飯田線(JR東海) 各駅探訪~長篠城駅(長篠城-本長篠) 
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このページでは特に「飯田線」の「長篠城駅(長篠城-本長篠)」周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪

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飯田線(JR東海)長篠城駅 ながしのじょう Iida Line
長篠城駅 長篠城駅 駅舎
長篠城駅

 愛知県新城市長篠字森下にある飯田線の長篠城駅(ながしのじょうえき)になります。

 長篠城駅という駅名は、駅近くにある「長篠の戦い」で有名な「長篠城」にちなんでいます。

 1923年(大正12年)に当時の鳳来寺鉄道(私鉄)によって開業された当初は、駅名は「長篠古城址駅(ながしのこじょうしえき)」という駅名だったそうです。

 上の写真は、長篠城駅の北側から撮影したもので、写真左側が本長篠駅方面(中部天竜方面)、右側が鳥居駅方面(新城・豊橋方面)になります。

 2012.09.16現在

長篠城駅 駅舎

 長篠城駅の駅舎は、お城の櫓(やぐら)を模した外観になっていて、コンパクトでなかなか良い感じです。

 かつては木造駅舎が使用されていたそうですが、1997年(平成9)頃に解体され、現在の新しい駅舎が建てられたようです。

 2012.08.26現在

長篠城駅 駅舎 長篠城駅 駅前駐車場と公衆便所
長篠城駅 駅舎

 長篠城駅の駅舎を東側から撮影したものです。

 2012.09.16現在

長篠城駅 駅前駐車場と公衆便所

 長篠城駅の駅前西側には、駐車場が整備され、公衆便所(写真右奥)も設置されています。

 2012.09.16現在

長篠城駅 長篠城址付近略図
長篠城駅

 長篠城駅の駅前を、西側から東方に向かって撮影したものです。

 駅前東側には、駅付近の古戦場址の案内掲示板が立てられ、自転車の駐輪場が整備されています。

 2012.09.16現在

長篠城駅前の長篠城址付近略図

 長篠城の駅前東側に立てられている長篠城周辺地区の史跡案内図です。

 長篠城駅の周辺地区では、歴史上有名な戦国時代の「長篠の戦い」が繰り広げられたこともあって、史跡が点在してたくさんあります。

 2012.09.16現在

長篠城駅 駐輪場 長篠城駅 駅前風景
長篠城駅 駐輪場

 駅前東側には、自転車置場となる駐輪場が整備されています。

 2012.09.16現在

長篠城駅 駅前風景

 長篠城駅の駅前風景を駅舎の入口辺りから撮影したものです。

 2012.09.16現在

長篠城駅 待合室 長篠城駅
長篠城駅 待合室

 駅舎の中は待合室となっています。

 運賃表、時刻表が掲示され、ベンチが設置されています。

 2012.09.16現在

長篠城駅

 駅舎を通り抜けてホームに出た場所辺りから、駅前のほうを撮影したものです。

 写真左側が鳥居駅方面(新城・豊橋方面)になります。

 長篠城址は写真左側のほうになります。

 2012.09.16現在

長篠城駅 長篠城駅
長篠城駅

 駅舎を通り抜けてホームに出た場所辺りから、鳥居駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 駅の構造は、単式ホーム1面1線となっていて、写真左側には、線路は撤去されているものの、かつて使用されていた旧ホーム跡が残っています。

 2012.08.26現在

長篠城駅

 駅舎を通り抜けてホームに出た場所辺りから、本長篠駅方面(中部天竜方面)を撮影したものです。

 写真右側には旧ホーム跡が残っているのが見えます。

 2012.08.26現在

長篠城駅 長篠城駅
長篠城駅

 ホームの駅名標がある場所辺りから、鳥居駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 長篠城址は写真奥のほうになります。

 2012.09.16現在

長篠城駅

 ホームの駅名標がある場所辺りから、本長篠駅方面(中部天竜方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

長篠城駅 長篠城駅
長篠城駅

 ホームの東端から本長篠駅方面(中部天竜方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

長篠城駅

 ホームの東端から旧ホーム跡を撮影したものです。

 写真右奥側が鳥居駅方面(新城・豊橋方面)になります。

 今では使用されなくなったホームが、将来のいつの日にか再び使われる日がやってくる時はくるのでしょうか。

 2012.09.16現在

長篠城駅 長篠城駅
長篠城駅

 ホームの東端から鳥居駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 2012.09.16現在

長篠城駅

 ホームの中ほどの位置から本長篠駅方面(中部天竜方面)を撮影したものです。

 写真右側の旧ホーム跡には、駅舎の正面辺りに階段らしきものがあるのが見えます。

 かつて、旧ホームが使用されていた時には、この階段を使って駅舎側のホームとの間で、人の行き来が可能だったのかもしれません。

 2012.09.16現在

長篠城駅 長篠城駅
長篠城駅

 ホームの西端から、鳥居駅方面(新城・豊橋方面)を撮影したものです。

 長篠城址は写真奥のほうになります。

 2012.09.16現在

長篠城駅

 ホームの西端から本長篠駅方面(中部天竜方面)を撮影したものです。

 写真右側には旧ホーム跡があります。

 2012.09.16現在




飯田線(JR東海)長篠城~本長篠 Iida Line
飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」
飯田線 373系 特急「(ワイドビュー)伊那路」

 長篠城駅を通過して、鳥居駅方面(新城・豊橋方面)へ行く、373系(3両編成)「特急 伊那路」豊橋行です。

 2012.11.04現在

飯田線 213系
飯田線 213系

 長篠城駅に進入中の、213系(H5編成「5005」・2両編成)「普通 本長篠」行です。

 写真右側が本長篠駅方面(中部天竜・飯田方面)になります。

 2012.11.04現在

飯田線 213系 飯田線 213系
飯田線 213系

 本長篠~長篠城間を本長篠駅方面(中部天竜・飯田方面)へ行く、213系(2両編成)「普通 本長篠」行です。

 写真手前側が本長篠駅方面になります。

 この辺りは田園風景が印象的な場所となっています。

 2012.08.19現在

飯田線 213系

 本長篠~長篠城間を長篠城駅方面(新城・豊橋方面)へ行く、213系(H12編成・2両編成)「普通 豊橋」行です。

 天気は雨模様で、「新居(あらい)踏切」付近にて撮影。

 2012.08.18現在




飯田線(JR東海)長篠城駅周辺 Iida Line
長篠城址・史跡保存館 史跡保存館 入口
長篠城址・史跡保存館

 長篠城駅から西へ徒歩約7分のところに長篠城址があり、現在は「史跡保存館」が建てられています。

 長篠城址には、それなりに広い無料駐車場や公衆便所(史跡保存館1階)もあり、休日になると家族連れの方などが訪れています。

 2012.09.16現在

史跡保存館 入口

 史跡保存館への入口は、建物の階段を上がった2階にあります。

 写真左側の入口前には、少しわかりづらいですが、長篠城攻城戦においてその名を知られる「鳥居強右衛門」が磔にされているオブジェが展示されています。

 2012.09.16現在

長篠城縄張概図 長篠城 本丸跡
長篠城縄張概図

 本丸跡への入口付近には、かつての長篠城の概略図が掲示されています。

 長篠城は、南側は宇連川と豊川(寒狭川)に囲まれ急な崖のようになっていて、南側から攻めるのは難しいと実感できます。

 北側については、堀、柵、土塁があったようですが、南側と比べてほぼ平地で自然の要害とはなっておらず、長篠城攻城戦時に攻め寄せる武田軍約1万5千人に対し、城兵は約500名程度と言われていますので、当時の城兵は果敢に防衛戦を戦い抜いたと想像されます。

 別の見方では、武田軍は長篠城を本気で落とさず、織田信長・徳川家康連合軍をこの地におびき出して決戦する意図があったのではないかともいわれるようです。

 2012.09.16現在

長篠城 本丸跡

 写真左側の土手が「本丸土塁」、右側の広い場所が本丸跡となっています。

 本丸の向こう側(写真奥のほう)に、飯田線が通っています。

 なお、写真左側が長篠城駅方面(本長篠・中部天竜方面)になります。

 2012.09.16現在

長篠城 本丸跡 長篠城 本丸内堀跡
長篠城 本丸跡

 本丸跡の西端側から東側を撮影したものです。

 写真右側の本丸跡の少し下のほうを、飯田線が通っています。

 この場所で、徳川方の奥平貞昌らはわずか約500人の城兵で、織田信長・徳川家康連合軍の援軍が到着するまでの間、長篠城を包囲する武田勝頼軍の約1万5千人の兵を相手に奮戦したことになります。

 鳥居強右衛門の活躍も勝利に大いに貢献したと思われます。

 2012.09.17現在

長篠城 本丸内堀跡

 写真左側の土手が「本丸土塁」で、その下の掘られた部分が内堀になります。

 長篠城址の東側にある飯田線の「古城跡(こじょうし)踏切」から撮影したもので、写真左側が鳥居駅方面(新城・豊橋方面)、右側が長篠城駅方面(本長篠・中部天竜方面)になります。

 2012.11.04現在

飯田線 213系 建設が進む「新東名高速道路」
飯田線 213系

 長篠城址には飯田線が通っています。

 上の写真は、長篠城址の本丸土塁の横を通って鳥居~長篠城間を長篠城駅方面(本長篠・中部天竜駅方面)へ行く、213系(H1編成「5001」・2両編成)「普通 上諏訪」行です。

 写真左側が長篠城の「野牛郭(やぎゅうかく)跡」、右側が「本丸跡」側になります。


 長篠城址の東側にある「古城跡(こじょうし)踏切」にて撮影したものですが、この踏切は警報音は鳴らず、遮断機もありませんので、横断は十分注意が必要です。

 2012.11.04現在

建設が進む「新東名高速道路」と豊川に架かる牛渕橋

 長篠城址の「野牛郭(やぎゅうかく)」の野牛門があったとされる場所の近くから、建設が進む「新東名高速道路」を撮影したものです。

 写真下のほうには豊川(とよがわ※別名「寒狭川」)の水面が見えます。

 なお、写真奥に見える橋は、昭和5年(1930年)1月に竣工した愛知県道439号の「牛渕橋」で、「スパンドレルブレースドアーチ2連」という構造となっているようです。

 工費は当時の金額で¥67,073円だったようです。

 2012.10.21現在

鳶ヶ巣山 武田軍陣地跡 長篠之役 鳶ヶ巣陣 戦没将士之墓 鳶ヶ巣山 天正の杉
鳶ヶ巣山 武田軍陣地跡 長篠之役 鳶ヶ巣陣 戦没将士之墓

 長篠城を包囲した武田軍は、長篠城の東側を流れる宇連川と豊川を渡った場所にある鳶ヶ巣山(とびがすやま)一帯の山中に5箇所の砦を設け、約千人程度の守備兵を配置します。

 天正3年(1575年)5月21日、織田信長・徳川家康連合軍の酒井忠次は約3千~4千の兵で、この鳶ヶ巣山一帯の武田軍の砦を後方(南側)から襲撃し、この鳶ヶ巣山一帯に陣地を置いていた武田軍の河窪信実(勝頼の叔父)をはじめ、三枝守友、五味貞成、和田業繁、名和宗安、飯尾助友など名のある武将らを討ち取り、砦を全て落とすことに成功します。

 これが「鳶ヶ巣山攻防戦」とよばれています。

 写真はこの戦いで戦死した武士達を弔って建てられたと思われる「長篠之役 鳶ヶ巣陣 戦没将士之墓」になります。

 2012.11.04現在

鳶ヶ巣山 天正の杉

 鳶ヶ巣山の山中にある「長篠之役 鳶ヶ巣陣 戦没将士之墓」のすぐそばにある「天正の杉」です。

 この枯れ木は、明治7年(1874年)の台風によって倒れた杉の木の残骸で、倒れた後もしばらくは生きていたそうですが、昭和12年(1937年)頃に枯死してしまったそうです。

 樹齢は不明であるものの300年以上は経っているとされ、「長篠の戦い」当時には生きていたものと考えられているところから「天正の杉」と呼ばれているそうです。

 2012.11.04現在

鳶ヶ巣山から眺める長篠城址一帯と飯田線
鳶ヶ巣山から眺める長篠城址一帯と飯田線

 「長篠の戦い」において、武田軍が陣地を置いた「鳶ヶ巣山」から北西側を眺めた景色を撮影したものです。

 写真中央奥には、豊川の鉄橋を渡って長篠城駅方面(写真右側。本長篠・中部天竜方面)へ行く飯田線313系「普通 天竜峡」行が小さく見えます。

 その右側一帯辺りが長篠城址になります。

 写真左側のほうには、建設が進む「新東名高速道路」が見えます。

 写真中央奥の山のふもと辺りが、織田信長・徳川家康連合軍が鉄砲隊の活躍により、武田勝頼軍を打ち破った決戦が行われた「設楽原」一帯になります。

 2012.11.04現在






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