飯田線(JR東海) 各駅探訪~鼎駅(鼎-切石) 
鉄道関連趣味の部屋

 このページでは特に飯田線の鼎駅(鼎-切石)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
鼎駅は、「願いをかなえる」という語呂から、縁起の良い駅として親しまれてきた歴史があるそうです。


鉄道関連趣味の部屋♪『鉄道関連趣味の部屋』TOPへ♪  鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海)『飯田線』TOPへ♪  HOMEへ

下山村駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 切石駅


飯田線(JR東海) 鼎駅 かなえ Iida Line
鼎駅 【豊橋起点:125.7km】  2023.09.17現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。

 長野県飯田市鼎中平にある飯田線の鼎駅(かなええき/標高 450m)です。

 上の写真は、鼎駅の駅舎の様子を北側から撮影したもので、写真左方向が東方向で下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)、右方向が西方向で切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 鼎駅(かなええき)は、駅名が「かなえ」となっていて、「願いをかなえる」という語呂から縁起が良い駅として人気があったようで、入場券はお守りとして「合格」、「夢」などのスタンプが押されて、2013年(平成25年)4月1日の無人駅化まで当駅窓口で販売されていたそうです。

 そのほか、かつては、鼎駅構内に伊那谷駅弁株式会社が経営する立ち食いそば屋(信州そば?)があったそうですが、現在は撤去されていてありません。

 鼎駅の駅舎は飯田線の駅の中では大きく立派で、かつてはJR全線きっぷうりばがあったり、立ち食いそば屋があったほどですので、最盛期には多くの方が当駅を利用し、今以上のにぎわいと活気を見せていたものと思います。

 また、詳細は後述しますが、かつての鼎駅は相対式ホーム2面2線の駅で、構内の下山村方には「上り突込線」があって、上り列車と下り列車の列車交換時に使用されていたそうです。


 鼎駅は、1926年(大正15年)12月17日に伊那電気鉄道が飯田駅から伊那八幡駅まで延伸した時に開設されたのが始まりで、その後、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化されて鉄道省の駅となっています。

 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1971年(昭和46年)12月1日に貨物の取扱廃止、1978年(昭和53年)10月に旧下りホーム(南側ホーム)が使用停止、1984年(昭和59年)2月24日に業務委託駅化、1985年(昭和60年)3月14日に荷物扱い廃止などの経緯を経て、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。

 そして、2013年(平成25年)4月1日に窓口が廃止されて、現在のような無人駅となっています。




鼎駅の駅前(北側)から西方向の駅前通りの様子を見る

 薬局や歯科医院などが見え、また、タクシーも見えていて、駅前らしい風景となっています。

 旧型国電が飯田線を走っていた時代の映像を見ましたが、その当時の鼎駅前には、やはりタクシーが何台か停まっていて、駅を利用する人々でにぎわいを見せていました。


鼎駅の駅舎と駅前の様子を西側から見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 少しわかりにくいですが、写真奥のほうには、屋根付きの自転車置場(駐輪場)と駅舎の東側にあるトイレが見えています。

 また、写真奥方向(東方向)の遠方には、南アルプス(伊那山地、赤石山脈)の山々が連なっているのが見えています。

 ふだんは南アルプスの山々を見ることができない私にとっては、とても感銘を受ける風景であり、このような一種の感動を味わえることが、見知らぬ土地を旅する醍醐味であったりもします。


鼎駅の駅舎と駅前の様子を北側から見る

 写真左方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 写真左端側のほうには、駅舎の東側に設置されているトイレと、NTTの公衆電話ボックスが見えています。


鼎駅の駅舎と駅前の様子を北東側から見る

 鼎駅の北側駅前を東西に通る道路は、東側(写真左側)が低い坂道となっていることがわかります。


鼎駅の駅前北側を通る道路から東方向を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 上の写真の中央奥あたりには、鼎駅の駅舎の東側に設置されている屋根付きの自転車置場(駐輪場)とトイレが見えています。

 写真左側には自販機が見えています。

 また、写真奥方向(東方向)の遠方には、山々が連なる姿が美しい南アルプス(伊那山地、赤石山脈)が見えています。

 南アルプスなどの名山は、テレビでもよく登山するドキュメント映像や美しい雄大な風景が紹介されていて、おそらく南アルプスは多くの登山家の方々を惹きつけてやまない山なのでしょうけれども、南アルプスは登山家の方達にとっても難易度が高い上級者向けの山となっているそうです。


鼎駅の様子を北東側から見る

 写真中央あたりには、鼎駅の北東側にある駅出入口の階段が見えています。

 写真左側には、鼎駅の東側にあるトイレの建物が見えています。


鼎駅の北東側出入口になっている階段

 鼎駅の北側駅前を東西に通る道路は、東側が低い坂道となっているため、鼎駅北東側の出入口は、上の写真のように階段となっています。

 左上の写真の写真奥方向が南方向で天竜峡・豊橋方面になっていて、豊橋駅はここから南南西方向へ直線距離で約92kmとなっています。


鼎駅の駅舎

 飯田線の駅の中では、大きく立派な駅舎となっています。

 駅出入口横には、飲料水の自動販売機が設置されています。

 かつては、鼎駅構内東側(駅舎の隣?)に伊那谷駅弁株式会社が経営する立ち食いそば屋(信州そば?)があったそうですが、現在は撤去されて無くなっています。

 2018年度の鼎駅の1日乗車平均人数は約640人と、このあたりの飯田線の駅の中では非常に多くの方が利用されていることがわかります。

 実際、私がこの日に鼎駅を訪れた時も、老若男女を問わず、約15人くらいの方が駅舎内の待合室やホーム上で列車の到着を待っている姿が見られました。

 現在の鼎駅は、当駅の南南西約700mあたり(直線距離)のところにある長野県下伊那農業高等学校と、当駅の南東約650mあたり(直線距離)のところにある長野県飯田OIDE長姫高等学校の生徒の利用が多くなっているようです。


駅舎内部の様子

 駅舎内部の様子を、駅舎出入口付近から撮影したものです。

 写真左奥がかつての改札口で、奥のほうへ行くとホームへ出ることができます。

 写真右側に見えるかつての窓口・きっぷ売場は、現在は閉鎖されています。

 鼎駅は、2013年(平成25年)4月1日に窓口が廃止されて、現在のような無人駅となっています。

 壁面には、時刻表と普通運賃表が掲示されています。


ホーム側の駅舎の様子

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。


駅舎のホーム側出入口の様子

 駅舎のホーム側出入口の頭上には、「鼎駅 かなええき」と手書きで書かれたと思われる駅名板が掲出されています。

 また、出入口脇には、飯田線の駅でよく見られる切符回収箱が設置されています。

 写真左側に見えるドアは、駅員が駅舎内の窓口執務室とホームを行き来する際に利用したものと思われます。


駅舎のホーム側出入口付近から西方向の切石駅方面を見る

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 ホーム上にもベンチ(長椅子)が設置されています。

 写真左端側には、雑草類に覆われていてわかりにくいですが、かつて使用されていた下り列車用ホームの遺構が見えています。

 下りホームは、1978年(昭和53年)10月に使用停止となっているようです。

 現在は、下り線にあった線路は撤去されています。

 鼎駅で撮影された古い写真を見てみると、写真左側に見える白っぽいボックス形の建築物が見えるあたりに、かつては下りホームと駅舎側の上りホームを行き来できる構内踏切がありました。


駅舎のホーム側出入口付近から東方向の下山村駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 写真右端側には、もはや雑草類に覆われつつある、かつて使用されていた下りホームの遺構が見えています。

 かつての鼎駅は、上り列車と下り列車の交換が可能な相対式ホーム2面2線の駅でした。


ホーム上の駅名標がある場所あたりから東方向の下山村駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 写真奥遠方のほうには、連なる山々が美しい南アルプス(伊那山地、赤石山脈)が見えています。

 写真左側のほうには、NTTの公衆電話ボックスとトイレの建物が見えています。

 写真右端側には、雑草類に覆われてその姿が見えにくくなっていますが、かつて使用されていた下りホームの遺構があります。


ホーム上の駅名標がある場所あたりから西方向の切石駅方面を見る

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 かつては、鼎駅構内東側(駅舎の隣?)に伊那谷駅弁株式会社が経営する立ち食いそば屋(信州そば?)があったそうですが、現在は撤去されて無くなっています。


ホーム上の鼎駅の駅名標

 鼎駅(かなええき)という駅名は、当駅の所在地である長野県飯田市鼎という地名に由来していると思われます。

 この地は、1875年(明治8年)1月23日に、筑摩県伊那郡の山村(やまむら)、名古熊村(なごくま)、一色村(いっしき)の3村が合併して鼎村となったそうです。

 鼎(かなえ)という村名は、3村の合併を古来中国に伝わる3脚の器である「鼎(かなえ)」にちなんで名付けられたそうです。

 鼎村はその後、1954年(昭和29年)4月1日に鼎町となり、1984年(昭和59年)12月1日に飯田市に編入されて鼎町は廃止となって、飯田市の一部の地名として残って現在に至っています。

 なお、写真奥のほうに見える小さな建物はトイレになります。


ホーム上にあるトイレ
(←写真左)

 鼎駅のホーム東側にはトイレが設置されています。

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。
ホーム東端側から東方向の下山村駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 この先1.0km(キロ程)あたりのところに下山村駅があります。

 鼎駅の下山村方(構内東側)には、単線の本線から北側に分岐する側線があって、側線の終端部には保線車両のものと思われる車庫(倉庫)が設置されています。


 ネット上で調べてみると、かつての鼎駅の下山村方には「上り突込線」があったそうです。

 かつての上り突込線が、写真に見える側線にそのまま転用されているのかどうかはわかりませんが、かつての鼎駅では、長編成の上り列車(貨物列車含む)と下り列車が交換する際に、先に到着した長編成の上り列車が「上り突込線」まで進んで入線して停車して、下り列車が当駅に到着、出発してから、上り列車は分岐器の手前まで後退(バック/退行)して、再び下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)へと出発していった、という過去の体験・目撃談を見かけました。

 写真が残っていれば一番良いのですが、現時点では、わたしは飯田線の旧型国電が鼎駅の下りホームに停車している写真しか見たことがありません。

 ですので、それらの体験・目撃談を語っていらっしゃる方によると、鼎駅はかつては一種のスイッチバック駅だった、ともいわれています。

 飯田線の各駅は、もともと私鉄の豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道で、ホームおよび駅構内の線路有効長は長編成の列車を想定して長くは設計されておらず、国有化、国鉄時代になってから長い貨物列車や車長の長い旧型国電の長編成列車が運転されるようになると、駅構内の線路有効長が足りず、そこで列車交換を可能とするために「突込線」なるものを設け、長い貨物列車や旅客列車が駅で交換する際に、突込線まで入線して列車交換をしていたのだそうです。

 鼎駅のかつての配線図を見てみると、線路有効長は59mで、ホームの長さは上下とも80mとなっていたようです。


 また、写真右側には、現在は使用されなくなった、かつての下りホームが見えています。

 かつての下りホームは、上の写真を見てわかりますとおり、かなり下山村方まで伸びていて長かったようです。

 かつての鼎駅の配線図を見てみると、上りホームも下りホームも80mあったようですので、ひょっとしたら、かつては現在のホーム(旧上りホーム)も、ホーム東端が下山村方にもっと伸びていたのかもしれません。


ホーム東端側から西方向の切石駅方面(飯田・辰野方面)を見る

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 写真左側(南側)には、雑草類に覆われてその姿が見えにくくなっていますが、かつて使用されていた下りホームの遺構があります。

 また、写真右側に見える小屋のような建物は、ホーム上にあるトイレになります。

 なお、写真右下のほうには、ホーム東端側で集っていた若者たちの手が写っていますが、私が鼎駅を訪れた時は、それぐらい列車を待つ人でにぎわっていました。


駅舎西側のホーム上から西方向の切石駅方面(飯田・辰野方面)を見る

 鼎駅の古い配線図や写真を見てみると、鼎駅の駅舎の西側には、かつては現在ほどホームは伸びていなくて、写真に見える単線の本線の右側(北側)に側線とホームらしきものがあった可能性があります。

 古い航空写真を見てみると、上の写真の右奥側に見える民家なども無かったように見え、開けた土地だったようにも見えますが、いかんせん古い航空写真は鮮明ではありませんので、詳細は不明です。

 もし、こちら側の鼎駅構内西側(切石・飯田方)の北側に分岐する側線とホームらしきものがかつてはあったとすると、かつては鼎駅で貨物の取り扱いが行われていたようなので、写真右側のあたりで、かつては電気機関車(ED18形やED19形など)や貨車が入線して、貨物の積み降ろしや電気機関車と貨車の連結・解結などが行われていた可能性もあります。

 また、もしそのような側線などがあったとしても、本当に単なる側線だったかもしれません。

 鼎駅は、1971年(昭和46年)12月1日に貨物の取扱廃止となっているようです。


ホーム上の駅舎西側から、かつての下りホーム(南側ホーム)を見る

 かつての鼎駅は相対式ホーム2面2線の駅で、列車交換が可能な駅となっていました。

 かつての下りホームは、1978年(昭和53年)10月に使用停止となり、その後に線路も撤去されています。

 私が鼎駅を訪れたのが9月中旬ということもあってか、雑草類が元気で、旧下りホームを覆い尽くさんばかりとなっていました。

 旧下りホーム上には、かつては屋根付きの待合所と思われる構造物があったようです。

 そして、鼎駅を撮影した古い写真を見てみると、ちょうど上の写真で私が立っている場所あたりに、上りホーム(現在のホーム)と旧下りホームを行き来できる構内踏切がありました。

 上りホームと旧下りホームともに、かつては構内踏切との接続部はスロープ形状(斜路)となっていました。

 また、鼎駅を撮影した古い写真を見てみると、私が立っている場所あたりに、かつては分岐器があったようにも見えるのですが、果たしてどうでしょうか。

 そのほか、写真右奥のほうの旧下りホーム南側あたりに緑が濃い目立つ樹木が見え、その樹木の手前に朽ち果てかけた縦長の構造物が見えていますが、これは、かつては立派な広告看板として使われていたものです。


ホーム西端側の様子

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。


ホーム西端寄りから東方向の下山村駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 駅舎を西側から見た様子がよくわかるかと思います。


ホーム西端側から東方向の下山村駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)になります。

 写真奥のほうの現在のホーム脇のミラーが設置されている場所あたりに、かつては上りホーム(現在のホーム)と旧下りホームを行き来できる構内踏切がありました。

 かつての鼎駅の上りホーム(現在のホーム)は、駅舎の西側あたりにあった構内踏切までの長さで、上の写真の私が立っている場所にはホームは無かったと思われます。

 そして、かつて構内踏切があった場所の北西側あたりには、かつては側線とはホームらしきものがあった可能性があります。


ホーム西端側の様子

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。


ホーム西端側から西方向の切石駅方面を見る

 写真奥方向が西方向で、切石駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 写真に見える踏切は「鼎(かなえ)踏切」で、この先2.0km(キロ程)あたりのところに切石駅(きりいしえき)があります。

 写真奥のほうで、線路は北方向へと曲がっています。



 以上、鼎駅の様子についてご紹介いたしました☆

 次の駅は「切石駅」(きりいしえき)になります♪


 続きはぜひ切石駅のページをご覧ください♪





切石駅方面から鼎駅に接近する373系 特急「伊那路」

 切石駅方面(飯田方面)から鼎駅に接近中(通過)の、373系(F2編成・3両編成)特急「伊那路」(飯田 15:58発→豊橋 18:31着)です。

 鼎駅のホーム西端側(切石・飯田方)にて撮影。

 この特急「伊那路」は、これから約2時間30分かけて、終点の豊橋駅まで向かうことになります。

 下の写真は、373系 特急「伊那路」が鼎駅を通過して下山村駅方面(天竜峡・豊橋方面)へ行く様子を後追い撮影したものです。





下山村駅 鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海) 各駅探訪『飯田線 各駅探訪』TOPへ♪ 切石駅


鉄道関連趣味の部屋♪『鉄道関連趣味の部屋』TOPへ♪  鉄道関連趣味の部屋♪~飯田線(JR東海)『飯田線』TOPへ♪  HOMEへ