静岡県島田市 カラーマンホール蓋~大井川蓮台越(蓬萊橋)、帯祭デザイン(島田宿) 

 このページでは、静岡県島田市内に設置された大井川蓮台越、帯祭デザインのカラーマンホール蓋について掲載しています♪
また、設置場所近くの世界一長い木造歩道橋「蓬萊橋(ほうらいばし)」と島田宿本陣跡周辺についても写真を掲載しています☆
広 告




HOMEへ

都道府県別~ほかの地域はこちらから♪
東京都 神奈川県 千葉県
埼玉県 静岡県 愛知県
特集ページ
 愛知県岡崎市~内藤ルネ「ルネガール」編



静岡県 島田市 しまだし
「大井川蓮台越」デザインと「帯祭」デザイン

 静岡県の島田市では、現在2種類のカラーデザインマンホール蓋が設置されているということを知りましたので、以下のとおり撮影してきました☆

 1つは「大井川蓮台越」デザインで、もう1つは「帯祭」デザインとなっています。

 設置場所のヒントは、島田市の公式サイトにて掲載されていて、設置場所は2ヵ所ともに島田市内の歴史的スポットとなっています。

 以下の記事では、撮影してきたカラーマンホール蓋に関することのみでなく、設置場所周辺の歴史的スポットについても写真と記事を掲載しています♪

 2020年8月11日現在


大井川蓮台越

 江戸時代に入ると、徳川家康の江戸幕府は、謀反を企てる大規模な反乱軍の移動に備え、江戸防衛のために、大井川に橋を架けることと大井川の渡船を意図的に禁止しました。

 そのため、江戸時代において大井川は、東海道を往来する人々にとっての難所となっていて、大雨などで大井川が増水すると渡河は禁止されて何日も足止めとなってしまうこともあったため、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ 大井川」と詠われたそうです。

 一般の旅人が大井川を渡るには、賃銭を払って川越人足がかつぐ川越えのための「蓮台」(れんだい)と呼ばれる台に乗ったり、川越人足の肩に乗ったり、丸太の両端を2人の待川越が持ち、それにつかまって渡る「棒渡し」などによる方法で大井川を渡っていたそうです。

 大井川における渡船や架橋の禁止は、明治3年(1870年)の太政官布令によって河川の渡船や架橋が許されるまで続いたそうです。

 上の写真の「大井川蓮台越」デザインのマンホールは、川越人足がかつぐ蓮台に乗って大井川を渡河する女性達の姿と富士山がデザインされています。

 また、マンホール蓋には「大井川蓮台越」、「島田宿」、「しまだ おすい」の文字も刻印されています。

 設置場所は、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネス社に認定された、島田駅の南東約2kmの大井川に架かる「蓬萊橋」(ほうらいばし)の北側にある茶屋の敷地内に設置されています。


 2020.08.11現在


帯祭

 このカラーマンホール蓋は、島田市で3年に1度開催される「帯祭」(島田大祭)において、金襴緞子(きんらんどんす)の帯を太刀にかけて練り歩く大奴(おおやっこ)と、鹿島踊りの様子がデザインされているそうです。

 設置場所は、JR東海道本線の島田駅の北東側を通る旧東海道である「本通り」の、「からくり時計塔」が設置された「島田宿 下本陣 置塩家跡」近くとなっています。

 島田宿(しまだしゅく)は、東海道五十三次の23番目の宿場で、ゴルゴ13の原作者として知られる「さいとうたかを」氏による劇画「鬼平犯科帳」でも出てきたことがあります。

 島田宿は大井川の左岸(東側・江戸側)にあり、大井川の増水時に川越が禁止されると、江戸(東京)から来たお伊勢詣りの旅人や京都、奈良方面へ向かう旅人達などが島田宿に足止めされることになり、当時はかなりの賑わいをみせたそうです。


 2020.08.11現在





世界一長い木造歩道橋 蓬萊橋(ほうらいばし)
蓬萊橋(ほうらいばし)

 今回、島田市内に設置されたカラーマンホール蓋を訪れるにあたって、ネットで調べたところ1つは蓬萊橋(ほうらいばし)の茶屋の敷地内にあると知ったわけですが、自分はこれまでこのような世界一長い木造歩道橋が島田市内の大井川に架かっていることは、恥ずかしながらまったく知りませんでした。

 今回初めて蓬萊橋を訪れることになったわけですが、やはりこのような名所を訪れるのは良いもので、いろいろと勉強にもなりますし、百聞は一見に如かずではありませんが、自分の目で直接見ることはいい思い出にもなると思います。

 蓬萊橋(ほうらいばし)は、島田市の大井川に架けられ1879年(明治12年)1月13日に竣工した木造橋で、現在は歩行者と自転車の専用橋となっていて、法律上は農道に分類されて、島田市役所農林課の所管となっているそうです。

 全長は897.422メートル、幅は2.7mで、「897.4mの長い木橋」にかけて「厄無しの長生き橋」ともいわれるそうです。

 また、蓬萊橋は、国内でも数少ない賃取橋(ちんとりばし)としても有名なのだそうで、渡橋料金は歩行者の大人が100円、その他小学生が10円、自転車が100円、1ヶ月定期券が800円、未就学児・障がい者手帳をお持ちの方は無料となっています。


 2020.08.11現在




茶屋の敷地内に設置されたカラーマンホール蓋「大井川蓮台越」デザイン

 「大井川蓮台越」のカラーマンホール蓋は、蓬萊橋(ほうらいばし)の北側(左岸)にある「蓬萊橋 897.4茶屋」の敷地内に設置されています。

 写真奥のほうに見えるのが、大井川に架かる蓬萊橋(ほうらいばし)です。

 なお、写真左側に見えるシルバーに輝く地面に斜めに設置された構造物は、蓬萊橋が「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されたことを表するモニュメントです。


 2020.08.11現在




蓬萊橋の北側にある蓬萊橋物産店「897.4茶屋」

 蓬萊橋の北側(左岸)には、2018年(平成30年)3月20日に観光施設整備事業により新設オープンされた「蓬萊橋物産店 897.4茶屋」があります。

 これまであった番小屋、観光トイレのリニューアルなどが同時に行われたようで、とてもきれいな施設となっています。

 上の写真は茶屋の様子を撮影したものです。


 2020.08.11現在




茶屋内の様子

 「蓬萊橋物産店 897.4茶屋」では、テイクアウトの緑茶、ソフトクリーム、島田の逸品、島田市緑茶化計画のスイーツなどの商品が販売されています。


 2020.08.11現在


勝海舟の銅像とギネスブック認定モニュメント

 茶屋のそばには、江戸末期に活躍した幕臣として有名な勝海舟(かつ かいしゅう)の銅像と、蓬萊橋が「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されたことを表するモニュメントが設置されています。


 2020.08.11現在




蓬萊橋がギネスブックに認定されたことを表するモニュメント(記念碑)

 茶屋のそばには、蓬萊橋(ほうらいばし)が「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されたことを示すモニュメント(記念碑)が設置されています。

 モニュメントには、「ギネスブック世界記録認定証書 世界一長い木造歩道橋 橋の長さ 897.422m 橋の幅 2.700m 蓬萊橋は、1997年12月30日英国ギネス社より『世界一長い木造歩道橋』として認定されました。」と書かれています。


 2020.08.11現在


勝海舟の銅像

 同じく茶屋のそばには、江戸末期に活躍した幕臣として有名な勝海舟(かつ かいしゅう)の銅像が設置されていました。

 勝海舟は、牧之原台地の茶畑の振興に大いに貢献したことが記されています。

 以下に台座に刻まれた文章を記載します。(敬称略)

 勝海舟は、1860(万延元)年、徳川幕府の咸臨丸の船長として渡米し、この時にお茶が世界的な商品価値を秘めていることを認識する。帰国後、西郷隆盛と交渉して江戸城無血開城に成功し、新政府の要職を歴任した。
 1869(明治2)年、勝海舟たちの命を受け、中條景昭、大草高重が指導する旧幕臣たちが、牧之原で1425haの茶畑の開墾を開始した。
 勝海舟は、旧幕臣たちから様々な問題に関して相談を受け、経済的な援助も惜しまなかった。1875(明治8)年に官職を辞した後も、影に日なたに牧之原開拓士族を物心両面で助力し続けた。
 また、1873(明治6)年には、仕事を失った川越人足たちも約30haの茶畑を開墾し始め、1878(明治11)年には約41haに拡張された。この過程で対岸の島田から開墾に参加する者や、牧之原から大井川を渡って島田と交流をもつ旧幕臣が増えた。当初は小舟を利用して大井川を渡ったが、あまりにも大変であったため、許可され架けられたのが「蓬萊橋」である。
 今日、茶畑の開墾を支援し続けた勝海舟たちの存在を抜きに、島田市に広がる牧之原大茶園を語ることはできない。

 平成30年3月吉日 島田市茶業振興協会島田支部
 銅像制作: 堤 直美
 題字:島田市茶業振興協会会長 島田市長 染谷絹代


 2020.08.11現在




大井川改修110周年記念碑

 茶屋のそばには、「大井川改修110周年記念碑」が設置されていました。

 平成4年(1992年)11月に、大井川完全改修期成同盟会の方達により設置されたようです。

 大井川は、明治15年(1882年)に国の直轄河川として改修工事が開始され、平成4年(1992年)で110周年を迎えたため、記念としてここに設置されたそうです。

 中心の柱は大井川を表し、柱の周囲の輪はそこに暮らす人々の街をイメージし、輪と柱をつなぐ9本のパイプは大井川周辺に位置する3市6町を表しているそうです。


 2020.08.11現在


吉田絃二郎しぐれけり句碑と石原純大井川即吟詩碑

 同じく茶屋のそばには、吉田絃二郎しぐれけり句碑(写真左)と石原純大井川即吟詩碑(写真右)が設置されていました。

 吉田絃二郎しぐれけり句碑(写真左)には、「しくれけり 暮るるもあはれ 大井川」という作家の吉田絃二郎(よしだ げんじろう/1886年11月~1956年4月)が詠んだ句が刻まれています。

 石原純大井川即吟詩碑(写真右)には、理論物理学者で歌人でもあった石原純(いしはら じゅん/1881年~1947年)が、蓬萊橋のほとりで晩涼のひとときを楽しんだときの即吟詩が刻まれているようです。


 2020.08.11現在




蓬萊橋(ほうらいばし)の左岸側入口
(←写真左)

 蓬萊橋の左岸側(北側/茶屋側)の入口付近の様子です。

 橋を渡るのは前述のとおり有料となっていますので、お支払いを忘れないようにしましょう。

 また、写真左側に見える看板には、木造橋であるので当然のことながら「禁煙」、夜間、降雨、強風時の通行については十分注意してください、と書かれています。


 2020.08.11現在


駐車場側(北東側)から見た蓬萊橋(ほうらいばし)

 駐車場に着いて車からおりると、まず自然の中に長い橋が架かっている光景を目にすることになります。

 周囲に意外に人工的な構造物が無いので、その光景はかなり非日常的なもので、とても素晴らしいものです。

 このままの風景をずっと保っていて欲しいとつくづく思います。

 長年の台風や大雨による増水にも耐えてきたのが、ほんとうにすごいなあと思います。


 2020.08.11現在




北西側から見た蓬萊橋(ほうらいばし)①

 「蓬萊橋物産店 897.4茶屋」の下あたりから見た蓬萊橋(ほうらいばし)です。

 明治時代(明治12年)の竣工ですが、さながら江戸時代にタイムスリップしたかのような光景を見ることができます。


 2020.08.11現在




北西側から見た蓬萊橋(ほうらいばし)②

 「蓬萊橋物産店 897.4茶屋」の前(南側)あたりから見た蓬萊橋(ほうらいばし)です。

 これだけまっすぐ伸びた木造橋を見るのは壮観です。

 この日は、時間が無かったので、向こう岸へ渡るのはまたの機会の楽しみにしたいと思います。

 片道897.4メートルですので、単順に往復約2kmということになりますので、向こう岸へ渡って戻ってくるには、それなりの心構えと時間が必要になるかと思います。


 2020.08.11現在




木造橋の蓬萊橋(ほうらいばし)と現代のコンクリート橋「島田大橋」

 上の写真は、「蓬萊橋物産店 897.4茶屋」の前(南側)あたりから東側に見える風景を撮影したもので、写真手前側が1879年(明治12年)に竣工した木造橋の蓬萊橋(ほうらいばし)で、写真奥のほう(東方向)に見えるのが1994年に供用が開始された静岡県道34号島田吉田線の「島田大橋」(L=942.5m)です。

 同じ大井川に約140年前に架けられた木造橋と、現代に架けられたコンクリート橋を一緒に撮影することができます。

 2つの橋の架けられた時間差は約115年となっています。


 2020.08.11現在




蓬萊橋付近に整備されている無料駐車場
(←写真左)

 蓬萊橋(ほうらいばし)の北東側(茶屋側の東)には、無料の駐車場が整備されています。

 このような歴史的遺産はとても素晴らしいと思いますので、機会のある方はぜひ一度ご訪問されるとよろしいかと思います。

 JR東海道本線の島田駅の南口から茶屋までの距離は約1.5kmですので、島田駅から歩いてこられない距離ではないと思います。

 なお、写真奥のほう(東方向)に見える橋は、静岡県道34号島田吉田線の「島田大橋」になります。

 2020.08.11現在



島田宿 下本陣 置塩家跡 からくり時計塔
島田宿 下本陣 置塩家跡に設置されている「からくり時計塔」(作動中)

 今回訪れたもう1つのカラーマンホール蓋「帯祭デザイン」の設置場所は、JR東海道本線の島田駅北東側にある「島田宿 下本陣 置塩家跡」に設置された「からくり時計塔」の近くとなっていました。

 ここは下本陣跡ということで、東西に通る旧東海道沿いにあたり、現在はこの辺りの旧東海道は「本通り」と呼ばれているようです。

 「からくり時計塔」自体は、旧東海道から南北に整備された「おび通り」と呼ばれる和風の街並みの通りに設置されています。

 この場所を訪れた時は、ちょうど「からくり時計」が動いている時間(午後5時)で、「からくり時計」内部から現れていたのは、近くに設置された「帯祭」デザインのカラーマンホール蓋に描かれた「大奴(おおやっこ)」でした。

 この「からくり時計塔」は、和風街並みエリアのシンボルとして建てられたものなのだそうで、定時になると作動して、「島田大祭(帯祭り)」の風情を「大奴(おおやっこ)」と鹿島踊りの人形が伝えてくれるようになっているそうです。

 からくり人形の出演時間は、午前10時から午後8時までの1時間ごとのようで、風雨が激しい時は出てこないそうです。

 大奴(おおやっこ)をはじめとする大名行列と鹿島踊りは、江戸時代から受け継がれ、三年に一度開催されるそうで、静岡県の無形民俗文化財に指定されているそうです。

 「大奴」は、神様が乗ったご神輿を護衛する人で、大名行列の花形となっていて、総勢25人からなり、昔ながらの奴の姿に金襴(きんらん)の廻しを付け、左右に突き出した一間近い木太刀に見事な丸帯を一本づつ掛け、左手には唐傘を持っているそうです。

 鹿島踊りは、永宝年間に島田に疫病が流行した時に、大井神社の境内に春日神社の神霊をお祀りし、疫病退散を祈願したのが始まりなのだそうで、雅楽の音色にのって優雅に荘厳な舞踊が展開されるそうです。


 2020.08.11現在




「からくり時計塔」のそばに設置された「帯祭」デザインのカラーマンホール蓋

 今回の目的である「帯祭」デザインのカラーマンホール蓋は、「からくり時計塔」のすぐそばに設置されていました。(上の写真の矢印部分)


 2020.08.11現在


からくり時計塔の設置された「おび通り」

 旧東海道の下本陣跡地に設置された「からくり時計塔」のある、旧東海道と南北に直角に交わる通りは「おび通り」と呼ばれているようです。

 「おび通り」は和風の街並みとなっていて、毎月1回、市内の商店や農産物、地場産品の即売などの露店が並ぶ「しまだ元気市」が開催されるそうです。

 「おび通り」は、北側が1998年から1999年、南側が2002年から2003年までかけて、「川越しのまち 島田市」にふさわしい「ふるさとの顔づくり」として、「和風まちなみ」をコンセプトに整備された自転車・歩行者専用道路で、市民からの公募案が採用されて「おび通り」という愛称が付けられたのだそうです。


 2020.08.11現在




ゆるキャラ「おしまちゃん」の立て看板

 いわゆる地域のまちおこしキャラクターである「ゆるキャラ」の「おしまちゃん」の立て看板です。

 「おしまちゃん」は島田市の「ゆるキャラ」のひとつで、お茶とバラの髪飾りを付け、水色の着物は水の恵みを、緑の法被は豊かな自然を表現しているそうで、帯には白い蒸気を上げて走るSL(蒸気機関車)が描かれています。

 島田市には、島田市金谷に本社を置く大井川鉄道があり、同社は大井川本線においてC10形、C11形、C56形の蒸気機関車の旅客運転を行っていることで有名で、近年では「きかんしゃトーマス号」や「きかんしゃジェームス号」なども運転していることでも知られています。


 2020.08.11現在


からくり時計塔に掲示された島田宿本陣跡に関する説明板

 本陣(ほんじん)とは、江戸時代以降の各宿場で、大名や旗本、幕府役人、公家、勅使、高僧などの休憩所および宿泊所として指定された家で、宿役人の問屋や村役人の名主などの広い家屋敷を持つ富裕な家が指定されることが多かったのだそうです。

 本陣は、寛永11年(1634年)に三代将軍 徳川家光が上洛の際に宿泊予定の邸宅の主人を「本陣役・本陣職」に任命したのが起源となっているそうで、翌年の寛永12年(1635年)の「武家諸法度」改定による参勤交代の明文化・導入とともに、本陣が制度化されたのだそうです。

 本陣には、藩主と側近の一部が宿泊し、その他の家臣団、女中、中間(ちゅうげん/武士の最下級)などは近くの旅籠(はたご/いわゆる旅館)や商屋、民家、寺院あるいは農家などにも分散して宿泊したそうです。

 本陣の運営者に対しては、宿泊者から謝礼が支払われましたが、それは宿泊実費の対価ではなく、あくまでも謝礼ということであったようで、必ずしも宿泊費用の対価として十分なものとは言えなかった部分があったといわれているそうです。

 そのため、江戸幕府は本陣の指定の際には、その家の主人には苗字帯刀、門や玄関、上段の間を設けることができるなどの特権が認められたそうで、それらを名誉なこととして受け止め歓迎する家もあったものの、出費がかさんだことで没落する家もあったそうです。

 ご存じのとおり、江戸時代後期になると、各藩は財政の悪化に苦しむことが多くなり、そのために本陣に対する謝礼が減額されたり、さらに本業の問屋や庄屋としての経営が不振に陥ることで、元の本陣家が破綻してしまい指定変えされたケースもあったそうです。


 2020.08.11現在




からくり時計塔のそばにある「下本陣 置塩家跡」を示す石碑
(←写真左)

 からくり時計塔の下のほうには、「島田宿 本陣跡」、「下本陣 置塩藤四郎家跡」などと刻まれた石碑が建てられていました。

 島田宿には、西側から「上本陣 村松九郎治家(むらまつ くろうじ)」、「中本陣 大久保新右衛門家(おおくぼ しんえもん)」、「下本陣 置塩藤四郎家(おしお とうしろう)」の3軒の本陣があったそうですが、本陣の予備的施設である脇本陣(わきほんじん)は無かったのだそうです。

 脇本陣は、大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されたそうで、本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったのですが、脇本陣は大名や勅使などの利用が無い場合には、一般客の宿泊もできたのだそうです。

 2020.08.11現在




都道府県別~ほかの地域はこちらから♪
東京都 神奈川県 千葉県
埼玉県 静岡県 愛知県
特集ページ
 愛知県岡崎市~内藤ルネ「ルネガール」編


HOMEへ