飯田線(JR東海) 各駅探訪~唐笠駅(唐笠-金野) 
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 このページでは特に飯田線の唐笠駅(唐笠-金野)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
唐笠駅のすぐ近くには、観光舟で天竜川の景観を楽しむことができる「天竜ライン下り」の舟着場の唐笠港があります。


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門島駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 金野駅


飯田線(JR東海) 唐笠駅 からかさ Iida Line
唐笠駅 【豊橋起点:111.3km】  2023.10.02現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。

 長野県下伊那郡泰阜村(やすおかむら)唐笠にある飯田線の唐笠駅(からかさえき)です。

 上の写真は、唐笠駅の様子を、同駅の南西側(門島・豊橋方)の天竜川に架かる「長瀞橋」(ながとろはし/長野県道64号天竜公園阿智線)から撮影したもので、写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 上の写真は、唐笠駅を紹介する写真として、あまりにも有名でよく見られるアングルのものとなっていて、山々の樹々の緑と天竜川に囲まれた自然豊かな場所に唐笠駅があることがわかります。

 この場所からは、天竜ライン下りの舟の唐笠港到着時刻を調べておけば、舟が唐笠港に到着する様子も撮影できますし、飯田線の列車の唐笠駅発着時刻を調べておけば、飯田線の列車が発着する様子も撮影できる場所となっています。

 現在の唐笠駅は、「天竜ライン下り」の観光舟の終着点となっている唐笠港がすぐ近くにあり、観光シーズンには舟から降りてきた人たちでにぎわうことがあるようです。

 唐笠港は、写真の飯田線の線路の左側に見える建物「半崎亭」の左下あたりにあり、建物の左側には、かつてこの場所の天竜川に架かっていたという木製吊り橋(旧長瀞橋?)の主塔跡が見えています。


 なお、飯田線の線路と天竜川の間には、現在は樹々や雑草が生い茂っているのが見えていますが、古い写真を見てみると、その場所はかつて崖のような地形となっていて樹々はあまり生えておらず、天竜川の水面が見えていました。

 そのことから、唐笠駅の南方約2.5km(直線距離)あたりの天竜川に泰阜ダム(やすおかダム)が建設(1936年/昭和11年1月竣工)されたことにより、このあたりにも長年の堆砂による影響が出ているのではないかと思われます。

 また、古い地図や航空写真を見てみると、現在は樹々で覆われてしまっている飯田線の線路の写真左側の崖下側には、かつて「竜東線」とよばれた街道(小道)があったのではないか、と個人的には推測しています。

 竜東線(長野県道満島飯田線。龍東線や平岡線とも記述される)は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川左岸(東側)に沿って通じていた人と馬が通れる程度の街道で、飯田線の前身である三信鉄道線が敷設された際も、竜東線が分断されて不通にならないように再整備されたりして残された、と聞いています。


 現在、唐笠駅へのアクセスは、当駅のすぐ近くを通る主要地方道の長野県道64号天竜公園阿智線から分岐する、自動車が通行可能な道路が駅前まで通じていますので、アクセスが容易な駅となっています。

 唐笠駅へ飯田線の列車で訪れる際は、現在、唐笠駅には特急「伊那路」は停車しませんので、普通列車で訪問することになります。


 唐笠駅は、1932年(昭和7年)10月30日に、三信鉄道が天竜峡駅から門島駅までを開業した際に「唐笠停留場」として設置され、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に三信鉄道線が飯田線の一部として国有化されて「唐笠駅」に昇格し、鉄道省の駅となりました。

 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1971年(昭和46年)12月1日に駅員無配置駅とされ、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。



唐笠駅へのアクセス道路

 唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(ながとろはし)を左岸側(東側)に渡ると、すぐに左方向(北方向)へ曲がる道路があります。

 それが上の写真の道路で、その道路を下っていくと唐笠駅があり、「天竜ライン下り」の唐笠港への入口(同港出口)ともなっています。

 なお、この坂道は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川左岸(東側)に沿って通じていた、人と馬が通れる程度の街道「竜東線」の一部として使用されていた道だった可能性も考えられます。


唐笠駅出入口付近の様子

 写真左上のほうへ続く道路を約200mほど上がって行くと、長野県道64号に出ます

 写真右側と中央奥のほうに唐笠駅のホーム、待合室、駅前のトイレなどが見えています。

 写真右奥のほうには、唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(長野県道64号)が見えています。

 写真には写っていませんが、写真右方向には唐笠駅の金野方(天竜峡・飯田方)にある「唐笠踏切」があって、その踏切を天竜川方面へ渡ると、「天竜ライン下り」の唐笠港への入口(同港出口)があります。


唐笠駅の様子を唐笠踏切付近から見る

 上の写真は、唐笠駅の金野方(天竜峡・飯田方)にある「唐笠踏切」付近から見た、唐笠駅の様子です。

 唐笠駅は、単式ホーム1面1線の地上駅で、写真中央奥あたりに当駅の駅前にあるトイレの建物が見え、写真右奥のほうのホーム上には待合室が見えています。

 また、線路の金野方(天竜峡・飯田方)の一部は橋梁構造となっているようです。


唐笠駅前の様子を南西側(門島方)から見る

 唐笠駅の駅前には、ちょっとした空き地のスペースがあります。

 写真左側に見える建物が唐笠駅の待合室で、写真右奥のほうには駅前に設置されているトイレが見えています。

 唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、かつては写真右側のあたりに、屋根付きの小屋のような建物が建っていました。

 なお、上の写真を見て気付かれた方もいらっしゃると思いますが、写真左下のほうには、初対面のご挨拶のため(?)に近づいてきてくれている、当駅周辺にお住まいと思われる猫ちゃんが写っています。

 ネット上で調べてみると、この猫さんは、唐笠港近くにあるお店の「半崎亭」さんの愛猫「タロウ」さんなのだそうです。


唐笠駅前の南西側(門島方)の様子

 写真奥方向が南西方向で門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真奥のほうには、唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(長野県道64号)が見えています。


唐笠駅前にあるトイレ

 「天竜ライン下り」の観光客の方が多く利用する場合があるためか、駅前に設置されたトイレは、比較的立派な建物のトイレとなっていました。


唐笠駅前の様子

、写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 写真左端側に待合室の建物の一部とその脇にあるホームへの出入口が、右側に駅前にあるトイレが見えています。


駅前のトイレ側から見た唐笠駅ホーム出入口付近の様子

 待合室の脇の白い防護柵がある場所が、ホームへの出入口になります。

 写真には、ホーム上の駅名標が見えています。

 また、唐笠駅前には、NTTの公衆電話ボックスが設置されています。(写真右側)

 唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、現在の公衆電話ボックスが設置された場所あたりに、かつては何らかの建物が建っていたようです。


唐笠駅のホーム出入口付近の様子

 写真左端側に見える通路が、ホームへの出入口になります。

 写真奥のほうには、唐笠駅の北西側を流れる天竜川の水面が見えています。

 唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、現在の公衆電話ボックスが設置された場所あたりには、かつては何らかの建物が建っていたようなのですが、その建物はいったい何だったのでしょうか?

 三信鉄道開業後の資料を見てみると、唐笠駅には、駅舎や貨物積卸場の上屋、ポイント小屋、車庫などは無かったようで、その資料では、当時は便所(トイレ)も無かったようです。

 ただ、「乗降場附属上家(待合所)」はあったようなのですが、古い写真を見てみると、現在あるような待合所はホーム上には無かったようなのです。

 あと重要なことは、唐笠駅は、1971年(昭和46年)12月1日に駅員無配置駅とされていることです。

 「駅員無配置駅とされた」ということは、それまでは駅員が常駐していたということになりますので、唐笠駅の開業当時は駅舎は無かったのですが、その後の駅の利用状況の変化により、駅員が常駐可能な駅舎のような建物が造られた可能性があります。

 もちろん、唐笠駅開業当時は待合所があったようですので、もともとあった待合所を改造して、駅員が常駐できるようにした可能性もあります。

 現時点では私では詳細不明ですが、そう考えると、現在の公衆電話ボックスがある場所あたりにあった建物は、駅員が常駐できる駅舎と待合所を兼ねた建物だったのかもしれません。

 そのほか、有り得るとしたら、資材などを置いておく物置小屋のようなもの、地元の方の売店のようなもの、あるいは落石警戒番舎があったのかもしれません。

 (以上は要検証)


唐笠駅のホーム出入口

 写真中央に見える通路を奥のほうへ進めば、ホームへ出ることができます。


待合室の壁面に設置された切符回収箱

 ホーム出入口の脇の待合室壁面には、きっぷ回収箱が設置されていました。


ホーム出入口付近から見える天竜川

 このあたりの天竜川の水面は、やたらと緑色が濃く見える気がするのですが、山の木々の緑が水面に写っているからなのでしょうか?

 それとも堆砂による影響なのでしょうか、あるいは色覚的な錯覚なのでしょうか。

 調べてみると、天竜川は諏訪湖に集まった水が水源とされ、諏訪湖から流れ出て下流へ向かう天竜川の水は、途中、赤石山脈(南アルプス)や木曽山脈(中央アルプス)を源流とする多くの川からの水が流れ込みます。

 それらの多くの河川の水質や水量の加減で、天竜川の水の色は変化する、といわれているようです。


ホーム上の駅名標がある場所あたりから門島駅方面を見る

 写真奥方向が南西方向で門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真右奥のほうには、唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(長野県道64号)が見えています。


ホーム上にある駅名標
←写真左

 JR東海の駅によく見られる、いたって一般的な駅名標です。

 1875年(明治8年)1月23日に、周辺の村々が合併して現在の泰阜村(やすおかむら)となった時に、そのうちのひとつの村だった旧伊那郡唐笠村は、台地の突端にカサを広げたような地形が見られることが、「唐笠」という地名の由来となっていたそうです。

 明治18年(1885年)に作成された古い絵地図を見てみると、確かに唐笠の集落があった場所は、「ホツキ山」(現在の地名の小字はホッキ?)の上に広がる平地のような描き方がされていました。

 今も有る「唐笠諏訪社」も、その古い絵地図には描かれていました。
駅名標のある場所あたりから金野駅方面を見る

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 写真奥のほうには、唐笠駅の金野方にある「唐笠踏切」が見え、そのさらに奥のほうには「唐笠第2トンネル」(123/長さ 57m、待避坑なし)が見えています。

 「天竜ライン下り」の降船場となっている唐笠港は、写真左奥のあたりにあります。

 唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、現在の公衆電話ボックスが設置された場所あたりに、かつては何らかの建物が建っていたようです。


待合室の内部の様子①

 長椅子(ベンチ)が設置され、壁面には時刻表と普通運賃表や掲示板が取り付けられています。

 唐笠駅は、現時点では、いわゆる「秘境駅」として認識されていないこともあってか、小和田駅や田本駅で見られたような、訪問時の感想などを自由に書き込める、いわゆる「駅ノート」は無かったようです。

 時刻表を見てみると、唐笠駅発着の列車は、中部天竜・豊橋方面が1日10本、天竜峡・飯田方面が1日10本となっています。

 唐笠駅に発着する飯田線の列車本数は多くはないため、当駅近くの唐笠港で「天竜ライン下り」の観光舟を降りた人達は、必ずしも飯田線の列車に乗車して帰路につくわけではないようで、「天竜ライン下り」を運営している天龍ライン遊舟有限会社の用意する無料のシャトルバスで、唐笠駅前から「天竜ライン下り」の出発地である天龍峡温泉港まで戻る方達も多いようです。


待合室の内部の様子②

 唐笠駅の待合室は、当駅のすぐ近くに「天竜ライン下り」の降船場となっている唐笠港があって、利用者が多く訪れる時があるためか、このあたりの飯田線の駅としては広めの待合室となっています。

 唐笠駅は山深い場所にあるため、どうしても「この待合室から見える冬の景色はどんな感じなんだろう?」と考えてしまいます。


待合室を南西側(門島方)から見る

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 唐笠駅の待合室は、このあたりの飯田線の駅のものとしては大きいほうで、厳密にいうと「ホーム上にある」というよりは、「ホームに接して設置されている」という言い方のほうが正確のようです。

 なお、唐笠駅が写っている古い写真を見てみると、現在の待合室がある場所には、かつては何も無かったようです。


ホーム中ほどから門島駅方面を見る

 写真奥方向が南西方向で門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真右奥のほうには、唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(長野県道64号)が見えています。

 写真左側のほうには、唐笠駅前に広がっている、ちょっとした空き地が見えています。


唐笠駅のホーム南西端側から門島駅方面を見る

 写真奥方向が南西方向で、門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 この場所から長瀞橋(長野県道64号)を見ると、天竜川の水面からは結構な高さの場所に架かっているんだなあ、とあらためて感じます。

 また、上の写真では写っていませんが、写真奥のほうの唐笠駅の門島方には「唐笠第1トンネル」(122/長さ 201m)があります。

 そのほか、唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、かつては上の写真左側の草木が生い茂っている場所あたりに、小屋のような建物が建っていました。


 この写真で、また考察しておきたいことは、前述のとおり、かつて唐笠駅のそばを通っていた、人と馬が通れる程度の竜東線と呼ばれた街道が、この写真に見えるどの場所を通っていたのか、ということです。

 竜東線(長野県道満島飯田線。龍東線や平岡線とも記述される)は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川左岸(東側)に沿って通じていた人と馬が通れる程度の街道で、飯田線の前身である三信鉄道線が敷設された際も、竜東線が分断されて不通にならないように再整備されたりして残された、と聞いています。

 古い地図を見てみると、写真に見える飯田線の線路の右側の、現在は草木で覆われてしまっている天竜川側の崖下側に、破線で描かれた小道の存在が描かれています。

 ですので、おそらく、その破線で描かれた小道こそが竜東線だ、と思われす。

 今となっては「ほんとうにこんなところを道が通っていたのか?」と思いたくもなるのですが、古い地図を見る限り「確かにあった…のだろう」ということになると思います。

 私自身も現地調査をしたわけではありませんので、ここでは確定的なことを述べることができません。

 なお、戦後の1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、なんとなく小道のようなものが飯田線の線路の天竜川側崖下に写ってはいますが、その小道は、どうも唐笠駅の門島方のあたりで2ヵ所ほど崩落してしまっていて、道が断絶してしまっているように見えてしまいます。

 確定的なことはわかりませんが、その崩落のために、上述のとおり、唐笠駅前と唐笠踏切、唐笠港へ通じている長野県道64号から分岐する坂道が、かつては竜東線の一部としてバイパス的に使用されていた道だった可能性が考えられます。(以上は要検証)

 古い資料を見ると、かつての竜東線は、地形上相当無理なところを通っている箇所もあり、降雨のために決壊したりしたため、絶えず補修を行って維持・改善に努めていたそうです。

 そのように維持管理に手間がかかる竜東線は、1936年(昭和11年)4月に三信鉄道線の温田駅~平岡駅(当時は満島駅)間が開業したことにより、天竜峡~平岡間が鉄道により移動できるようになったために竜東線を利用する人がほとんどいなくなり、また、1951年(昭和26年)11月に平岡ダムが完成したことにより天竜川の水位が上昇し、竜東線の平岡~温田間は不通区間が生じることとなり、復旧が困難で維持管理に手間がかかる竜東線は再整備に関心が払われることがなくなり、また、新たに長野県道1号が平岡~天竜峡間に整備されたこともあり、竜東線は、かつて平岡~天竜峡を結んだ街道としての役目を完全に終えたようです。

 現在の平岡~天竜峡間の竜東線跡は、現用の道路や通路(小道)に転用された部分もあるようですが、多くは天竜川の水底に没してしまったり、自然荒廃などにより消滅しつつあるようです。


 いわゆる「秘境駅」と呼ばれる為栗駅、田本駅、金野駅、千代駅を有する飯田線の平岡駅~千代駅間において、かつてはそれぞれの駅近く、あるいは駅前を通って各駅を結んでいた竜東線とよばれた人と馬が通れる程度の街道の存在は、それらの秘境駅の歴史と現在の姿を語る上で、非常に重要なキーワードになっていると思います。

 平岡駅~千代駅間の飯田線の沿線にあった竜東線の詳しい歴史や現在の姿は、どなたかの調査、研究成果の公表が待たれるところではあります。

 私自信も竜東線に関する興味は尽きることがありませんので、今後も引き続き機会があれば調査、考察を進めていきたいと考えています。



ホーム南西端側から門島駅方面を見る

 写真右側には天竜川が見えていますが、唐笠駅の南方約2.5km(直線距離)あたりの天竜川には、泰阜ダム(やすおかダム)が建設(1936年/昭和11年1月竣工)されています。

 このあたりの天竜川の水の色が緑色に見えるのは、泰阜ダム建設によって生じた川の水の流れの滞りや長年の堆砂も、少なからず関係しているのではないか、と思ってしまいます。(事実はどうなのかわかりません)


ホーム南西端側から金野駅方面を見る

 写真奥方向が北東方向で金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。


ホーム南西寄りから金野駅方面を見る

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 ちなみに、写真右側のほうには、猫さんが写っています。


ホームから見える天竜川と対岸の風景

 このような自然の地形が厳しい場所に、かつての人々が熱意をもって鉄道を敷設、開業させたことは、まさしく「偉業」という言葉がふさわしいのではないでしょうか。

 特に三信鉄道が敷設した三河川合駅~天竜峡駅間の区間は、各駅を訪れてみて実感できますが、地形との闘いでもあったことが容易に想像できます。


ホームから天竜川と対岸を見る

 地図を見る限り、唐笠駅の対岸側にも道路は通っているようです。

 ただ、その道路は、現在の唐笠港近くに遺っている、かつて天竜川に架かっていたという木製吊り橋(旧長瀞橋?)の主塔と主塔基礎の遺構のちょうど対岸側あたりで行き止まりとなっているようです。

 そのことから、現在、対岸側にある道路は、かつては、唐笠駅と唐笠港のある天竜川左岸の泰阜村と、右岸側の下條村を行き来する際の、重要な交通路になっていたものと思われます。

 戦後の1948年(昭和23年)8月に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、現在の長野県道64号の長瀞橋はまだ天竜川に架橋されておらず、現在の主塔跡がある場所に橋が架かっているのが確認できます。

 ですので、唐笠駅前と唐笠踏切、唐笠港へ通じている長野県道64号から分岐する坂道も、かつては、この地域の天竜川両岸の泰阜村と下條村を行き来する際の重要な交通の要衝となっていたと思われます。


待合室前から金野駅方面を見る

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。


ホーム北東側の様子

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 唐笠駅の金野方の一部は、橋梁構造となっているようです。


ホーム北東寄りから門島駅方面を見る

 写真奥方向が南西方向で、門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真左側に見える建物は、駅前に設置されたトイレです。

 唐笠駅を撮影した古い写真を見てみると、上の写真に見える公衆電話ボックスが設置された場所あたりに、かつては何らかの建物が建っていたようです。


ホーム北東端側から金野駅方面を見る

 写真奥方向が北東方向で、金野駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 唐笠駅の金野方には「唐笠踏切」があり、そのさらに奥のほうには「唐笠第2トンネル」(123/長さ 57m、待避坑なし)が見えています。

 また、写真には写っていませんが、写真左側のほうの天竜川に、観光舟「天竜ライン下り」の降船場となっている唐笠港があります。

 写真左奥のほうには、お土産物を販売していたり食事ができるという「半崎亭」の建物や、かつて天竜川に架かっていたという木製吊り橋(旧長瀞橋?)の主塔の遺構が見えています。


ホーム北東端側の様子

 この日は、「天竜ライン下り」の唐笠港から観光客の人たちが歩いてくる姿は見られず、唐笠駅周辺はひっそりとしていました。

 繰り返しになりますが、かつて唐笠駅のそばを通っていた、人と馬が通れる程度の竜東線と呼ばれた街道が、古い地図や航空写真を見る限り、写真に見える「半崎亭」の建物あたりと、吊り橋の主塔跡あたりを通っていたものと思われます。

 その竜東線は、ここ唐笠駅から北は金野駅方面(天竜峡・飯田方面)、南は門島駅方面(田本・平岡方面)へと、天竜川の左岸沿いを通って通じていたはずです。

 今回は現地調査はしていませんので、また唐笠駅や唐笠港を訪れる機会があったら、竜東線の痕跡がないか見てみたいものです。


唐笠第2トンネルと落石覆

 唐笠駅の金野方(天竜峡・飯田方)には「唐笠第2トンネル」(123/長さ 57m、待避坑なし)があります。

 上の写真ではわかりにくいかもしれませんが、唐笠第2トンネルを抜けた、さらにその先には落石覆(長さ 46m)が見えています。

 また、上の写真の左端側には、暗く黒くなっている部分がありますが、その場所にはどうやら人工的に造られたコンクリートの壁か塊(かたまり)、あるいは岩を切り崩して造り出したか、どちらかと思われるものが垂直にそびえ立っています。

 ひょっとしたら、すぐ近くに主塔と主塔基礎の遺構がある、かつて天竜川に架かっていたという木製吊り橋(旧長瀞橋?)のメインケーブルの端がつなげられて固定されていたアンカーレイジの遺構かもしれません。


ホーム北東端側(金野方)から門島駅方面を見る

 写真奥方向が南西方向で、門島駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真左側のほうから、駅前に設置されたトイレ、唐笠駅の待合室、天竜川に架かる長瀞橋などが見えています。


ホーム北東寄り(金野寄り)から東方向を見る

 写真右側のほうに駅前に設置されたトイレの建物が見えています。

 写真左端から右上のほうへ緩やかに上がって行く道路を約200mほど写真右方向(南西方向)へ上がって行くと、長野県道64号に突き当たり、天竜川に架かる長瀞橋の左岸側(東側の泰阜村側)に出ます。





かつての唐笠駅はこんな感じだった!?
かつての唐笠駅の想像スケッチ図

 かつての、とある日の唐笠駅の様子を想像・イメージしてスケッチしてみたものになります。

 あくまで私個人の想像・イメージ図となりますので、実際のかつての唐笠駅周辺の様子とは異なります。

 かつての唐笠駅の金野・天竜峡方には、天竜川の左右両岸を歩いて行き来できた木製吊り橋の旧長瀞橋(?正式名称は不明)が架かっていたと思われます。

 そして、現在の長瀞橋(長野県道64号)が架かっている場所には、かつては橋は存在しませんでした。

 また、飯田線の線路の天竜川側の斜面(崖)には、かつては「竜東線」とよばれた、人と馬が通れる程度の街道(小道)があったのではないか、と個人的には推測しています。

 竜東線が健在だった頃は、ここ唐笠駅から天竜川左岸沿いを通っていた竜東線を歩いて、北は金野駅・千代駅方面、南は門島駅・田本駅・温田駅方面へと行けたはずです。





唐笠駅周辺の様子
長瀞橋(ながとろはし)

 唐笠駅の南西約200mあたりの天竜川に架かる「長瀞橋」(ながとろはし)です。

 天竜川右岸側(西側)の下條村側から撮影したものです。

 長瀞橋は、1973年(昭和48年)11月に竣工したローゼ・アーチ橋で、橋の長さは154mとされています。

 1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、この長瀞橋はまだ天竜川に架橋されておらず、当時、このあたりの場所の天竜川両岸を行き来できた橋(旧長瀞橋?)は、現在の唐笠港近くの吊り橋の主塔跡がある場所に架かっていました。

 現在の長瀞橋は、長野県道64号天竜公園阿智線が通っていて、ここから下條村方面へ約1.6kmほど行くと、俳優・タレントで有名な峰竜太さんの実家である「スーパーさかや」さんがあります。

 峰竜太さんは、長野県観光大使を務められていて、実家の「スーパーさかや」さんでは、オリジナルワインの「竜太ワイン」や「そば焼酎 竜太」が販売されています。


唐笠駅の金野方にある唐笠踏切①

 写真に見える飯田線の唐笠踏切を渡って写真奥のほうへ行くと、「天竜ライン下り」の終着港であり降船場となっている唐笠港があります。

 唐笠駅は写真左側にあります。


唐笠駅の金野方にある唐笠踏切②

 唐笠港は、「天竜ライン下り」の終着港となっていて、再び舟に乗って出発港である天龍峡温泉港には戻れないそうですので、「天竜ライン下り」の舟を降りた観光客の方達は、必ずこの唐笠踏切を渡ることになると思います。


半崎亭と吊り橋の主塔跡

 唐笠駅の金野方にある唐笠踏切を天竜川のほうへ渡ると、「天竜ライン下り」の観光舟から降りてきた観光客の方達向けに主として営業していると思われる、お土産物を販売していたり食事ができるという「半崎亭」の建物があります。

 また、写真中央奥のほうには、かつて天竜川に架かっていたという木製吊り橋(旧長瀞橋?)の主塔の遺構の上部が見えています。


「天竜ライン下り 唐笠港」の案内看板と魚龍観音像

 唐笠踏切を天竜川側に渡った先の左側には、上の写真のように「天竜ライン下り 唐笠港」の案内看板と「魚龍観音」像が設置されています。

 看板に書かれているように、このあたりの天竜峡は、1969年(昭和44年)10月1日に天竜奥三河国定公園に指定されています。

 写真右側には、「魚龍観音」像が見えています。

 この「魚龍観音」像は、「天竜ライン下り」の乗船客や釣り人の方達の安全祈願のため、また、観光舟から投網で捕獲した魚などの供養のために、「天竜ライン下り」を運航する天龍ライン遊舟有限会社さんが昭和63年(1988年)7月に建立したものなのだそうです。

 現在の「天竜ライン下り」は、出発港となっている天龍峡温泉港から、ここの唐笠港までの約10kmを最大約50分間かけて、天竜川の峡谷の風景などを楽しみながら乗船する行程となっているようです。


唐笠港側から唐笠踏切を見る

 この唐笠踏切は、唐笠駅開業直後の三信鉄道時代には、現在のように遮断機や警報機などは無かったと思いますが、おそらく唐笠駅開業当時からある踏切なのではないか、と思います。

 なぜそう考えるかというと、かつて唐笠駅の天竜川側を通っていたと思われる街道「竜東線」からの唐笠駅へのアクセス通路として存在していただろう、と思うからです。

 私はまだ、唐笠駅の開業当初時代の写真を見たことがありません。

 これからも機会があれば探していきたいと思いますが、もし目にすることがあれば、きっと新しい発見があるものと思います。


唐笠踏切付近から見た唐笠駅の様子

 この場所からは、唐笠駅の全体の様子をよくとらえた写真が撮影できます。


唐笠駅入口付近にある「長とろの話(唐笠)」の立て看板

 左上の写真の右端側に見えている建物が、唐笠駅前に設置されているトイレになります。

 この立て看板には、泰阜村(やすおかむら)の民話が紹介されていて、「民話の里めぐり実行委員会」さんによって設置されたようです。

 民話の内容は、江戸時代初期にこの地を訪れた文学者の石川丈山(いしかわじょうざん 1574年~1664年)が天竜川を船で下っていた時に、両岸から「カァーン、カァーン」という音が聞こえてきたので、石川丈山が船頭に「あの音はなんだね?」とたずねたところ、「イノシシやシカなどを追い払うためのトンキラだ」と、船頭は答えたそうです。

 それを聞いた石川丈山は「トンキラか。それは青竹に水を湛えて、水を一度に落して竹の下の石を叩いて音を出す添水(そうず)のことだ。わしは今、京都の北山に住んでいて、庭の中まで鹿が入り込んできて困っている。そうだ、添水を庭に仕掛けて鹿を追い払うことにしよう。」と言ったそうです。

 そして、京都に戻った石川丈山は、住居の「詩仙堂」(しせんどう)の庭に添水を作り、それが今日まで残っているそうです。

 ここに出てくる「添水」(そうず)とは、一般には「ししおどし」として知られるもので、「詩仙堂」は京都市左京区にある曹洞宗の寺院で、石川丈山の山荘跡であり、国の史跡に指定されています。

 現在も「詩仙堂」の添水の青竹が石を打つさわやかな音を聞かせているのは、このあたりの「唐笠谷、大久保の長とろ」で石川丈山が船頭から聞いた「トンキラ」の話がもとになっていると言い伝えられているそうです。


 以上、唐笠駅とその周辺の様子についてご紹介いたしました☆

 次の駅は、先にご紹介した田本駅と並んで全国でもトップクラスの「秘境駅」として有名な「金野駅」(きんのえき)になります♪

 金野駅周辺には、ほんとうに何も無くて「駅」しか存在せず、まさに「秘境駅」そのものなのですが…

 続きはぜひ金野駅のページをご覧ください♪





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