トミカ 小島 009 フォード No.26-2 1978年7月発売 日本製
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小島 009 フォード
(No.52 星野一義)

 1978年7月に発売された「小島 009 フォード」(No.26)のトミカ(日本製/No.26-2)です。

 このトミカの「小島 009 フォード」は、1977年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPにスポット参戦した、株式会社コジマエンジニアリングの「コジマ KE009 フォード」(星野一義選手ドライブ No.52/スポンサー UNI-PEX)がモデルとなっています。

フロントビュー
 このトミカは、パッケージ上は「スーパースピード」の機能を持っていますが、サスペンションやドア開閉などのギミック(仕掛けやからくりのこと)はありません。

 (パッケージ表記)
 小島 009 フォード
 KOJIMA 009 FORD
 S=1/58
 tomica トミー TOMY
 26 Japan 国産 T-27
 スーパースピード
 SUPER SPEED

 (車体底面)
 KOJIMA 009 FORD
 tomica © 1978
 NO.26 S=1/58
 MADE IN JAPAN

 発売時価格 ¥240円
 発売期間 1978年7月~1980年9月


 2023.05.13現在




 株式会社コジマエンジニアリング(Kojima Engineering/本社 京都府)は、かつてレーシングカーコンストラクターとして活動していて、創業者の小嶋松久氏自身、高校時代から二輪ライダーとしてダートトラックレースやモトクロスで活躍された経緯があり、1970年に氏の故郷である京都にてコジマエンジニアリングを設立されています。

 コジマエンジニアリングは1970年からレース活動を本格的に開始し、1973年には全日本FJ1300選手権、1974年には全日本F2000選手権(それぞれF3、F2に相当)にステップアップして、サーティースやマーチの海外製マシンを購入し、足回りを自社製に置き換えるなどしてフォーミュラカー造りの経験を積んでいったのだそうです。

 創業者の小嶋松久氏のモトクロス時代の後輩で四輪レースに転向した長谷見昌弘選手が、コジマエンジニアリングのてがけた「KEサニー」で1974年と1975年の全日本FJ1300選手権を連覇し、1975年5月の日本GPではFL500、FJ1300、F2000の3クラスともコジマエンジニアリングが関わったマシンが優勝するなどの華々しい戦績を残していったそうです。

 そして、1976年にF1レースが日本で初開催されることが決定すると、小嶋氏はフォーミュラレースの最高峰であるF1にオリジナルマシンで挑戦することを決断したのだそうです。

 1976年10月に富士スピードウェイで開催されたF1選手権には、オリジナルマシンの「KE007」の1台体制でスポット参戦し、長谷見昌弘選手が予選タイムアタックでポールポジション獲得もできうる素晴らしい走りを見せるも、サスペンションの故障でクラッシュしてしまい、決勝までには大破したマシンを修復したそうですが、結果は7周遅れの11位完走となりました。

 その後、コジマエンジニアリングは1977年の全日本F2000選手権用に「KE008」を投入し、1977年10月のF1日本GP用に「KE009」を開発し、F1日本GPにスポット参戦しました。

 「KE009」は、星野一義選手(No.52/スポンサー UNI-PEX)と高原敬武選手(No.51/スポンサー 伊太利屋)がドライブし、1976年の「KE007」以上の活躍が期待されたそうですが、タイムが伸び悩み、決勝では高原選手がクラッシュに巻き込まれて2周目でリタイア、星野選手は2周遅れの11位という結果に終わりました。

 その後は、西ドイツの「カウーゼン」からの「KE009を使用したい」というオファーを受けて、1978年の参戦に向けた準備が進められましたが、「カウーゼン」側の資金難により参戦は果たせなかったそうです。

 また、1978年のF1日本GPにむけて「KE010」が開発されていましたが、1977年のF1日本GPは採算面での失敗や観客死亡事故が発生したこともあり、1978年のF1日本GPの開催がキャンセルされてしまい、残念ながら「KE010」が日の目を見ることはなく、開発中止となってしまいました。

 コジマエンジニアリングは、1979年に2代目のF2マシンとなる「KE011」を投入しましたが成績は芳しくなく、同社はこれを最後に4輪レース活動から撤退したそうです。


上部ビュー

 「コジマ KE009 フォード」は、アルミニウム製モノコックで、エンジンは2,993ccV8 NA(自然吸気)「フォード コスワースDFV」エンジンを搭載し、トランスミッションは「ヒューランド FGA400 5速+反転1速MT」となっていました。

 写真のトミカの車体左右側面に貼られた「UNI-PEX NGK」と書かれたシール、リアウイング左右側面に貼られた「KE」と書かれたシール、リアウイング後部下面に貼られた「BRIDGESTONE」と書かれたシールは、パッケージに同梱されていて自分で車体に貼るシールとなっています。


左右サイドビュー

 リアウイング左右側面に貼られたシールの「KE」は、株式会社コジマエンジニアリング(Kojima Engineering)のロゴマークとなっています。

 1977年のF1日本グランプリに参戦した「コジマ KE009 フォード」は、ブリヂストンタイヤを使用し、予選では星野選手が電気系統のトラブルで11位、高原選手は19位だったようです。

 決勝では、星野一義選手はブリヂストンタイヤとのマッチングに苦しみ、2周遅れの11位という結果となっています。

 使用したタイヤについては、グッドイヤー、ダンロップの選択肢もあったのですが、当時の関係者の様々な思惑などもあり、ブリヂストンのタイヤを使用するに至った経緯があるそうで、レース後にコジマエンジニアリングの小嶋氏は自費を払って富士スピードウェイを借りて、中古のグッドイヤータイヤでKE009を高橋国光選手とケケ・ロズベルグ選手に走行させたところ、ブリヂストンタイヤよりも1.9秒速いタイムを記録したそうです。


 なお、1977年10月に富士スピードウェイにて開催されたF1日本グランプリは、採算面での失敗や観客死傷事故などの課題を残してしまい、その影響でF1グランプリの日本での開催は、1987年のF1日本グランプリ(鈴鹿サーキット)まで10年間の空白期間に入ることになってしまったそうです。

 また、優勝したジェームス・ハント(マクラーレン)と2位のカルロス・ロイテマン(フェラーリ)がレース後の表彰式に出なかったことが問題になり、スポーティング・レギュレーション(競技規定)に「3位以内入賞者と優勝チームの代表者は、必ず表彰式に出席しなければならない」という項目が追加された、というエピソードが残っています。


リアビュー

 リアウイング後部下面に貼られた「BRIDGESTONE」と書かれたシールは、パッケージに同梱されていて自分で車体に貼るシールとなっています。



車体底面


パッケージ

 パッケージに描かれた実車のイラストがよく再現されたトミカとなっています。









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