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マーチ 85G
1985年9月に発売された「マーチ 85G」(No.49)のトミカ(日本製/No.49-5)です。
このトミカの「マーチ 85G」は、かつて存在したイギリスのレーシングカーメーカー「マーチ・エンジニアリング」が製造・販売した1985年型グループC・IMSA-GTP用のシャシー「マーチ
85G」をベースにしたレースカーがモデルとなっていて、写真の「マーチ85G 日産スカイラインターボC」の実車がモデルとなっているトミカをはじめ、車体に施されたカラーリングやデザインが異なるバリエーションが多く存在します。
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フロントビュー |
トミカのフロント上面には、「SKYLINE TURBO C」(スカイライン ターボC)、「TOMICA」、ゼッケンナンバー「11」と書かれています。
日産は、1985年のシーズンは、このトミカのモデルとなった実車を「スカイラインターボC」の名前でレースにエントリーしています。
なお、このトミカは、サスペンションやドア開閉などのギミック(仕掛けやからくりのこと)が無いトミカとなっています。 |
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(パッケージ表記)
マーチ 85G
MARCH 85G
SCALE 1/64
TOMY 49 日本製
MADE IN JAPAN T-34
スーパースピード
(車体底面)
MARCH 85G
TOMICA ©TOMY
NO.49 S=1/64
MADE IN JAPAN
発売時価格 ¥320円
発売期間 1985年9月~1991年5月
2023.04.06現在
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写真のトミカは、日産が「マーチ 85G」のシャシーをベースに1985年シーズンに投入し、「ハセミモータースポーツ」の長谷見昌弘選手、和田孝夫選手らがドライブした実車のレースカー「マーチ85G
日産スカイラインターボC」がモデルとなっていて、車体色は白色と青色系基調で、車体にはゼッケンナンバー「11」や「SKYLINE TURBO C」、「TOMICA」などと書かれているのが特徴です。
日産は、1985年の全日本耐久選手権(後の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)のグループCカテゴリー参戦用に、イギリスの「マーチ・エンジニアリング」の製造・販売するグループC・IMSA-GTP用の「マーチ
85G」シャシーを3台購入し、同社のセドリック・グロリア、フェアレディZ用の3L V型6気筒ターボエンジン「VG30ET型」をベースにチューンされたツインターボエンジンを搭載しています。
「IMSA-GTP」は、国際モータースポーツ協会(International Motor Sports Association)が1981年に規定した新しいプロトタイプカテゴリー「GTPクラス」のことで、燃費について規制が無かったことが特徴だったのだそうです。
前年まで惨敗し続けていた日産は巻き返しを期して、「マーチ 85G」シャシーのレースカーを「ホシノレーシング」(星野一義、松本恵二、萩原光選手/当時)から「シルビアターボC」として、「ハセミモータースポーツ」(長谷見昌弘、和田孝夫選手/当時)から「スカイラインターボC」としてエントリーし、1985年7月の「富士500マイル」でデビュー、2戦目となった1985年8月に開催された「鈴鹿1000km」では「シルビアターボC」がポールポジションを獲得し(決勝はリタイア)、予選3位の「スカイラインターボC」が決勝7位となったそうです。
そして、3戦目の「WEC-JAPAN」では、予選初日に1-2位を独占(翌日はポルシェに逆転される)し、豪雨となった決勝では、海外勢が撤退して2時間に短縮された変則レースではあったものの、「シルビアターボC」(マーチ
85G)が星野一義選手のドライブで初優勝を果たしています。
星野一義選手は、この優勝で日本人初の世界耐久選手権ウィナー(Winner)となったそうで、長谷見昌弘選手のドライブする「マーチ85G スカイラインターボC」は総合5位完走となっています。
翌年の1986年には、「日産 R85V」(マーチ 85G)が「ル・マン24時間レース」に参戦し、長谷見昌弘、和田孝夫、ジェームス・ウィーバー組が16位で完走し、日産はル・マン初出場ながら初完走を果たしています。 |
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上部ビュー |
写真のトミカのフロント部上面には「SKYLINE TURBO C」(スカイライン ターボC)、「TOMICA」、ゼッケンナンバー「11」と書かれています。
また、車体後部上面には「NISMO」と、リアウイング上面には大きく「NISSAN」と書かれています。
当時「マーチ・エンジニアリング」に在籍していた、後にF1のカーデザイナーとして有名になるエイドリアン・ニューウェイが「マーチ 83G」を設計し、IMSA-GTPでドライバーズタイトルとシャシー製造者のタイトルを獲得するなど華々しい成績を収め、その後「マーチ・エンジニアリング」は「マーチ
84G」、「マーチ 85G」、「マーチ 86G」、「マーチ 87G」を世に送り出しますが、1988年の「マーチ 88G」を最後にグループC用シャシーの開発を終了しています。
「マーチ 85G」シャシーは、全部で11台が製作されているそうです。(そのうち日産が3台購入)
エイドリアン・ニューウェイは、その後、1991年にF1チームのウイリアムズに移籍し、1992年にナイジェル・マンセルが初のワールドチャンピオンを獲得した「FW14B」を開発、翌1993年にはアラン・プロストとデイモン・ヒルによってドライバーズタイトル(プロスト自身4度目)と2年連続のコンストラクターズタイトルを獲得した「FW15C」を開発するなどし、1996年までのウイリアム在籍時に彼の手掛けたマシンは通算51勝を挙げています。
その後、エイドリアン・ニューウェイは、1997年にマクラーレンに移籍して、ミカ・ハッキネンがドライバーズタイトルを獲得した「MP4-14」などを開発し、2005年までマクラーレンにて彼の手掛けたマシンは通算43勝を挙げるなど数々の功績を残し、2006年以降はレッドブル・レーシングに在籍しています。 |
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左右サイドビュー |
写真のトミカの車体側面には、ゼッケンナンバー「11」、「NISMO」、「SSR」、「TOMICA」などと書かれ、日産のロゴマークも描かれています。
車体側面に描かれた文字などをよく見てみると、左側面と右側面では「TOMICA」の文字が配置された場所が異なっていることがわかります。
また、リアウイング側面には「TOMY」と書かれています。
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写真のトミカのホイールは「10Fホイール」となっています。
この「マーチ 85G」のトミカは、同じ日本製でも車体色や外装デザイン(SILVIA、AMADA、シール貼り有りなど)、裏板の色(オレンジや黒)、内装パーツの色(赤や黒)が異なるバリエーションが多く存在します。 |
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リアビュー |
「マーチ・エンジニアリング」は、1969年にF3車両「693」(ドライバーはロニー・ピーターソン/1944年2月~1978年9月)を製造し活動を開始したのが始まりで、翌1970年には「701」を製造し、F1への参戦を開始しています。
「マーチ」(MARCH)の名前の由来は、チーム設立に関わった人物のマックス・モズレー(M)、アラン・リース(AR)、グラハム・コーカー(C)、ロビン・ハード(H)の人名の頭文字をとったものとなっているそうです。
「マーチ・エンジニアリング」は、F1各チームにシャシーを供給したり、自らのチーム「マーチ」でF1に参戦(1990年から1991年までは「レイトンハウス」として参戦)したほか、F2、F3、グループC、チャンプカー、IMSA-GTPなどのカテゴリーにもシャシーを供給していましたが、1992年の活動を最後に実質的に消滅してしまったようです。
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車体底面 |
写真のトミカは、裏板がオレンジ色のプラスチック製となっているバリエーションになります。 |
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パッケージ |
特に日本製のトミカにはよくあることですが、パッケージに描かれたイラストと、中に入っているトミカ本体とは、車体のカラーリングやデザインが全く異なっています。
なお、この「マーチ 85G」のトミカのパッケージには、このトミカのモデルとなったと思われる実車の「マーチ 85G」ベースのレースカーの主要諸元が書かれています。
それによると、全長 4794mm、全幅 1994mm、全高 1070mm、ホイールベース 2671mm、エンジンはV型6気筒OHCターボ、最高出力
650PS/8000rpm以上、最大トルク 70kg-m/5500rpm以上となっています。
パッケージの側面にはバーコードも印刷されていますが、ここでは写真の掲載を省略させて頂いています。
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