飯田線(JR東海) 各駅探訪~三河東郷駅(三河東郷-大海) 
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このページでは特に「飯田線」の「三河東郷駅(三河東郷-大海)」周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪

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飯田線(JR東海)三河東郷駅 みかわとうごう Iida Line
三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 愛知県新城市川路字夜燈にある飯田線の三河東郷駅(みかわとうごうえき)になります。

 三河東郷駅は、1900年(明治30年)に、当時の豊川鉄道(私鉄)によって開業されたそうですが、その当時は地名でもある「川路駅(かわじえき)」という駅名だったそうです。

 しかし、その後、豊川鉄道線が国有鉄道飯田線となった際に、同じく飯田線の一部となった伊那電気鉄道線にも同じ駅名の「川路駅」(長野県)があったため、当駅は「三河東郷駅」に改称されたそうです。

 上の写真は、三河東郷駅の南側から撮影したもので、写真左側が茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)、右側が大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)になります。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 三河東郷駅の南側には国道151号が通っています。

 現在は三河東郷駅の北方には「新城バイパス」が通っています。

 なお、写真右上の青い看板には「このあたり一帯 長篠合戦 設楽原決戦場跡」と表示されています。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 三河東郷駅の南側から、新城市街方面(西方)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 三河東郷駅の南側から、大海駅方面(東方:本長篠方面)を撮影したものです。

 三河東郷駅と国道151号の間の土手の上にある木々が、当駅の独特の雰囲気を醸し出している気がします。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 駅舎 三河東郷駅 駅舎
三河東郷駅 駅舎

 三河東郷駅の駅舎を南側から撮影したものです。

 かつては、木造駅舎だったそうですが、2006(平成18)年に解体され、現在のコンクリート製の駅舎となったようです。

 駅舎には、戦国時代に駅周辺で行なわれた「長篠の戦い」で織田・徳川連合軍が設置した馬防柵を模したモニュメントが取り付けられ、外観上、非常に特徴的な駅舎となっています。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 駅舎

 駅舎を南側やや西寄りから撮影したものです。

 三河東郷駅は、1984年以降無人駅となっているようです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅 長篠の戦 設楽原決戦場案内図
三河東郷駅

 駅前には公衆電話が設置されています。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 長篠の戦 設楽原決戦場案内図

 駅舎のすぐそばには「長篠の戦 設楽原決戦場案内図」が掲示されています。

 駅周辺には、弾丸発見地、信玄塚、設楽原歴史資料館、馬防柵再現地、首洗池などがあります。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 待合室 三河東郷駅 待合室
三河東郷駅 待合室

 三河東郷駅の駅舎内の待合室です。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 待合室

 待合室には本棚が置いてありました。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅 公衆便所
三河東郷駅

 三河東郷駅の駅舎を通り抜けた場所から撮影したものです。

 写真左側に見える小屋のような建物は公衆便所です。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 公衆便所

 三河東郷駅の屋外にある公衆便所です。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 三河東郷駅の駅舎を通り抜けた場所からホームを撮影したものです。

 ホームに通じる構内踏切が見えます。

 写真左奥側が茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)になります。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 構内踏切がある場所から茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 砂川踏切 三河東郷駅
三河東郷駅 砂川踏切

 三河東郷駅の西側にある「砂川(すながわ)踏切」です。

 2012.08.18現在

三河東郷駅

 三河東郷駅西側にある「砂川(すながわ)踏切」から三河東郷駅を撮影したものです。

 三河東郷駅は、島式ホーム1面2線となっています。


 2012.08.18現在

三河東郷駅 飯田線 313系 三河東郷駅 飯田線 213系
三河東郷駅 飯田線 313系

 三河東郷駅の2番線ホームに停車中の、313系(R111編成・2両編成)「普通 天竜峡」行です。

 写真奥方向が大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)になります。

 天気は雨模様で、三河東郷駅西側にある「砂川(すながわ)踏切」付近から撮影。


 2012.08.18現在

三河東郷駅 飯田線 213系

 三河東郷駅を発車して茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)へ行く、213系(H5編成「5005」・2両編成)「普通 豊橋」行です。

 写真左奥のほうにかすかに三河東郷駅のホームが見えます。

 天気は雨模様で、三河東郷駅西側にある「砂川(すながわ)踏切」にて撮影。

 2012.08.18現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 構内踏切がある場所からホームを撮影したものです。

 写真奥側が大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)になります。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 ホーム西端から大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 ホーム西端から駅舎を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 ホーム上の駅名標がある場所から大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 ホーム上の駅名標がある場所から茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 ホーム東端から茶臼山駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅 夜灯踏切
三河東郷駅

 ホーム東端から大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)を撮影したものです。

 写真奥の方には「夜灯(やとう)踏切」が見えます。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 夜灯踏切

 三河東郷駅の東側にある「夜灯(やとう)踏切」です。

 2012.09.16現在

三河東郷駅 三河東郷駅
三河東郷駅

 三河東郷駅の東側にある「夜灯(やとう)踏切」から、当駅のホームを撮影したものです。

 2012.09.16現在

三河東郷駅

 三河東郷駅の東側にある「夜灯(やとう)踏切」から大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在




飯田線(JR東海)三河東郷~大海 Iida Line
飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」
飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」

 大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)から三河東郷駅へ接近中の、373系(F6編成・3両編成)「特急 伊那路」豊橋行です。

 三河東郷駅のホームの東端側(大海・本長篠寄り)にて撮影。

 なお、写真に写っている踏切は「夜灯(やとう)踏切」です。

 2012.10.07現在

飯田線 213系 飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」
飯田線 213系

 愛知県新城市内の三河東郷~大海間を大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)へ行く、213系(H13編成)「普通 本長篠」行です。

 国道151号(伊那街道)の川路夜燈交差点付近にて撮影。

 2012.10.08現在

飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」

 愛知県新城市内の三河東郷~大海間を大海駅方面(本長篠・中部天竜方面)へ行く、373系(F13編成・3両編成)「特急 伊那路」飯田行です。

 なお、写真奥上に見える高架の道路は国道151号新城バイパスです。

 2012.12.02現在

飯田線 313系 飯田線 313系
(←写真左)

 愛知県新城市内の三河東郷~大海間を三河東郷駅方面(新城・豊橋方面)へ行く、313系(2両編成)「普通 豊橋」行です。

 写真左側が三河東郷駅方面になります。

 新城市八束穂清水ケ入にて撮影。


 2012.10.07現在



飯田線(JR東海)三河東郷駅周辺 Iida Line
設楽原古戦場 再現された馬防柵 設楽原古戦場 再現された馬防柵
設楽原古戦場 再現された馬防柵

 三河東郷駅の北方に、天正3年(1575年)の「設楽原の戦い」に用いられた馬防柵が再現された場所があります。

 「設楽原の戦い」は歴史上有名な「長篠の戦い」の中の戦闘の1つで、織田信長・徳川家康連合軍が鉄砲(火縄銃)を活用し、武田勝頼軍を打ち破った戦いで、この再現された馬防柵は両軍が「連吾川」を間に対峙した場所にあります。

 昭和57年度の地方振興補助事業により再現されたもののようで、事業主は「設楽原をまもる会」となっていました。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 再現された馬防柵

 写真の場所には自動車で乗り入れることができます。

 今となっては信じ難いほどのことですが、かつてはこの場所に織田信長・徳川家康連合軍が展開していたことになります。

 そして、馬防柵の向こうから(写真左側から)は、決死の武田軍が突撃してきたことに思いを馳せると、それこそ信じ難く、今はとても平和な時代なんだと痛感せざるを得ません。

 写真左側には、馬防柵の先の約50~100メートルぐらいのところに両軍が対峙した「連吾川」が流れています。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 名和式「鉄砲構え」
設楽原古戦場 名和式「鉄砲構え」

 再現された馬防柵の一角に、名和式「鉄砲構え」が再現されていました。

 織田信長・徳川家康連合軍が構築した防御陣地を古文献と時代考証によって再現(復元)したものだそうで、「設楽原をまもる会」の名和氏が考証責任者となっているようです。

 写真右側に写っている説明板によると、この「鉄砲構え」は、乾堀と馬防柵と銃眼付きの身隠し用の土塁の三段構えであったとされています。

 織田・徳川連合軍の防御陣地が概ねこのような構造で、十分な鉄砲(火縄銃)の数が揃っていたならば、単純に正面攻撃を仕掛ける武田軍が苦戦するのはかなり確率が高いものになりそうなことが想像されます。

 1丁の火縄銃の発射間隔が早くても約30秒と遅いですが、火縄銃の弾をかいくぐってこの防御陣地にたどり着いても、柵を破壊して倒さなければ、まともに敵と斬り合うのもなかなか難しいのではないでしょうか。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 再現された馬防柵と建設中の新東名高速道路

 再現された馬防柵の北方には、建設中の新東名高速道路が見えます。

 写真には写っていませんが、写真右側のほうの、飯田線の三河東郷駅と大海駅の中間辺りには、新東名の「新城インターチェンジ」ができる予定ですので、新東名完成後(この区間は2014年度予定)は、この古戦場一帯を訪れる人々は増加するかもしれません。

 また、こちらも写真には写っていませんが、写真左側のほうにある「織田信長本陣跡」付近には「設楽原パーキングエリア」が完成する予定ですので、この区間は歴史に興味がある方にとっては一度は訪れてみる価値がありそうな場所になりそうです。

 2012.10.21現在

設楽原決戦場碑 新城市設楽原歴史資料館
設楽原決戦場碑

 新城市立東郷中学校の東側にある「設楽原決戦場碑」です。

 写真には写っていませんが、写真右側のほうには徳川家康が本陣を置いていたようです。

 2012.10.21現在

新城市設楽原歴史資料館

 三河東郷駅の北方の、かつて武田勝頼軍が陣を置いた場所辺りの小高い場所に「新城市設楽原歴史資料館」があります。

 資料館に隣接して駐車場が整備されていて、休日になると観光バスで団体観光客の方々も訪れています。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 信玄塚(大塚) 設楽原古戦場 信玄塚(小塚)
設楽原古戦場 信玄塚(大塚)

 「新城市設楽原歴史資料館」の南側には、戦場の後片付けに従事した竹広地区の村人が、戦死者を手厚く葬り弔ったとされる「信玄塚」があります。

 塚は「大塚」と「小塚」の2つがあり、こちらは「大塚」になります。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 信玄塚(小塚)

 「信玄塚」の「大塚」のすぐ南側に「小塚」があります。

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 原隼人佐昌胤之碑 設楽原古戦場 首洗池
設楽原古戦場 原隼人佐昌胤之碑

 「信玄塚」の南側にある「原隼人佐昌胤之碑」です。

 原昌胤(はら まさたね)は、武田氏の家臣で、武田二十四将の一人だそうです。

 この地の戦では、多数の名立たる武将が戦死していますので、この地区一帯にはおそらくこのような碑などが多くあるものと思われます。(※実際あるようですが、廻りきれていません。)

 2012.10.21現在

設楽原古戦場 首洗池

 三河東郷駅の北方を通る国道151号新城バイパスの道路沿いにある「首洗池」です。

 写真には写っていませんが、写真すぐ右側には新城バイパスが通っていて、信号のある交差点となっています。

 また、写真左手前の場所は砂利が敷いてあって、自動車を駐車できるスペースとなっています。

 ご覧のようにとても小さな池ですが、長篠の戦い当時には、この池で戦死者の首を洗ったというちょっと怖い言い伝えがあるそうです。

 2012.10.21現在





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