飯田線(JR東海) 各駅探訪~平岡駅(平岡-為栗) 鉄道関連趣味の部屋♪
このページでは特に飯田線の平岡駅(平岡-為栗)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
平岡駅は特急「伊那路」が停車する駅で、近くには天龍村役場があって駅周辺は住宅街となっています。
また、駅舎に温泉・宿泊施設「ふれあいステーション龍泉閣」が併設されていて、駅周辺は華やかさを感じさせます。
そのほか、平岡駅~為栗駅間には、かつて遠山口駅があった旧線の廃線跡が現在も残っています。
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飯田線(JR東海) 平岡駅 ひらおか Iida Line | ||
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平岡駅 【豊橋起点:93.8km】 2023.10.02現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。 長野県下伊那郡天龍村平岡にある飯田線の平岡駅(ひらおかえき)です。 上の写真は、温泉・宿泊施設・売店の「ふれあいステーション龍泉閣」(以下は単に龍泉閣と記述する場合有り)が併設されている、とても立派な平岡駅の駅舎を、同駅のすぐ横(北西側)を通る国道418号から撮影したものです。 現在の平岡駅と龍泉閣が同居する現在の駅舎は、2001年(平成13年)4月2日から供用開始となったそうです。 飯田線にご興味をお持ちの方であれば、平岡駅を訪れたことが無くとも、「ふれあいステーション龍泉閣」が併設された、この立派な平岡駅の駅舎をネット上などで見かけたことがあるのではないでしょうか。 私も平岡駅の存在を知りながら、訪れたのはようやく今回が初めてで、やはり初めて訪れる駅というのはとても嬉しく感動するもので、龍泉閣の売店では、お土産を買わせて頂きました。 平岡駅は、1936年(昭和11年)4月26日に、三信鉄道が温田駅から延伸された時の終着駅として、当時は満島駅(みつしまえき)という駅名で開業されています。 その後は、同年12月30日に三信鉄道が小和田駅まで延伸されて満島駅は途中駅となり、1943年(昭和18年)8月1日に三信鉄道線は飯田線の一部として国有化され、戦後の1952年(昭和27年)11月15日に現在の駅名となる「平岡駅」に変更されています。 駅名が「平岡駅」に変更されたのは、当駅の北方約500mあたりの天竜川本流に、戦前から建設が開始されていた水力発電用の「平岡ダム」が1951年(昭和26年)に竣工したことと関係があるようです。 |
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平岡駅・龍泉閣の南西側にある駐車場 駐車場は、平岡駅および龍泉閣利用者のためのものとなっていますので、十分注意が必要です。 写真奥に見える白い大きな立派な建物に、平岡駅と龍泉閣が同居しています。 写真右奥のほうには、平岡駅構内の上方を跨いで東西を行き来できる自由通路の跨線人道橋の階段部が見えています。 |
龍泉閣2階の南西端側から国道418号を見る 写真に見える道路が、平岡駅及び龍泉閣の北西側を通る、「駅前通り」ともいえる国道418号になります。 写真奥方向が北方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真右側に見える龍泉閣の建物に取り付けられた通路は、写真奥のほうへ歩いていくと平岡駅および龍泉閣の出入口(2階)に直接通じています。 |
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龍泉閣1階部分の様子 写真右端側には、天龍村営バスの平岡バス停が見えています。 この場所はバス発着所で駐車禁止となっています。 龍泉閣の1階にあるレストランは写真奥のほうになります。 |
龍泉閣1階にある「レストラン龍泉」 この時の「おすすめ!」は「トンテキ定食」となっていました。 トンテキは個人的には好きな料理のひとつで、また時間に余裕のある時に、いつかこの「レストラン龍泉」で食事をしてみたいものです。 |
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平岡駅前の国道418号から南方向を見る 写真奥に見える土地が高くなった場所に、平岡駅と龍泉閣の利用者のための駐車場があります。 写真に見える斜路(坂道)を上がれば駐車場にたどり着けます。 写真に見える国道418号を写真右奥(南西方向)のほうへ行くと、鶯巣駅方面へと続いています。 |
平岡駅及び龍泉閣の出入口となっている階段 階段の入口左側には「JR平岡駅 入口」と書かれた看板が設置されています。 また、郵便ポストも見えています。 |
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平岡駅及び龍泉閣の出入口となっている階段の様子 正面に見えるドアが2階部分で、平岡駅と龍泉閣の出入口となっています。 出入口の左側には「JR 平岡駅」と書かれたプレートが、右側には「龍泉閣」と書かれた木製の板が取り付けられています。 |
平岡駅・龍泉閣出入口階段から南西方向を見る 写真に見える道路が国道418号で、写真奥方向へ行くと鶯巣駅方面へ続いています。 |
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平岡駅・龍泉閣の国道418号側出入口 ここは2階部分となり、このドアの向こう側が平岡駅のホーム出入口、龍泉閣のホテルフロント、売店などがある2階部分になります。 |
平岡駅出入口(2階)付近から国道418号方向を見る 階段の下のほうに見える道路が平岡駅の北西側を通る国道418号で、写真右方向が北東方向で為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 なお、この場所からは、北西方向の遠方に「中部電力 平岡発電所」を見ることができます。(下の写真の中央奥) |
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平岡駅・龍泉閣出入口付近から北東方向を見る 写真奥方向が為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真左側に見える階段を下りて行くと、国道418号に出ます。 |
平岡駅・龍泉閣出入口(2階)を北側から見る 壁面には、「JR 平岡駅」と書かれた立派なプレートが取り付けられています。 このあたりの飯田線の駅ではあまり見かけない立派な駅名プレートです。 |
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平岡駅の旧改札口付近の様子 現在は龍泉閣の建物2階の一角にあるだけ、という雰囲気の、平岡駅のかつての改札口付近の様子です。 平岡駅は、2012年(平成24年)4月1日にJR全線きっぷうりば(業務委託)を廃止し、無人駅となったそうです。 写真奥に見えるドアを開けて奥のほうへ進んでいけば、平岡駅のホームへ出ます。 天井部分には、「飯田線の歴史 三信鉄道 記録写真でたどる飯田線 →」と書かれた案内ボードが吊り下げられています。 その展示コーナーは、龍泉閣のホテルフロントと売店の奥のほう(写真右方向)にあります。 写真左方向が為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 |
龍泉閣2階のホテルフロントと売店 平岡駅と龍泉閣が併設された駅舎の2階には、平岡駅の旧改札口(ホームへの出入口)があるとともに、上の写真のように龍泉閣のホテルのフロントや売店などがあります。 龍泉閣は、駅舎建物を以下のように利用しています。 ・1階 レストラン龍泉、エレベーター入口 ・2階 ホテルフロント、売店、休憩所、トイレ ・3階 宿泊施設、夜間フロント ・4階 龍泉の湯(浴場)、ラウンジ |
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平岡駅旧改札口付近から龍泉閣のホテルフロント・売店の様子を見る 写真左側にホテルフロントが、右側に売店が見えます。 写真奥のほうに「飯田線の歴史 三信鉄道 記録写真でたどる飯田線」の展示コーナーや平岡駅周辺をモチーフにした鉄道模型Nゲージのレイアウト、トイレなどがあります。 |
龍泉閣のホテルフロント付近から平岡駅旧改札口付近の様子を見る 写真正面奥に平岡駅の旧窓口があったものと思われます。 平岡駅のホームは、写真右方向になります。 この空間周辺には、長椅子が設置され、飲料水の自動販売機も多く(3台くらい)設置されています。 |
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平岡駅・龍泉閣2階の国道418号側の出入口付近の様子 写真左方向が天竜川、国道418号側になります。 出入口付近の壁面には、時計や普通運賃表、飯田線時刻表が取り付けられています。 |
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龍泉閣にある「飯田線の歴史 三信鉄道」のコーナー 龍泉閣のホテルフロントと売店の奥のほうには、「飯田線の歴史 三信鉄道 記録写真でたどる飯田線」のコーナーがあります。 また、写真左側にはトイレも設置されています。 |
佐久間ダム建設による飯田線の路線変更など 龍泉閣にある「飯田線の歴史 三信鉄道 記録写真でたどる飯田線」のコーナーには、図説や古い当時の写真などが掲載されていて、飯田線の歴史を知るうえで、平岡駅を訪れた際に時間に余裕があれば、ぜひ見ておきたいコーナーとなっています。 |
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飯田線の歴史を物語る物品などや平岡駅周辺を模した鉄道模型Nゲージのレイアウト 龍泉閣にある「飯田線の歴史 三信鉄道 記録写真でたどる飯田線」のコーナーには、飯田線に関する物品が展示されたショーケースも設置されています。(左上の写真) また、平岡駅周辺をモチーフにしたと思われる、鉄道模型Nゲージのレイアウトもありました。(右上の写真) レイアウトには平岡駅と龍泉閣の駅舎建物らしきものがあり、配線も平岡駅構内らしくなっていて、また、平岡駅からは少し距離がありますが、飯田線の城西駅と向市場駅間にある有名な「渡らずの鉄橋」(第六水窪川橋梁)を彷彿とさせる長い橋梁もありました。 |
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平岡駅のホームへの出入口付近の様子 写真に見えるドアを開けて奥のほうへ進めば、平岡駅のホームへ出ます。 写真左方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 |
平岡駅のホームへの出入口付近から駅舎内の様子を見る 写真手前側には、かつて使用されていたものと思われる旧改札口が見えています。 写真奥のほうに見えるドアが、国道418号方面へ出る駅舎の2階出入口となっています。 |
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駅舎出入口付近からホーム方向を見る 平岡駅構内の為栗方(天竜峡・飯田方)に、駅舎出入口とホームを連絡する構内踏切があります。 写真左方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 |
駅舎のホーム側出入口横に設置されていた切符回収箱 切符回収箱には「ありがとうございました 使用ずみのきっぷは この箱にお入れください JR東海」と書かれています。 このタイプの切符回収箱は、飯田線の多くの駅に設置されています。 |
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構内踏切(駅舎出入口寄り)から為栗駅方面を見る 平岡駅は、かつて貨物の取り扱いをしていたそうですので、構内には側線が見られます。 平岡駅は、1984年(昭和59年)1月に貨物の取り扱いを全廃、翌年の1985年(昭和60年)3月には「チッキ」の取り扱いも廃止されています。 「チッキ」とは、旅客が鉄道に手荷物や小荷物を預けた際に発行される「チッキ」や「チェッキ」と呼ばれた「手荷物符票」が語源となっていて、貨物列車によって輸送される貨物とは異なり、旅客列車に荷物車を連結して旅客の手荷物や小荷物を輸送することをいい、旅客ホームにて旅客と一緒に扱われたそうです。 写真左奥のほうに見える緑の樹木は桜の木のようで、春には綺麗に咲きほころぶようです。 |
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構内踏切(駅舎出入口寄り)から見る平岡駅のホームの様子 写真右奥方向が南西方向で鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 写真右奥のほうには、平岡駅構内の上方を跨いで東西を行き来できる自由通路の跨線人道橋が見えています。 平岡駅は、島式ホーム1面2線の地上駅で、その他に構内には側線があります。 駅舎寄りの1番線ホームが「下り 天竜峡・飯田方面」のりば、2番線ホームが「上り 中部天竜・豊橋方面」のりばとなっています。 ただし、臨時急行「飯田線秘境駅号」が運転される際には、下り普通列車(天竜峡・飯田方面行)が1番線に停車中の秘境駅号を追い抜くために2番線に発着するそうですので、注意が必要です。 |
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構内踏切から駅舎のホーム出入口付近の様子を見る 駅舎のホーム側出入口の頭上には、「歓迎 信州に春を告げる 南信州天龍村へようこそ 天龍村観光協会」と書かれた横断幕が見えています。 |
構内踏切から為栗駅方面を見る 写真奥方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 |
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構内踏切から鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 写真左側に平岡駅のホームが、右側に平岡駅と龍泉閣が同居する駅舎が見えています。 |
北東端側から見るホームの様子 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 平岡駅のホーム北東端側(為栗・飯田方)には、ホームへ上がるための階段とスロープ(斜路)が設けられています。 |
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ホーム北東端側から駅舎方向を見る 龍泉閣の3階部分は宿泊施設(ホテル客室)となっていますので、線路側の部屋に宿泊する際には、本数は少ないですが、飯田線の列車が平岡駅に発着する様子を見ることができそうです。 |
ホーム入口スロープ北東端側から為栗駅方面を見る 平岡駅のホーム北東端側には、ホームへ上がるためのスロープ(斜路)が設置されています。 |
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ホーム入口スロープ北東端側から鶯巣駅方面を見る ←写真左 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 平岡駅のホーム北東端側(為栗・飯田方)には、ホームへ上がるための階段とスロープ(斜路)が設けられています。 写真右側のほうには、平岡駅のホームと駅舎を連絡する構内踏切が見えています。 |
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ホーム入口スロープ北東端側から為栗駅方面を見る 1番線と2番線、その両隣にある側線は、平岡駅構内の為栗方(天竜峡・飯田方)にて合流し、1本の単線となって為栗駅方面へと続いています。 |
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2番ホーム北東端側から鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 2番線の脇(写真左側)には側線があります。 |
1番ホーム北東端側から鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 1番線の脇(写真右側)には側線があります。 ホーム上には、待合所(ベンチ2つ付き)とベンチ(長椅子/3ヵ所)が設置されています。 |
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1番ホーム上から駅舎出入口付近の様子を見る 駅舎の出入口とホームは、為栗方(天竜峡・飯田方)にある構内踏切で連絡しています。 |
島式ホーム上の北東端側から為栗駅方面を見る 写真奥方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 ホームの為栗方に設置されているスロープ(斜路)の様子がよくわかるかと思います。 |
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ホーム上にある待合所付近の様子 ホーム上には、ベンチ(長椅子)が2つ備えられた待合所が設置されています。 また、そのほか、ベンチ(長椅子)が3ヵ所設置されています。 |
待合所の頭上にある駅名標 駅名標には「してぐり」、「うぐす」と書かれていますが、それぞれの駅名を漢字で書くと「為栗」、「鶯巣」となっていて、もし駅名標の駅名が漢字で書かれていたら、初めてこの地を訪れる方は、ほとんどの方が「してぐり」、「うぐす」と正確に読めないのではないでしょうか。 Wikipediaでも、為栗駅と鶯巣駅は難読駅名として紹介されています。 |
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ホーム上の待合所付近から鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 写真奥のほうには、平岡駅構内の上方を跨いで東西を行き来できる自由通路の跨線人道橋が見えています。 |
ホーム上にある「天龍村まつり・イベント案内」の看板 パネルには、1年の各月に行われる祭りや各種イベントが列記されています。 |
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ホーム上の駅名標がある場所あたりから鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 |
ホーム上の駅名標がある場所あたりから為栗駅方面を見る 写真奥方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真左側には、平岡駅と龍泉閣が同居する、立派な4階建ての白色の駅舎が見えています。 駅舎の白色と、青空、山や木の緑色がとても綺麗です。 |
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ホーム上にある特急「伊那路」の乗車場所案内 平岡駅には特急「伊那路」が停車します。 373系の特急「伊那路」には何度か所用で乗車したことがありますが、いつかは飯田駅まで乗車して、その先の飯田線の駅を訪ねてみたいです。 現在建設中のJR東海のリニア中央新幹線が開通すると、飯田駅の近く(伊那上郷駅~元善光寺駅間)にリニア中央新幹線の長野県駅(仮称)ができる予定ですので、飯田駅周辺と同駅以北の日本各地からのアクセスは著しく向上するものと思われます。 そういった観点からすると、地元飯田市周辺の自治体の方々のリニア中央新幹線開通への期待は大きいものがあると思います。 ただ、交通の便がよくなると昨今よくみられる現象として、観光客は増加するでしょうけども、反面、若者や働き盛りの人たちが都会へ出て行ってしまう可能性もありますので、うまく良い面のメリットを生かす施策(東京や名古屋へ通勤する人たちのベッドタウンとして街を活性化する、さらに観光地としての魅力を発信するなど)は必要になるかもしれません。 |
ホームの鶯巣方の様子 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 |
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ホーム南西端側から鶯巣駅方面を見る 写真奥方向が南西方向で、鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 この先の写真奥方向約200mあたりのところには、満島トンネル(長さ 162m)があります。 満島トンネルを鶯巣方に抜けると、飯田線の現在線の北側には、鶯巣駅の近くまで放棄された橋梁やトンネルなどの旧線跡が残っていることで知られています。 |
ホーム南西端側から為栗駅方面を見る 写真奥方向が北東方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真奥のほうには、平岡駅構内の上方を跨いで東西を行き来できる自由通路の跨線人道橋が見えています。 |
特急「伊那路1号」 ←写真左 鶯巣駅方面(中部天竜・豊橋方面)から平岡駅(1番線)に到着する、373系(3両編成/F6編成)の特急「伊那路1号」です。 特急「伊那路1号」は、豊橋 10:08始発で平岡駅に11:57着、11:57発、終点の飯田駅に12:41着の運転ダイヤとなっています。 |
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飯田線(JR東海) 平岡駅周辺 Iida Line |
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長野県道1号から見る平岡駅周辺の風景 上の写真は、平岡駅周辺の風景を、同駅の北方約1kmあたり(直線距離)の長野県道1号から撮影したものです。 写真のちょうど中央奥あたりに見える白い立派な建物が平岡駅および「ふれあいステーション 龍泉閣」で、駅周辺は山間部にある住宅街となっています。 平岡駅および龍泉閣の建物の下あたりには、グレーっぽい色の建物で図書館などが入る公共施設「天龍村文化センター なんでも館」が見え、さらにその下方の天竜川近くには天龍村立天龍中学校が見えています。 また、写真右側のほうに見える、天竜川に架かる橋は「平岡橋」になります。 |
平岡ダムと平岡発電所 | |
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平岡ダムと平岡発電所 平岡ダム(左上の写真)は平岡駅の北北西約1.1kmあたり(直線距離)のところにあり、平岡発電所は平岡駅の西北西約800mあたり(直線距離)のところにあります。 また、平岡発電所は、平岡ダムの南方約700mあたり(直線距離)のところにあります。 平岡ダムは、堤高62.5mの水力発電用の重力式コンクリートダムで、太平洋戦争前の1938年(昭和13年)に着手、建設起工式は1940年(昭和15年)11月13日に行われ、戦後の1951年(昭和26年)11月21日に竣工(工事完了)しています。 平岡発電所は、1952年(昭和27年)1月10日に1号及び2号発電機の運転が開始されて、営業を開始した水力発電所で、中部電力が事業主となっています。 |
平岡駅~為栗駅間の旧線跡と遠山口駅跡 | |
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飯田線の旧線の「十方峡トンネル」と現在線の「新十方峡トンネル」 平岡駅の北方(為栗・飯田方)約900mあたり(直線距離)のところにある飯田線の旧線の「十方峡トンネル」(じっぽうきょう-)です。(写真左側) 写真右側(東側)には、飯田線の現在線(新線)の「新十方峡トンネル」(70/長さ 400m)が見えています。 かつてこの場所を通っていた飯田線の旧線は、この場所の西方約700mあたり(直線距離)の天竜川に平岡ダムを建設することになった際に、この先の北方約500mあたり(直線距離)のところを流れる天竜川の支流である「遠山川」も天竜川と共に水位が上昇してしまうこととなったため、遠山川に架かる「遠山川橋梁」(旧線)を高い位置に付け替える必要が生じることとなりました。 それに伴って、このあたりの場所からこの先の為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)へ向かって約800mに渡って、飯田線は旧線のすぐ東側に新線(現在線)が建設されて付け替えられ、旧線は廃線となりました。 その廃線となった区間にあった「遠山口駅」(とおやまぐちえき)も同時に1951年(昭和26年)7月25日に廃止となっていて、旧線から新線(現在線)への運転切り替えは、1951年(昭和26年)8月1日に行われたようです。 以前は、旧線廃止後の「十方峡トンネル」は、国道418号の旧道として一般道路に転用され、旧鉄道トンネルのため道路幅が狭いながらも信号機による交互通行が可能だったようですが、現在は入口にガードフェンスが設置されてトンネル内には入れないようになっています。 【参考】 ~※( )内は長さ(メートル)の数値ですが、出典により異なる数値となっている場合がありますのでご了承ください ①現在線(新線)~☆下線部が新線(現在線)として新たに建設された区間になります 平岡駅→大沢トンネル(218)→新十方峡トンネル(400)→遠山川橋梁(103)→新要津トンネル(240)→[中略]→為栗駅 ②旧線(廃線)~☆下線部が廃線となり放棄された区間になります 平岡駅→大沢トンネル(218)→十方峡トンネル(隧道)→遠山口駅→遠山川橋梁→要津第一トンネル(隧道)→要津第二トンネル(隧道)→[中略]→為栗駅 |
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旧線跡のすぐ西側を通る国道418号 写真左側に見える新しい道路が現在の国道418号で、写真左奥のほう(北方向)には国道418号の「十方峡トンネル」(じっぽうきょう-)が見えています。 写真右側奥のほうへ続く、かつて国道418号として使用されていた旧道は、現在、バリケードが立てられ通行止めとなっています。 写真右奥のほうに飯田線の現在線の「新十方峡トンネル」(70/長さ 400m)の入口(平岡・豊橋方)が見えています。 |
飯田線の大沢トンネル 現在線の「新十方峡トンネル」の向かい側(南側約50m/平岡方)には「大沢トンネル」(69/長さ 218m)があります。 写真右奥のほうへ続く、旧国道418号として使用された道路を進んで行くと、すぐに現在の新しい国道418号に出ます。 この大沢トンネルは、飯田線が現在の新線に付け替えられる以前の旧線時代から存在するものです。 つまり、廃線となった旧線は、ちょうどこのあたりの場所から反対側(北側)にある旧「十方峡トンネル」に向かって線路が続いていたものと思われます。 |
旧線「十方峡トンネル」の内部の様子 ←写真左 旧線の「十方峡トンネル」の内部の様子をガードフェンスの網目越しに撮影したもので、写真奥方向が北方向で為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 旧「十方峡トンネル」の長さは約340m程度だったものと思われます。 以前は、旧線の「十方峡トンネル」は、廃線後に国道418号の旧道として一般道路に転用されていたようです。 このトンネルは、飯田線の単線の旧鉄道トンネルのため内部の道路幅が狭く、国道418号として使用されていた時は、トンネルの平岡方と為栗方の出入口両方に信号機が設置され、自動車は交互通行となっていたそうです。 トンネル内は狭く危険ではありますが、歩行者も通行できたようです。 |
遠山口駅跡 上の写真は平岡駅の北方約1.2kmあたり(直線距離)の場所になりますが、このあたりにかつて飯田線の「遠山口駅」(とおやまぐちえき)がありました。 上の写真の右側の道路脇の何やら物が置かれている場所あたりに、単式ホーム1面1線の「遠山口駅」があったものと思われます。 写真奥方向が北方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真奥のほうには、飯田線の旧「遠山川橋梁」に替わって新たに高い位置に設置されている人道橋の吊り橋「要長橋」(長さ 83m)が見えています。(現在は通行止め) ネット上や古い資料などでよく見かける遠山口駅のかつての写真には、この場所の反対側(南側)にある飯田線旧線の「十方峡トンネル」の出口付近から撮影したと思われる写真があります。 その写真には、旧線の「十方峡トンネル」の出口付近の坑口や、遠山口駅のホーム、線路の先の為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)に続く旧「遠山川橋梁」(デッキトラス鉄橋だったといわれています)、2つのトンネル(要津第一トンネル、要津第二トンネル)が写っています。 また、よく見かける別の古い写真には、ちょうど上の写真右奥の道路が右方向に曲がっているあたりを、当時の人達約5名ほどが和傘を手に持ちながら歩いている姿が写っています。 写真に見える道路の手前側あたりは、かつての飯田線旧線の路盤跡(多少かさ上げされているかもしれませんが)になります。 旧線の廃線後は、写真に見える道路は、かつて旧国道418号として使用され、写真左方向(西方向)は行き止まりとなっていて、写真右奥のほうへ進んでいくと、現在の新しい国道418号へと出ることができます。 遠山口駅は、1937年(昭和12年)3月1日に三信鉄道の「遠山口停留場」として開業され、1943年(昭和18年)8月1日に国有化されて国鉄飯田線の駅となった時に「遠山口駅」に昇格しています。 そして、平岡ダムの建設により天竜川およびその支流の遠山川の水位上昇が見込まれたため、1951年(昭和26年)7月25日に廃止となっています。 ネット上で、第10回国会の「衆議院 運輸委員会 第33号」(昭和26年5月27日)の会議録を見ていたら、この遠山口駅が廃止されると周辺地域の住民たちの交通の便が不便になる、ということでトンネル内に駅が造れないか、なんとか代替駅ができないか、と討論された記録がありました。 この件を扱って発言したのは、現在の長野県飯田市出身の今村忠助(いまむら ちゅうすけ)衆議院議員(1899年~1954年)です。 国側の回答としては、代替駅を新線に設置するのは地形的にトンネルと橋梁にまたがってしまったので技術的に困難で、現時点では県道を設置して信南バスを満島駅(現在の平岡駅)へ乗り入れるという計画をたてて、何とか地域住民の交通の不便を解消しようと努力している、また、国としても代替駅設置の要望が強いのであれば再度国鉄関係者に研究させたい、というような記述がありました。 結果としては、旧遠山口駅の代替駅は設置されることはありませんでした。 なお、話がそれてしまいますが、同会議録には、日本の政治家として著名な田中角栄氏(1918年~1993年)が、同氏の地元の新潟県を通る上越線の六日町駅、五日町駅の両駅間に停車場を設置して欲しいという請願を扱っていた記述がありました。 当時の日本の国土開発の歴史を垣間見るようで興味深かったです。 |
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かつて遠山口駅があった場所あたりを北側から見る 写真奥のほうに見える暗い場所に、飯田線の旧線の「十方峡トンネル」出口(為栗・飯田方)があります。 写真右側には、飯田線旧線の「遠山川橋梁」に替わって高い位置に設置されている人道橋の吊り橋「要長橋」の入口の斜路(スロープ)が見えています。(現在は通行止め) かつての遠山口駅は、写真の道路(旧国道418号)の数10mほど先の左側(東側)にあったものと推測されます。 |
要長橋 飯田線の旧「遠山川橋梁」に替わって高い位置に設置されている人道橋の吊り橋「要長橋」です。 写真奥方向が北方向で、為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 ちょうど私が立っている場所あたりに、かつての遠山口駅の単式ホームがあったと考えられます。 遠山口駅のものとされる古い写真を見てみると、確実なことはいえませんが、同駅のホームは石積みの石垣の上にあり、ホーム上には木製の屋根付きの待合所があったように見えます。 また、ホームの高さは、同駅北側(為栗・飯田方)につながる砂地の道と同じ高さになっていて、道からそのまま駅のホームへ入れたように見えます。 なお、この吊り橋「要長橋」は、飯田線の旧線が現在線(新線)に運転が切り替えられた1951年(昭和26年)8月1日当時からあるものではないようです。 この吊り橋「要長橋」の平岡方入口付近(主塔の下)には、「平成7年度水力発電施設 周辺地域交付金交付事業 要長橋補修事業 天龍村」と書かれた銘板があるようで、平成7年(1995年)に補修ということで、かつて飯田線が旧線から新線に付け替えられた時に建設された旧「要長橋」は取り壊されて、現在の吊り橋「要長橋」が造られたといわれています。 現在の吊り橋「要長橋」は、人がひとり歩けるぐらいの幅しかないようですが、新線付け替え時にこの場所に造られた旧「要長橋」は自動車が通行可能な橋だったといわれ、そのことが、この「要長橋」の先の為栗方の旧線跡地(旧要津第二トンネルの先)で目撃されていた、放棄された軽トラックの存在を裏付けるものとなります。 また、かつては、この「要長橋」を渡った先に民家(要長集落?)があったらしく、そのことがこの吊り橋「要長橋」や旧「要長橋」を架ける必要性があったことを物語っているのではないでしょうか。 |
旧線の十方峡トンネル出口付近の様子 写真奥方向が南方向で、平岡駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。 現在はガードフェンスが設置されて立入ができないようになっています。 かつてこの旧線の「十方峡トンネル」は、飯田線としては廃線となった後も、国道418号の旧道として一般道路に転用され、旧鉄道トンネルのため道路幅が狭いながらも信号機による交互通行が可能となっていたそうです。 かつての古い旧線当時の写真を見てみると、この十方峡トンネルの出口(為栗・飯田方)から旧線の遠山口駅、遠山川橋梁、要津第一トンネル、要津第二トンネルの出口(為栗・飯田方)までは、線路が一直線で約300m先まで見通せています。 |
吊り橋「要長橋」と現在線の遠山川橋梁 写真奥方向が北方向で為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真左側(西側)に見える吊り橋が「要長橋」、写真右奥側(東側)に見える覆いがかけられた橋梁が現在線の遠山川橋梁(長さ 103m)になります。 ネット上や古い資料などでよく見かける遠山口駅のかつての写真には、線路脇(東側)の石垣の上を砂地で固めた道を歩く人達の姿が写っていますが、ちょうどこの場所あたりを当時の人達が歩いていたのではないのかなと思います。 その写真の道は、幅は狭く約2.5mほどで、直角にも近い山の崖が右手(東側)に迫り、フェンスや柵などのガードは無く、遠山川の側はまるで急峻な崖のように見えていて、当時の人は歩いていて結構スリル満点だったのではないか、と勝手に想像していますが、反面、晴れた日の景色は見事で美しかったのではないかと思います。 こうして過去に起こっていたことを振り返ってみると、確かにあの時はこうだった、といわれても、痕跡が残っていない限り、それは現在の私達が直接目にすることはもはや不可能で、想像の域を出ることはありませんが、おそらく確かにいえることは、当時の写真は白黒写真が多いですが、あの当時も、きっとこの日のように青空と樹々の緑色が綺麗な風景がこの場所に広がっていたことと思います。 |
吊り橋「要長橋」の平岡方付近の様子 写真に見える道路(旧国道418号)の奥方向(南方向)の突き当たりの暗く見える場所に、飯田線の旧線の「十方峡トンネル」の出口(為栗・飯田方)があります。 写真右側には、平岡ダム建設により天竜川および遠山川の水位が上昇しても水没しないように、橋台部分が旧線の路盤跡よりも高く設置された吊り橋「要長橋」の平岡方(南側)部分が見えています。 吊り橋「要長橋」は、現在、通行止めとなっていますが、天龍村役場建設課により平成30年(2018年)4月に作成された資料「天龍村 長寿命化修繕計画」によると、要長橋は「封鎖検討」と書かれていましたので、おそらくこのまま放棄されるか、解体される可能性が高いと思われます。 天龍村役場も行政の立場として、村内の橋梁維持管理の予算確保が必要となりますので、吊り橋「要長橋」を渡った先に民家が無い、農林地が無い、観光資源になり得ないなど、必要性が無くなってしまえば、廃止・解体もやむを得ない現状かと思われます。 |
吊り橋「要長橋」と現在線の遠山川橋梁 写真に写っているエメラルドグリーンのように綺麗な河川が遠山川で、写真奥方向が北方向で為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真左側(西側)に見える吊り橋「要長橋」のところに、かつて飯田線の旧線の遠山川橋梁がありました。 旧線の遠山川橋梁は、現在の吊り橋が架かっている高さよりも低い場所に架かっていたはずです。 そして、吊り橋「要長橋」の遠山川を渡った先の為栗駅方面(天竜峡・飯田方面)には、飯田線旧線の要津第一トンネル(隧道)、要津第二トンネル(隧道)が今も残っています。 残念ながら、現在は吊り橋「要長橋」が通行止めとなっているため、この先の為栗駅方面にある旧線の要津第一トンネルと要津第二トンネルの姿を見ることはできませんでした。 写真右側(東側)に見える覆いがかけられた橋梁が現在線の遠山川橋梁(長さ 103m)になります。 現在線の遠山川橋梁は、この時、補修工事中だったようで、覆いがかけられていて本来のトラス橋の姿を見ることができませんでした。 |
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