小和田駅西方にある小和田池之神社の謎 いつから今の場所にあるのか 
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 このページでは、現在では飯田線の秘境駅として知られる小和田駅の西方にある小和田池之神社についてご紹介しています♪
小和田池之神社は、佐久間ダム建設時に今の場所に移転されたともいわれますが、果たして真相はどうなのでしょうか☆

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飯田線の小和田駅西方にある小和田池之神社
小和田池之神社

 飯田線の小和田駅前の散策道を下りて、製茶工場跡の西側にある沢を渡ると小道があり、その小道を西方向へ約5分ほど歩いていくと、小和田池之神社に到達することができます。

 この小和田池之神社では、山神と水神が祀られているようです。

 この小和田池之神社は、かつては池の畔(ほとり/水際)にあったために「池之神社」と名付けられた、とか、佐久間ダム建設時(1953年[昭和28年]着工~1956年[昭和31年]10月完成)に天竜川に水没(またはその危険性が生じた)することになってしまったのでこの場所に移設された、などの説があるようですが、確定的なことはわかっていないようです。

 かつて小和田駅周辺にお住まいだった方達の証言や、何らかの証拠写真、資料などの発掘が待たれるところです。

 現在では、移転説がほぼ定説のようになっていて、それはおそらく、かつてこの辺りに住まわれていた方達の証言や何らかの物証があってのことだろうと思っていますが、現時点では移転説を確固たるものにする証言や物証が、わたしではネット上で見つけることはできませんでした。

 そのため、今後ともこのことは気に留めておいて、ほぼ確信できるような新たな事実が見つかりましたら、このページの記述は加筆訂正させて頂くと思います。


 そして、もうひとつ、この小和田池之神社に関してどうしても気になるのが、佐久間ダム完成後に発行されたと思われる地図を見てみると、小和田駅からこの小和田池之神社に続く小道は、さらに先の西方向の天竜川左岸沿いに続いていっているように見えるのです。

 この日わたしが訪れて神社の裏手側をちょっと見てみたのですが、とても人が歩けるような道が続いているようには見えなかったので、その点は大いに謎です。

 この小和田池之神社を訪れた方達のレポートを見ても、ここの神社で行き止まりだったと報告されている方しか見たことが無く、私の中ではもやもやとしたものが残ってしまうことになりました。

 Google Map(マップ)でも、現在は小和田池之神社のある場所の様子を見ることができますが、同神社の西方向へ人が歩けるような道が続いている形跡は見当たらないと感じています。

 次回小和田駅を訪れる機会があるのならば、もう一度その点をしっかりと見られるといいなあ、と思います。


 また、佐久間ダムが完成する前は、小和田駅の北西約500mあたりのところに天竜川対岸(右岸)の愛知県富山村(現在の豊根村)に行くことのできる佐太橋(大正12年竣工)があったのですが、その佐太橋から現在の小和田池之神社の位置がそう離れてはいないのではないか、と感じるため、何か佐太橋につながる痕跡が無いか神社周囲を見てみましたが、残念ながら確たる痕跡は見つけられませんでした。

 2022.06.29現在



製茶工場跡西側にある沢~小和田池之神社へ続く小道

 小和田駅の西方にある小和田池之神社へ行くためには、まず、小和田駅前にある散策道を西方向の下のほうへ下りて行き、「愛の椅子」東屋を越えてさらに下のほう(北方向)へ下りて行くと製茶工場跡と住居跡があります。

 製茶工場跡と住居跡の間の通路をさらに下のほうへ行くと天竜川の岸辺に出ますので、そこで左方向の西方向へ行くと製茶工場跡の北側に出て、上の写真の場所に到達します。

 上の写真左側に見える建物が製茶工場跡で、製茶工場が建っている石垣の右側には小道があり、さらにその右側には沢があります。

 写真に見える小道をもう少し奥のほうへ行くと、小道が沢に突き当たって橋も無く、行き止まりのように見えますが、沢に横たわる大きな石を渡って西方向(写真右方向)へ行くと、綺麗に整備された小道に出会うことができます。

 その小道を西方向へ約5分ほど歩いていくと、小和田池之神社があります。

 2022.06.29現在~天気は夏日
 (以下に掲載する写真は、特に記述が無い限り同日のものです)


沢の上方を見る

 製茶工場跡の西側にある沢を渡るときに、沢の上方(南方向)に見える景色を撮影したものです。

 上の写真ではわかりにくいですが、写真をよ~く見てみるとコンクリート製の暗渠の出入口のようなものが見えますが、少し立つ位置を変えて再度、沢の上方のほうを撮影してみると…

沢の上方に見える自動車の廃車体のようなものと橋なのではないかと思えるコンクリート製の構造物

 上の写真ではほとんどわかりませんが、拡大して見てみると、写真の上方奥のほうには、飯田線の設備近くに自動車の廃車体(シャシー部分?)のようなものが見えているのが非常に気になるところです。

 その廃車体のようなものが見える場所は、今回わたしが訪問していない、かつて大嵐・水窪方面へ軽自動車クラスなら行けたかもしれない、西山林道へ続いていた道が通っている場所なのではないかと思われます。

 また、沢の上方にはコンクリート製の暗渠の出入口のようなものが見えていますが、ひょっとしたらこのコンクリート製の構造物は橋で、噂に聞いた「愛の椅子」東屋の西方向へ続くといわれる小道の橋なのではないか、とも感じました。

 上述した、わたしが小和田池之神社へ行く小道はさらに西方向へ続いているのではないか、と思い込んでいる小道というのは、ひょっとしたらそのコンクリート製の橋が一部を成しているのではないか、という疑問も生じました。

 このように、小和田駅周辺には、個人的にまだまだ未解明なこと、ミステリーな謎がとても多く残されています。


製茶工場跡西側にある沢を渡ると見える小和田池之神社へ続く小道

 沢には橋は架かっていませんので、人によっては小和田池之神社へ続く道が無い、と判断して引き返してしまった方もいらっしゃるようですし、人の踏み痕もないような山の斜面を歩いて神社まで到達された方もいらっしゃったようです。

 実際、私も製茶工場跡の西側まで来た時に、小道の幅は狭くなり、そして沢に突き当たり、何ら橋のようなものも無く、先のほうを見てもはっきりと道が続いているようには見えませんでした。

 ですので、はじめは私も、今はもう小和田池之神社まで行けなくなってしまったのか…とほとんど諦めかけていたのですが、なぜか「沢を渡ってみたらひょっとしたら…」という気持ちが湧いて、とりあえず意を決して沢の歩けそうな石の上を伝って沢の向こう岸(西側)へ出てみたのです。

 それは、せっかく遠路はるばるここ小和田駅まで来て、簡単に引き下がってはもったいない、という気持ちもあったのだろうと思います。

 そして、石の上を伝って沢を渡ると、なんと!さきほどまでは良く見えていなかったのに、上の写真のようにはっきりと西のほうへ続く小道があるではありませんか!

 これには、私も少々びっくりして、諦めずに沢を渡って良かったと思うとともに、きっとこの小道こそが小和田池之神社まで続いているに違いない、そう確信できる勇気が俄然湧いてきました。

 この小道を見つけた時は、それはまるでドラゴンクエストをプレイ中に迷い探し続けていた、次のステージへと続く道を見つけたがごとくの喜びと驚きのようでもありました。

 まさか、こんなところに自分が探していた道があるなんて! という感じです。

 小和田駅は秘境駅と呼ばれるわけですが、今回は私もそうですが、小和田駅を初めて訪れる人達にとっては、その世界はまるでアドベンチャーゲームのような空間を実体験できる場所となっているような気もします。

 ただし、お猿さんや鹿に会うのはいいですが、武器や防具は持っていませんので、ハチや野犬、猪、熊などの強敵には絶対会いたくない、という気がします。


 そして、実際に上の写真に見える小道を奥のほう(西方向)へ進んでいくと、感覚的には5分かかったかな、というぐらいの短時間で小和田池之神社に到達することができました。


小和田池之神社へ続く小道から天竜川のほうを見る

 上の写真は、小和田池之神社へ向かう小道を歩いている道中で、右手側(北側)に見える天竜川のほうの様子を撮影したものです。

 写真ではわかりにくいですが、写真右上奥のほうに製茶工場跡が見えているのがわかりますでしょうか。


 佐久間ダムが完成する前は、小和田駅の北西約500mあたりのところに天竜川対岸(右岸)の愛知県富山村(現在の豊根村)に行くことのできる佐太橋(大正12年竣工)があったのですが、小和田駅周辺からその佐太橋まで、今わたしが歩いている小道が続いていたのか、今では謎となっています。

 なお、佐久間ダム建設前に、かつて小和田駅周辺から佐太橋まで行くことができたメインルートの道は、おそらく水没してしまった佐太橋とほぼ同じ標高にあったものと思われ、写真の下のほうの天竜川に沈んでしまったのは、ほぼ確実なことだと思います。

 そのことを考えるのは、今の小和田池之神社の経緯を考察するのに非常に重要ではないかと個人的には考えていて、同神社が佐久間ダム建設時に移転したのかどうかを検証するヒントにもなりそうな気がします。

 今わたしが歩いている小和田池之神社まで続く小道が、かつて天竜川に架かっていた佐太橋まで通じていなかったのでしたら、同神社は移転されて、神社へ通じるこの小道もわざわざその際に新規開通された、と推測できるような気がします。

 逆に今のこの小道がかつて佐太橋まで通じていたのであれば、同神社は移転されたか、あるいは元々から今の場所にあった可能性はゼロではないことになると思います。


 わたしは、現在の小和田池之神社は、かつて小和田駅下の北側の天竜川岸辺近くにあったものではなく、小和田の集落の人達も、かつて佐太橋を渡った天竜川対岸の愛知県側にあった佐太集落の人達も気軽に往来できた、かつての佐太橋近くにあった可能性が高いと思います。(元々現在の場所にあった可能性も含めて)

 もし、現在の小和田池之神社が、かつて小和田駅下の北側の天竜川岸辺近く(住居跡や製茶工場跡の近く)にあったのなら、わざわざ山の斜面を切り拓いて新たに小道を作って徒歩で5分も先の小和田駅から離れた現在の場所に移転するとはとても思われず、もっと小和田駅近くに移転されているはずだと思います。


小道を歩いて約5分程度で見えてくる小和田池之神社

 しばらく小道を歩いていくと、道が直線的になり、その先に…ありました!見えてきました♪ 目的地の小和田池之神社です。

 初めて訪れた場所で、有るか無いかも確信が持てない目的物が見えてきた時、人はやはり感激するものだなあ、と思います。

 それにしても、佐久間ダム建設時にこの神社を移転するなら、どうせなら人の往来がしやすい、もう少し小和田駅寄りの場所に移転したほうがよかったのではないか、という疑問がどうしても残ります。

 佐久間ダムが完成して、佐太橋が天竜川に水没し、周囲に住居などが無くなって、ここの小和田池之神社が人々の日常生活から孤立した場所となってしまうことは、佐久間ダム建設当時にこの地から転居せずに残ることを決めた人達は十分わかっていたのでしょうけど、それでも現在の場所に同神社を設置することを決められた、ということになると思いますが、その理由は、

 当時の人達が、思い出深いこの神社を、元あった場所からあまり離れた場所に移すのを嫌ったからでしょうか?

 それとも宗教上の理由で、崇拝する神は、そうやすやすと離れた違う場所へ移動してはいけないのでしょうか?

 あるいは神聖なる神は、人里離れた人気が少ない場所に祀られるのが常識なのでしょうか?

 それとも、ただ単に小和田駅近くまで移転させる手間をかけたくなかっただけなのでしょうか?

 また、移転されたといわれているこの小和田池之神社は、実は移転されず元々からこの場所にあったのでしょうか?(あるいはほぼこの近くにあった?)


 果たして、真実やいかに。


小和田池之神社の入口側(東側)にある小屋(写真左)と同神社の祠(写真中央奥)

 写真左側(南側)に見える小屋の中には、石仏や竹ぼうき、バケツなどの清掃用具が置かれていました。

 また、小屋の中には、「水神」、「山神」の文字が彫られた石が鎮座されていました。

 写真中央奥のほうには祠(ほこら)が見えています。

 写真をご覧いただいてわかりますとおり、この小和田池之神社は小さい集落の神社として決して見劣りするものではなく、それなりの広さの敷地を持ち、立派な石垣が組まれているのがわかります。

 土木工事業者の方達にとっては、これぐらいの規模の神社の移転工事は、石垣工事も含めて何らたいしたことではないのかもしれませんが、自分の中では、この神社がほんとうに移転されて現在のこの場所にあるのか、疑問に感じる部分が完全には拭いきれません。

 移転した、というのは神社そのものではなく、神社へ行くことのできる道が移設(あるいは新設)された、ということなのかもしれません。(屁理屈的ですみません)

 もし本当にこの場所に移転したのであれば、個人的には、神社の移転費用やここまでの小道の開設費用などは、佐久間ダム建設時の補償交渉で賄われたのではないかなあ、と思っています。


 また、佐久間ダムが完成する前は、小和田駅の北西約500mあたりのところに天竜川対岸(右岸)の愛知県富山村(現在の豊根村)に行くことのできる佐太橋があったのですが、その佐太橋から現在の小和田池之神社の位置がそう離れてはいないのではないか、と感じるため、何か佐太橋の痕跡が無いか神社周囲を見てみましたが、残念ながら当時の確たる痕跡は見つけられませんでした。


小和田池之神社の入口側(東側)にある小屋

 小屋の中に鎮座された石仏の前には、日本酒の「鬼ころし」が供えられ、湯呑(ゆのみ)も置かれていました。

 また、竹ぼうきやバケツなどの清掃用具は、とても綺麗な状態でしたので、長期間放置されていたものとは思われず、どなたかが定期的にここの小和田池之神社を訪れているのは間違いないものと思われます。

 その方に出会うことが出来たら、ひょっとしたら、この小和田池之神社の経緯や歴史を知ることができるかもしれません。


小屋の中の石には「水神」と「山神」の文字が

 この小和田池之神社が、天竜川を司る水の神様と、この地の面積のほとんどを占める山を司る神を祀っているのがわかります。

 かつて天竜川では、丸太を組んだ筏船を使用した水運業が盛んな時期があり、流筏業者やそれらに関連する職に携わる人達の発展・安全や、漁業者の豊漁・安全の祈願、安定した水の供給の祈願、天竜川の氾濫などが起きないように祈りを捧げたものと思われます。

 また、山の神に対しては、農林業の発展・安全、猪や鹿などの狩猟に関する安全や感謝、山の斜面が崩れたりせぬよう、祈願したのではないでしょうか。

 大いなる自然の天竜川と山々に囲まれたここ小和田の地を訪れてみれば、この地で生き、生活する人々にとって、水神と山神を祀ることがいかに重要だったのかは、身をもってわかるような気がします。

小和田池之神社の立派な石垣

 小和田池之神社の周囲は、わたしのような素人目には、近所の神社でも見られるような比較的しっかりとした石垣が組まれています。

 佐久間ダムが完成する前は、ここの神社からそう遠くないところに、天竜川対岸(右岸)の愛知県富山村(現在の豊根村)に行くことができた佐太橋があったので、もし、この神社が昔からこの場所にあった、あるいはこの近くにあったのだとしたら、その佐太橋からこの神社まで来れたはずだと思います。

 しかしながら、そのことを裏付ける道の跡などの明確な痕跡は見つけることはできませんでした。

 そのことは、つまり、現在この場所にある小和田池之神社は、どこか別の場所から移転されてきた可能性があることを示すものと思います。

 ただし、石垣の周囲には、ひょっとしたら天竜川側(北側)のほうから同神社に上がるための階段だったかもしれない可能性もありうる、大きな石がけっこうゴロゴロと転がっているのが気になるところです。

小和田池之神社の祠(ほこら)

 祠(ほこら)の扉の前には、食器や瓶のようなものが置かれていました。

 祠の中は確認していませんが、山神と水神が祀られているのではないでしょうか。

 この祠は木製で、それなりに経年している状態だと思われますので、いつまでもこの状態でこの場所に建っていられるというわけではないものと思われます。


 そして、この小和田池之神社に関するもうひとつの謎、本当にこの神社の先の西方向に、人が歩ける程度の道が続いているのかどうか? なのですが…



どうしても道が続いているように見えない小和田池之神社の西側(北側)

 ネット上で紹介されている現在の小和田駅周辺の地図を見てみると、小和田池之神社裏側の先の西方向には、さらに天竜川の左岸沿いに道が続いているような線が描かれているものばかり目にします。

 そこで、期待して小和田池之神社の裏手側(西方向)のほうを見てみたのですが…

 え? この先に道ある? と思わず自問自答してしまった風景となっています。

 上の写真をご覧になっておわかりになりますとおり、ただの山の斜面のようにしか見えず、人が定期的に通ったような形跡も自分では明確に断定できるものは見つけられませんでした。

 そのため、さすがにこの先を歩いていく自信と勇気はありませんでした。 無理をしてけがをしても嫌ですし…


 それでも、いつか機会がまたあるのならば、今度は少し勇気を出して、ちょこっとは踏み入ってみたいと思います。

 今のところ、ネット上では、この先の小和田池之神社の裏手の西方向へ進んでいった冒険者の方の報告は目にしていません。

 この先のどこかで人が歩けるような道の形跡に出会うことができるのでしょうか?


どうしても道が続いているように見えない小和田池之神社の西側(南側)

 道? え~!? 無いですよね?

 そう言わざるを得ない小和田池之神社の裏手(西側)の風景となっています。

 ひょっとしたら、地図を製作する企業の方達は、ここの現地に訪れて確認すること無く、かつて発行されてきた地図の図形をそのまま踏襲し続けているのではないか、と失礼な疑いすら感じてしまうほどです。

 なお、ネット上でYahoo!地図を見てみると、小和田駅から小和田池之神社までの道は通常の白色線表示なのですが、同神社で道がいったん途切れているかのような表示がされて、なぜかその先(西方向)へ続く道はグレーのような色で表示されています。

 これは、この先の道はかつて存在したもので、現在は通行可能かどうかわからないということを意味しているのでしょうか?

 どちらとも決めかねる、あいまいな領域が「グレーゾーン」と言われるだけに…。


 以上、小和田池之神社を訪れてみた様子をご報告いたしました☆

 個人的には、本当に佐久間ダム建設時に移転されたのか、かつて近くにあった天竜川対岸(右岸)へ行けた佐太橋につながる形跡や痕跡は周囲に無いのか、この神社の先の西方向へは本当に道が続いているのか?などの多くの疑問が残されたままの訪問となってしまいました。

 そんな疑問もいつか解ける日が来ることを期待して、またいつか、小和田駅を訪れる日が来るといいなあ、と思います。







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