飯田線(JR東海) 各駅探訪~金野駅(金野-千代) 
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 このページでは特に飯田線の金野駅(金野-千代)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
金野駅は飯田線の全94駅の中で最も利用客数が少なく、駅周辺には何も無い立地環境から「秘境駅」として知られています。


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唐笠駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 千代駅


飯田線(JR東海) 金野駅 きんの Iida Line
金野駅 【豊橋起点:113.6km】  2023.10.02現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。

 長野県飯田市千栄(ちはえ)にある飯田線の金野駅(きんのえき)です。

 上の写真は、金野駅の様子を、同駅の南側(唐笠・豊橋方)から撮影したもので、写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 現在の金野駅周辺には、民家や商店など、人の生活の気配を感じさせるものが全く無く、周囲を自然に囲まれた「駅」があるだけの環境から、全国でもトップクラスの「秘境駅」として知られています。

 私が訪れた時は、草刈りの作業をやっている方がいらっしゃったので、秘境駅感は多少薄れてはいましたが、それでも初めて訪れてみて、ほんとうに周囲に何も無く、「駅」しかない立地環境には、思わず「すごいところにあるものだなぁ」と思わざるをえませんでした。

 それでも、金野駅は、山々や樹々、河川に囲まれた自然豊かな場所にある、のどかで閑静な駅でして、不思議と落ち着いた気持ちにさせてくれる、私にとってはとても心地良い駅でした。

 それはおそらく、金野駅が秘境駅とよばれる駅でありながらも、この日も駅周辺で草刈り作業をやっていらっしゃる方がいたように、駅周囲に荒廃した雰囲気はあまり感じず、駅のホーム上には、地元の方達が手入れをされているという花が咲いていて、それらの金野駅周辺の地域の方々の当駅に対する愛情のようなものが感じられたからなのかもしれません。

 ここの金野駅から、最も近い主要地方道の長野県道1号飯田富山佐久間線に出るには、約3.3kmの狭い道となっている泰阜村道1号金野停車場線を歩くか、自動車、バイク、自転車などで走行するしかなく、飯田線の電車を使用しない金野駅へのアクセスは簡単ではない状況となっています。

 金野駅前までは、自動車でも来ることができますが、長野県道1号から入って金野駅へと続く約3.3kmの泰阜村道1号金野停車場線の道中の道幅は狭くてカーブも多く、対向車が来たらすれ違いができない場所も多くて、場所によっては道は荒れていて、坂道の傾斜もきつい場所があり、容易に駅前まで来られるわけではない状況だと思います。

 それでも、以前は駅前に自転車置き場(駐輪場)があり(現在は撤去)、金野駅から長野県道1号に出る約3.3kmの道は「銀座通り」とも呼ばれていたようで、かつては金野駅への人の往来がそれなりにあったことがうかがえます。

 ネット上の動画では、昭和40年代初めまで金野駅を利用していた方の話が紹介されていて、当時の金野駅は、毎日およそ20人ほどがバイクや自転車などで当駅を訪れて通勤や通学に利用されていたそうです。(ほとんどが飯田方面への利用だったようです)

 この場所に金野駅が設置されたのは、当時の泰阜村と千代村、下條村の請願によって三信鉄道により設置されたようですが、三信鉄道としてはもっと集落に近い場所に駅を設置したかったようなのですが、このあたりの険しい地形上、理想どおりに鉄道を敷設することはできないと判断して、この場所に駅を設置することになった経緯があるようです。

 また、古い地図や航空写真を見てみると、かつては金野駅前を「竜東線」とよばれた街道(小道)が通っていたようです。

 竜東線(長野県道満島飯田線。龍東線や平岡線とも記述される)は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川左岸(東側)に沿って通じていた人と馬が通れる程度の街道(小道)で、飯田線の前身である三信鉄道線が敷設された際も、竜東線が分断されて不通にならないように再整備されたりして残された、と聞いています。

 現在の金野駅は、主要地方道の長野県道1号から約3.3km入った行き止まりの場所にある「秘境駅」となっていますが、かつては、北は千代駅および天竜峡方面へ、南は唐笠駅および平岡方面へ歩いていくことができた竜東線とよばれた街道(小道)の脇にあった駅だったのです。


 金野駅は、1932年(昭和7年)10月30日に、三信鉄道が天竜峡駅から門島駅までを開業した際に「金野停留場」として設置され、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に三信鉄道線が飯田線の一部として国有化されて「金野駅」に昇格し、鉄道省の駅となりました。

 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。

 金野駅は、単式ホーム1面1線の地上駅で、ホーム上に待合所はありますが、駅舎の無い無人駅となっています。

 なお、現在の金野駅は利用者が少ないこともあってか、発着する列車の本数は少なく、普通列車でも通過する列車があるようですので、金野駅を飯田線の電車で訪れる場合には、事前に十分時刻表を確認しておくことが重要だと思います。

 現在の金野駅は秘境駅として人気があり、JR東海の運行する急行「飯田線 秘境駅号」の停車駅のひとつとなっています。(秘境駅号に乗車される際は、停車駅について必ず事前にご確認ください。)



金野駅南側の様子

 写真奥方向が北方向で千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になり、写真奥のほうに金野駅が見えています。

 この日は、金野駅前にて草刈りを行っている方がいらっしゃいましたので、おそらくその方のものと思われる軽トラックが写っています。

 現在、飯田線の電車に乗らずに金野駅まで来る場合には、同駅の東方の離れたところを通る主要地方道の長野県道1号飯田富山佐久間線から分岐する、泰阜村道1号金野停車場線の狭い道を約3.3km歩くか、自動車、バイク、自転車などで走行するしかない状況となっています。

 すなわち、現在の金野駅へのアクセス手段は、飯田線の電車を利用するか、泰阜村道1号しか無く、金野駅が「秘境駅」といわれる所以(ゆえん)のひとつとなっています。

 金野駅へ向かう泰阜村道1号が長野県道1号と交差する地点は、同駅から南東方向へ直線距離で約1.9kmの地点で、交差点近くには金野生活改善センターや泰阜村消防団第二分団金野詰所などがあって目印となっています。

 長野県道1号から泰阜村道1号を約3.3kmほど進んでくると、終点(行き止まり)が上の写真の場所で、金野駅前のちょっとした広場となっています。


金野駅出入口付近から南方向を見た様子

 写真奥方向が南方向で、写真奥右側(西方向)の未舗装の道路の先に、金野駅の西側を流れる米川(よねかわ)に架かる「米川橋」(よねかわはし)があります。

 米川橋は、金野駅の南西約100mほどのところにあります。

 米川(よねかわ)は、天竜川の支流で、金野駅の南側と西側を流れていて、同駅の北北西約200mあたりのところで天竜川に合流しています。

 写真に見える道路の泰阜村道1号金野停車場線を、写真奥のほうへ約3.3kmほど進んでいくと、長野県道1号に出ることができます。

 金野駅に通じている泰阜村道1号金野停車場線は、金野駅から「GAKU金野キャンプフィールド」さんの入口(道の分岐点)までの約800mほどの区間は、かつての街道「竜東線」を転用しているものと思われます。

 金野駅から長野県道1号に出る約3.3kmの道は、かつては「銀座通り」とも呼ばれていたようですが、それは駅前周辺や沿線に多くの商店があったということではなくて(多少の商店は当然あった可能性があります)、かつては金野駅への人の往来がそれなりにあって、金野集落付近では、金野駅へ向かう人や駅から戻ってくる人と集落の人たちとの間で元気な挨拶が交わされ、沿線では農家の方による地元産の野菜などの売買もあって、また、農家の方達が近隣の町へ電車で野菜などを売りに行ったなど、とても元気で活気があった、ということではないのかな、と個人的には思っています。

 ひょっとしたら、金野駅前で露店をしていた人もいたのかもしれません。

 なお、上の写真の奥のほう(長野県道1号方面)へ約900mほど行った場所(徒歩約15分)あたりには、当時有名であった個人経営の食堂・宿泊施設「ジジ王国 山のレストラン」さん(要予約)があったそうですが、2021年1月に閉店されてしまったようです。

 また、泰阜村道1号から分岐して「ジジ王国 山のレストラン」方面へと続く道は、かつて金野駅から唐笠駅方面へと通じていた、人と馬が歩ける程度の街道「竜東線」を転用したものと思われます。

 「ジジ王国 山のレストラン」があった場所近くには、現在は、テントやテーブルなどが設置済みで「日本一『ラク』なキャンプ場」をキャッチフレーズとされている「GAKU金野キャンプフィールド」さんがあります。


金野駅の様子を南西側から見る

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 現在の金野駅は、目の前に迫る山、近くを流れる米川、樹々や雑草の豊かな自然に囲まれ、周囲には民家などの建物は無く、トイレすらも有りませんので、訪れた瞬間に秘境駅感を余すところなく実感できると思います。

 上の写真を見ると、空き地にコンクリートが敷かれた部分が2ヵ所見えますが、左側の部分には、かつては自転車やバイクなどが置ける屋根付きの簡易な駐輪場が設置されていました。

 その駐輪場は、現在は撤去されて無くなっています。


 では、写真右側の線路側にあるコンクリート地面の場所には何があったのでしょうか?

 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、なにやらちょっとした小屋のような建物が建っていたように見えるのです。

 現時点では私では詳細不明ですが、資材などを置いておく物置小屋のようなもの、あるいは落石警戒番舎があった跡なのかもしれません。

 そのほか、地元の方の売店のようなものや、ここ金野駅から出荷する野菜などを置いておく倉庫があったのかもしれません。

 三信鉄道開業後の資料を見てみると、金野駅には、駅舎や貨物積卸用の上屋、ポイント小屋、車庫、便所などは無かったようです。

 ただ、「乗降場附属上家(待合所)」はあったようなのですが、それはホーム上にあった待合所のことを指しているものと思います。


 では、あと、他に考えられるものとしては… 普通の駅にはあって、現在の金野駅には無い建物と言えば…

 そうですね♪ やはり、トイレ、いわゆる公衆便所です☆

 開業直後の金野駅にはトイレ(資料上は「便所」と記載されています)が無かったみたいですが、かつて金野駅前を通る道は「銀座通り」とよばれたほどですので、当駅開業後に「やっぱり駅前にトイレは必要」と判断されて、トイレが金野駅前に設置されていた時期があった可能性もあるのではないか、と個人的には考えています。

 (以上は要検証)


駐輪場跡あたりから南方向を見る①

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 都市部の鉄道路線に当然のように見られるような、線路に侵入しないように設置された防護柵などが無いところが、飯田線への親しみを何となく感じてしまいます。

 写真奥のほうの先には、金野駅の南側約140mあたりのところを流れる米川(よねかわ)に架かる「米川橋梁」(長さ 65m)があり、さらにすぐその先には「金野第7トンネル」(133/長さ 364m)があります。


駐輪場跡あたりから南方向を見る②

 写真右奥のほうへ行くと、米川(よねかわ)に架かる米川橋(よねかわはし)があります。

 写真右側に見える道路は、泰阜村道1号金野停車場線で、現在唯一の金野駅まで通じている自動車が通行可能な道路で、金野駅で行き止まりとなっています。

 ここから泰阜村道1号の狭い道を約3.3km進んでいくと、長野県道1号に出ることができます。


金野駅のホーム出入口階段とその脇を通るかつての街道「竜東線」跡

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 この写真で、ふれておきたいことは、前述のとおり、かつて金野駅前を通っていた、人と馬が通れる程度の竜東線と呼ばれた街道(小道)が、上の写真の左端側の暗く見える、米川のほうへ向かって下って行っている場所あたりを通っていた、ということです。

 ネット上では、金野駅~千代駅間の竜東線跡を実際に踏破された方の貴重なレポートを拝見することができます。

 竜東線は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川左岸(東側)に沿って通じていた人と馬が通れる程度の街道で、飯田線の前身である三信鉄道線が敷設された際も、竜東線が分断されて不通にならないように再整備されたりして残された、と聞いています。

 現在の金野駅は、主要地方道の長野県道1号から約3.3km入った行き止まりの場所にある「秘境駅」となっていますが、かつては、北は千代駅および天竜峡方面へ、南は唐笠駅および平岡方面へ歩いていくことができた竜東線とよばれた街道(小道)の脇にあった駅だったのです。


 古い資料を見ると、かつての竜東線は、地形上相当無理なところを通っている箇所もあり、降雨のために決壊したりしたため、絶えず補修を行って維持・改善に努めていたそうです。

 そのように維持管理に手間がかかる竜東線は、1936年(昭和11年)4月に三信鉄道線の温田駅~平岡駅(当時は満島駅)間が開業したことにより、天竜峡~平岡間が鉄道により移動できるようになったために竜東線を利用する人がほとんどいなくなり、また、1951年(昭和26年)11月に平岡ダムが完成したことにより天竜川の水位が上昇し、竜東線の平岡~温田間は不通区間が生じることとなり、復旧が困難で維持管理に手間がかかる竜東線は再整備に関心が払われることがなくなり、また、新たに長野県道1号が平岡~天竜峡間に整備されたこともあり、竜東線は、かつて平岡~天竜峡を結んだ街道としての役目を完全に終えたようです。

 現在の平岡~天竜峡間の竜東線跡は、現用の道路や通路(小道)に転用された部分もあるようですが、多くは天竜川の水底に没してしまったり、自然荒廃などにより消滅しつつあるようです。


ホームへの出入口となっている階段

 現在の金野駅のホームへの出入口は、この階段のみとなっています。

 開業当時の金野駅は、ホームの構造が木造だったとされています。


ホームへ上がった場所あたりの様子

、写真左側には切符回収箱が設置されています。

 写真奥のほうには、ホーム上に設置された待合所が見えています。


ホームの出入口付近に設置された切符回収箱

 きっぷ回収箱には、「ありがとうございました 使用ずみのきっぷは この箱にお入れください」と書かれています。


ホーム出入口付近から唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真右側に見える、現在の金野駅前の空き地部分は、上述のとおり、かつては平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んでいた街道(小道)の竜東線が通っていました。


金野駅ホームから西側に見える古びた「米川ダム放流時の増水に注意」の注意看板

 中部電力と飯田警察署によって設置されたもののようで、看板には人物や擬人化された放流水が描かれ「危ない この河川での魚つり 水遊び キャンプなどは危険です。十分注意しましょう。 この河川の上流に米川ダムがあり、時々放流し 急に水量が増える時があります。」などと書かれています。

 現在、「米川ダム」なるものは存在していないようで、ここでいう「米川ダム」とは、「野池堰堤」のことを指しているものと思われます。

 長野県が作成した「長野県砂防のあゆみ」を見てみると、かつて建設された大型砂防ダムは、現在「大型砂防堰堤」と呼ばれているそうです。

 「野池堰堤」は、重力式堰堤で、1963年(昭和38年)に完成しています。

 現在の米川には、その他、米川堰堤、大日向砂防堰堤があるようで、野池堰堤との関連は私ではわかっていません。

 この注意看板は、ここまで塗装が剥離したりして劣化してしまうと、描かれたキャラクター達の絵のタッチと相俟って、ちょっとしたホラー感が出てきているような気もします。

 飯田線の秘境駅の中でも、このような古びた大きな看板が駅前に残っている駅は、おそらくここの金野駅だけではないでしょうか。


ホーム南側寄りから千代駅方面を見る

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。


ホーム南端側の様子

 写真奥方向が南方向で唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、現在はコンクリート擁壁で覆われている写真左側の場所あたりには、このあたりの線路を渡って写真左側の山中へと続く小道(山道)があったようにも見えます。

 三信鉄道が天竜峡~平岡間を開通・開業させた1936年(昭和11年)当時は、各駅へのアクセス道というのは、自動車がほとんど無かった時代ですので、徒歩での小道があれば十分であったと思われます。

 ですので、人が歩ける程度の小道というのは、極端に言えば、やる気さえあれば誰でも造れたでしょうから、おそらく当時の三信鉄道が想定もしなかった各駅への小道のアクセス道というものが、地元の人たちによって勝手に造り出されていた可能性があるのではないでしょうか。


ホーム南端側から唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 唐笠駅は、ここから約2.3km先にあります。

 写真左奥のほうの線路の先には、金野駅の南側約140mあたりのところを流れる米川(よねかわ)に架かる「米川橋梁」(長さ 65m)があり、さらにすぐその先には「金野第7トンネル」(133/長さ 364m)があります。

 写真右側に見える道路は、泰阜村道1号金野停車場線で、現在唯一の金野駅まで通じている自動車が通行可能な道路で、金野駅で行き止まりとなっていますが、かつては竜東線と呼ばれた街道跡でもあり、ここ金野駅から次の千代駅方面までは竜東線を歩いて行くことができたようです。


ホーム南端側から千代駅方面を見る

 写真奥方向が北方向で千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 上の写真の左端側の、樹木の影で暗く見える場所には、金野駅の西側を流れる米川のほうへ向かって下って行っている通路があって、その通路こそが、かつての街道「竜東線」が通っていた場所のようです。

 その竜東線跡を、写真奥のほうへ約100mほど行くと、道は右方向(東方向)に曲がり、飯田線の「金野架道橋」(長さ 6m70cm)の下まで通じているそうです。

 「金野架道橋」という名称を見てもわかるとおり、それは「道/みち」の上方に架かっている鉄道橋であって、河川や沢、湖に架かっている「橋梁」という名称ではない、ということは、すなわち、「金野架道橋」の下には「道/みち」が通っていた、ということになります。

 「金野架道橋」の下を東方向へくぐると、そこからは、かつての竜東線は飯田線の東側の山肌を沿うように千代駅方面まで通じていたようですが、現在の竜東線跡は草木に覆われたり、途中の道跡がほぼわからない程度に消失してしまっている場所もあるようです。

 ただ、金野駅~千代駅間の竜東線跡を踏破された方の貴重なレポートを拝見させて頂く限り、確かに、かつては金野駅前を竜東線とよばれた人と馬が通れる程度の街道が通っていて、かつての金野駅は、現在とはまた違った趣きを持った駅であったであろう、と思われます。


ホームに上がった場所から千代駅方面を見る

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 ホーム脇には、綺麗な黄色い花が咲いていました。

 これらの花は、どうやら地元の方達が、金野駅をきちんと維持していこう、というお気持ちの上で、手入れ、管理されているもののようです。

 上の写真のように、この場所から眺める金野駅の風景は、駅の他には、山々の樹々、空、ホーム脇の綺麗な花しか見えず、まさしく「秘境駅」、手入れされた「美しい秘境駅」というにふさわしい風景だと思います。


ホームに上がった場所から唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 ホーム上から、唐笠駅方面を見ても、駅のホームと架線類の他は、ほとんど樹木と空が占める自然あふれる風景しか見えません。

 金野駅には、自販機もトイレもありません。


金野駅のホーム上にある駅名標

 「金野駅」(きんのえき)という駅名は、当駅から直線距離で約1.8kmほど南東方向へ離れている泰阜村金野の地名が由来となっているようです。

 ただ、金野駅自体は飯田市千栄(ちはえ)にあり、にもかかわらず「金野」という駅名が採用されたのは、本来は主として泰阜村金野の集落の人たちにこの駅を利用してもらおう、という意図でこの場所に駅が設置されたから、という経緯があるようです。

 泰阜村の「金野」という地名自体は、山間部の谷間にあるので「キリノ」(切野)、あるいは「キノ」が変化したものではないか、といわれているようです。

 また、「金野駅」は駅名に「金」が付くことから、縁起の良い駅としても認識されているようで、「駅名標に触ると金運が上昇する」ともいわれているようです。


 私自身は、不謹慎ながら、もう少し「if」(イフ)な妄想的ストーリーを考えてしまっています。


 泰阜村金野には、武田氏の武士団であった前沢若狭守が武運長久と子孫繁栄を祈願するために創建したといわれる「金野諏訪社」があります。

 金野諏訪社は、長野県道1号から分岐して金野駅まで通じている泰阜村道1号のすぐそばにあり、金野駅からは直線距離で約1.6kmの南東方向にあります。

 金野諏訪社の若宮八幡宮本殿には、元亀4年(1573年)の棟札が残っているそうで、元亀4年といえば、武田信玄が没した年であり、武田勝頼が「長篠の戦い」で大敗する2年前になります。

 また、かつて金野駅と長野県道1号を結ぶ泰阜村道1号は「銀座通り」と呼ばれたといわれています。


 あれ? 金野、銀座通り、武田氏… 何かがつながったような気がしませんか?


 戦国時代、トップクラスの強さを誇った武田信玄は、甲斐の国(現在の山梨県)を本国とし、信濃国(現在の長野県)も領地としていました。

 甲斐の金山から産出される金は、「甲州金」と呼ばれる良質な金貨に鋳造され、それにより武田信玄は安定した財政を築くことができ、武田氏の軍事と政治の強さを支え、信玄は戦で負けることはほとんどありませんでした。(70回以上の合戦に参戦して敗北は6度とも)

 そんな最強を誇った武田軍も、武田信玄の死後、家督を継いだ武田勝頼が、1575年(天正3年)に「長篠の戦い」において織田・徳川連合軍に惨敗を喫し、滅亡への道を歩み始めました。

 巷では、武田氏が軍事的要所に軍用金を隠した、あるいは、武田氏が滅亡する前に埋蔵金を隠した、という伝説があり、その埋蔵金の隠し場所は、黒川金山があった甲州市塩山の鶏冠山(けいかんざん)、その近くの一之瀬渓谷、諏訪湖中、青木ヶ原の樹海であるともいわれているようなのですが…


 そうです! 金野の「金」、銀座通りの「銀」、武田氏ゆかりの金野諏訪社…

 これらは実は、武田氏の埋蔵金の隠し場所を示すキーワードだった!?


 誇大妄想もはなはだしいといわれそうですが、ひょっとして金野駅近くに、いわゆる「武田氏の財宝」が眠ってはいないだろうか!?

 さあ、金野駅周辺に眠ると言われる武田氏の金銀財宝を目指して、全国各地から猛者が集結してサバイバルバトルを繰り広げる、「ゴールデンカムイ」(原作 野田サトル氏)ならぬ、「ゴールデンキンノ」の物語の始まりです☆


 …そんな浪漫あふれる馬鹿げた空想ストーリーも、たまには夢があっていいのではないでしょうか♪

 以上、誇大妄想で大変失礼いたしました☆


駅名標のある場所から唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真右下に見える、オレンジ色の半円柱形のボックスは、何かの小道具入れなのでしょうか。

 飯田線の各駅のホーム上ではあまり見かけないので、JR東海のものではなく、ホーム上の花を手入れされている地元の方の所有物かもしれません。


ホーム上にある箱形の小屋

 鉄道の電気設備に詳しい方でしたら、この箱形の小屋のようなものが何であるか、すぐにおわかりになるかもしれません。

 私は詳しくないので、何なのかはわかりません。


ホーム上にある待合所

 ドアや扉の無い開放型の待合所となっています。

 軒下には電灯とスピーカーが取り付けられています。

 屋根が急角度になっているところを見ると、冬季にはそれなりに積雪があるのではないかと思われます。

 雪が積もる時期は、当駅まで通じている泰阜村道1号を通って金野駅まで来ることができるのだろうか、と少し心配になります。


待合所付近から唐笠駅方面を見る

 ホームの米川側にスペースの余裕が無いためか、待合所はホーム上のスペースを多く使用した造りとなっていて、待合所前のホームの幅は他の箇所と比べて狭くなっています。


待合所の内部の様子

 長椅子(ベンチ)が設置され、壁面には時刻表と普通運賃表が掲出されています。

 また、竹ぼうきやシャベルも置かれていて、待合所内は落ち葉なども無く綺麗にされていたため、きちんと手入れが行き届いている様子がうかがえました。

 金野駅は、いわゆる「秘境駅」として知られていることもあってか、長椅子(ベンチ)の上には、訪問時の感想などを自由に書き込める、いわゆる「駅ノート」があったようです。

 時刻表を見てみると、金野駅発着の列車は、中部天竜・豊橋方面が1日8本、天竜峡・飯田方面が1日9本となっています。

 ここ金野駅の列車の発着本数も少なくなっていますので、当駅を電車で訪れる際には、事前にしっかりとした予定をたてておくことが非常に重要です。


待合所前から千代駅方面を見る ←写真左

 金野駅の目の前には、山の斜面が迫っています。

 金野駅の東側にある山の上(高地)には、現在も民家が何軒かあって農地もありますが、1947年(昭和22年)に撮影された航空写真を見ると、現在よりも広い土地が農地として使用されていたことがわかります。

 当時の航空写真を見る限り、金野駅の東側の山上(高地)にあった民家の人たちも、山の斜面にあったであろう小道(山道)を歩いて下りてきて、ここの金野駅を利用していたのではないか、と個人的には推測しています。

 その小道は、おそらく金野駅の唐笠方と、同駅の千代方約100mのところにある「金野架道橋」の下あたりにも通じていた可能性があります。(要検証)
待合所付近から唐笠駅方面を見る

 ほんとうに、ホームに咲いた黄色い花がとても綺麗で、金野駅は「秘境駅」といえども、荒廃した殺伐とした雰囲気の「秘境駅」ではなく、とても心安らぐ「美しい秘境駅」だと感じます。

 もちろん、私は個人的には、荒廃してしまった「秘境駅」があったとしても、それはそれでいい、と思います。

 人里離れて、周囲に民家も無くなり、アクセス手段も限られてしまえば、駅の手入れができるのは、鉄道関係者ぐらいしかいなくなってしまうわけで、それは時代の流れの結果として、いたしかたないことなのかな、と思います。

 そのような秘境駅の典型が、飯田線の小和田駅に他ならない、と思います。


ホーム上の待合所北側から千代駅方面を見る

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 かさねがさね申し上げますが、ホーム脇に咲いた黄色い花が、あらためて写真を見てみても心和ませる美しさがあり、この場所から見る金野駅の秘境駅の風景を、より一層美しいものにしていると思います。

 ホーム脇に、安全のためのコンクリート壁やガードフェンスなどの目立つ人工物が無いところもいいのだと思います。

 そして、他の方も言われていますが、写真左奥のほうの風景がひらけてきています。

 私も、ここから飯田駅までの各駅を訪問してみた後ですので言えることですが、ここまで飯田線の駅は、湯谷温泉駅あたりからは自然の風景に囲まれた駅が、ず~~っと、当たり前のように続いてきたわけですが、そのような風景も、この先の千代駅、天竜峡駅を最後に、ぱったりと見られなくなります。

 天竜峡駅の次の駅である川路駅は、もはや平地的な市街地内にある駅となっていて、上の写真左奥のほうにひらけて見える風景は、天竜峡駅から辰野駅まで広がる伊那盆地(伊那谷/いなだに)の地が近いことを示しています。



待合所付近から北方向を見る

 山の合間のはるか遠くには、飯田駅の西側に連なる木曽山脈の山が見えています。

 山に詳しい方なら、山の名もおわかりになると思いますが、残念ながら私には土地勘(土地鑑とも)が無く、全くといっていいほどわかりません。

 飯田線沿線には多くの山があるため、山の名前がわかれば、飯田線沿線を巡る旅は、もっと楽しいものになると思います。


ホーム上から西方向(米川側)を見る

 金野駅の西側には「米川」(よねかわ)が流れています。

 上の写真では、樹々が視界をさえぎっていてわかりにくいのですが、米川の河原が樹々の合間に見えています。

 米川(よねかわ)は、天竜川の支流で、金野駅の南側と西側を流れていて、同駅の北北西約200mあたりのところで天竜川に合流しています。


ホーム上の北側寄りから唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真右側に見える電柱には、「きんの」と書かれた白地の縦長のプレートが取り付けられています。

 なお、金野駅を、当駅の西側を通る泰阜村道1号から撮影した写真を見てみると、写真左側の山側の斜面には、上端部にフェンスが設置されたコンクリート擁壁が見えていますが、さらにその上方に同様のコンクリート擁壁が3段あることがわかりました。

 そして、山の上端部は、大きな岩がむき出しになっていることもわかりました。

 金野駅の山側(東側)は、落石や土砂崩れなどに対して細心の注意が払われているようです。


ホーム北端側(千代方)の様子

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 ホーム北端側には、ホーム脇にガードフェンス(防護柵)が設置されています。


ホーム北端側から千代駅方面を見る

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 千代駅は、この先約1.2kmあたりのところにあります。

 写真奥のほうへ約50mほどのところに飯田線の「金野架道橋」(長さ 6m70cm)があります。

 「金野架道橋」の下には、かつて金野駅とこの先にある千代駅方面とを結んでいた、人と馬が歩ける程度の街道「竜東線」が通っていました。

 1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、当時は飯田線の金野駅~千代駅間の東側にある山上(高地)のほうから、竜東線へと下りてくる小道(山道)が何本かあったように見えます。

 そのことからも、かつての竜東線は、天竜峡~千代~金野~唐笠~門島~田本~温田~我科~為栗~平岡を結んで、この地域の人々にとって重要な交通路の一つであったであろうことがうかがえます。


ホーム北端側から北方向を見る

 この日のホーム北端側からは、遠方に木曽山脈がわずかに見える程度で、金野駅の西側を流れる米川の姿を鮮明に見ることはできず、また、写真奥のほうを南北に流れている天竜川の姿も見ることはできませんでした。

 もしも、ここから米川と天竜川を見ることが出来たら、かなり壮大な景色を見ることができる気がします。

 その場合、金野駅の秘境駅感は、もっと半端ないものとなっていたと思います。

 ここまで草木が生い茂る前は、ここから米川と天竜川の合流地点が見えて、もっとすごい景色が見えたのではないでしょうか。(個人的推測です)


ホーム北端側から南西方向を見る

 ホーム北端側の西側は、この時は雑草で覆われていましたが、けっこうな斜面となっているものと思われます。

 写真右側の金野駅の西側下方には、かつて、人と馬が歩ける程度の街道「竜東線」が通っていました。

 さらにその西側下方には、米川(よねかわ)が流れています。


ホーム北端側(千代方)から唐笠駅方面を見る

 写真奥方向が南方向で、唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 私は、金野駅の南側を流れる米川(よねかわ)に架かる「米川橋梁」(長さ 65m)を走行する飯田線の電車を撮影した古い写真は見たことがあります。

 ただ、いまだかつて、開業当時頃に撮影された金野駅自体の写真を見たことがありません。

 もし、いつの日か見ることができれば、きっと新しい発見があることと思います。





金野駅を通過する373系 特急「伊那路」

 金野駅を通過して唐笠駅方面(平岡・豊橋方面)へ行く、373系(F6編成・3両編成)特急「伊那路」(飯田 15:58発→豊橋 18:31着)です。

 金野駅の南西側にて撮影。

 この特急「伊那路」は、これから約2時間10分かけて、終点の豊橋駅まで向かうことになります。





かつての金野駅周辺はこんな感じだった!?
かつての金野駅周辺の想像スケッチ図

 かつての、とある日の金野駅周辺の様子を想像・イメージしてスケッチしてみたものになります。

 あくまで私個人の想像・イメージ図となりますので、実際のかつての金野駅周辺の様子とは異なります。

 かつての金野駅前には、人と馬が歩ける程度の街道「竜東線」が通っていて、周囲の近隣の民家から金野駅へ向かうための小道や山道が竜東線に通じていたりしていた可能性がある、と個人的には推測しています。

 人が普通に歩けるアクセスルート(道)が1本しかない現在の金野駅とは異なり、かつての金野駅周辺には同駅へ向かうアクセスルートが複数有り、そのために金野駅前は近隣に住む方々の往来があって元気と活気に満ちていて、駅前の通りが「銀座通り」と呼ばれていたのではないか、とも考えています。

 天竜川や米川(よねかわ)の川岸へ下りていくことができる小道もあった可能性があるので、近隣に住む人によっては川釣りや川遊びをする人たちも居たかもしれません。

 竜東線が健在だった頃は、ここ金野駅から天竜川左岸沿いを通っていた竜東線を歩いて、北は千代駅・天竜峡駅方面、南は唐笠駅・門島駅・田本駅・温田駅方面へと行けたはずです。





金野駅周辺の様子
米川橋(よねかわはし)

 上の写真は、金野駅の南西約100mあたりの米川(よねかわ)に架かる「米川橋」(よねかわはし)を西側から撮影したものです。

 写真の米川橋を写真奥のほうへ渡ると、左側のほうに金野駅があります。

 現在の米川橋は、1972年(昭和47年)2月にこの場所に架けられた(竣工)ようですが、1947年(昭和22年)に撮影された航空写真を見てみると、当時の米川橋のこちら側出入口(西側/米川の左岸側)は、この場所にあったのではなく、もう少し写真の右方向(南方向)へ約30mほど行った場所から、対岸側(写真奥/金野駅側)に架けられていたようです。

 現在の米川橋は、上方から見ると、米川に対しほぼ直角に交わるように架かっていますが、かつての米川橋は米川に対して斜めに架かっていたことがわかります。

 現在の場所に米川橋が架け直された理由は不明ですが、少なくとも言えることは、金野駅までの距離が約30mほどは近くなった、ということは言えると思います。


長野県道1号方面へと続く泰阜村道1号

 米川橋の西側から見た泰阜村道1号金野停車場線です。

 写真に見える道路の泰阜村道1号金野停車場線を、写真奥のほうへ約3.2kmほど進んでいくと、長野県道1号に出ることができます。

 ここから、「GAKU金野キャンプフィールド」さんの入口となっている道の分岐点までの約700mほどの区間は、かつて金野駅から唐笠駅方面へと通じていた街道「竜東線」を転用しているものと思われます。

 また、泰阜村道1号から分岐して「GAKU金野キャンプフィールド」さんのほうへと続く道も、かつて唐笠駅方面へと通じていた竜東線を転用したものだと思われます。


米川橋から飯田線の米川橋梁方向を見る

 上の写真では、樹々が生い茂っていてわかりにくいですが、写真中央奥やや左上のあたりの樹々の合間に、飯田線の米川橋梁が見えています。

 また、写真下のほうには、米川(よねかわ)の河原と水面が見えています。

 上述のとおり、かつての米川橋は、写真奥のほうに斜めに架かっていたようです。


米川橋から北方向を見る

 写真下のほうには、金野駅の西側を流れる米川(よねかわ)の河原と水面が見えています。

 写真中央奥のほうには、金野駅から北方向の千代駅方面(天竜峡・飯田方面)へと続く、飯田線の架線類が小さく見えています。


米川橋の東側(金野駅側)の様子①

 写真左方向へ曲がれば、もうすぐそこには、秘境駅とよばれる金野駅があります。


米川橋の東側(金野駅側)の様子②

 この米川橋を渡って写真奥のほうへ泰阜村道1号を約700mほど行くと、「GAKU金野キャンプフィールド」さんの入口となっている道の分岐点があり、そこからさらに泰阜村道1号を約2.5kmほど進んで行くと長野県道1号に出ることができます。

 なお、上述のとおり、かつての米川橋は、このあたりから写真奥のほうへ向けてまっすぐに架かっていたようです。


かつての街道「竜東線」跡のすぐ脇にある金野駅

 写真奥方向が北方向で、千代駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 長野県道1号から分岐して、ここ金野駅前まで通じている泰阜村道1号金野停車場線は、ここの金野駅前で行き止まり(終点)となっていますが、かつては、ここから先の北方向にある千代駅方面まで歩いていくことができた竜東線とよばれた街道が、金野駅前から引き続き続いていました。

 ネット上で、金野駅~千代駅間の竜東線跡を実際に踏破された方の貴重なレポートを拝見させていただくと、上の写真の軽トラックが駐車している先の、少し米川(よねかわ)のほうへ向かって下っていっている通路のように見える場所が、かつて、ここ金野駅から千代駅方面へと続いていた竜東線の入口となっているようです。


 以上、金野駅とその周辺の様子についてご紹介いたしました☆

 次の駅は、金野駅と同様に飯田線の「秘境駅」として有名な「千代駅」(ちよえき)になります♪

 現在は周囲を緑豊かな自然に囲まれ、閑静な「秘境駅」として知られる千代駅ですが、過去の一時期には意外な一面を持った駅としての姿がありました。

 そんな千代駅の過去の歴史とは…

 続きはぜひ千代駅のページをご覧ください♪





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