飯田線(JR東海) 各駅探訪~田本駅(田本-門島) 
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 このページでは特に飯田線の田本駅(田本-門島)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
田本駅は、自動車やバイクで直接駅まで到達できず、前後を天竜川の渓谷と山の急斜面に囲まれた秘境駅として知られています。


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温田駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 門島駅


飯田線(JR東海) 田本駅 たもと Iida Line
田本駅 【豊橋起点:104.2km】  2023.10.02現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。

 長野県下伊那郡泰阜村(やすおかむら)田本にある飯田線の田本駅(たもとえき)です。

 上の写真は、田本駅の様子を、同駅の東側(温田・豊橋方)上方から撮影したもので、写真奥方向(北西)が門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 上の写真は、田本駅を紹介する写真として、あまりにも有名でよく見られるアングルのものですが、実際にこの場所に訪れてみると、やはり感無量で、周囲には駅の人工物の他には山々の樹々の自然と空しか見当たらず、民家などの家屋も無く、電車も人も居なければ、ただただ静かな山の静寂に包まれているだけの、まさに秘境駅とよぶにふさわしい駅となっています。

 現在の田本駅は、全国でもトップクラスの秘境駅として知られていますが、同じく秘境駅として知られる飯田線の小和田駅とは周囲の環境が異なっています。

 小和田駅の周囲には、廃屋や製茶工場跡、愛の椅子、放棄されたダイハツ ミゼットなどの見ておきたい箇所が駅のすぐ近くにあるものの、ここの田本駅は、ほんとうに「駅」しかなく、周囲には何も無く、両駅は同じ秘境駅でも趣きを異にしています。

 なお、後ほどご紹介する飯田線の金野駅も、田本駅同様に「駅」しか無い立地となっていて、秘境駅として知られています。


 現在の田本駅は、駅間近まで自動車やバイクで近寄ることはできず、アクセスするためには電車か徒歩しかない、という状況となっています。

 田本駅へ徒歩で向かう場合、現在は2つのルートがあります。(廃道など普通の人が歩かない道を除く)

 1つは、田本駅の北東上方の泰阜村内を通る長野県道1号飯田富山佐久間線方面から向かう小道(山道)のルートです。

 もう1つのルートは、天竜川右岸側の阿南町方面から天竜川に架かる竜田橋を渡って向かう小道のルートです。

 今回は、長野県道1号から山中の小道を歩いて田本駅まで往復しましたので、詳細なレポートはこのページの下のほうで掲載しています。


 田本駅は、1935年(昭和10年)11月15日に、三信鉄道が門島駅から温田駅まで延伸した際に「田本停留場」として開業され、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に三信鉄道線が飯田線の一部として国有化されて「田本駅」に昇格し、鉄道省の駅となりました。

 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。

 田本駅は、単式ホーム1面1線の地上駅で、現在はいわゆる「秘境駅」として知られ、JR東海の運行する臨時観光列車「急行 飯田線 秘境駅号」の停車駅となっています。(秘境駅号に乗車される際は、停車駅について必ず事前にご確認ください。)

 なお、一部の普通列車は田本駅を通過するようですので、当駅を電車で訪問される際は、事前に乗車する電車が田本駅に停車するかどうか十分調べておく必要があります。



現在、田本駅へアクセス可能な唯一の小道

 写真左下のほうに田本駅構内が見えています。

 田本駅へ徒歩で向かう場合、現在は2つのルートがあります。(廃道など普通の人が歩かない道を除く)

 1つは、田本駅の北東上方の泰阜村内を通る長野県道1号飯田富山佐久間線方面から向かう小道(山道)のルート、もう1つのルートは、天竜川右岸側の阿南町方面から天竜川に架かる竜田橋を渡って向かう小道のルートです。

 その2つのルートは田本駅近くで合流・分岐していて、そこからすぐの場所が上の写真になります。

 この場所の下には、田本駅の温田方(平岡・豊橋方)にある「田本第2トンネル」(97/長さ 279m)があり、写真奥のほうへ進むと、田本駅のホームへ行くことができる階段があります。


田本駅への入口階段付近から天竜川方面を見る

 写真奥のほうに、田本駅への2つのアクセス道が合流・分岐している場所があります。

 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、写真奥のほうにある田本駅への2つのアクセス道が合流・分岐している場所近くから、かつては田本駅の線路のほうへ下りていけた小道があったようにも見えます。

 写真右側に見えるコンクリートの壁の下には、田本駅の温田方(平岡・豊橋方)にある「田本第2トンネル」があります。

 この「田本第2トンネル」の上方を通る小道こそが、人と馬が通れる程度のかつての街道「竜東線」(長野県道満島飯田線。龍東線や平岡線とも記述される)だったと、個人的には推測しています。

 ただ、この小道が、三信鉄道線敷設前からあるオリジナルの竜東線なのか、同線敷設後に再整備された竜東線なのかどうかは不明です。(以下同様。要検証)


田本駅のほうへ下りる階段

 現在、田本駅の唯一の出入口となっている階段です。

 けっこう急角度の階段ですので、落ち葉が積もっている場合には、あわてずゆっくりおりていくほうがいいかと思います。


 なお、1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、当時この場所にこのようなホームへと続く階段があったかどうかは、写真が不鮮明なため確定的なことはいえませんが、「当時から確実にあった」とはいえないような感じに見えます。

 また、写真右側にある柵は、おそらく当時は無く、柵の右側のほうの山づたいに続く小道があったように見えます。

 その山づたいに続いていたであろう小道こそが、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川沿い(左岸/東側)を通っていたという、人と馬が歩ける程度の小道の街道「竜東線」であったと思われます。

 その竜東線と思われる小道は、飯田線の上方を沿うように、田本駅の北西にある大恵租地区まで続いているように見えます。

 ですので、かつての田本駅は、現在のように2つのアクセス道の行き止まりにあるような駅ではなく、天竜川左岸に点在する集落や民家を飯田方面から平岡方面まで結んでいた、竜東線とよばれた小道の街道沿いの途中にあった駅だった、ということになります。


 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、当時の田本駅の温田方には、竜東線からホームへ通じる通路(小道)が3本ほどあったかのようにも見えますが(線路の天竜川からも含む)、その通路がホームへ通じていたかどうかは、写真が不鮮明なため確定的なことはわかりません。

 また、現在の田本駅ホームの待合所と駅名標がある門島方(天竜峡・飯田方)にも、かつては同駅の北側上方を通る竜東線からホームへ通じる通路が2ヵ所程度あったように見えます。

 現在の田本駅ホームの待合所と駅名標がある門島方の山側はコンクリート壁やガードフェンスが設置されていて、当駅北西側の門島方(天竜峡・飯田方)のほうからホームへアクセスできる通路(小道)が無くなってしまっています。(以上は要検証)


 竜東線は、古い地図を見てみると、飯田線(当時は三信鉄道)が敷設されたルートとほぼ重なるように通っていて、三信鉄道が建設された当時、竜東線が消失して不通になってしまわないように配慮して鉄道敷設工事が進められ、三信鉄道開業後も竜東線は残っていたようです。

 ですので、ひとくちに「竜東線」といっても、三信鉄道建設以前の本来の竜東線と、三信鉄道開業後の手直しされた竜東線の2つが存在し、かつてこのあたりを通っていた、ということになります。

 三信鉄道開業後は鉄道利用者が増えた一方で、竜東線の人の通行利用者が激減してしまったようで、荒廃や自然消滅により、竜東線は徐々にその姿を消していってしまったようです。

 田本駅のすぐそばを通っていた竜東線も同様に、いつしか廃道となっていってしまったようで、現在の田本駅は北西側の門島方(天竜峡・飯田方)のほうからアクセスできる通路が無くなってしまっています。


階段の途中から田本駅方向を見る

 写真右側(北側)のほうには、山の断崖が迫っています。

 階段を下りた先には、ホームへの通路が設置されています。


田本駅出入口の階段とホームを結ぶ通路

 訪問したのは10月初旬でしたが、通路のホーム側には、雑草がまだまだ枯れずに元気にそこそこ生えていました。


通路北側(断崖側)に見える沢のような場所

 訪問時は、特に水が流れているようには見えませんでしたが、雨が降ったりすると、ひょっとするとここを雨水が流れていくのかもしれません。

 少し気になるのは、上のほうの石が人の手によって人工的に積まれたのではないか、という感じもすることで、そうだとしたら、何か理由があることになりそうです。

 戦後の1948年(昭和23年)8月に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、この沢のように見えている場所に、上のほうの山中へと続く、人が歩ける道があったのではないか、とも見え、また、上の写真に見える山肌を左右に横切る小道のようなものがあったようにも見えます。

 私自身も現地調査をしているわけではありませんので確定的なことはいえませんが、その山肌を左右に横切る小道こそが、かつての竜東線だったと思われます。

 そして、かつての人々は、この沢のように見える場所を上のほうから下ってきて、田本駅のホームへと来ていた人もいる可能性があると考えています。


通路から田本駅出入口となっている階段方向を見る

、写真右下奥のほうに、田本駅の温田方(平岡・豊橋方)にある「田本第2トンネル」(97/長さ 279m)の出口が見えています。


通路の田本駅ホーム出入口付近の様子

 けっこう雑草が元気に生えていました。

 センダングサなどが混じっていると、ズボンや靴下、靴にまでいっぱい種子がくっついてしまいそうですが、大丈夫でした。


通路のホーム出入口付近から階段方向を見る

 さきほどご紹介した沢のような場所は、写真左側(北側)にあります。

 写真左上のほうの場所なのですが、ひょっとしたら人が歩けるような小道があったかもしれないような雰囲気が無きにしも非ずです。

 田本駅のホーム北側にそびえ立つコンクリート擁壁の工事のために人が立てたり歩けるスペースを設けたのかもしれませんが、個人的には前述のとおり、人と馬が歩ける程度の街道である「竜東線」と呼ばれた道が通っていた可能性があると考えています。

 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、田本駅の北側上方(写真左上のほう)に、人が通れる程度の道があったのではないか、と思える形跡が見られます。

 その道のようなものは、飯田線の上方を沿うように、田本駅の北西にある大恵租地区まで続いているように見えます。

 また、かつては、写真左側のほうの斜面から田本駅のほうへ下りてくることができる坂道の小道があったようにも見えます。


田本駅のホーム出入口

 写真奥のほうへ進めばホームへ出ることができます。


ホーム出入口付近に設置された切符回収箱

 きっぷ回収箱には「ありがとうございました 使用ずみのきっぷは この箱にお入れください JR東海」と書かれています。


田本駅のホームの様子

 いよいよ来ました☆ 秘境駅で有名な田本駅のホームです。

 やはり名うての秘境駅だけあって、その雰囲気には思わず「これが田本駅か」と少なからず感動を覚えずにはいられません。

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 写真右側(北側)に見える巨大なコンクリート擁壁の上のほうには、一部、大きな岩が突き出している部分が見えています。

 岩がそのまま残っているということは、この岩は相当硬くて破砕できなかったのかもしれません。


 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、現在の巨大なコンクリート擁壁がある場所には、かつては樹木が生えていて、現在のような巨大なコンクリート擁壁は無く(小さな擁壁はあった可能性があります)、写真右上のほうに竜東線と呼ばれた小道の街道が通っていた形跡が見られます。

 現在は、田本駅の断崖絶壁の秘境駅ぶりをまさしく象徴するかのような、この巨大なコンクリート擁壁は、かつては無かったと思われ、また、現在と同様に駅周辺には民家などは見当たらずに「駅」しかなく、当時の田本駅の様子は、現在とはまた違った趣きをもった秘境駅だったことでしょう。


 なお、その航空写真からは、現在のコンクリート擁壁から突き出している岩が、当時からあったかどうかについては、写真が不鮮明なため、私では断定的なことはわかりません。

 航空写真が撮影された1948年(昭和23年)以降に、田本駅の北側の山の斜面が地震や大雨などにより変状をきたし(その際にこの岩が出現した可能性も)、当駅のホームが落石、土砂崩れなどの災害の危険性が高まったために、現在の巨大なコンクリート擁壁が設置された可能性も有ります。

 その際に、かつての竜東線は、現在の巨大なコンクリート擁壁に埋もれて消滅してしまった可能性も有りますし、現在もコンクリート擁壁の上部の山側に人が歩けるスペースがあるのかもしれません。

 古い資料を見ると、かつての竜東線(平岡線とも呼ばれた)は、地形上相当無理なところを通っている箇所もあり、降雨のために決壊したりしたため、絶えず補修を行って維持・改善に努めていたそうです。

 そのように維持管理に手間がかかる竜東線は、1936年(昭和11年)4月に三信鉄道線の温田駅~平岡駅(当時は満島駅)間が開業したことにより、天竜峡~平岡間が鉄道により移動できるようになったために竜東線を利用する人がほとんどいなくなり、また、1951年(昭和26年)11月に平岡ダムが完成したことにより天竜川の水位が上昇し、竜東線の平岡~温田間は不通区間が生じることとなり、復旧が困難で維持管理に手間がかかる竜東線は再整備に関心が払われることがなくなり、また、新たに長野県道1号が平岡~天竜峡間に整備されたこともあり、竜東線は、かつて平岡~天竜峡を結んだ街道としての役目を完全に終えたようです。



ホーム南東端側から温田駅方面を見る

 写真奥方向が南東方向で、温田駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 写真奥のほうには、田本駅の温田方(平岡・豊橋方)にある「田本第2トンネル」(97/長さ 279m)の出口が見えています。

 写真左側に見えるホームへの出入口と通路、その先に見える階段が、現在、田本駅への唯一のアクセスルートとなっています。


田本駅のホームの様子

 周囲を見渡しても、駅の設備と自然ぐらいしか目にすることはできません。

 普段の生活とは、別世界がそこにはあり、山の静けさと孤独感が心地良いくらいです。

 周囲は樹々の緑が多いので、紅葉の時期になると、また違った趣きの風景を楽しむことが出来そうです。

 なお、右上の写真のコンクリート擁壁の壁面には、「たもと JR JR東海」と書かれた縦長の駅名プレートが取り付けられています。(白っぽく見える縦長のもの)


ホーム上から温田駅方面を見る

 線路の緩やかなカーブにあわせて、ホームも緩やかな曲線形状となっています。


ホーム上から天竜川方向を見る

 田本駅の南側には天竜川が流れています。

 上の写真ではわかりにくいですが、樹々の間に天竜川の河原と水面が少しばかり見えています。


ホーム上から温田駅方面を見る

 ホームの幅は広くはなく、田本駅の設置工事は、山の斜面と天竜川に挟まれ、地形的制約を受けていたであろうことが想像できます。

 それでもこの場所に鉄道の駅を設置しようとしたのは、当駅の上方にある泰阜村田本の集落の人たちと、天竜川対岸(右岸/西側)の阿南町(当時は大下條村)の集落の人たちに、鉄道が利用できる生活環境を提供してあげようという、当時の人たちの熱い思いに他ならないのだろうなあ、と思います。

 そのほか、田本駅を利用した人達は、田本地区の北方にある左京(さきょう)地区の集落の人々や、天竜川左岸(東側)の同駅北西の大恵租地区に数件程度あった民家の人々も含まれるだろうと思います。

 田本駅北西の大恵租地区の人々は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川沿い(左岸/東側)を通り、おそらく田本駅の北側上方を通っていたであろう、人と馬が歩ける程度の「竜東線」と呼ばれた街道を歩いて、田本駅まで来られたと思います。


ホーム上から天竜川方向を見る

 ホーム上から天竜川の様子をもっとはっきり見ることができれば、田本駅がいかに自然環境が過酷な場所に造られたのかがわかるような気がします。

 なお、1885年(明治18年)に作成された古い絵地図には、現在の田本駅近くの天竜川に「渡シ」と書かれていましたので、かつてはこの近辺に渡し舟があったものと思われます。

 このあたりにかつて渡し舟があったということは、明治時代から(あるいは江戸時代以前から)、ここ田本駅がある場所は、天竜川両岸の阿南町(かつては大下條村)の集落の人々と、泰阜村の田本の集落の人々にとって、両岸を行き来するための生活上重要な交通の要衝となっていたことを意味していると思います。

 そして、昭和初期の古い地図を見てみると、三信鉄道線が天竜峡駅から門島駅まで開通・開業された1932年(昭和7年)10月頃には、すでに天竜川の両岸を結ぶ橋が、現在の竜田橋がある場所あたりに架けられていたようです。

 調べてみると、初代の竜田橋は明治43年(1910年)に架けられたようです。

 現在の私達は、田本駅を「秘境駅」として認識し、「駅周辺に何も無いところで、なぜこんなところに鉄道の駅があるのだろう」と率直に感じてしまいがちですが、この場所は古くから天竜川両岸からアクセス可能な場所となっていて、また、上述のとおり竜東線とよばれた平岡方面や天竜峡方面へ通じる街道(小道)も通っていて、この場所に鉄道の駅を設置することは、たとえ駅まで歩いて多少時間がかかったとしても、自動車の無い当時の人たちにとっては大変意義深く、期待も大きかっただろうと思われます。

 戦後の高度経済成長期に顕著にはじまったモータリゼーション(車社会化)と山村の過疎化によって、ここ田本駅の利用者は減少していってしまい、あたかも利用者がほとんどいない辺境の駅のような佇まいになってしまったのだと思いますが、田本駅が開業してから日本が車社会化してしまうまでの間は、もちろん都市部の駅と比較すれば利用者数の「数/かず」自体は確かに少なかったかもしれませんが、ここの天竜川両岸に住んでいた方達にとっては、田本駅はとても頼もしい駅であったに違いないと思います。

 ネット上では、かつて田本の集落に住んでいた方が、子供の頃に田本駅を利用する際に、親と一緒によく田本駅までの山道を往復した、という体験談をみかけました。

 今は「秘境駅」とよばれ、開業当初とは違った意味で利用され注目されている田本駅ではありますが、かつて当駅を必要とし利用された方達にとっては、きっとたくさんの思い出があることと思います。


ホーム中ほどから温田駅方面を見る

 写真奥方向が南東方向で、温田駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 戦前の1935年(昭和10年)11月15日に田本駅(当時は田本停留場)がこの場所に設置される以前には、平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結んで天竜川沿い(左岸/東側)を通っていた、人と馬が歩ける程度の竜東線と呼ばれた道が、この地域の交通や物流を支えていたそうです。

 もちろん、現在も、かつての竜東線を転用して現役で活躍、通行可能な道は残っています。(私個人で調べた見解です)

 ちなみに、阿南町から天竜川に架かる竜田橋を通って田本駅に至るルートのうち、竜田橋から田本駅までの小道は竜東線を転用したものだといわれています。

 おそらくそうなのでしょうが、個人的には、現在の田本駅~竜田橋間の小道のうちで、特に田本駅と竜田橋付近は、ひょっとしたら、三信鉄道開業以前にあった竜東線よりも高い場所に造り直されたり嵩上げされているのではないか、と少し邪推しています。


 ここ田本駅は、上の写真のように、現在は巨大なコンクリート擁壁が設置されていて断崖絶壁のような場所にあり、一見すると、とても人や馬が通ることができた道が通っていたようには思えないのですが、古い地図を見たり、古い航空写真を見てみると、田本駅の北側上方に竜東線と思われる小道の形跡が見られます。

 ただ、その竜東線が、三信鉄道建設以前の本来(オリジナル)の竜東線であるのか、三信鉄道開業後の手直しされた竜東線なのかは、現時点では私ではわかっていません。


線路脇にある電気設備類

 「列車接近R」、「接近 田本駅CDC 303 104k338m」などと書かれています。

 なお、写真の電気設備類が設置されている場所は、ちょっとした建物が建てられそうな広さがあるようにも見えるので、人によっては「ひょっとしたらこの場所に、かつては落石警戒番舎があったのではないか?」と言われている方がいらっしゃるようですが、詳細は不明です。


ホーム中ほどから門島駅方面を見る

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 ホーム上の門島駅寄りに、駅名標と待合所が設置されています。

 なお、古い航空写真を見てみると、上の写真のコンクリート擁壁が途切れた場所あたりの右側にも、かつて田本駅の北側上方を通っていたと思われる竜東線に通じる通路(坂道の小道)があったようにも見えます。


ホーム上にある待合所と駅名標

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 待合所と駅名標は、ここ田本駅を取り囲む大いなる自然とは対照的に、小綺麗、お洒落でモダンに感じられ、秘境駅といえども人の手入れが入っていることが確信でき、ちょっとした安心感を与えることと思います。

 もし、待合所が古い木製の崩れそうな掘っ建て小屋のようで、駅名標も錆びた鉄製だったりしたら、ここ田本駅の秘境駅感はもっとすさまじいものになっていたと思います。

 写真奥のほうには、田本駅の門島方(天竜峡・飯田方)にある「田本第3トンネル」(98/長さ 30m 待避坑なし)が見えています。

 なお、1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、当時のホーム上にあったと思われる待合室のようなものは、現在の待合室が建っている場所とほぼ同じ場所にあったように見えます。


駅名標近くから西方向を見る

 天竜川の対岸側(右岸)に見える山々は、阿南町(あなんちょう)にある山になります。

 田本駅は泰阜村(やすおかむら)にあります。

 田本駅を訪れる季節にもよるのかもしれませんが、この時は、ホームからは天竜川の水面がよく見えませんでした。


ホーム上にある駅名標

 田本駅を「たもと」と読むことはそれほど難しくはないと思いますが、当駅の所在地である住所の「泰阜村」を一発で「やすおかむら」と読める人は、地元の人以外では、ほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。

 初めから「泰阜村」を「やすおかむら」と読めた人は、漢字検定2級以上に合格できるレベルの方々だと思います。


駅名標のある場所あたりから温田駅方面を見る

 田本駅のホームの長さについては、80mと書かれている資料を見かけました。

 現在は、ホームがコンクリート製で、一般的な駅と変わりありませんが、三信鉄道の田本停留場として開業した当初は、ホームの長さが120m、ホームの構造は「石造」とされている資料を見かけました。

 ですので、80mというのは、いわゆるホーム有効長の長さのことで、20m級車両(313系、213系)の4両編成が停車・乗降可能という意味なのかもしれません。


待合所の前から門島駅方面を見る

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。


待合所の内部の様子

 長椅子(ベンチ)が設置され、壁面に時刻表と普通運賃表が掲示されています。

 また、写真左奥に見える壁面に設置されたボックスには、訪問時の感想などを書き込める、いわゆる駅ノートが入っていたようです。

 そのほか、竹ぼうきが置かれ、待合所内には枯葉などが無く綺麗だったため、どなたかが田本駅を定期的に訪れて、手入れをされている可能性があります。

 時刻表を見てみると、田本駅発着の列車は、中部天竜・豊橋方面が1日8本、天竜峡・飯田方面が1日9本となっていて、ご存じのとおり田本駅に発着する列車本数は少ないため、電車で当駅を訪れる際は、訪問スケジュールをしっかりたてておく必要があります。


田本駅のホーム北西端側の様子

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 田本駅の門島方には、ホームのすぐ先に「田本第3トンネル」(98/長さ 30m 待避坑なし)があります。

 古い航空写真などを見てみると、写真右側に見えるコンクリート壁とフェンスの右側から、田本駅の北側上方を通っていたと思われる竜東線に通じる小道(おそらく坂道)があったように見えます。

 かつての田本駅には、同駅北側上方を通っていた竜東線と思われる街道(小道)から、ホームの門島方へ通じる通路(坂道の小道)が、待合所の門島方と温田方の両脇あたりから各1本ずつ、計2本ほどあったようにも見えます。

 しかしながら、現在の田本駅ホームの待合所と駅名標がある場所の山側は、コンクリート壁やガードフェンスが設置されていて、かつてあったと思われる、竜東線からホームへ通じるそれらの通路(坂道の小道)が無くなってしまっています。

 また、かつての田本駅の温田方には、竜東線からホームへ通じる通路(小道)が3本ほどあったか(線路の天竜川からも含む)のようにも見えますが、その通路がホームへ通じていたかどうかは、写真が不鮮明なため確定的なことはわかりません。(以上は要検証)


 なお、写真に見える田本第3トンネルの上から、ここ田本駅のホームや待合所を撮影した写真を見かけたことがあります。

 それはすなわち、写真に見える田本第3トンネルの上方に人が到達できるルートが存在する可能性がある、ということになります。

 もちろん、その写真を撮影した方が無理矢理、草木をかきわけて田本第3トンネルの上に登ったのかもしれませんし、保線工事や土木施設の維持管理のために、たまたま登ったのかもしれません。

 それに、写真で見てわかりますとおり、田本第3トンネルの坑口上面は、天竜川のほうへ向けて斜めに傾斜していて、人が立つには少々危険な場所となっていることに注意する必要があると思います。(つまり普通に人が立ち入れる場所ではない)

 また、現在はドローンという、空中から撮影できる機材と手段もありますので、考察上、注意が必要です。

 上の写真をよく見てみると、田本第3トンネルの上方に見えるコンクリート擁壁の壁面には「はしご」が設置されているのが見え、コンクリート擁壁の維持管理や保守点検のために、田本第3トンネルの上面に人が達することができるようになっているであろうことがわかります。

 だとすると、田本第3トンネルの上面に達するためには、同トンネルの両脇のどちらかにアクセスルートがある、と考えるのが妥当かなと思います。

 もちろん、設備の保守点検などに従事される方々は、大きな「はしご」を所有していらっしゃることでしょうから、単にトンネルに「はしご」を立てかけて上方へ上るだけ、なのかもしれません。


田本駅の門島方にある田本第3トンネルと大恵祖第1トンネル

 田本第3トンネルの先の門島方には、大恵祖第1トンネル(99/長さ 208m)の入口が見えています。


ホーム北西端側(門島方)にあった「ハチ注意」の警告

 「ハチ注意 CAUTION Bee 近くに蜂の巣があります ご注意ください」と書かれていました。

 ハチに刺されると、時として生命に関わる危険性も有りますので、十分注意したいところです。

 ネット上でもいわれていることですが、ハチが近くに飛んできても、あわてて手で払ったりしてハチを刺激せずに、恐くても我慢して、ゆっくりとハチが飛んでいる場所から離れることが一番大事だと思います。

 とにかく、ハチ自身が「自分や女王バチ、巣が攻撃されている」と思わないようにすることが重要のようです。


ホーム北西端側から温田駅方面を見る

 写真奥方向が南東方向で、温田駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 このような自然の環境が厳しい中で、1935年(昭和10年)当時の人達が、ここに鉄道を敷設したという事実は、非常に驚くべきものがあります。

 特に三信鉄道が敷設した三河川合駅~天竜峡駅間の区間は、各駅を訪れてみて実感できますが、地形との闘いでもあったことが容易に想像できます。


ホーム上の待合所を門島方から見る
←写真左

 田本駅は、1935年(昭和10年)11月15日に三信鉄道の「田本停留場」として開業されたわけですが、現時点では開業当初の頃の田本駅を撮影した写真を見たことがありません。

 どこかで見ることができれば、きっと新しい発見があるものと思っています。



かつての田本駅はこんな感じだった!?
かつての田本駅の想像スケッチ図

 かつての、とある日の田本駅の様子を想像・イメージしてスケッチしてみたものになります。

 あくまで私個人の想像・イメージ図となりますので、実際のかつての田本駅周辺の様子とは異なります。

 かつての田本駅には、同駅北側上方を通っていた竜東線と思われる街道(小道)から、ホームへ通じる通路(坂道の小道)が、何本かあったと推測しています。

 また、かつての田本駅には、現在のような巨大なコンクリート擁壁は無かったと個人的には推測していて、現在のコンクリート擁壁に埋もれている大きな岩が山腹にあったかどうかも定かではありません。





温田駅方面から田本駅に到着する313系3000番台

 「田本第2トンネル」(97/長さ 279m)を抜けて、温田駅方面(平岡・豊橋方面)から田本駅に到着する、313系3000番台(R106編成・2両編成)「普通 岡谷」行です。

 列車接近時には、ホームに警報音が鳴り響きますので、安全に待避する時間的余裕があります。

 なお、下の写真は、田本駅に停車中の様子を撮影したものです。

 車掌さんだけが田本駅のホームに降り立ち、他には誰も降車してきませんでした。

 電車が出発していった後は、田本駅は再び陸の孤島になったかのような静けさに包まれました。





長野県道1号飯田富山佐久間線から田本駅への道のり(往復)
長野県道1号の、田本駅へ向かう小道(山道)の出入口付近の様子

 全国でもトップクラスの秘境駅として知られる田本駅へ通じる小道(山道)の出入口は、写真中央奥の大きな樹の下あたりにあります。

 写真右側に見える道路が長野県道1号飯田富山佐久間線で、写真奥方向が北西方向、天竜峡および飯田方面になり、田本駅は写真左下のほうへ直線距離で約450m、かつ約150m(高低差)ほど下った場所にあります。

 あまり関係ないかもしれませんが、写真左側の道路脇に見える大きなコンクリート製の構造物は、貯水槽か防火水槽の類なのでしょうか。


 現在の田本駅は、駅間近まで自動車やバイクで近寄ることはできず、アクセスするためには電車か徒歩しかない、という状況となっています。

 田本駅へ徒歩で向かう場合、現在は2つのルートがあります。(廃道など普通の人が歩かない道を除く)

 1つは、今回、私が実際に体験してご紹介する、田本駅の北東上方の泰阜村内を通る長野県道1号飯田富山佐久間線方面から向かう小道(山道)のルートです。

 このルートは、田本駅へ向かう下り道は一般的に徒歩20分といわれ、まだ、体力的に負担は軽いほうなのですが、そうはいっても途中に下り傾斜がきつい場所があって、足に力を入れないといけないので、普段、私のように歩く運動が少なめの方はおそらく足が痛くなります。

 そして、田本駅から長野県道1号方面へ戻る時は、下ってきた小道を上がって行くこととなり、普段運動不足の方にはけっこうきつい行程となりますので、体力に自信の無い方は十分注意する必要があります。

 体力的に自信のない方は、やはり電車を利用するか、次に述べる竜田橋と阿南町を通るルートから歩いて向かうほうがお薦めです。


 もう1つのルートは、天竜川右岸側の阿南町方面から天竜川に架かる竜田橋を渡って田本駅へ向かう小道のルートです。

 こちらのルートは、私はまだ歩いたことはありませんが、ネット上で見てみる限り、今回私が使った長野県道1号の泰阜村方面から向かう山道のルートよりも、比較的平坦な道で体力的負担は少なく、田本駅と阿南町の民家などのある人里との間の距離は約1kmほどとなっています。

 こちらのルートを使うと、田本駅から温田駅までは徒歩約45分程度となっているようです。




長野県道1号から南方向に見える大沢橋と温田駅周辺の町並み

 長野県道1号の、田本駅へ向かう山道の出入口付近から南方向に見える風景を撮影したものです。

 山々の連なる風景が壮大で、写真左奥のほうには長野県道1号の「大沢橋」(おおさわはし/昭和63年7月竣工)が見え、写真右下遠方のほうには、小さくて少しわかりづらいですが、温田駅周辺の町並みが見えています。




長野県道1号から南西方向に見える風景

 長野県道1号の、田本駅へ向かう山道の出入口付近から南西方向に見える風景を撮影したものです。

 田本駅は、写真右手前側に見える山の向こう側、直線距離で約450m、かつ約150m(高低差)ほど下った場所にあります。

 写真左奥のほうの遠方には、温田駅周辺の町並みが見えています。




長野県道1号の、田本駅へ向かう山道の出入口付近の様子

 写真奥方向が北西方向で、天竜峡および飯田方面になります。

 上の写真の、長野県道1号の左側の白いガードレールが2ヵ所途切れたところがありますが、奥のほうのガードレールが途切れた場所が、田本駅へ向かう山道の出入口となっています。

 この場所は、写真奥側やや左正面に「お食事処 焼肉 奈川」さんが、右側に「鮮魚・精肉・仕出し 奈川商店」さんがあることでも知られています。




長野県道1号の、田本駅へ向かう山道の出入口

 ついにやって来ました♪

 ネット上で見たことだけはある、長野県道1号からの田本駅への出入口です。

 いつか来てみたいと思っていて初めて訪れる場所は、やはりそれなりの感動を覚えます。

 ちょっと驚いたのは、これまで私がネット上で見てきた田本駅への入口を示す古びた簡素な木の板の目印が、私が訪れた時は、写真のように軒付き(屋根付き)の黒っぽい立派な目印になっていたことです。

 地元の方か、JR東海、あるいは観光関連業者の方によって新しい目印に替えられたのかもしれませんが、詳細は不明です。

 なお、写真奥のほうには、この場所のランドマーク的存在となっている「お食事処 焼肉 奈川」さんが見えています。




長野県道1号の田本駅へ向かう山道の出入口前にある「奈川商店」さん

 写真の「鮮魚・精肉・仕出し 奈川商店」さんも、この場所のランドマーク的存在として知られています。

 奈川商店さんは、現在も営業されているようで、田本駅付近でハイキングツアーがある時に、お昼のお食事(弁当)を用意するなどされているようです。(ネット上で見かけた情報)


田本駅への山道の出入口

 写真左奥の道路の下のほうへ続く小道が、この先の秘境駅と呼ばれる田本駅に続いているわけです。

 この先の行程は、ネット上ではある程度写真などを見たことはありますが、実体験は当然初めてになります。

 さあ、いよいよレッツゴー♪ 未体験ゾーンへ突入です。



 長野県道1号から入った小道は、最初は道幅も広く、路面は舗装されていました。



 しばらく進むと、次第に道幅も狭くなり、前方のほうに樹々に覆われた山道への入口が姿を現します。(写真中央奥の暗い場所)

 太陽の光が当たらず暗くなっている、田本駅へと続く山道の入口を見ると、いよいよあそこあたりから景色が変わるな、と気持ちが引き締まります。



 いよいよ小道は、山道へとその姿を変えていきます。

 このあたりは、まだまだ路面が舗装されてはいますが、道は下り坂となり、また、山の形状に沿うように道が左右に曲がりくねるようになり、道の行く手の左右には樹々が生い茂るようになって、太陽の陽射しが遮られるようになっていきます。



 このあたりの道は、まだ歩きやすく、この日のように暑い日差しを感じる日には、木陰が涼しくて、歩いていて気持ちがいいぐらいに感じます。

 田本駅から長野県道1号へ戻る帰り道も、この場所を逆方向に歩いて行ったわけですが、田本駅近くの上り坂に比べれば、このあたりに戻ってくると道の傾斜も緩やかなので、一安心することができました。



 小道を進むにつれて、道の左右に生い茂る樹々が作り出す木陰が、より暗く広がってくることがわかります。

 このあたりぐらいから、また少し下りの傾斜角度がついてきた感じがします。



 まだまだ歩きやすい舗装された路面の道が続いていますが、だんだんと山中に入っていく気配が濃くなってきます。



 道の左側が急斜面となっているような場所が出てきました。

 このような場所を歩く時は、万一のことを考えて気持ちを引き締めて、一歩一歩着実に前へと進んでいきます。

 おそらく皆様もこれまでの人生の中で、油断してタカをくくっていた(高を括る)時にこそ、痛い目に遭った経験をされたことがあるのではないでしょうか。

 ここは先人達の残した格言のとおり、石橋を叩いて渡る、君子危うきに近寄らず、の精神でいきましょう。



 さらに進んで行くと、竹笹が多く見られ、道端には雑草が多く生えているなど、少々荒廃した道の雰囲気が感じられるところが現れました。

 この道が田本駅まで通じていることを知っていますので、安心してどんどん前へと進んでいけますが、知らない初めての道ですと、そろそろヤバいんじゃないか(道の消失、行き止まり、崖崩れなど)、と感じて引き返してしまいそうです。



 このあたりは竹笹の生育が目立つ場所となっていました。

 また、訪れたのが10月初めということもあってか、道端には雑草類が元気に緑色を放って生えていました。



 少し太陽の陽射しが当たるところに出ました。

 このあたりぐらいから、また少し下りの傾斜角度がついてきた感じがします。

 前方奥のほうに見える、天竜川の右岸側(阿南町側)の景色を見る限り、まだこの場所は高度がかなりあり、田本駅はまだまだ先だな、ということを感じます。



 いよいよ本格的に、田本駅へ向けて高度を下げていくかのように、明らかに下り坂となっている箇所が現れ始めました。

 山道の左側には、ガードフェンスが設置されているのが見えています。
田本駅へ向かう途中にある、山の壁面に据え付けられた橋の通路

 山の壁面に沿うように設置された、このフェンス付きの橋の通路も、多くの方によってネット上で紹介されている橋となっています。

 橋の先のほうを見てみると、橋の床面の下には、それを支える土砂も岩も無く、橋の床面は鉄製の柱に支えられているだけで、基本的に空中に浮いている状態となっているのがわかります。

 この道が開設された当初は、この場所は山肌を通る普通の山道で、後に土砂崩れや崩落によって当初の山道が失われてしまったのでしょうか?

 それとも、橋の脇に見える山肌の岩が硬くて通路のスペースを掘削することができず、やむをえず当初からこのような橋を架けていたのでしょうか?

 今回、写真右奥に見える倒れかかっている白い看板のようなものを撮影していないので、ひょっとしたらその看板に「落石注意」や「土砂崩れ注意」などと書かれていたら、かつてあった山道の通路は崩落や土砂崩れなどにより消失してしまった可能性も有り得ると思われます。

 とにもかくにも、ここは、やはり慎重に渡って進んでいくこととします。

 なお、写真右手前側のほうには、倒木と思われる2本の木の幹が、行く手をさえぎるように斜めにそれぞれ逆方向(クロス形状、X形)に立てかけられるように存在しています。

 果たしてこの2本の倒木が自然にそのまま上方から落下してきたものなのか、あるいはどなたかが、この橋を大人数で一挙に渡って重量で橋が崩落することが無いように配慮して、わざと人為的に一度に大人数が橋に入れないように、このように行く手をさえぎるように木の幹が立てかけてあるのか、理由は不明です。

 ちなみに、ネット上で見かけた情報では、現在でも田本の集落の方達が、この田本駅まで通じている山道を清掃、手入れされているそうです。



 慎重に橋を渡っていきます。

 写真を見てわかりますとおり、万一、この架橋が崩れ落ちたら、私も一緒に写真左下のほうの急斜面に落ちて行ってしまいます。



 写真右側に、太い木の幹が山の壁面に立てかけられているのが見えています。

 山中の道ですので、倒木などがあるのは自然なことだと思いますが、写真に見える太い木の幹は、どうしても人為的なものを感じざるを得ませんでした。

 これらの太い木の幹が、これからもずっとこの場所に存置されるのか、あるいは誰かが切り出して運んでいくのか、など、謎めいた存在となっていました。



 山肌に添えつけられた架橋を無事にわたって先に進むと、前方が明るくなってきて、少し視界が開ける場所に出ます。



 視界が開けたあたりの場所の道は、路面に鉄板が敷かれ、ガードパイプも備えられていました。

 路面の鉄板の下のほうは暗闇の空間となっていたように見えましたので、おそらくこの場所も架橋構造となっているものと思われます。



 少し視界が開けた場所から、ようやく天竜川の水面が初めて見えてきました。

 写真奥方向がおおむね南方向で、田本駅のひとつ豊橋方の駅となる温田駅は、ちょうど写真右奥のあたりになるものと思われます。

 田本駅と温田駅は直線距離で約1.5km(温田駅~田本駅間のキロ程は2km)しか離れていませんが、ここから見る景色は、自分が見てきた温田駅周辺の町並みを全く感じさせない山間部の風景そのものでした。

 なお、この時は気付かなかったのですが、写真右下のほうの樹々や葉に隠れていてほとんどわかりませんが、よ~く見てみると、天竜川に架かる竜田橋が見えていました。

 竜田橋は、現在、天竜川右岸側の阿南町方面から田本駅までアクセスできる貴重なルートに架かる、重要な橋となっています。


田本駅へ向かう道中から見える長野県道1号の大沢橋

 視界が開けている場所から遠方(南東方向)を望むと、長野県道1号の「大沢橋」(おおさわはし)が見えました。

 ここから見る大沢橋は、とんでもない高さの山と山の間を結んでいる橋だなあ、と感じるとともに、大自然の中にポツンとこのような大きな人工物が存在しているのも、普段の生活ではまず目にすることが無い風景で、自分が秘境駅と呼ばれる普通ではない駅を目指しているという実感が改めて湧いてきます。

 ちなみに、大沢橋とわかったのは、帰宅して調べてみて初めてわかったことでして、現地を歩いている時は、てっきり「阿南町の山中を通る、とんでもない高度のすごい橋だなあ。」と思っていました。

 それぐらい、田本駅へ向かう山中の道は、自分にとって方向感覚がわからなくなるほどの道だったんだなあ、と改めて実感しています。



 いったん視界が開けた場所をさらに進んでいくと、いよいよ道は「山中の道」と化してきて、下り勾配がきつくなってきて、足に力が入るようになっていきます。

 ここに至り、初めて、小道が「九十九折り」(つづら折り/180度V字ターン)している場所に出ました。

 ここまで山中の道を歩いてきて、カーブはあるものの、90度以上に曲がって来た方向に戻るような感覚の場所は無かったため、このままそろそろ田本駅に着くんじゃないか、と甘い期待を抱いていただけに、「やはり秘境駅と呼ばれるだけある」と思わずにはいられませんでした。

 事前にネットで調べて、地図上では長野県道1号から田本駅までは直線距離でおおむね約450m、田本駅まで徒歩約20分とわかっていて、少し歩けば着くのだろう、と多少甘い見通しをしていましたので、この「九十九折り」には自分の見込みが甘かったと、少々思い知らされた感がありました。

 あとで調べてみたら、田本駅と長野県道1号の同駅出入口あたりは、高低差が約150mあるようなので、ちょっとした登山と変わらない道のりだったようです。

 ここまで、天竜川の水面が近づいてくる気配も感じられず、飯田線の架線類が見えてくる気配もほとんど無かったので、この先まだまだ距離がありそうだと思うとともに、帰りの登り道の行程を思うと、やはり少々気が重くなるのは避けられませんでした。



 再び、小道が「九十九折り」(つづら折り/180度V字ターン)に。

 何回ほど小道が180度V字ターンしていたかは、さすがに記憶にありませんが、古い航空写真を見ると、この山道は、はっきりと鮮明に写真に写っていて(一部の場所を除く)、それらを見る限り、このような180度V字ターンは2回だったであろうと思われます。

 このような感じで田本駅までの高度を下げていく、という感じで前へ前へと田本駅へ出会える瞬間を信じて歩いていきます。


続く下り道

 このあたりは、結構急な下り道が続きます。

 どうしても「帰りに、またこの急な上り坂を歩かないといけないのか…」と思ってしまい、早く田本駅に着かないかな、と思ってしまいます。

 ちなみに私はこのような山道の登り道が体力的に得意なほうではないです。

 ただ、それは決して山道が嫌いということではなく、むしろ歩いていて楽しいと思います。(登り道はきつく感じますが)

 なお、この道は下り坂だから楽だろう、ということはなく、下り坂の傾斜がきついので足に力を入れなければならず、また、足のつま先に体重がかかってくるので、つま先にも負担がかかるということで、下り坂とはいえ、私は決して楽々下っていけたとは思いませんでした。

 ネット上で田本駅をこのルートで徒歩により往復した方達のレポートを見ていると、体力的に自信がある方達は、私のこのような泣き言はまず言っていませんので、自分の体力不足を感じてしまいます。



 傾斜のきつい下り道を進んでいって、しばらくして左下のほうを見ると、柵付きの小道が見えてきました。

 また、この先、180度V字ターンであの道を歩いていくのか…

 と思って、歩いていくと…


ついに見えてきた田本駅

 あ!…この光景は!

 ついに見えてきました!ネット上でもよく紹介されている、徒歩で田本駅を目指した場合に最初に樹々の間に見えてくる、田本駅の一部が見える風景です。

 この場所で、現在、田本駅へ徒歩でアクセスできる阿南町方面からの小道と、私が今歩いてきた泰阜村の長野県道1号からの小道が合流しています。

 さきほど、左下のほうに見えてきた小道は、阿南町方面から竜田橋を経由して田本駅へ到達できる小道だったようです。

 この風景は、事前にネットで調べていて知っていたわけですが、やはり自分の足で直接訪れて、直接自分の目で見ると、感動もひとしおです。


長野県道1号方面(泰阜村)への山道と竜田橋方面(阿南町)への道の合流・分岐点近くにあった「鉄道防備林」と書かれた標柱

 この「鉄道防備林」と書かれた標柱も、ネット上ではよく紹介されています。

 標柱には「鉄道防備林 昭和二八年十二月新設 田本1号林地」と書かれています。


長野県道1号方面(泰阜村)への山道と竜田橋方面(阿南町)への道の合流・分岐点

 写真左側に見える奥方向へ登り道となっている道が、私が今歩いてきた長野県道1号方面(泰阜村)へ通じる山道への入口、写真右側に見える奥のほうへ平坦に続く道が竜田橋方面(阿南町方面)へと続く小道となっています。

 なお、田本駅は、写真のすぐ右下側にあります。

 竜田橋方面(阿南町方面)へ続く小道は、今回私が歩いた山道よりも起伏が少なく歩きやすいようで、ここから温田駅までは徒歩約45分ほどとなっているようです。

 そして、これまで触れてきましたとおり、ここから竜田橋方面へと続く小道は、かつて平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代を結び天竜川左岸(東側)を通っていたという、人と馬が歩ける程度の竜東線と呼ばれた街道を転用したものだといわれています。

 おそらくそうなのでしょうが、個人的には、さきに述べたように、現在の田本駅~竜田橋間の小道のうちで、特に田本駅と竜田橋付近は、ひょっとしたら、三信鉄道開業以前にあった竜東線よりも高い場所に造り直されたり嵩上げされているのではないか、と少し邪推しています。

 1948年(昭和23年)に撮影された航空写真を見てみると、この場所あたりから、かつては田本駅の線路のほうへ下りていけた小道があったようにも見えます。


2つの小道の合流・分岐点付近から田本駅方向を見る

 ついに到着しました♪

 全国的にも秘境駅として人気が高い田本駅です。

 ここから先は、田本駅のホームに出るためには、写真右奥のほうへ続く小道およびその先にある階段しかアクセスルートがありません。(廃道などを除く)

 なぜ、私が「廃道などを除く」と書くかといいますと、繰り返しになりますが、かつてはここの田本駅から北方向の門島駅へ、また、南方向の温田駅へと続く「竜東線」と呼ばれた街道が存在したはずだからです。

 人と馬が歩ける程度の竜東線は、この地に三信鉄道線(現在の飯田線)が敷設される前から整備されていて、三信鉄道が建設された際にも、竜東線が分断されて不通になってしまわないように配慮されて残された、と聞いています。

 上述のとおり、戦後の1948年(昭和23年)に撮影された、この地域の航空写真を見てみると、田本駅の北側上方に、人が通れる程度の道があったのではないか、と思える形跡が見られ、その道のようなものは、飯田線の上方を沿うように、田本駅の北西にある大恵租地区まで続いているように見えますし、また、同駅南東にある竜田橋の左岸側(東側)を経由して温田駅方面へと続いているようにも見えます。

 個人的には、その道こそが、かつての竜東線であろうと思います。

 古い航空写真を見てみると、かつての田本駅の温田方には、竜東線からホームへ通じる通路(小道)が3本ほどあったかのようにも見えますが、その通路がホームへ通じていたかどうかは、写真が不鮮明なため確定的なことはわかりません。

 また、かつての田本駅には、竜東線からホームの門島方へ通じる通路(小道)が2本ほどあったようにも見えます。(以上は要検証)


田本駅を温田方上方から見る

 田本駅を紹介する写真として、あまりにも有名なアングルのものです。

 写真奥方向が北西方向で、門島駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 この場所は、田本駅の温田方すぐのところにある「田本第2トンネル」(97/長さ 279m)の上になります。

 写真奥のほうの線路の先には、田本駅の門島方にある「田本第3トンネル」(98/長さ 30m)が見えていて、田本駅は、田本第2トンネルと田本第3トンネルに挟まれた断崖絶壁の限られた場所に設置されていることがわかります。


今度は田本駅から長野県道1号を目指す

 普段はなかなか訪れることができない田本駅を名残惜しく思いつつ、今度は田本駅から長野県道1号を目指します。

 わかってはいたことですが、歩き始めてすぐに「やっぱりきつい。」

 写真のようなけっこうな登り道が、しばらく続きます。

 山道の登り坂に慣れた健脚の方でしたら、何をこれしき、と怒られてしまいそうですが、私は歩いては一息つき、ということを何度も繰り返して、ゆっくりと登って行くこととしました。

 ネット上では、かつて田本の集落に住んでいた方が、子供の頃に田本駅を利用する際に、親と一緒によくこの山道を往復した、という体験談をみかけました。


ふと見えた天竜川の水面に輝く太陽の光

 田本駅を目指している時は気付きませんでしたが、登り道を歩き始めてすぐの場所から天竜川方向を見下ろすと、川の水面に太陽の光がゆらぐように反射して輝いているのが見えました。


開けた場所へ戻ってきて南方向を見る

 田本駅を目指している時には気付かなかった、天竜川に架かる竜田橋の存在を、この時この場所から初めて認識することができました。

 「あれは…竜田橋だ!」

 このあたりの天竜川に架かる吊り橋は、竜田橋しかないはず。

 そう確信できる光景でした。


天竜川に架かる竜田橋

 眼下に見えた竜田橋を望遠で撮影したものです。

 田本駅を訪れる時には、あらかじめ、ある程度ネット上で田本駅のことを調べていましたので、竜田橋の存在は十分知っていたつもりです。

 ただ、今回の訪問では、他の飯田線の駅も訪問してみたい予定がありましたので、竜田橋まで行くことは予定に入れていませんでした。

 また、いつの日か、あの竜田橋を訪れてみたい、という思いを残しながら、再び帰路の目的地である長野県道1号を目指して歩きます。


見えてきた長野県道1号近くの風景

 行きに通った架橋を再び通り過ぎ、登り道がだいぶ平坦になってくると安心感も増し、足取りも軽くなってきます。

 そして、とうとう長野県道1号付近の見覚えのある風景が見えてきました♪

 ここまで来ると、田本駅まで徒歩で往復したんだ、という達成感と満足感がこみ上げてきます。

 とにかく、何事も無く、無事に戻ってこられたことを嬉しく感じます。


長野県道1号へ出るラストの登り坂

 いよいよ、今日の「田本駅への旅」のラストシーンが近づいてきました♪

 ここまで来ると、疲れや緊張感を忘れ、むしろ元気が湧いてきます。


長野県道1号の田本駅へ向かう山道の出入口前にある「奈川商店」さん

 戻ってきました♪

 この場所のランドマーク的存在として知られている、「鮮魚・精肉・仕出し 奈川商店」さんです。

 奈川商店さんには、飲料水の自動販売機が設置されていますので、のどを潤したい方は、ここで缶ジュースなどはいかがでしょうか☆


再会を果たすことができた長野県道1号沿いにある「田本駅→」案内看板

 これにて、無事に田本駅と長野県道1号を徒歩で往復することに成功いたしました♪

 この田本駅への案内看板を再び見ることができるのは、おおげさかもしれませんが、同駅への徒歩での往復を果たした者への勲章かと思えるほど、ありがたみを感じる存在だった気がします。

 時間に余裕があって、体力に自信のある方は、ぜひ田本駅と長野県道1号を結ぶ小道(山道)を往復してみてください。

 個人差はあると思いますが、体力に自信のある方ならば、1時間も有れば往復できると思います。(田本駅での散策時間を除く)

 あらためて今回の田本駅への訪問を振り返ってみると、秘境駅と呼ばれる田本駅は、駅へ到達するまでの道のりも含めて「秘境駅」と呼ぶにふさわしい駅だと思います。


 さて、秘境駅として有名な田本駅の訪問を無事終えたところで、次の飯田線の訪問駅は門島駅(かどしまえき)になります。

 門島駅は、いわゆる「秘境駅」ではありませんが、このあたりの飯田線の駅としては広々とした構内を有し、近くには「泰阜ダム」と「泰阜発電所」があることで知られています。

 そんな門島駅は… 詳細は次の門島駅のページをぜひご覧ください☆






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