飯田線(JR東海) 各駅探訪~小和田駅(小和田-中井侍) 
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 このページでは特に飯田線の小和田駅(小和田-中井侍)周辺の様子を撮影したり撮り鉄した写真画像などを掲載しています♪
小和田駅周辺には、現在は人が住んでおらず、飯田線のなかでも最も有名な秘境駅として知られています。

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☆小和田駅周辺の見どころの各詳細ページはこちら♪
愛の椅子
結婚式場跡
製茶工場跡
住居跡
遺棄された
ダイハツ ミゼット
小和田池之神社 高瀬橋 天竜川の
浚渫船



飯田線(JR東海) 小和田駅 こわだ Iida Line
小和田駅 【豊橋起点:83.8km】

 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家にある飯田線の小和田駅(こわだえき)です。

 飯田線の小和田駅(こわだえき)は、もはや私から語る必要の無いほど、多くの人に紹介されて愛され続けている、全国でもトップクラスの「秘境駅」として知られています。

 テレビでも、よく紹介されることがあり、鉄道ファンのみならず、一般の方達の間での知名度もそれなりにあるものと思われます。

 現在では「飯田線 秘境駅号」も運転されて、小和田駅をはじめとする飯田線の秘境駅を訪れる旅を楽しむことができるようになっています。

 上の写真は、小和田駅の駅舎西側(大嵐・豊橋方)付近の様子を撮影したもので、写真奥方向が中井侍駅方面(飯田・辰野方面)になります。

 小和田駅は、現在は単式ホーム1面1線の地上駅となっていますが、2008年(平成20年)1月26日までは相対式ホーム2面2線の駅となっていたようです。

 小和田駅は、その周囲に現在では人が住んだり、恒常的に利用したりする施設が無く、自動車で直接訪れることができない山間地にある秘境駅として知られていますが、今回小和田駅を訪問してみて改めて感じたことは、山間地の秘境にある駅そのものが注目されているのはもちろんですが、同駅周辺にある「愛の椅子」、住居跡や製茶工場跡、放棄された3輪自動車のダイハツ ミゼットやバイク、小和田池之神社、高瀬橋などの、かつてこの駅周辺が人々の生活で確かに息づいていたものが、現在ではすっかり廃れてしまった様をぞんぶんに遺していることが、さらに当駅の訪問価値を上げているものだと思いました。

 小和田駅が三信鉄道により1936年(昭和11年)12月30日に開業された後は、駅周辺に商店や製茶工場、鉄道に携わる人々の宿舎などができ、しばしの繁栄を見せたそうです。(※小和田駅開業前の昭和8年頃には小沢商店がすでにあったという情報有り)

 小和田駅をこのような秘境駅にしてしまった最大の要因は、1956年(昭和31年)10月に完成した佐久間ダムがあげられ、小和田の天竜川岸に近い集落と、対岸を行き来できた佐太橋(小和田駅の西北西約500m。大正12年竣工)はダム湖(天竜川)に水没することになってしまい、ダム完成後は天竜川の対岸に容易に行くことのできる橋が架けられず、飯田線以外の手段で小和田地区から別の集落や町まで行くのが大変だったことが、同地区の陸の孤島化に拍車をかけたようです。

 佐久間ダムが完成した時点では、小和田駅周辺から別の集落や町へ連絡する道(ルート)は、

  ①当駅から南西方向へ行く、軽トラックなら通行できたと思われる、門谷川を渡って大嵐・水窪方面(西山林道)へ続く山の中の道
  ②当駅から北方向へ行く、河内川に架かる高瀬橋を渡って中井侍駅・平岡方面へ続く天竜川沿いの道
   (バイクは通行可能、軽トラックは通行できた可能性有り)
  ③当駅から直線距離で東北東に約1.7km、徒歩で約1時間の塩沢集落へ続く山道
   (バイク・自動車の通行不可。高瀬橋へ向かう途中で分岐)

 の3つの主要ルートがあったようです。

 しかし、大嵐・水窪方面(西山林道)へ出る南西方向の道は、門谷川に架かっていた橋の崩落あるいは土砂崩れなどの理由(推測)により1982年頃(昭和57年頃)に通行不能(ネット上の情報)となり、高瀬橋は昭和50年代頃に崩落が始まって1983年(昭和58年)頃には通行禁止となったようで、現在では、小和田駅周辺と他の集落や町を行き来できる、人が普通に歩けるような道は、塩沢集落へ通じるバイクや自動車が通行できない徒歩約1時間の険しい山道を残すのみとなっています。

 なお、その他、小和田駅から南西方向へ行く道の途中で「←左 マキホツ方面径路」と書かれた道標が立っている分岐地点があり、旧マキホツ集落を経由して天竜川林道へ出る山中のルートもあるようですが、現在では、道を見失ってしまう可能性があるような山道となっているようですので注意が必要です。

 この日は、小和田駅に到着してから帰りの電車まで約2時間40分あったわけですが、同駅周辺の見どころとなっている場所を散策すると、あっという間に2時間が経過していました。

 なお、三信鉄道により1936年(昭和11年)に開業された小和田駅は、その後1943年(昭和18年)8月1日に鉄道省(後の国鉄)の飯田線の一部として国有化され、1984年(昭和59年)2月24日に駅員無配置駅(無人駅)となり、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により現在のJR東海の飯田線の駅となっています。

 2022.06.29現在~天気は真夏日



小和田駅の様子を西側から見る

 上の写真は、小和田駅の様子を西側(大嵐・豊橋方)から撮影したものです。

 現在の小和田駅の駅舎は、三信鉄道により1936年(昭和11年)12月30日に開業された当時のものが、そのまま残っているようです。

 なお、駅舎自体の竣工は当駅開業の3年前の1933年(昭和8年)であるとする資料もあるようです。

 また、写真右奥のほうにホームが見えていますが、現在は利用されておらず、線路も構内踏切も撤去されています。

 小和田駅は2008年(平成20年)1月26日までは相対式ホーム2面2線の駅となっていたようですが、現在は駅舎寄りホーム(北側)の線路のみ本線として残されていて、現在は単式ホーム1面1線の駅となっています。

 ちなみに、この日に小和田駅で出会った方は2名いらっしゃいましたが、いずれの方もヘルメット、リュック持参、作業服姿の方でした。

 人々の日常生活が無くなった小和田駅周辺ですが、周囲には送電線やNTTの設備(支線柱)もあったようですので、それらの保守点検作業員の方か、林業または林野の管理、天竜川の河川管理などの職業、公務に関連する方達なのかもしれません。(詳細は不明)

 2022.06.29現在(以下に掲載する写真は、特に記述が無い限り同日のものです)

小和田駅の駅舎

 小和田駅の駅舎を西側(大嵐・豊橋方)から撮影したものです。

 小和田駅は秘境駅として知られ、人気も高いわけですが、小和田駅を訪れる際に一番気をつけなければならないことは、「小和田駅およびその周辺には飲料水などの自動販売機は無い」ということです。(当然売店は無いです)

 もし、持参した水筒やペットボトルなどの飲料水が枯渇してしまったら、最悪の場合、沢の水を飲まなければならなくなってしまうので、荷物が重くなってしまいがちですが、普段の2倍ぐらいの飲料水を持参するなど、特に夏季に訪れる際には十分注意が必要です。

 また、次に大事なことは、小和田駅にはかつてトイレが設置されていたそうですが、2013年に撤去されたそうなので、「小和田駅およびその周辺にはトイレが無い」ということを充分念頭に置いて当駅を訪れる必要があります。

 撤去されたトイレは、上の写真の駅舎前の左側(北側)にありました。

 小和田駅訪問時は、坂を上り下りしたり、散策する際はそれなりに歩くと思いますので、満腹時に訪れたり、当駅で弁当を食べるなど食事をすることは充分注意が必要です。

 そして、もう一点触れておきたいのは、小和田駅の北東にある「高瀬橋」跡(当駅から徒歩約25分~30分)を訪れる場合は、道中にクマ(熊)の目撃情報の案内が掲示されていますので、念のため、ネット上であらかじめクマ(熊)に出会ってしまった時の対処方法と接触予防方法を確認しておくことをお薦めします。

 そのほか、非常食(パンやおにぎりなど)、タオル、ポケットティッシュ、天候の急変に備えてレインコート(合羽/かっぱ)や折りたたみ傘を持参することや、気温の寒暖差に備えた予備の服装、汗をかきそうな場合は着替えを持参することをお薦めします。

小和田駅の駅舎入口の様子

 昭和時代に見られた古い家の造りをそのまま見ることができます。

 写真の駅舎入口の左側には、「ゴミを捨てないで下さい。」と書かれたプレートが取り付けられています。

 当駅にはゴミ箱は無いため、自分の出したゴミは必ず自分で持ち帰る必要があります。

 また、さらにその左側には、写真では暗くてわかりにくいですが、小鳥の巣箱と思われる木箱が取り付けられています。

 かつては、写真の駅舎入口右側に「小鳥の巣箱」があり、その巣箱は、この日わたしが小和田駅を訪問した時は、駅舎とホームを結ぶ通路にある水道の蛇口がある場所に置かれていました。

駅舎出入口上にある駅名が書かれた扁額

 駅舎の出入口の上には、「小和田」と書かれた扁額(へんがく)が取り付けられています。

 また、その上方には蛍光灯が取り付けられていて、他の方の写真を拝見しますと、暗くなると点灯するようです。

駅舎入口横に置いてあった杖

 「NPO法人 山に生きる会」の方達の善意により、自由に使用していいように置かれていたようです。

 木製のボックスには「使ったら元に返してください」と書いてありました。


駅舎入口横に遺棄されていたスーパーカブ

 いつからこの場所にあるかはわかりませんが、訪れたのが6月末ということもあり、かなり雑草が絡み付いた状態となっていました。

 「ホンダ スーパーカブ」は、ホンダが1958年から製造・販売を開始した小型オートバイで、2017年10月に累計生産台数が1億台に達し、乗り物の1シリーズとして世界最多の生産台数と販売台数を記録したそうです。

 そのような、日本の日常生活に浸透し、かつてこの地で活躍したであろうオートバイが、この秘境となってしまった地で今や朽ち果てつつあるのも、昭和時代の日本の産業・経済の発展過程や、山奥の人達の生活の栄枯盛衰を物語っているような気もします。

 写真のスーパーカブは、調べてみたところ、1961年(昭和36年)8月に発売された、2人乗車可能な排気量54ccの「スーパーカブ C105」だと思われます。

 ということは、このスーパーカブは、小和田集落の一部が天竜川に水没することとなった1956年(昭和31年)10月の佐久間ダム完成の後に、この地に入ってきたことになります。

スーパーカブの銘板

 遺棄されたオートバイには「HM Super Cub」(スーパーカブ)と表記された銘板が付いていました。

 「HM」は、ホンダモーターサイクル(Honda Motorcycle)を意味しているようです。


遺棄されたスーパーカブのメーター

 走行距離部分には「9541」と表示されていたようです。

 これが9,541kmのことを意味しているのか、それとも19,541km以上のことを意味しているのかは、ちょっとわかりません。

 メーターは時速100km/h表示まで刻まれ、「HM NIPPON SEIKI」と書かれているように見えました。

遺棄されたスーパーカブを後方から見る
駅舎の北側は鉄骨にて補強

 駅舎の北側は、鉄骨による補強が施されていました。

 小和田駅の駅舎の北側は、天竜川に向かって斜面となっていますので、駅舎の倒壊および崩落を防ぐための補強と思われます。

駅舎の近くにあった「三県境界駅」の表示

 小和田駅は、静岡県浜松市天竜区水窪町にあるので、同駅自体が実際に静岡県、愛知県、長野県の三県にまたがっているわけではありません。

 静岡県、愛知県、長野県の3県の境界地点は、小和田駅の約400mほど北東の天竜川上となっているようです。

小和田駅の駅前風景(西方向)

 小和田駅の駅舎出入口を出て、すぐ西側(大嵐・豊橋方面)に見える駅前風景を撮影したものです。

 小和田駅前には、民家、売店、自動販売機、トイレ(2013年に撤去)などの、普段人々の日常生活において目にするものは、現在では何も無い状況となっています。

 写真中央に見える小道(散策道)を下のほうへ下りて行くと、いよいよ小和田駅の名所のひとつとなっている「愛の椅子」(上の写真では東屋の屋根部分が少し見えています)があり、さらにその下のほう(北側/写真の右方向)には、これも小和田駅の名所として有名な製茶工場跡、民家跡、遺棄されたダイハツ ミゼットがあります。

 なお、かつては、写真左奥の小和田駅の大嵐方にある第2大輪トンネル(50)の北側(写真右側)に、ダイハツ ミゼットなどの小さい軽自動車が通れる道があったそうです。

 その道は1982年頃(昭和57年頃)までは、小和田駅の南西方向へ続いていて、門谷川に架かっていた橋(飯田線の近く)を渡ると、現在の西山林道に出て大嵐方面や水窪方面へ行くことができたようです。

 実際にその道の踏破にチャレンジされた方のレポートを拝見させて頂くと、道の途中に軽トラック「スズキ キャリイ」(3代目 販売期間 1966年3月~1969年6月)が遺棄されていましたので、小さい軽トラックが通っていたことは間違いなさそうです。

 現在ではその道は、小和田駅から歩いて30分くらいのところで大きな崖崩れが発生していて、また、門谷川に架かっていた橋も崩壊してしまっていて、かつてのように通り抜けることは出来なくなっているようです。

 なお、この道は、小和田駅下に遺棄されているダイハツ ミゼット(計3台)がどこからやって来たのか、というテーマを考察する際にとても重要な道となっています。


天竜川が見える小和田駅の駅前風景

 小和田駅前からは、同駅の北側を流れる天竜川の水面が少しばかり見えていました。

 小和田駅から見た天竜川の対岸(右岸/写真の右側)には、愛知県道1号が通っていて、同県道から樹々の間に小和田駅を見たことがあります。

 その時は、1人の若い方が小和田駅周辺を探索している姿も見られました。(ひょっとしたら作業員の方かも)


小和田駅前から始まる「散策道入口」

 写真左下には、「散策道入口」と書かれた案内標識が見えています。

 かつて周囲に人々の生活があった小和田駅は、今や、散策道入口としての駅の役割を持つようになっています。

 ただ、この日、わたしは小和田駅で2名の作業員らしき方達が同駅を利用(1人は13時30分頃、もう1人は15時30分頃)しているのを目撃しましたので、現在の小和田駅が完全に人々の生活から絶縁された駅となっているわけでは無いこともわかりました。


駅舎出入口付近から小和田駅構内の様子を見る

 小和田駅は2008年(平成20年)1月26日までは相対式ホーム2面2線の駅となっていたようですが、現在は駅舎寄りホーム(北側/写真左側)の線路のみ本線として残されていて、写真右奥のほうに見える旧上りホームは現在は利用されておらず、線路も、駅舎と連絡する構内踏切も撤去されています。

駅舎内から駅舎の出入口付近の様子を見る

 写真中央に見える出入口を奥方向(西方向)へ出ていくと、そこがまさに小和田駅の秘境の世界への入口となります。

 また、写真左側に見える机の上には、「思い出ノート保管箱」が設置されています。


駅舎内に掲示されている「この先の高瀬橋 通行できません」の貼り紙

 駅舎の出入口の引き戸には、「この先の高瀬橋 通行できません 天竜土木整備事務所」と書かれた貼り紙が、高瀬橋への地図とともに貼りだされていました。

 高瀬橋(たかせはし)は、かつて小和田駅の北東約1kmあたりの河内川(天竜川の支流)に架かっていた、小和田地区から中井侍駅方面へ連絡する吊り橋で、現在は朽ち果てつつあることで有名です。

 高瀬橋へは、小和田駅から天竜川沿いにある小道(こみち)を歩いて片道約30分ですので、時間と体力に余裕のある方は、行かれると良いと思います。

 ただ、道中は上り坂部分もあり、また、クマ(熊)の目撃情報があったり、一部土砂崩れ、倒木なども見られましたので、行かれる場合は十分ご留意していただければと思います。


駅舎内の机上にある「思い出ノート保管箱」

 駅舎の出入口の角には、「思い出ノート保管箱」が置かれた机が設置されています。

思い出ノートを拝見

 「思い出ノート保管箱」を開けて、中にあったノートを拝見させて頂きました。

多くの方の思いが綴られた思い出ノート

 絵に自信がある方は、やはりイラストを書き込みのが定番となっているようです。

「思い出ノート保管箱」の上に置かれていたデジタル時計

 時刻は15時33分、帰りの電車まであと約30分、自分の時計とくらべると約2分程度の違いがあったようですが…。

 気温らしき表示は39.7℃。 暑いわけです。

 このデジタル時計は、「DAILY RADIO CONTROLLED」と本体に書かれていましたが、JR東海が管理しているものなのでしょうか、それとも個人所有のものなのでしょうか。

駅舎内の様子

 駅舎内の様子を、駅舎のホーム側出入口から撮影したもので、写真奥方向が北方向(天竜川)になります。

 駅舎内は待合室の機能を持っていて、写真奥には長椅子が見えています。

 駅舎の外界への出入口は写真左側になります。

 また、写真右側には、当駅下の広場にて1993年6月6日に結婚式を挙げられたカップルの方達の記念写真が飾られているのが見えています。

 かつては、この待合室内に、手書きのカラフルなマップ「駅周辺案内板」や他の写真パネルもあったようですが、現在では無くなっていて、駅舎内はとてもすっきりしたイメージとなっています。

 手書きの「駅周辺案内板」は見てみたかったモノのひとつでしたので、無くなっていて少々残念でした。


駅舎内の待合室の長椅子

 ネット上では、何らかの理由で小和田駅にて1泊した方がいらっしゃったようですので、この長椅子で1人で夜を明かされたのでしょうか。

 わたしだと、この駅舎内で1人で夜を過ごすなんて、いろいろと考えてしまって寝られそうもなく、睡眠不足になることは確実で、とても無理そうです。

 そのほか、ネット上で小和田駅周辺の様子と歴史をとても詳細に解説してくださっている方が、駅前でテント宿泊をされたようです。


駅舎内にあった小和田駅近くで結婚式を挙げたカップルの写真

 現在の徳仁天皇(なるひとてんのう)が皇太子時代に小和田雅子様(おわだ まさこ さま/現在の皇后)と1993年6月9日に御成婚された際に、小和田駅(こわだえき)の駅名表記が、読み方は違うものの、雅子妃の名字と当駅の漢字表記が同じということで、一時的に小和田駅が注目され、来訪者が増加した時期があったそうです。

 小和田駅に限らず、当時の御成婚にあやかった世間の熱狂ぶりは「御成婚ブーム」とも呼ばれるようです。

 そのような時期に、当駅の所在地となっていた旧水窪町が、小和田駅で結婚式を挙げたいカップルを募集したところ、全国から48組のカップルの応募があり、選ばれたお2人が実際に挙式を執り行ったそうで、その時の写真が今も駅舎内に掲示されているものなのだそうです。

 写真を見てみると、挙式が行われたのは、小和田駅前の現在の散策道を下りて行って、右手側(「愛の椅子」の東側)にある、現在は広場のようになっている場所だと思われます。

 この結婚式のイベントが行われたのは1993年6月6日で、新郎は束帯(そくたい)、新婦は十二単(じゅうにひとえ)での挙式であり、約1,000もの人が小和田に訪れたそうで、水窪町内で行われたオープンカーによるパレードには、お2人が一般の方にもかかわらず、およそ1万人もの人がお2人のパレードに日の丸を振ったそうです。

 ちなみに当ご夫妻は、まだお元気そうなようで、当日は挙式後に記者会見が開かれたり、大勢の人に日の丸を振られて、とても驚いたそうです。

 また、その後も、当ご夫妻は、徳仁陛下と雅子様に節目あるごとに、マスコミから取材を受けることがあったそうです。

 今となっては、過去の話となりつつも、お2人にとってはとても良い思い出となったのではないでしょうか。


駅舎内の様子を駅舎出入口側から見る

 写真奥方向が東方向で、右側に駅舎のホームへの出入口があります。

 写真左側に見える、写真が4枚掲示された窓ガラスの中央部分は、昇降式の窓になっているようで、ここが駅員と対面式の切符売場の窓口になっていたものと思われます。

 また、写真右側の窓ガラスには、かつて公衆電話があったことを示しているものと思われる、受話器のマークが貼られているのが見えています。


駅舎内に掲示されている飯田線時刻表と普通運賃表

 時刻表は平日と土曜・休日の区別は無く「毎日 Daily」と書かれ、中部天竜・豊橋方面が1日8本、天竜峡・飯田方面が1日9本となっていて、小和田駅から出発する列車が1時間当たり2本あるということはないようです。

 また、普通運賃表に書かれた小和田駅からの主だった駅までの運賃は、豊橋までが1,690円、新城までが1,170円、本長篠までが990円、中部天竜までが420円、平岡までが210円となっています。


駅舎のホーム側出入口付近の様子

 出入口の上方には、「慶祝 小和田 みさくぼ 花嫁号 小和田発ラブストーリー」と書かれた円形のヘッドマークと、「いらっしゃいませ」と書かれたプレートが取り付けられていました。

 また、写真右側には、出入口付近に設置された切符回収箱が見えています。


駅舎のホーム側出入口付近から駅舎内を見る

 駅舎内には、長椅子や、「思い出ノート保管箱」が置かれた机が設置されています。

駅舎とホームを連絡する通路

 写真左端側に駅舎のホーム側出入口が見えていて、写真右奥側に見える階段を上ると、現在使用されている小和田駅の北側のホームに出ることができます。

「慶祝 小和田 みさくぼ 花嫁号 小和田発ラブストーリー」の円形ヘッドマーク

 このヘッドマークは、前述の小和田駅下の広場にて1993年6月6日に結婚式を挙げたカップルの方達が、臨時列車「花嫁号」に乗って水窪駅から小和田駅まで乗車してきた際に、その臨時列車に掲出されていたものなのだそうです。

 とても豪華な結婚式であったことがわかります。

 花嫁号がどんな列車だったのか興味がありましたので、ネット上で検索してみたところ、165系だったという情報を見かけました。

 165系には、JR東海が1989年8月から1999年11月まで運用していた、165系から改造された、いわゆるジョイフルトレインの一種の「ゆうゆう東海」(3両編成)という電車が存在しましたので、その「ゆうゆう東海」が使用されたのか、それとも通常の旧国鉄165系が使用されたのかは、現時点では不明です。

 結婚式当日は約1,000人もの方が小和田を訪れたそうなので、写真は必ずどこかに残っているものと思います。


☆2022年9月8日追記
 図書館で飯田線の本を読んでいたら、水窪駅に停車中の「ゆうゆう東海」と同駅ホーム上に掲出された「花嫁号」のヘッドマークが写っていた写真を発見しましたので、「花嫁号」は「ゆうゆう東海」が使用されたものと思われます。
 なお、当日の「花嫁号」は、水窪~小和田間を1往復したようで、下りも上りも乗車率200%だった、とも書かれていました。

駅舎のホーム側出入口横にある切符回収箱

 切符回収箱には「ありがとうございました 使用ずみのきっぷは この箱にお入れください」と書かれています。

 そして、この切符回収箱には、現在の運行情報が確認できるJR東海ホームページへアクセス可能なQRコードと、「JR東海公式 運行情報 Twitter」の案内が記載されたステッカーが貼られていました。(写真のオレンジ色と白色の部分)

 この日、小和田駅を訪れてみて、最も新旧のギャップが同時に存在した箇所になりました。

 とはいえ、小和田駅が1936年12月30日に開業してから約86年の年月ですから、何百年、何千年という時間のギャップがあるというわけではありません。

 ミステリー好きな方なら、時間のギャップという概念は興味深いところではないでしょうか。

駅舎のホーム側出入口付近からホームのある方向を見る

 写真右奥に見える階段を上がって行くと、現在使用されている北側のホームへ出ることができます。

 なお、写真中央あたり上方の駅舎の屋根下壁面には、かつて使用されていた小和田駅の古い駅名標が掲げられています。

撤去された構内踏切

 駅舎のホーム側出入口(元改札口)からは、写真左奥に見える現在使用されなくなった旧上りホームへ連絡していた構内踏切が撤去されていることがわかります。

 かつて構内踏切があった場所には2段ほどの階段が遺構として残っています。

構内踏切があった場所辺りから東方向を見る

 写真奥方向が東方向で、中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

構内踏切があった場所辺りから西方向を見る

 写真奥方向が西方向で、大嵐駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

木製の小和田駅の旧駅名標

 駅舎のホーム側の壁面上部には、かつて使用されていたものと思われる、手書きの木製の駅名標が掲げられていました。

 手書きで「こわだ 小和田 KOWADA」、「おおぞれ」、「なかいさむらい」と、立派に書かれています。

 この旧駅名標は、目立つところにあるわけではありませんが、現在も駅名標としての機能を失ったわけではないと思います。

小和田駅の駅舎とホームを連絡する通路にあった水道の蛇口やバケツなど

 水道の蛇口は、あまり使用感が無さそうですし、蛇口のハンドルも付いていなかったので、使用できるかどうかは不明です。

 また、この水道が使用できるとして、水源がどのようになっているのか興味のあるところです。

 他の方のレポートを見てみると、冬季にはこの水道は水が出しっ放しで、凍結防止のために蛇口を締めないように注意書きが書かれていたこともあったようです。

 なお、写真右奥のほうに見える階段を上がるとホームに出ます。


小和田駅の駅舎とホームを連絡する通路にあった気になる小さい木製の箱

 写真右下に屋根が付いた小さな木製の箱が見えていますが、これはなんなのでしょうか…?

気になる小さい木製の箱は「小鳥の巣箱」

 幸い別の角度から撮影した写真が見つかったので、よく見てみたところ、この木箱には「小和田の森」、「愛」、「小鳥の巣箱」などの文字が書かれていることが確認できました。

 ネット上で古い小和田駅の様子の写真を見てみたところ、この「小鳥の巣箱」は、かつては駅舎出入口の外側の南側に取り付けられていたようです。

 現在では、小鳥の巣箱は、前述のとおり駅舎出入口の外側の北側に取り付けられています。

 駅舎の小鳥の巣箱が、JR東海により取り付けられているのか、自然に優しい方達の善意により取り付けられているのか、などの詳細な経緯はわかりません。

小和田駅の駅舎とホームを連絡する通路

 写真奥方向が西方向で大嵐駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

 駅舎のホーム側出入口は写真奥になります。

 また、写真左側には、ホームの西端側が見えています。


ホームに上がる階段から駅構内の様子を見る

 写真奥方向が東方向で、中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

小和田駅構内の様子をホーム西端側(大嵐方)から見る

 写真奥方向が東方向で、中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

 写真左側には、ホーム上にある駅名標が見えています。

 また、写真右側の使われなくなった旧上りホームの線路跡には、砂利(バラスト?)が結構な高さまで積まれていました。



ホームと駅舎を連絡する階段

 階段を下りて、奥方向(西方向/大嵐方面)のほうに進むと、駅舎のホーム側出入口があります。

ホーム西端側(大嵐方)から西方向を見る

 写真奥方向が西方向で、大嵐駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

 写真奥の小和田駅の西方(大嵐方)には「第2大輪トンネル(50)」があります。

 また、小和田駅構内の西方(大嵐方)で、本線から写真右方向(北方向)に分岐する側線が1本あるのがわかります。

 現在は保線車両用の引き込み線となっているようですが、かつては貨物・荷物の積み下ろしを行っていた場所であると推測されます。


小和田駅の西方(大嵐方)にある第2大輪トンネルと側線横にあるホームらしき遺構

 上の写真は、小和田駅のホーム西端(大嵐・豊橋方)から、当駅の西方向にある全長 452mの「第2大輪トンネル(50)」を望遠で撮影したものです。

 上の写真では少々わかりにくいですが、写真右奥に見える側線(保線車両引き込み線)の先には、右側(北側)にホームらしき構造物があるのがわかります。

 かつて飯田線で運転されていた貨物列車がそこに停車して、貨物や荷物の積み下ろしをしていたものと推測されます。

 小和田駅は、1971年(昭和46年)12月1日に貨物・荷物の取り扱いを廃止して純粋な旅客駅となっていますが、わたしはひょっとしたら、小和田駅の下に遺棄されたダイハツ ミゼット(計3台)は、ここまで飯田線の貨物列車によって運ばれてきた可能性もあるのではないか、と考えています。

 あくまで可能性、選択肢のひとつの話ですが、ネット上では1960年前後に貨物列車でダイハツ ミゼットが小和田駅に到着したという証言も見かけました。

 小和田駅下に遺棄されたダイハツ ミゼットがどこを通って小和田駅近くまで来たのか、という今となってはミステリーな謎のテーマは、未だ巷では決着はついていないようで、現在では多くの方が検証されている事象のひとつとなっています。

 ちなみに、遺棄されているダイハツ ミゼットはMP型で、1959年(昭和34年)10月から1972年(昭和47年)1月まで販売されています。(日本国内)

 また、佐久間ダムは、1955年(昭和30年)12月に湛水(たんすい/水を貯めること)を開始して1956年(昭和31年)10月にダムが完成、佐久間発電所の全面運転を開始、小和田駅の北東約1kmあたりのところにあった吊り橋の高瀬橋は1957年(昭和32年)1月竣工となっています。

撤去された構内踏切

 かつて写真左側(南側)に見える旧上りホームと駅舎を連絡していた構内踏切は、上の写真の中央辺りにありましたが、現在は撤去されて無くなっています。

 駅舎側には、コンクリートの通路跡の一部と階段が残っています。(写真右側)

 ホーム西端側(大嵐方)にて撮影。


かつて使用されていた旧上りホームの入口スロープ

 廃止された旧上りホームには、草や苔が生え始めています。

小和田駅構内の様子をホーム西端寄り(大嵐方)から見る

 写真奥方向が西方向で、大嵐駅方面(中部天竜・豊橋方面)になります。

 写真右側には駅舎が見えています。


ホーム上の駅名標と「恋成就駅 小和田」と書かれた柱

 ホーム上の比較的駅舎に近い場所に、駅名標と「恋成就駅 小和田」と書かれた柱が立っていました。

 「恋成就駅 小和田」と銘打っているのは、前述のとおり、現在の徳仁天皇(なるひとてんのう)が皇太子時代に小和田雅子様(おわだ まさこ さま/現在の皇后)と1993年6月9日に御成婚された事にあやかろう、ということに由来するものと思われます。


ホーム上の中ほどから廃止された反対側のホームを見る

 小和田駅構内の、かつて複線(2線)で線路があった南側部分は、現在では南側ホーム(旧上りホーム)の高さまで迫るほどの砂利(バラスト?)が積まれていました。

 これは、当駅を拠点として保線作業時のバラストの積み下ろしを行っているのでしょうか?

 それとも、南側ホームに迫る山肌が崩れないように、少しでも補強する目的で積まれているのでしょうか。

 一般人のわたしには、ちょっと理由がわからないです。

 なお、写真中央に見える架線柱には「こわだ」と書かれたプレートが取り付けられています。


ホーム上の駅名標がある場所あたりから東方向(中井侍方面)を見る

ホーム上の駅名標がある場所あたりから西方向(大嵐方面)を見る

 写真奥のほうに、駅舎が見えています。

ホーム中ほどから東方向(中井侍方面)を見る

ホーム中ほどから西方向(大嵐方面)を見る

 ホーム上には、屋根付きの待合所が無いため、この日のように暑い日にホーム上で列車を待つ場合は、なるべく木陰(こかげ)を利用するようにしました。

小和田駅構内の様子をホーム東端側(中井侍方)から見る

 写真左側(南側)に見える旧上りホームの線路跡には、砂利(バラスト?)がたくさん積まれていました。


小和田駅のホーム東端側(中井侍方)から北方向に見える天竜川

 写真左下に見える天竜川の、川の流れが左奥方向になっている場所辺りが、静岡県、愛知県、長野県の3県の県境地点になるようです。

 3県の県境地点は、小和田駅の約400mほど北東になります。

 また、小和田駅から北東方向に歩いて約30分(約1km)のところにある高瀬橋は、写真左奥の場所辺りにあります。



ホーム東端側から中井侍駅方面を見る

 写真奥方向が東方向で、中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。

小和田駅の中井侍方にある吹雪沢橋梁と長尾トンネル

 小和田駅の東方の中井侍方(天竜峡・飯田方)には、全長 38mの吹雪沢橋梁と、全長 685mの長尾トンネル(51)があります。

 吹雪沢橋梁は、小和田駅の北東にある高瀬橋へ行く途中の小道からも上方に見ることができます。

 小和田駅のホーム東端側(中井侍・飯田方)から望遠にて撮影。



小和田駅から出発して中井侍駅方面へ行く313系
(←写真左)

 小和田駅から出発して中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)へ行く、313系3000番台(R107編成・2両編成)「普通 岡谷」行です。

 写真奥方向が中井侍駅方面で、後追い撮影の形となっています。

 写真左側に見えるホーム上の架線柱には、列車接近表示器が取り付けられています。


 2022.06.29[13:20]現在

中井侍駅方面から小和田駅に到着する313系
(←写真左)

 中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)から小和田駅に到着する、313系3000番台(R103編成・2両編成)「普通 豊橋」行です。

 小和田駅のホーム中ほどにて撮影。


 2022.06.29[16:01]現在

小和田駅のホーム上にある列車接近表示器

 ホーム上の架線柱には、列車接近時に踏切と似たような音が出て、写真のように「列車がきます」と表示される列車接近表示器が取り付けられていました。

 小和田駅から帰る時の列車が到着した時に撮影したものです。

 2022.06.29[16:01]現在


小和田駅にて乗車した313系車内案内表示器の「小和田」表示

 また、いつか訪れる日まで、小和田駅が自然災害、事故なども無く、平穏無事であって欲しいものです。

 2022.06.29[16:01]現在





かつての小和田駅はこんな感じだった!?
かつての小和田駅の想像スケッチ図

 かつての、とある日の小和田駅の様子を想像・イメージしてスケッチしてみたものになります。

 あくまで私個人の想像・イメージ図となりますので、実際のかつての小和田駅周辺の様子とは異なります。

 かつての小和田駅の北側下方の天竜川沿いには、多くの家屋などの建物が建っていて、天竜川対岸を行き来できた佐太橋(小和田駅の西北西約500m。1923年/大正12年竣工)もあって、おそらく当時の小和田駅周辺は、周囲に住む方々の日常生活があって、それなりに活気があったものと思われます。

 しかしながら、1956年(昭和31年)10月に佐久間ダムが完成したことにより、小和田の天竜川岸に近い集落と、対岸を行き来できた佐太橋はダム湖(天竜川)に水没することになってしまい、その結果として小和田駅周辺は活気を失っていくこととなり、その後の長い年月をかけて、小和田駅は現在のような「秘境駅」となってしまったようです。






飯田線(JR東海) 小和田駅周辺 Iida Line

小和田駅前「愛の椅子」

 小和田駅前から散策道を西方向に下りて行くと、まず最初に出会うのがこの「愛の椅子」です。

 この東屋と椅子は、1993年6月6日に、ここ小和田の地で結婚式を挙げるカップルに第一に利用してもらうために新設されたもののようで、臨時列車「花嫁号」で小和田駅に到着された新婚さんは、この椅子に実際座られたそうです。

 椅子には、「小和田発ラブストーリー 愛 お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれていますが、「愛」の赤い字は、だいぶ退色してしまっているようです。

 また、かつては、この椅子に座ると、センサーが反応して天井のスピーカーから音楽が流れたのだそうです。

 ☆小和田駅前「愛の椅子&結婚式場跡」詳細ページはこちら♪


小和田駅下(北側)にある結婚式場跡の広場

 「愛の椅子」の向かい側(東側)あたりに、ちょっとした広い空き地がありました。

 今は草木に覆い尽くされようとしていますが、この場所が1993年6月6日に行われた結婚式の主要会場になったのではないかと推測しています。

 なお、現在この場所には、かつて住居などの建築物があったと思われるコンクリートの基礎跡が残っていました。

 ネット上で見た古い写真では、2001年11月時点では、ここに黒っぽい屋根を持つ東西に伸びた建物と水色の屋根の建物があったようです。

 いずれの建物も、屋根と床と柱のみ(一部壁面有り)だった可能性があり、朽ちるのは早かったと思います。


 ☆小和田駅前「愛の椅子&結婚式場跡」詳細ページはこちら♪


製茶工場跡

 小和田駅前の散策道を、「愛の椅子」がある場所から少し下りて行くと、屋根には穴が開いて、内部は古い機器類等が散乱し、かなり朽ち果てつつある製茶工場跡があります。

 上の写真は、製茶工場跡を北側(天竜川側)から撮影したものです。


 ☆「製茶工場跡&住居跡」詳細ページはこちら♪


住居跡

 製茶工場跡の向かい側(東側)には、住居跡があります。

 この住居跡は、1993年6月6日にこの地で行われた結婚式において、関係者により挙式の準備などに利用されたらしいです。

 上の写真は住居跡を南東側から撮影したものです。


 ☆「製茶工場跡&住居跡」詳細ページはこちら♪


遺棄されたダイハツ ミゼット(天竜川近く)

 住居跡の北東側の小道沿いには、有名な遺棄されたダイハツ ミゼットの残骸があります。

 車体後部の荷台側面には「豊橋工場」と書かれているようで、調査力のある方ならばひょっとしたら、このミゼットの出自(しゅつじ)が判明するかもしれません。

 写真左側(北側)は、天竜川が流れていて、今は佐久間ダムのダム湖(佐久間湖)と言ったほうがいいのかもしれませんが、現在の川岸となっている水面のすぐ下あたりに、佐久間ダム建設前のかつての小和田の集落がありました。

 ネット上で拝見させて頂いた小和田駅建設時の貴重な写真を見た感じでは、この場所を中心として東西に約200mにわたって少なくとも約10棟の建物があったようです。

 それらの建物が住居または商店なのか、あるいは工場や事務所、学校、公的施設、宿泊施設なのか等の区別は、わたしでは調査できていません。


遺棄されたダイハツ ミゼット(2台)

 こちらも有名な遺棄された2台のダイハツ ミゼットの残骸です。

 住居跡の南東側にあります。


 ☆「小和田駅のダイハツ ミゼット」詳細ページはこちら♪


小和田池之神社

 小和田駅の散策道を下りて、製茶工場跡の西側にある沢を西方向へ渡ると、写真の小和田池之神社に続く小道があります。

 小道は比較的良く整備されていて、製茶工場跡から徒歩で約5分程度で小和田池之神社に到達することができます。

 この小和田池之神社では、山神と水神が祀られているようです。

 なお、この小和田池之神社は、かつては池の畔(ほとり/水際)にあったために「池之神社」と名付けられた、とか、佐久間ダム建設時に水没することになってしまったのでこの場所に移設された、などの説があるそうですが、確定的なことはわかっていないようです。

 ☆「小和田駅西方にある小和田池之神社」詳細ページはこちら♪


高瀬橋(たかせはし)

 小和田駅の北東約1km辺りのところにある、有名な朽ち果てつつある吊り橋の高瀬橋です。

 上の写真は高瀬橋と言っても、厳密には、高瀬橋の吊り橋のケーブルを支える小和田側の主塔(タワー)となっています。

 高瀬橋は、天竜川の支流の河内川に架かっていて、かつては小和田地区と中井侍駅方面を連絡し、小和田地区と他の集落を行き来できる数少ない生活通路の1つとして機能していました。

 現在は吊り橋の踏み板はほとんど崩落していて、通行できない状態となっています。

 ネット上の情報によると、昭和50年代頃に崩落が始まって、1983年(昭和58年)頃には通行禁止となっていたようです。

 現在朽ち果てつつある高瀬橋は、1957年(昭和32年)1月に竣工していますが、1936年(昭和11年)4月に発行された地図では、同じ場所にすでに橋は架かっていたようですので、現在の高瀬橋竣工以前および佐久間ダム完成以前、飯田線の小和田駅開業以前も、小和田地区と中井侍方面の行き来はできていたことになります。

 なお、この高瀬橋を通る小和田地区と中井侍地区を連絡する道は、小和田駅下に遺棄されているダイハツ ミゼット(計3台)がどこからやって来たのか、というテーマを考察する際にとても重要な道となっています。


 ☆「小和田駅北東にある高瀬橋」詳細ページはこちら♪


天竜川で活躍する浚渫船と土運船(←写真左)

 この日、小和田駅を訪れた時、天竜川のほうから「グオ~ン グオ~ン」と機械音がしていたので、すぐに浚渫船がいるとわかりました。(大嵐駅で経験済み)

 佐久間ダムのダム湖である佐久間湖とその上流の天竜川では、湖底や川底に堆積する土砂を取り去る作業を行う浚渫船(しゅんせつせん)が活躍しています。

 写真は、小和田駅下の住居跡北側の天竜川沿いから撮影したもので、写真の浚渫船は、船に設置されたクローラークレーンで湖底の土砂を取り除き、土運船(どうんせん)に積むタイプの「グラブ浚渫船」だと思われます。


 ☆「小和田駅下方の天竜川の浚渫船」詳細ページはこちら♪




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