飯田線(JR東海) 各駅探訪~天竜峡駅(天竜峡-川路) 
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 このページでは特に飯田線の天竜峡駅(天竜峡-川路)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
天竜峡駅は、かつては伊那電気鉄道と三信鉄道の境界駅で、現在も飯田線の主要駅となっていて、
また、峡谷の観光地「名勝 天龍峡」の最寄り駅でもあり、特急「伊那路」の停車駅となっています。


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飯田線(JR東海) 天竜峡駅 てんりゅうきょう Iida Line
天竜峡駅 【豊橋起点:116.2km】  2023.09.17現在 ~☆なお、以下に掲載する写真は特筆が無い限り同じ日に撮影した写真になります。

 長野県飯田市川路天竜峡にある飯田線の天竜峡駅(てんりゅうきょうえき)です。

 上の写真は、天竜峡駅の様子を、同駅の南側(千代・豊橋方)にある「天竜峡踏切」から撮影したもので、写真奥方向が北方向で、川路駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 天竜峡駅は、かつての伊那電気鉄道の起点駅で、三信鉄道との境界駅でもあり、また、現在は飯田線の主要駅として活躍し、観光地「名勝 天龍峡」の最寄り駅ともなっています。

 ここ天竜峡駅から先の辰野駅までの飯田線は、これまでの大嵐駅~千代駅間がそうであったように、距離が離れることはあるものの、基本的に天竜川に沿うように線路が通じていますが、大嵐駅~千代駅間のように山が駅の周囲を囲み、地形も自然環境も厳しいということはなく、天竜峡駅から辰野駅まで天竜川に沿って南北に広がる伊那盆地(伊那谷/いなだに)の地を走行していくことになります。


 天竜峡駅は、1927年(昭和2年)12月26日に、伊那電気鉄道が駄科駅(だしなえき)から延伸した際の終着駅として開業され、1932年(昭和7年)10月30日に三信鉄道が門島駅まで開業して、当駅まで乗り入れることになりました。

 その後、戦時中の1943年(昭和18年)8月1日に伊那電気鉄道と三信鉄道が飯田線の一部として国有化されて鉄道省の駅となりました。

 戦後は、1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、1971年(昭和46年)12月1日に貨物の取扱を廃止、1985年(昭和60年)3月14日に荷物の取扱を廃止するなどの経緯を経て、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、現在のJR東海(東海旅客鉄道)の飯田線の駅となっています。

 天竜峡駅は、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅で、そのほか、駅構内に側線と留置線があります。

 また、天竜峡駅には駅舎があって、駅員配置駅となっています。




天竜峡駅を南側から見る

 写真奥方向が北方向で、川路駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 天竜峡駅は、もともとは、1927年(昭和2年)12月26日に伊那電気鉄道が駄科駅(だしなえき)から延伸した際の終着駅として開業された駅でした。

 そこに、当時の人たちにとっても地形が厳しく、鉄道敷設はとてつもない難工事になるとわかっていながら、天竜峡駅から、当時、鳳来寺鉄道が開業していた三河川合駅までの約67kmの鉄道路線を建設して、辰野駅から豊橋駅(当時は吉田駅)までを鉄道で直通させよう、という熱い夢が持ち上がることとなりました。

 もちろん、単に辰野~豊橋間を1本の鉄道路線でつなげよう、ということだけが目的ではなく、当時の天竜川にダムを造り、水力発電を行おう、という電源開発の意図があったことも大きな原動力となっていました。

 いずれにせよ、結果として、辰野~駒ケ根~飯田~天竜峡~平岡~大嵐~中部天竜~三河川合~新城~豊川~豊橋の約192km(当時)は1本の鉄道路線でつながることとなり、現在の飯田線の基礎となったわけですから、当時の人たちによる偉業は、これからも語り継がれることと思います。


天竜峡駅の駅舎

 現在の駅舎は、1990年(平成2年)4月に、天竜峡温泉発掘を契機に改築されたものなのだそうです。

 「改築」のためか、天竜峡駅の駅舎を撮影した古い写真を見てみると、駅舎のデザインは古い駅舎のものを基本的には踏襲したものとなっているようです。

 また、過去の写真を見てみると、駅舎の南側(写真手前側)のホーム寄りには、自動販売機が設置された売店があったようです。

 その売店は、改札外からも改札内からも利用できた、という記述をネット上では見かけました。


千代駅方面から天竜峡駅(1番線)に到着した313系「普通 岡谷」行

 この313系3000番台(R105編成・2両編成)「普通 岡谷」行は、ここ天竜峡駅にて乗務員さんの交替が行われていたようです。

 この「普通 岡谷」行は、豊橋駅を10時42分始発となっていて、豊橋駅からここ天竜峡駅まで約3時間30分かけて到着したことになります。

 この電車は、終点の岡谷駅に17時33分着となっていますので、さらに3時間16分かけて岡谷駅まで向かうことになります。

 ですので、この「普通 岡谷」行は、豊橋駅から岡谷駅まで、トータルで約7時間(6時間51分)の長旅列車となっています。


天竜峡駅前にある食堂やお土産屋さん

 天竜峡駅の東側には、観光地の天龍峡がありますので、駅前には食堂やお土産屋さんがありました。

 天竜峡駅のすぐ南側には、長野県道492号天竜峡停車場下平線が東西に通っていて、天竜峡駅前から県道492号を東方向へ約100mほど行くと、天龍峡(天竜川)に架かる「姑射橋」(こやきょう)があります。


天竜峡駅の様子を南東側から見る ↑↓上と下の写真

 写真奥方向が北方向で、川路駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 天竜峡駅は、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅で、そのほか、駅構内に側線と留置線があります。

 駅舎側(西側)にある単式ホーム(1番線)と、天龍峡側(東側)にある島式ホーム(2・3番線)は、当駅構内の南側(千代・豊橋方)にある構内踏切で行き来ができます。

 飯田線の普通列車は、ここ天竜峡駅止まりの列車が設定されていて、当駅が飯田線の駅の中でも主要な駅となっていることを示しています。





天竜峡駅周辺の様子
天龍峡百年再生館・天龍峡観光案内所

 天龍峡を百年前の姿に回帰しようという「天龍峡百年再生プロジェクト」が、三遠南信自動車道の部分開通および天龍峡インターチェンジの供用が開始された2008年(平成20年)3月に始動し、この「天龍峡百年再生館」は、改装されて新たに開館されたようです。

 「天龍峡百年再生館」では、天龍峡の百年前の姿を、往時の古写真や古地図によって再現しているそうです。

 また、「天龍峡百年再生プロジェクト」では、新字体である「竜」の字を、当地の碑文や名勝指定で使用されている旧字体の「龍」表記に戻す運動も進められているそうですので、ここから以下の説明文では、「天竜峡」を「天龍峡」と極力書くようにしています。


天龍峡百年再生館1階にある「ご縁結びの泉」、「天龍峡極彩色絵図」、「てん吉くん」のパネルなど

 写真奥に見える大きな岩には「名勝 天竜峡温泉」と書かれ、蛇口のようなものも付いていて、「ご縁結びの泉」となっているようです。

 写真右奥のほうに「天龍峡極彩色絵図」が掲示されています。

 また、写真右側には「ようこそ 名勝 天龍峡」と書かれ、可愛らしい龍の天龍峡のアイドル「てん吉くん」(天吉くん)が描かれたパネルが見えています。


天龍峡観光案内所前に設置されていた観光案内板

 この観光案内図には、天竜川の左岸に「龍東道」(りゅうとうどう)と書かれた遊歩道もあります。

 この「龍東道」は、天龍峡にある下村広場から今村公園下までを結ぶ約820mの遊歩道で、飯田市が天龍峡大橋の開通を受けて整備を進めていたそうで、2020年7月6日に開通記念式典が行われ、これにより既存の遊歩道や「そらさんぽ天龍峡」とつながり、天龍峡を歩いて一周できるようになったようです。

 「そらさんぽ天龍峡」(入場無料)は、天竜川に架かる三遠南信自動車道の「天龍峡大橋」の車道の下に設けられた歩道で、眼下に天竜川や天竜ライン下りの舟、飯田線が見えて、絶景が見られるようです。

 飯田市の公式サイトを見てみると、この観光案内板に書かれた「龍東道」とは、「川岸沿いの古道を利用した遊歩道」と書かれていました。

 その「古道」こそが、私がここまで為栗駅から千代駅までの各駅ご紹介ページでふれてきた、かつて天竜川左岸を通って平岡~為栗~我科~温田~田本~門島~唐笠~金野~千代~天竜峡を結んでいた、人と馬が通れる程度の街道「竜東線」(長野県道満島飯田線。龍東線や平岡線とも記述される)のことだと思われます。

 ただし、下村広場のほうへ下りて行く九十九折りの急な階段部分は、かつての竜東線の本線ではないと思われます。(以上は要検証)

 天龍峡周辺は、多くのみどころがあるようですので、いつかは今回の「飯田線の各駅を巡る旅」ではなくて、ゆっくりと天龍峡を訪れてみたいですね。


天竜峡駅南東側の天龍峡入口付近の様子

 観光地であることを思わせる売店などが建ち並んでいます。

 写真左奥のほうに行くと、天龍峡(天竜川)に架かる「姑射橋」(こやきょう)があります。


道路橋の姑射橋(こやきょう)と人道橋の姑射橋(こやはし)を西側から見る

 写真奥左側に見える橋が、天龍峡(天竜川)に架かる道路橋の「姑射橋」(こやきょう)になります。

 橋の親柱の銘板に「姑射橋」と刻印されているのを見て、「何て読むのだろう?」と思っていましたが、私では絶対読めない「こやきょう」が正解でした。

 現在の姑射橋は4代目なのだそうで、1877年(明治10年)に龍江村戸長の澤柳善十郎氏らの尽力によって初めてこの場所に橋が架けられ、同氏の居住地名から「大田橋」と名付けられたそうです。

 その後、明治の書聖と呼ばれた書道家の日下部鳴鶴(くさかべ めいかく)によって「姑射橋」(こやきょう)と命名されたのだそうです。

 現在の橋は、1971年(昭和46年)に竣工した鋼ランガー桁の橋で、信濃の橋百選に選定されていて、写真右側(南側)に見える観光用歩道橋の「姑射橋」(こやはし)が添えられています。

 観光用歩道橋の「姑射橋」(こやはし)は、1987年(昭和62年)1月に竣工したカンチレバー橋(単径間ラーメン橋、有ヒンジラーメン橋)となっているそうです。


姑射橋の西側にある売店など

 天龍峡は、1989年に天竜峡温泉が湧出した時には、訪れる観光客が年間60万人にも達したそうです。


ポットホール(甌穴)の案内板

 姑射橋の西側にポットホール(甌穴/おうけつ)に関する案内板が設置されていました。

 ポットホールとは、川床の岩石のくぼみや隙間に入り込んだ石や砂礫などが、激しい川の流れによって回転したりして、くぼみや隙間を削り、その結果できた円形の穴のことをいいます。

 天龍峡一帯には大小のポットホールが多く見られ、現在の天龍峡が、長い年月の間に起きた隆起現象や激流の浸食により形成されたことを物語っているそうです。


姑射橋の親柱にある龍のブロンズ像

 観光用歩道橋の「姑射橋」(こやはし)の親柱(おやばしら)にあった、龍のブロンズ像です。

 親柱(おやばしら)とは、橋の両端に設置される大きな柱で、橋の名前、橋が架けられている河川の名称、竣工年月が記されているものです。

 天龍峡温泉観光協会さんの公式サイトによると、この姑射橋の龍のブロンズ像は結構人気があるそうです。

 このようなちょっとした目を惹く小物も、観光地に来た気持ちを高揚させ、カメラを向けて写真を撮りたくもなり、また、旅の思い出にもなると思います。


「天竜ライン下りのりば」と書かれた建物

 姑射橋の上流側(北側)の東側には、「天竜ライン下り」の出発港(乗船場)となっている天龍峡温泉港があり、姑射橋の北東には、写真奥のほうに見える「乗船券発売所」があります。

 現在の「天竜ライン下り」は、ここ天龍峡温泉港から唐笠港(飯田線の唐笠駅近く)までの運行となっていて、約50分の舟下りで峡谷の風景を体感できるそうです。

 ただし、「天竜ライン下り」は、その名のとおり「舟下り」であって、唐笠港が終着港となっていて、舟で再びここまで戻ってくるわけではないので注意が必要です。

 天龍峡まで戻りたい場合は、飯田線の電車を使用するか、天竜ライン下りの運航会社の用意するシャトルバス(無料)で戻ってくることになります。

 ここ天龍峡を下る観光舟の歴史は、明治時代の時又港から浜松市まで行っていたという定期客船から始まり、大正時代に天龍峡の遊覧を目的とする舟下りが定着したのだそうです。


姑射橋から天竜峡駅方面を見る

 写真奥のほうに天竜峡駅が見えています。

 写真左方向が南方向で千代駅方面(平岡・豊橋方面)、右方向が北方向で川路駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 将来的には、飯田線の飯田駅の北方の伊那上郷駅~元善光寺駅間にリニア中央新幹線の駅ができる予定です。

 その時には、名古屋方面からと東京都心方面からのアクセス向上により、観光地「天龍峡」の最寄り駅となっている、ここ天竜峡駅の利用者数は増加するかもしれませんし、また、ぜひ、そうあって欲しいものです。


姑射橋から天龍峡の上流側(北方向)を見る

 写真奥方向が北方向で、川路駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 写真中央あたりの天竜川左岸(東側/写真右側)には、「天竜ライン下り」の出発港(乗船場)となっている天龍峡温泉港が見えています。

 写真手前側には、まだ、天龍峡の峡谷を象徴する岩肌が見えていますが、そのような峡谷の風景もここで終わりで、ここから北方向の写真奥のほうの天竜川の風景は、河原に砂利と草木が見られる落ち着いた雰囲気の川へと姿を変えるようです。

 なお、小さくてわかりにくいですが、写真左上の樹々の合間には、飯田線の架線柱(天竜峡~川路)が見えています。


姑射橋から下流側(南方向)に見える天龍峡

 写真奥方向が南方向で、千代駅方面(平岡・豊橋方面)になります。

 姑射橋から南方向に見える天竜川の風景は、かつて「暴れ天竜」と言われた天竜川の流れが浸食した花崗岩の岩肌が見られ、とても印象的な峡谷となっている天龍峡の姿を見ることができます。

 天龍峡という名は、江戸時代の儒学者だった阪谷朗廬(さかたに ろうろ)によって弘化4年(1847年)4月に命名されたのだそうです。

 現在の天龍峡は、1934年(昭和9年)に国の名勝に指定され、また、1969年(昭和44年)1月10日に指定された天竜奥三河国定公園の一部となっています。

 天龍峡にある特徴的な形をした10ヵ所の奇岩や淵には、明治時代の書道家の日下部鳴鶴(くさかべ めいかく)によってそれぞれ名称が付けられて「天龍峡十勝」(じっしょう)とされ、それぞれに鳴鶴自筆の書の写しを元にした銘が彫られているそうです。

 また、天龍峡は、アカマツやモミジなどの新緑や紅葉(11月中旬頃)が美しい風景を見ることができるそうです。


 以上、天竜峡駅とその周辺の様子についてご紹介いたしました☆

 次の駅は「川路駅」(かわじえき)になります♪

 現在は、天竜川の西方約300mあたりの場所に位置する閑静な駅となっている川路駅ですが、過去に背負った過酷な歴史がありました。

 そんな川路駅の過去の歴史とは…

 続きはぜひ川路駅のページをご覧ください♪





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