トミカ ロータス ホンダF-1 No.78-5 中嶋悟 1987年10月発売 日本製
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ロータス ホンダF-1
(No.11 中嶋悟)

 1987年10月に発売された「ロータス ホンダF-1」(No.78)のトミカ(日本製/No.78-5)です。

 この「ロータス ホンダF-1」のトミカは、裏板刻印に「99T」とあり、カーナンバー「11」となっていますので、「ロータス」が1987年F1参戦時の中嶋悟(なかじま さとる)氏の搭乗車になります。(以下敬称略)

フロントビュー
 中嶋悟は、1987年に日本人初のレギュラーF1ドライバーとしてロータス・ホンダからデビューし、当時のチームメイトは、翌年にマクラーレンに移籍しワールドチャンピオンを獲得するアイルトン・セナ(ブラジル/カーナンバー12)でした。

 「ロータス 99T」は、ジェラール・ドゥカルージュの設計により1987年のF1世界選手権参戦用に開発されたF1マシンで、エンジンは排気量1,494cc、公称最高出力1,000馬力(ps)以上のホンダ製 V型6気筒ターボエンジン「RA167E」を搭載し、アクティブサスペンションを装備したマシンとしても知られています。

 また、この年の1987年からロータスのメインスポンサーが長年の「JPS(ジョン・プレイヤー・スペシャル)」から「CAMEL(キャメル)」に変更となり、ボディカラーも漆黒に金色文字のJPSカラーからキャメルイエローへと変更されています。

 中嶋悟は、デビュー時には34歳で、本人も自ら「無理はしない」と言っていたように、派手な速さは無かったものの、コンスタントに走り続ける姿から、当時のフジテレビのF1中継実況アナウンサーだった古舘伊知郎氏から「納豆走法」と呼ばれることもありました。

 トミカには、当時のスポンサーだった「CAMEL」、「elf」、「DeLonghi」(デロンギ…オイルヒーター、エスプレッソメーカーなどのイタリアの電気機器製造会社)などのロゴマークが描かれています。

 「ロータス 99T」は、1987年のシーズンにおいて、空力に弱点があり、搭載したアクティブサスペンションが技術的に未成熟なこともあって、全16戦で、セナは2回の優勝で57ポイント、中嶋は最高位4位で7ポイントの獲得、ロータスのコンストラクターズランキングは3位という結果になったようです。

 中嶋悟は、1987年から1989年まではロータス、1990年と1991年はティレルのドライバーとして活躍し、予選最高位6位、決勝最高位4位、ファステストラップ1回、F1キャリアにおける総獲得ポイントは16ポイントとなっています。

 中嶋悟はF1キャリアにおいて表彰台(3位以内)に上がったことはありませんが、日本国内の各選手権で活躍していた頃から雨天時の走行に定評があり「雨の中嶋」とも呼ばれていて、1989年の最終戦オーストラリアGPでは、降りしきる雨の中、3位を走るリカルド・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー)を猛追して、中嶋自身初のファステストラップを記録し、表彰台まであと一歩に迫るという素晴らしい走りを見せてくれたこともあります。

 また、デビュー時の1987年には、この「ロータス 99T」をドライブし、第7戦イギリスGPにおいて4位に入賞し、同じホンダエンジンを搭載したウィリアムズ・ホンダの2台とともに、ホンダエンジン搭載車で1-2-3-4フィニッシュという偉業を達成しています。(1位~3位はマンセル、ピケ、セナの順)

サイドビュー

 なお、中嶋悟の息子である中嶋一貴(なかじま かずき)も、2007年にウィリアムズからF1ドライバーとしてデビューを果たしています。

リアビュー

 LOTUS HONDA F-1
 (※パッケージ表記)

 LOTUS HONDA 99T
 TOMICA ©TOMY
 NO.78
 S=1/55
 MADE IN JAPAN

 発売時価格 ¥320円
 発売期間 1987年10月~1991年8月


 2020.01.23現在










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