飯田線(JR東海) 各駅探訪~駄科駅(駄科-毛賀) 鉄道関連趣味の部屋♪
このページでは特に飯田線の駄科駅(駄科-毛賀)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
駄科駅は、かつては相対式ホーム2面2線の駅でしたが、現在は東側の線路が撤去されて単式ホーム1面1線の駅となっています
そのほか、駄科駅の南方を流れる天竜川は、渓谷の「鵞流峡(がりゅうきょう)」としても知られています。
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飯田線(JR東海) 駄科駅 だしな Iida Line | ||
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駄科駅 【豊橋起点:121.1km】 2023.09.17現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。 長野県飯田市駄科下平にある飯田線の駄科駅(だしなえき)です。 上の写真は、駄科駅の様子を西側から撮影したもので、写真左方向が北方向で毛賀駅方面(飯田・辰野方面)、右方向が南方向で時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 駄科駅は、天竜川からは西方に約400mほど離れていて、標高は411mとなっています。 駄科駅の南方を流れる天竜川は、渓谷の「鵞流峡(がりゅうきょう)」としても知られています。 「鵞流峡(がりゅうきょう)」と呼ばれる場所の天竜川の川幅は約30メートルと狭くなり、約2kmにわたって続く渓谷の急流と奇岩は、舟下りの名所となっていて人気があるそうです。 駄科駅は、1927年(昭和2年)4月8日に、伊那電気鉄道が毛賀駅(けがえき)から当駅まで延伸した際に、終点駅として開業されています。 その後、同年12月26日に伊那電気鉄道が当駅から天竜峡駅まで延伸した際に途中駅となり、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化されて鉄道省の駅となっています。 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1971年(昭和46年)12月1日に貨物・荷物の取扱を廃止し、1984年(昭和59年)2月24日に無人駅化され、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。 そして、1989年(平成元年)9月19日には、交換設備が使用停止とされ、その後、それまで相対式ホーム2面2線の駅だったのが駅構内東側の線路が撤去されて、現在のような単式ホーム1面1線の駅となっています。 かつては、駄科駅には駅舎があったそうですが、1998年(平成10年)5月23日に放火により駅舎が全焼してしまい、翌年の1999年(平成11年)2月1日に、駅舎に替わって、駅入口を兼ねた現在の待合所が竣工したようです。 |
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駄科駅前の南側(時又方)に設置されているトイレ(公衆便所) 駄科駅前の南側(時又方)には、トイレが設置されています。 また、トイレの近くにはNTTの公衆電話ボックスが設置されています。 そのほか、駄科駅前には、タクシーの駐車スペースがあって「タクシーのりば」があります。 |
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駄科駅前の西方向の風景 駄科駅前から西方向に見える駅前の風景を撮影したものです。 民家が多く建ち並んでいます。 駄科駅の東方約400mあたりのところを天竜川が流れていますが、当駅周辺には民家などが多くあり、駄科駅は普通に地方の町中にある小さな駅のたたずまいとなっています。 |
駄科駅自転車置場 駄科駅前の北側(毛賀方)には「駄科駅自転車置場」が設置されています。 駄科駅周辺にお住まいの方で、自転車で当駅まで来られる方にとっては、自転車置場は非常にありがたい存在になっているものと思われます。 |
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駄科駅の待合所 ホームの出入口を兼ねた待合所となっていて、出入口付近には郵便ポストが設置されています。 1998年(平成10年)5月23日に放火により駅舎が全焼してしまったそうですが、ネット上で調べてみると、かつての駅舎は木造で、現在よりも大きく立派なものとなっていました。 |
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駄科駅の待合所内部の様子① 待合所は、ホームに面して開放的な造りとなっていて、ベンチ(長椅子)が3つ設置されています。 |
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普通運賃表と時刻表 待合所内部の北側の壁面には、普通運賃表と時刻表が掲示されています。 |
駄科駅の待合所内部の様子② 待合所の内部の様子をホーム側から見たものです。 |
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待合所内部の様子をホーム側から見る (←写真左) 写真左側の待合所のホーム側壁面には、飯田線の駅でよく見られる「きっぷ回収箱」が見えています。 |
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待合所前から北方向の毛賀駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 駄科駅は、現在は単式ホーム1面1線の駅となっていますが、かつては相対式ホーム2面2線の駅でした。 そのことを物語るように、上の写真の右側(東側)には、かつてのホームだった石積みのホーム跡の遺構が見えています。 ネット上でかつての駄科駅を撮影した動画を見ていたら、写真右側(東側)に見える、かつてのホーム上には待合所があったようです。 |
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待合所前から南方向の時又駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 写真左端側(東側)のほうには、かつてのホームだった石積みの遺構が見えていて、線路脇(左側)には、かつてもう1本の線路が敷設されていたスペース(空地/道床跡)も見え、駄科駅がかつて相対式ホーム2面2線の駅だったことがうかがえます。 |
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待合所の様子を南側から見る 待合所前のホームに立っていても雨に濡れないように、待合所の屋根部分がホーム上にかかるように非常に大きく造られていることがわかります。 |
駄科駅の駅名標 待合所南側のホーム上にある、駄科駅の駅名標です。 駄科駅(だしなえき)という駅名は、駅の所在地の地名「飯田市駄科」に由来しているようです。 |
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ホーム上の駅名標がある場所あたりから北方向を見る 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 |
ホームから見える駄科駅前南側にあるトイレ 地方のローカルな小さな駅とはいえ、駅前にトイレが設置されていると非常に安心感があります。 |
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ホーム上の駅名標がある場所あたりから南方向の時又駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 写真左側(東側)には、かつてのホーム跡である石積みの遺構と、線路の道床跡が見えています。 |
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ホーム南端側(時又・天竜峡方)の様子 写真奥方向が南方向で、時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 かつて駄科駅が相対式ホーム2面2線の駅だった時代には、こちらのホーム南端側(時又・豊橋方)に双方のホームを行き来できる構内踏切があったものと思われます。 |
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ホーム南端側から南方向の時又駅方面を見る この先、約1.8kmあたりのところに時又駅があります。 |
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ホーム南端側から北方向の毛賀駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 写真右側(東側)のほうには、かつてのホーム跡の遺構と、線路があった道床跡が見え、かつての駄科駅が相対式ホーム2面2線の駅であったことがうかがえます。 |
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ホーム上の待合所北側あたりから南方向の時又駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 写真左側(東側)には、かつてのホーム跡と線路の道床跡が見えています。 |
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ホーム上の待合所北側あたりから北方向の毛賀駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 写真右側(東側)には、かつてのホーム跡が見えています。 |
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ホーム北端側の様子 (←写真左) 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 駄科駅周辺には民家などの建物が多く見られ、のどかな雰囲気の駅となっています。 |
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ホーム北端側から南方向の時又駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、時又駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 写真左側(東側)には、かつてのホーム跡が見えています。 ここの駄科駅のように、かつて相対式ホーム2面2線だった駅が、いつの日か再び相対式ホーム2面2線の駅に戻る、ということは有り得るのでしょうか? |
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ホーム北端側から北方向の毛賀駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、毛賀駅方面(飯田・辰野方面)になります。 この先、約1.4kmあたりのところに毛賀駅があります。 このあたりの飯田線の駅は、民家などの建物が多く見られ、駅周囲に川や山などの険しい大自然も無く、人々の日常生活の風景に溶け込んでいるかのような、いたって普通の地方ローカル線の小さな駅といった感じになっています。 以上、駄科駅の様子についてご紹介いたしました☆ 次の駅は「毛賀駅」(けがえき)になります♪ 続きはぜひ毛賀駅のページをご覧ください♪ |
毛賀駅方面から駄科駅に到着する313系3000番台 毛賀駅方面(飯田・辰野方面)から駄科駅に接近中の、313系3000番台(R103編成・2両編成)「普通 天竜峡」行です。 駄科駅のホーム北端側(毛賀・飯田方)にて撮影したもので、下の写真は、駄科駅に停車中の様子を撮影したものです。 駄科駅の2018年度の1日平均乗車人数は約150人となっています。 |
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