖はダム湖なので、水質はふだんからこんな感じなのでしょうか。


夏焼集落へ向かう上り道の始点付近

 さきほど、モノレールが設置されていた場所の近くまで戻ってきました。

 このあたりはガードレールなどが無いので、足元に十分注意して歩いていく必要があります。





☆以下の写真と記事は、2023年(令和5年)7月30日(日)に再び大嵐駅を訪れた時のものになります♪
飯田線の大嵐駅やその周辺には、見ておきたい多くの歴史的スポットがあることがわかります。


旧大嵐駅跡付近と佐久間湖(天竜川)を結ぶ小道と階段
佐久間湖岸(天竜川)に見える謎の階段

 上の写真は、愛知県と静岡県の県境を流れる天竜川(佐久間湖)に架かる鷹巣橋(たかすはし)から撮影したものです。

 愛知県側から撮影したもので、対岸の写真中央奥やや左あたりに、静岡県側にある大嵐駅が見えています。

 上の写真は何の変哲もない山奥の風景写真に見えますが、実は今回、再び大嵐駅を訪れてみた理由のひとつとなっているものが写真に写っているのです。

 それは、写真中央やや右下の佐久間湖岸に小さく見えています。


 2023年7月30日(日)現在 ☆以下の写真は特筆がない限り同じ日のものになります。



大嵐駅の下方にある佐久間湖に突き出た階段

 左の写真は、大嵐駅の下方で、佐久間湖の湖面付近に見える階段を望遠で拡大して撮影したものです。

 この階段の存在は、かなり前に大嵐駅を訪問した時から目にして気になっていたものです。

 この階段が、果たして佐久間ダムが完成(1956年/昭和31年)する以前からあったものなのか、昭和32年8月(1957年)に飯田線の大嵐~小和田間で地滑りが発生して不通となった際に、天竜川の小和田~大嵐間を結んだ連絡船の船着き場へ向かう通路として整備されたものなのかは、現時点では私ではわかっていません。

謎の階段への入口

 謎の階段へと下りて行く通路が今もあるのか、探してみることにしました。

 ある程度このあたりかな、という目途をつけて、天竜川への斜面を見ていたら…

 ありました☆ 人が歩いて行けそうな獣道のような場所を見つけました。

 謎の階段への入口は、上の写真の白いガードレールの手前側にありました。

 写真右奥(北方向)のほうに大嵐駅の駅舎が見えています。


謎の階段へと続く獣道入口

 上の写真ではわかりにくいですが、写真右側に見える白いガードレールの左側から斜面を下りて入っていくと、確かに人が歩ける獣道がありました。

 現在は、私のような興味のある人間しか通っていないものと思われます。


謎の階段へと続く下り道

 遠方から見ていると、このあたりは急な斜面のように見えますが、実際には、樹木の中にはっきりと佐久間湖(天竜川)の水面へ向かう比較的緩やかな斜面の小道が残っていました。


謎の階段へと続く小道

 上の写真では、はっきりと謎の階段へ続く小道があることがわかります。


現れた階段部分

 しばらく小道を歩いて行って佐久間湖(天竜川)の水面が近づいてくると、樹木に覆われた階段部分へと出くわしました。

 謎の階段の最先端部分までは、あと少しです。

 なお、写真に見えるここの階段部分は、だいぶ左右横方向に傾きが生じていて、遠い将来には崩れて無くなってしまう可能性もありそうです。


見えてきた佐久間湖(天竜川)の水面

 最初に現れた階段部分を下りて行くと、その先に佐久間湖(天竜川)に突き出た最後の陸地(岩石地)が見えてきました。

 もうゴールは目の前です。


謎の階段付近から見える鷹巣橋と佐久間湖

 この場所から左右の景色を見てみると、雄大な山々と佐久間湖(天竜川)の水面が見え、北方向となる右側には鷹巣橋が見えます。




今回到達した謎の階段の先端部

 今回、階段の様子を見るために到達できたのはここまででした。

 他の方の情報によると、佐久間湖(天竜川)の水位がもっと低い時は、さらに下のほう(今回の水面の下)まで、この階段は続いています。

 佐久間ダムが完成する以前は、大嵐駅と愛知県側の旧富山村を結ぶ天竜川に架かる橋があったそうで、この階段はその橋に向かう道だった、ともいわれていますが、詳細は不明です。

 かつてはこの階段の水面下の先に人々の生活があり、水面下の過去の景色に想いを馳せると、とてもミステリアスな気持ちになります。


謎の階段から大嵐駅までの帰り道

 上の写真は、登りの帰り道の中間地点ぐらいで撮影したもので、小道が土手のように盛り土されて、しっかりと造られていることがわかります。


大嵐駅舎内の休憩所に展示されていた貴重な大嵐~小和田間の天竜川連絡船の写真

 上の写真は、大嵐駅とそのとなりの駅の小和田駅の歴史を語る上で非常に貴重な写真となっています。

 昭和32年8月(1957年)に飯田線の大嵐~小和田間で地滑りが発生して不通となった際に、青函連絡船の航海士をわざわざこの地に呼んで、飯田線の替わりに大嵐~小和田間の天竜川で連絡線を運航したのだそうです。

 そしてその際には、大嵐駅と小和田駅において、天竜川までの道路を作った、とまで書かれています。

 そのため、今回レポートした謎の階段が、昭和32年の連絡船運航当時に造られたものなのか、それとも佐久間ダム完成前(1956年/昭和31年)の昔からあったものなのか、現時点では不確定要素があるものとなっています。

 なお、別の方のサイトを拝見させて頂いたところ、当時を知る方の証言として「小さい頃に大嵐駅から長い階段を下りて天竜川に架かる吊り橋を渡った記憶がある」旨の記載がありましたので、非常に貴重な情報のひとつではないかと思います。

 またの機会があったら、階段の先の愛知県側の対岸に旧富山村へと上がって行く小道の痕跡がないか探索してみたいですね。





その他、大嵐駅周辺や飯田線の旧夏焼隧道などの様子
中部天龍大嵐間付替線完成記念碑

 大嵐駅の南側(中部天竜・豊橋方)にある大原トンネルの出口付近にある「中部天龍大嵐間付替線完成記念碑」です。

 この碑は、現在、草木が周囲に生い茂っていてその存在がわかりにくく、前回大嵐駅を訪れた時には見落としていたものです。

 碑の前面には「竣功」、「慰霊」の文字が大きく彫られています。

 佐久間ダム建設に伴い、昭和28年(1953年)から昭和30年(1955年)11月までの短い期間(約23ヵ月)で行われた飯田線の中部天竜~大嵐間の新線工事は、約30名ほどの殉職者を出しているようで、そのために作られた記念碑兼慰霊碑となっているようです。


 2023年7月30日(日)現在 ~☆以下の写真は特筆がない限り同じ日のものになります。


西山林道の入口

 写真奥(北方向)のほうに続いていく道が西山林道になります。

 この道へ入っていくと、門谷集落方面や水窪方面、小和田方面(小和田駅へ直接は行けない)へと続いています。

 写真左側のほうに旧富山村方面(現在は豊根村)へ続く鷹巣橋が見え、写真手前側のほうに大嵐駅があります。


大嵐駅前の駐輪場にあった「フリーレンタルサイクル」の表示

 「一般社団法人とみやまの里」が「とみチャリプロジェクト」として、平成28年(2016年)の夏から実施しているのだそうです。

 ただし、現在は、自転車の保険加入義務化の関係で、手続き終了まで利用停止となっているようです。(貼り紙掲出有り)

 利用料は無料で、利用を希望する場合は、記載されている電話番号に連絡することになっているようです。

 レンタルサイクルが利用できるのであれば、ここから約1.3km先の愛知県側の旧富山村集落(現在は豊根村)や豊根村役場富山支所(旧富山村役場)、夏焼集落のほうへと行くこともできるものと思われます。

 ただし、夏焼集落方面へ向かうためには、飯田線旧線の長い夏焼第二隧道(延長 1,233m)を自転車で走り抜けなければなりませんので、注意が必要です。


大嵐駅近くにある山中へ登る道の入口

 写真の左側に見える電柱のあたりには、山中へ上がって行く小道の入口があります。

 この小道は、ネット上の地図サービスを見てみると、大嵐駅の北側にある大嵐トンネルの上方を通って山中へと続き、小和田方面や門谷集落方面へと続いているようなのですが、現在の実態はどうなっているのかはわかりません。


大嵐トンネルの上方へと向かう小道

 左上の写真でご紹介した小道の入口付近へと進入を試みた際の写真です。

 歩いて登っていくことも不可能ではなさそうですが、季節が夏で草が生い茂り樹木の葉も多くあり、歩行が困難そうでしたので、今回は探索をあきらめました。


大嵐駅の構内東側に見られた索道

 赤さびた索道(さくどう)の機器類ですが、現在もワイヤーが北東側の山の斜面のほうへ向かって伸びていました。

 索道(さくどう)とは、空中に架け渡した索条(ワイヤーロープ)に運搬機器を懸垂して、旅客や貨物などを輸送する設備のことをいいます。

 この索道が、林野業の方が使用していたものなのか、それとも飯田線工事の際に使用されたものなのかは不明です。


何らかの構造物の遺構

 大嵐駅のホーム入口付近の東側には、何らかの構造物があったと思われる遺構が見られます。

 駅構内関連のものなのか、飯田線工事の際のものなのかは不明です。


地中から突き出た2本のレール

 同じく大嵐駅のホーム入口付近東側の地中からは、写真の矢印で示した場所に2本のレールが地中から突き出ていました。

 いったい何の痕跡なのかは全くの不明です。

 昭和17年(1942年)9月に豪雨により大嵐駅構内で大規模な地滑りが発生したそうで、その際に、この場所に放棄して土砂で埋めたレールが、長年の雨などにより覆いかぶせた土砂が流れて露出してしまったものなのかもしれません。




「第一横坑」跡

 夏焼集落側から夏焼第二隧道を抜けると、次の夏焼第一隧道(旧飯田線の栃ヶ岳隧道)までの間に、比較的広い場所がひらけています。(右上の写真)

 右上の写真の左奥のほうに見えるのが夏焼第一隧道ですが、この場所は、かつては谷の地形となっていて、全長53.8mの「栃ヶ沢橋梁」が設置されていたのだそうです。

 また、この辺りには、佐久間ダム建設時に飯田線の新線工事で同線最長となった大原トンネル(全長 5,063m/大嵐~水窪間)を掘削する際に、掘削箇所を増やして工事期間を短縮するために、この辺りから大原トンネル方面(写真右方向/東方向)へ向けて、横坑が2本ほど掘られていたそうです。

 左上の写真が、その横坑の遺構のひとつと思われる「第一横坑」跡で、金属製のアーチのようなものと横坑の入口と思われる部分を現在も見ることができます。

 右上の写真の黄色い矢印部分のあたりにあり、右上の写真の左奥のほうに見える夏焼第一隧道を抜けると大嵐駅に至ります。

 このような遺構が現在も見られるように残っているのは、工事に苦労した当時の人たちが、意図的に将来もその痕跡を見られるように残したのでしょうか。

 かつては谷の地形だったこの場所は、新線の大原トンネルを掘削した際の岩石や土砂(ズリ)で埋め立てられて、現在の平地のような地形となったようです。

 なお、右上の写真に見える道路を天竜川の流れる左方向に行くと、ちょっとしたひらけた場所があり、さらにその先にかつて旧飯田線を工事していた時に使用されたと思われる遺構があるようなのですが、現在は私有地となっているようで、見に行くことはできませんでした。




夏焼隧道の内部の様子

 なんとなく以前訪れた時よりも、トンネル内の照明が明るく綺麗になったような気がしましたが、気のせいでしょうか。

 トンネルの外の猛暑と比べてとても涼しいので、トンネル内は冷気で もやっているように見えました。


夏焼隧道の内部にある横坑入口

 大嵐駅側から夏焼隧道に入って約200mほど夏焼集落方面(南方向)に向かって進むと、右手側に横穴があらわれます。

 この横坑が、かつては天竜川方面(西方向)まで通じていて、トンネル掘削工事の際には使用されて活躍したものと思われます。

 この横坑の先の天竜川側出口の周囲には、上述のように現在も工事関連の遺構が残っているようなのですが、現在は途中が私有地となっていて、見に行くことはできないようです。


夏焼隧道の内部にある退避坑

 夏焼隧道の夏焼集落方に多く見られます。
かつての夏焼隧道の入口遺構

 上の写真の現在の夏焼第二隧道入口(中部天竜・豊橋方)の右側に見えるコンクリート製の構造物は、かつての旧飯田線の夏焼隧道の入口の遺構となっているようです。

 かつての旧飯田線の夏焼隧道は、佐久間湖(天竜川)が異常増水した時に、こちら側(中部天竜・豊橋方)の隧道入口が水没する恐れがあったようで、現在の夏焼第二隧道の入口は、現在のように道路トンネルに転用される時に、水没しないように夏焼隧道のこちら側(中部天竜・豊橋方)の入口の標高高度を約5m上げて、再度掘削されてトンネルが100mほど作り直された経緯があるそうです。





かつての大嵐駅はこんな感じだった!?
かつての大嵐駅の想像スケッチ図

 かつての、とある日の旧線時代の大嵐駅の様子を想像・イメージしてスケッチしてみたものになります。

 あくまで私個人の想像・イメージ図となりますので、実際のかつての大嵐駅周辺の様子とは異なります。

 かつての旧線時代の大嵐駅の様子を撮影した古い写真や、太平洋戦争後の1947年(昭和22年)頃から1948年(昭和23年)頃までに米軍によって撮影された航空写真などを参考に描いてみたものです。

 現在の飯田線の線路は、佐久間ダムの建設により山側の新線の大原トンネルへと付け替えられていて、そのほかには、特に以下の4つの点が現在と大きく異なっていることがあげられると思います。

①かつての大嵐駅構内には複数の建物類などがあった。

②現在の天竜川に架かっている鷹巣橋は無く、現在よりも南寄りの、もっと低い場所に吊り橋の鷹巣橋が架かっていた。

③1942年(昭和17年)9月27日に豪雨により発生し、プラットホームと駅舎が天竜川に崩れ落ちたという大規模な土砂崩れは、戦後直後も、その傷跡が生々しく残っていた。

④旧線の栃ヶ岳隧道(現在の夏焼第一隧道 全長 98.6m)と夏焼隧道(現在の夏焼第二隧道 全長 1,233m[竣工時 1,238m])の間は、かつては谷のような地形となっていて、橋梁の「栃ヶ沢橋梁」(全長 53.8m)が架かっていた。


 そのほか、1956年(昭和31年)10月に完成した佐久間ダムのダム湖に旧線が水没する以前には、大嵐駅~中部天竜駅間の旧線には、以下の駅が存在していました。

 ~大嵐駅-2.8km-白神駅(しらなみ)-4.1km-天龍山室駅(てんりゅうやまむろ)-3.4km-豊根口駅(とよねぐち)-3.0km-佐久間駅(さくま/現在地へ移転前の旧駅)-0.8km-中部天竜駅~


 上述のとおり、現在の大嵐駅は駅前まで自動車で乗り入れることができることもあってか、いわゆる「秘境駅」としては認識されていませんが、私は個人的には大嵐駅とその周辺は、飯田線の駅の中でも有数の歴史を物語る遺構が見られる、探訪する価値が大いにある駅のひとつと感じています。


 以上、大嵐駅とその周辺の様子についてご紹介いたしました☆

 次の駅は、いよいよ飯田線の中でも屈指の人気を誇る「秘境駅」となっている小和田駅(こわだえき)です。

 現在の小和田駅は、普通の人が訪れるためには、ほぼ飯田線の電車に乗って訪れるしかないという、アクセス手段が限られた、まさに「秘境駅」となっています。

 現在の小和田駅周辺には住む人も居なくなり、かつての民家や製茶工場、放棄された「ダイハツ ミゼット」をはじめ、林道さえも朽ち果てようとしています。

 そのほか、駅周辺には「愛の椅子」があったり、少し歩けば小和田池之神社や崩落した高瀬橋、遺棄されたバイクなど、かつての小和田駅周辺の歴史を窺い知ることができる場所もあります。

 ぜひ、小和田駅の紹介ページもご覧になってみてください♪





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