飯田線(JR東海) 各駅探訪~時又駅(時又-駄科) 鉄道関連趣味の部屋♪
このページでは特に飯田線の時又駅(時又-駄科)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
時又駅から天竜峡駅までの区間は、かつて近くを流れる天竜川の洪水による水害の被害を受けていたため、
水害対策の治水工事により、2001年(平成13年)4月1日に旧線から新線に付け替えられた経緯があります。
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飯田線(JR東海) 時又駅 ときまた Iida Line | ||
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時又駅 【豊橋起点:119.3km】 2023.09.17現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。 長野県飯田市時又にある飯田線の時又駅(ときまたえき)です。 上の写真は、時又駅の様子を南西側から撮影したもので、写真左奥方向が北方向で駄科駅方面(飯田・辰野方面)、右方向が南方向で川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 時又駅は、天竜川から北方向に約350mほど離れていますが、飯田線の時又駅~川路駅~天竜峡駅間は、かつて1961年(昭和36年)6月26日の「三六災害」の時と、1983年(昭和58年)9月の「五八災害」の時に大雨による水害の被害を受けたことがあったそうです。 そのようなこともあって、時又駅~川路駅~天竜峡駅間は、護岸や盛土整備などの水害対策の治水工事が行われ、2001年(平成13年)4月1日に時又駅~川路駅~天竜峡駅間は旧線から新線への線路の付け替えが行われ、川路駅は現在の場所に移転(北東方向へ約170m移転)したという経緯があります。 旧三信鉄道の区間であった三河川合駅から天竜峡駅までの区間は、山の変状など自然の力に起因する旧線から新線への付け替えが何ヵ所か見られましたが、ここ旧伊那電気鉄道の区間においても、天竜川という自然の力に起因する旧線から新線への付け替えがあったことを知り、飯田線という鉄道路線が、いかに自然の力と向き合ってきたか、ということをあらためて認識させられます。 時又駅は、1927年(昭和2年)12月26日に、伊那電気鉄道が駄科駅(だしなえき)から天竜峡駅まで延伸した際に、途中駅として開業されています。 その後、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化されて鉄道省の駅となっています。 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1971年(昭和46年)12月1日に荷物の取扱を廃止、1974年(昭和49年)12月1日に専用線発着の車扱貨物の取扱を廃止し、1984年(昭和59年)2月24日に無人駅化され、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。 2009年(平成21年)12月には、開業時からあったという木造駅舎が、現在のものに改築されたそうです。 時又駅は、相対式ホーム2面2線と保線車両用の留置線を有する列車交換が可能な地上駅(標高 383m)となっています。 そのほか、時又駅は、「天竜舟下り」の時又港の最寄り駅(徒歩約5分/直線距離で時又駅の南方約320m)となっています。 なお、伊那電気鉄道線が国有化される前には、時又駅と川路駅(当時は伊那川路駅)の間に「開善寺停留場」があったそうです。 |
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時又駅の様子を北東側から見る 写真中央に駅舎が見え、その左奥(南側)には駅前に設置されているトイレが見えています。 写真右奥のほうには、時又駅構内西側にある下り2番ホーム(飯田・辰野方面)上に設置されている待合所が見えています。 駅舎のある東側のホームが上り1番ホーム「天竜峡・豊橋方面」になります。 |
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時又駅の様子を南東側から見る 駅舎のそばには、NTTの公衆電話が設置されています。 また、写真左側(南側)に見えるトイレのそばには、郵便ポストが設置されています。 |
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時又駅前駐輪場と家庭ごみ集積所 時又駅の南東側(駅前トイレの南側)には、駅前駐輪場が設置されていて、その南側には家庭ごみ集積所が併設されていました。 |
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時又駅前に設置されているトイレ(公衆便所) 時又駅の駅舎の南側には、トイレが設置されています。 |
時又駅の駅舎 2009年(平成21年)12月に、開業時からあったという木造駅舎が、現在のものに改築されたそうです。 とてもシンプルながらも新しさを感じる駅舎となっています。 |
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駅舎出入口の様子を東側から見る 写真奥のほう(西方向)へ進むと、時又駅のホームへ出ることができます。 駅舎の南側部分(写真左側)が待合室となっています。 |
駅舎内にある待合室入口付近の様子 ホームと駅東口を結ぶ駅舎の通路の南側に待合室の入口があります。 |
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待合室内部の様子 待合室内には、長椅子(ベンチ)が設置されています。 |
普通運賃表と時刻表 ホームと駅東口を結ぶ駅舎の通路の北側壁面には、普通運賃表と時刻表が掲示されています。 |
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ホーム側から駅舎通路を見る 写真奥方向(東方向)へ進むと、駅前(東側)へ出ることができます。 |
ホーム側から駅舎にある待合室出入口付近の様子を見る 写真左下側には、飯田線の駅で良く見かける「きっぷ回収箱」が見えています。 |
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駅舎側(上り1番ホーム)から見る下り2番ホーム上に設置された待合所 下り2番ホーム(飯田・辰野方面)上には、横幅がそれなりにある大きめの待合所が設置されています。 ただし、扉やドアが無い開放型のタイプの待合所となっています。 |
駅舎を上り1番ホームの南側から見る 駅舎の軒下には、「1 天竜峡・豊橋方面 for Tenryukyo, Toyohashi」と書かれた表示板が吊るされています。 写真奥方向が北方向で、駄科駅方面(飯田・辰野方面)になります。 |
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駅舎付近から南方向の川路駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 時又駅は、相対式ホーム2面2線の駅となっていて、写真左側(東側)のホームが上り1番ホーム「天竜峡・豊橋方面」、右側(西側)のホームが下り2番ホーム「飯田・辰野方面」になります。 |
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上りホーム(1番ホーム)南端側から川路駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 写真右奥のほうへ続く線路が飯田線の本線で、写真左側には、現在は保線車両用の留置線となっている側線が見えています。 また、写真左側には、かつて使用されていたと思われるホーム跡が見えています。 時又駅は、1974年(昭和49年)12月1日に専用線発着の車扱貨物の取扱を廃止しているようなので、写真左側に見えるホーム跡と側線は、かつては時又駅発着の貨物列車が使用していたのかもしれません。 この先、約1.8kmあたりのところに川路駅があります。 この先の川路駅および更にその先の天竜峡駅までの区間は、治水対策事業により、2001年(平成13年)4月1日に、旧線から新線に付け替えられています。 なお、伊那電気鉄道線が国有化される前には、時又駅と川路駅(当時は伊那川路駅)の間に「開善寺停留場」があったそうです。 |
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上り1番ホーム南端側から北方向の駄科駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、駄科駅方面(飯田・辰野方面)になります。 時又駅は、駅周辺に多くの民家がありますが、閑静で落ち着いた雰囲気の駅で、相対式ホーム2面2線の広々とした開放感ある駅ともなっています。 私が時又駅を訪問した時は誰もいませんでしたが、時又駅の2018年度の1日平均乗車人数は約100人となっていますので、平日の朝夕の通勤・通学・帰宅時間帯には、当駅はそれなりの賑わいをみせていると思います。 |
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上り1番ホーム上の駅名標がある場所あたりから北方向の駄科駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、駄科駅方面(飯田・辰野方面)になります。 |
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時又駅の駅名標 時又駅(ときまたえき)という駅名は、駅の所在地の地名「飯田市時又」に由来しているようです。 「時又」(ときまた)という地名の由来は、天竜川と新川の2つの川が合流する地形から「又(また)」という言葉と、川の崖のような斜面を意味する「とち」や「たち」と同様の意味の「とき」という言葉を合わせたもので、このあたりの地形を意味する言語に由来しているようです。 時又駅の駅名をファンタジー的に「時(とき)を跨ぐ(またぐ)」というイメージで考えると、まるでタイムスリップ現象が起きたことがあるかのようなミステリーあふれる駅として、もっと興味がわきそうです。 |
駅名標がある場所あたりから南方向を見る 上り1番ホーム上の駅名標がある場所あたりから南方向を見たもので、写真奥方向が川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 |
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時又駅構内北側の様子① 写真奥方向が北方向で、駄科駅方面(飯田・辰野方面)になります。 |
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時又駅構内北側の様子② 時又駅の上り1番ホームと下り2番ホームは、ホーム北端側(駄科・飯田方)にある構内踏切で結ばれ、行き来することができるようになっています。 写真右端側に構内踏切へと続くスロープ(斜路)の通路が見えています。 |
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上り1番ホーム北端側から北方向の駄科駅方面を見る 写真奥方向が北方向で、駄科駅方面(飯田・辰野方面)になります。 時又駅構内の北側で、上り1番線と下り2番線は合流して再び単線となっています。 この先、約1.8kmあたりのところに駄科駅があります。 |
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上り1番ホーム北端側から南方向の川路駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 |
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上り1番ホーム北寄りから南方向の川路駅方面を見る 写真奥方向が南方向で、川路駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。 将来的には、飯田線の飯田駅の北方の伊那上郷駅~元善光寺駅間に、数少ない貴重なリニア中央新幹線の駅ができる予定です。 その時には、ここ時又駅周辺は、名古屋や大阪、東京へのアクセスが良くなり、ひょっとしたら現在よりも駅の利用者数が増えるかもしれません。(2018年度の1日平均乗車人数は約100人) 以上、時又駅の様子についてご紹介いたしました☆ 次の駅は「駄科駅」(だしなえき)になります♪ 続きはぜひ駄科駅のページをご覧ください♪ |
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