飯田線の小和田駅下方の朽ち果てつつある製茶工場跡と住居跡を訪ねる 鉄道関連趣味の部屋♪
このページでは、現在では飯田線の秘境駅として知られる小和田駅(こわだえき)の近くに現在も遺る
製茶工場跡と住居跡を訪ねてみた時の様子を撮影した写真を掲載、ご紹介しています♪
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小和田駅(小和田-中井侍) こわだ |
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愛の椅子 結婚式場跡 |
製茶工場跡 住居跡 |
遺棄された ダイハツ ミゼット |
小和田池之神社 | 高瀬橋 | 天竜川の 浚渫船 |
飯田線の小和田駅下方にある製茶工場跡 | ||
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製茶工場跡と住居跡 現在は飯田線の秘境駅として知られる小和田駅で下車して、駅前西側にある「散策道」を下りて行くと、今では使われなくなった製茶工場跡と住居跡があります。 上の写真は、製茶工場跡(写真右)と住居跡(写真左)を北側(天竜川側)から撮影したものです。 製茶工場の内部を詳しく見られた方の記事によると、製茶工場内には、昭和39年(1964年)5月から昭和52年(1977年)5月までの日付が記述されていたのが見られたそうで、そうすると製茶工場は少なくとも昭和52年(1977年)5月までは稼動していたことが推測されるようです。 小和田駅は、三信鉄道により1936年(昭和11年)12月30日に開業されましたが、1956年(昭和31年)10月に完成した佐久間ダムが、当駅周辺の小和田地区を非常に交通アクセスの悪い場所(特に自動車)にしてしまいます。 それでも、この製茶工場は、佐久間ダム完成後にあっても、約13年に渡って製茶工場本来の活動を継続していた可能性があります。 佐久間ダム完成後も、小和田から別の集落や町へダイハツ ミゼットのような小さい軽トラックやオートバイで行き来できたと思われるルートは2つあって、ひとつは大嵐・水窪方面(西山林道)へ出る小和田駅から南西方向への道、もうひとつは小和田駅の北東約1kmあたりのところにある高瀬橋を渡って中井侍駅・平岡方面へ続く天竜川沿いの道があったと推測しています。 しかし、大嵐・水窪方面(西山林道)へ出る南西方向の道は、門谷川に架かっていた橋の崩落あるいは土砂崩れなどの理由(推測)により1982年頃(昭和57年頃)に通行不能(ネット上の情報)となり、高瀬橋は昭和50年代頃に崩落が始まって1983年(昭和58年)頃には通行禁止となったようで、現在では、小和田駅周辺と他の集落や町を行き来できる、人が普通に歩けるような道は、塩沢集落へ通じるバイクや自動車が通行できない徒歩約1時間の険しい山道を残すのみとなっています。 また、小和田駅は、1971年(昭和46年)12月1日に貨物・荷物の取り扱いを廃止して純粋な旅客駅となっています。 このように見ていくと、1983年頃(昭和58年頃)には、オートバイや軽トラックで小和田駅から別の集落や町へ行き来できる道は無くなっていると個人的には考えていますので、飯田線の貨物列車も利用できなくなった状況では、昭和52年(1977年)5月以降の昭和50年代には製茶工場が廃業となったと推測できるものと思われます。 2022.06.29現在 |
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製茶工場跡と住居跡 小和田駅前の西側にある「散策道」を下りて行くと、「愛の椅子」東屋があって、さらにその下のほう(北方向/天竜川方向)に、製茶工場跡と住居跡があります。 上の写真は、製茶工場跡(写真左)と住居跡(写真右)を、「愛の椅子」東屋がある辺りから撮影したものです。 写真左側にある製茶工場跡は屋根部分が見えているのですが、屋根には大きな穴が開いて崩れかかっていて、また屋根上には草が絡み付き、落ち葉が堆積するなど状態が非常に悪く、上の写真では自然の緑と同化しつつあり、見にくくなっています。 |
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製茶工場跡を北側(天竜川側)から見る 製茶工場の北側には大きな3連の窓があったようです。 この製茶工場は斜面に建っているため、石垣の上にさらに高床式の建物が建っているという構造になっているようです。 現在では、床がすっかり抜け落ちてしまっていて、建物自体の損壊も激しいため、多くの方が倒壊を心配しています。 |
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製茶工場跡を東側から見る 写真右下のほうに下りて行くと、小和田駅の北側を流れる天竜川に出ます。 反対に写真左上方向(南方向)に上がって行くと、「愛の椅子」東屋があり、さらに上がって行くと小和田駅があります。 上の写真では、ドラム缶が放棄されているのがわかります。 |
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製茶工場跡を西側から見る 製茶工場跡の西側も、損壊が激しい状態となっています。 なお、製茶工場跡の西側には沢があって、沢を渡って西方向へ行くと、小和田池之神社のほうへ行くことができます。 |
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製茶工場跡の屋根を南側上方から見る 屋根には穴が開き、草が絡み付いて落ち葉が堆積しています。 写真奥方向が北方向で、天竜川が流れています。 |
製茶工場跡の東側 写真左下にはレジスターとヘルメットが見えています。 |
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製茶工場跡の東側 製茶工場稼動当時は、こちら側にも壁や扉があったものと思われます。 |
円柱型の機器?ボイラーかも 製茶工場跡には、赤錆びた円柱型の機器がありました。 これは何だったのでしょうか? 茶葉の製造工程を調べてみると、茶の葉を蒸気で蒸す、冷却機で蒸された茶の葉を冷やす、乾燥した熱風をあてて打圧を加え揉む、切断して形を整える、などの工程があるようです。 上のほうにパイプがつながっていますので、蒸気または熱風を送り込むボイラーが、いちばん可能性が高そうです。 なお、写真左上のほうには、レジスターとヘルメットが見えています。 |
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製茶工場跡にあったレジスター この場所にレジスターが放置されているということは、これが製茶工場のものかどうかに関わらず、この付近に商店の機能を持った家屋があったことを示しているものだと思われます。 一説には、この製茶工場の一角に商店があったのではないか、とも推測されていますし、製茶工場で作られたお茶が、ここで量り売りされていたのかもしれません。 また、ダイハツ ミゼットが2台遺棄されている場所(この場所から約50m東方)には、かつて小和田駅にあったと思われる運賃表が放棄されていましたので、このレジスターが小和田駅の駅舎内にあった可能性も否定しきれないのではないでしょうか。 ちなみにこのレジスターは、左下のほうに「Fuji」と造形されたネームプレートが付いていますので、富士金銭登録機のものと思われます。 なお、写真右上のほうにはヘルメットが見えています。 ☆2022年9月8日追記 図書館で飯田線の本を読んでいたら、現在の製茶工場跡にはどうやら商店も併設されていたようで、製茶工場と商店を小沢さんという方が経営していたようです。 商店には米と塩が売っていた、という記述がありました。 |
製茶工場跡内部(南側)の様子 内部は、廃墟にありがちな、モノが散乱した状態になっています。 なお、製茶工場内にあった機器類には「yagi's」という銘板があるのを調査された方がいらっしゃって、これは「八木式」のことを意味していて、八木式粗揉機(そじゅうき)、八木式精揉機(せいじゅうき)、乾燥器などは、開発者の八木家から特許権を譲り受けた株式会社川﨑鉄工場(1905年創業。現在のカワサキ機工株式会社)で製造されていたようです。 |
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製茶工場跡内部(北側)の様子 製茶工場の北側(天竜川側)は、高床式の構造となっていたようで、今では床部分が抜け落ちています。 製茶工場の北側と南側の間にある、写真に見えるコンクリートの擁壁(ようへき)が、比較的綺麗な状態だったのが意外でした。 |
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製茶工場跡を北側から見る~特徴ある大きな窓 大きめの3連の窓には、かつてガラス戸があったのでしょうか。 それとも、板の開閉式の窓となっていたのでしょうか。 |
製茶工場跡を北側から見る~抜け落ちた床 石垣の上に建っていた製茶工場の北側部分の床は抜け落ちて、下のほうに資機材などが落下しています。 |
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製茶工場跡東側から南方向上方を見る 写真上のほう(南方向)へ続く散策道の先には、「愛の椅子」がある東屋の一部が見えています。 また、写真左側(東方向)には住居跡の一部が見えています。 |
製茶工場跡を北東側から見る 写真では見えていませんが、写真左側に見える苔むしたコンクリート擁壁の上に住居跡があります。 |
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製茶工場跡西側にある沢~小和田池之神社へ続く小道 (←写真左) 写真左側に見える建物が製茶工場跡で、製茶工場が建っている石垣の右側には小道が、さらにその右側には沢があります。 写真に見える小道をもう少し奥のほうへ行くと、小道が沢に突き当たって行き止まりのように見えますが、沢に横たわる大きな石を渡って西方向(写真右方向)へ行くと、綺麗に整備された小道に出会うことができます。 その小道を西方向へ約5分ほど歩いていくと、小和田池之神社があります。 |
飯田線の小和田駅下方にある住居跡 | |
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住居跡 小和田駅前の散策道を天竜川のほうに下りて行くと、製茶工場跡の向かい側(東側)に住居跡(民家跡)があります。 上の写真は、住居跡を北側(天竜川側)から見たものです。 もちろん、こちらの住居跡も状態は悪いわけですが、製茶工場跡の朽ち果てつつある状況に比べれば、まだ住居としての面影をしっかり残しているほうだと言えます。 この住居跡は、小道(散策道)をはさんで製茶工場と東西に対をなすようにして建っていて、規模も結構大きいため、訪問者の方の中には製茶工場関係者の宿泊所のような機能を持った住居だったのではないか、とか製茶工場の持ち主の住居だったのではないか、などの推測がなされていますが、詳細は現時点では不明です。(詳細がわかれば後日加筆訂正します) この住居には、当然と言えば当然かもしれませんが、トイレとお風呂があったことが、他の訪問者の方により確認されています。 そのほか、この住居跡の内部には製茶機器類があったというようなレポートも見かけました。 また、ここ小和田駅の地で1993年6月6日に1組のカップルの結婚式が行われたわけですが、この住居跡はひょっとしたら、その時に結婚式の準備などで関係者の方達に利用されたのではないかと推測される方もいらっしゃいます。 この住居跡は比較的状態も良いですし、当時の結婚式の資機材なども小和田駅舎とこの住居跡ぐらいしか置いておくことはできなかったでしょうし、住居跡内部に比較的新しいモノが遺棄されているなどの状況から、そのように推測されているものです。 |
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住居跡を北西側から見る 住居跡を北西側(天竜川側)から見たものです。 住居跡を北側から見ると、2階建てのように見えますが、反対側の南側から見ると1階建てのように見えるのが特徴的です。 また、住居の目の前(北側)は天竜川ですので、北側の窓からは天竜川が雄大に流れる景色が見えていたものと思われます。 しかしながら、現在の天竜川岸辺近くの水面下には、かつての民家などが水没してしまっているわけで、佐久間ダムができる以前の小和田の集落を知っている方達にとっては、その景色はどこかやるせないものが漂っていたかもしれません。 |
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住居跡を北東側から見る コンクリート擁壁の上に、酒の一升瓶のようなものが見えているのがおわかりでしょうか。 さすがにこの瓶は、何らかの理由で偶然この場所にあるものではなく、小和田駅が秘境駅として注目されるようになってから、誰かが人為的にこの場所に置いたものと思われます。 それとも、最後にこの住居から去って行った方が、あそこから見える景色を眺めながら惜別の酒を飲んだ一升瓶が、そのままあの場所に残っているのでしょうか。 わたしは帰宅してから写真を見て気付きましたので、いずれにせよ、瓶が写真手前側に落下してきたら、こちら側は人が歩く通路となっていますので、危険なため安全な場所に移動させたほうがいいと思われます。 酒は、かつてこの地で日常生活を営んでいた人達にとっては、晩酌(ばんしゃく)などで日々の仕事の疲れを癒すための必須アイテムとなっていたのではないでしょうか。 また、人によっては、佐久間ダムの完成によってすっかり小和田の風景が変わってしまった寂しさを紛らわすために飲んでいた人もいらっしゃるかもしれません。 |
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住居跡を南東側から見る こちら側から見る住居跡は、北側から見る立派な造りとは全く異なり、古めかしい平屋建て(1階建て)の長屋のようなイメージの建物として見えてしまいます。 それでも製茶工場跡と比べると、まだしっかりと建っているように見えます。 |
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住居跡を南西側から見る こちら側から見る住居跡は、また違ったイメージの姿を見せ、瓦葺きでないスレートの屋根が、どこかモダンな感じを醸し出しています。 写真には写っていませんが、写真左側(西側)に製茶工場跡があります。 |
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住居跡を西側から見る 住居が段状の土地に建てられているため、北側(左側)から見ると2階建てのように見え、南側(右側)から見ると1階建てのように見えることがわかります。 写真右側の部分にはブルーシートがかけられています。 |
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住居跡の内部~放置された台所用品など 住居跡の内部を覗いてみました。 思ったよりも小綺麗にモノが置かれていたように思います。 通常、放棄された旅館や食堂の中をのぞいてみると、食器やグラスは割れて散乱し、布団類もそのまま放置といったケースが多いことを考えれば、まだ整理されているほうだと思います。 写真左下のほうには、ヤマイチしょうゆ、LPガスの小型ボンベが見えています。 写真右奥の食器棚辺りには、フライパン、おたま、箸(はし)、お皿、湯呑(ゆのみ)、ニッカ ウイスキーの瓶、アラ!(海苔佃煮の瓶)、アルミホイル、コンセントなどが見えます。 また、写真右下のテーブルの上にはポット、クレンザー、そして1993年6月の結婚式の際に使用されたのかもしれない大量の御猪口(おちょこ)または盃(さかずき)が見えています。 そして、とても気になったのが、右下のテーブルの左下奥側に転がっている瓶なのですが、拡大して見てみると梅干しのようにも見えました。 梅干しだとしたら、梅干しには100年モノもあるようですが… 出所のわからないものは絶対に口にしてはいけないです×。 |
住居跡の内部~タンス タンス内には食器類のほか、徳利(とっくり)のようなものも見えました。 また、タンスの上には、酒の一升瓶のようなものが見えています。 ところどころに酒類に関するものが見受けられるのは、かつてこの地に人々の生活が確かにあったことを一層強く感じさせるものとなっています。 大袈裟かもしれませんが、酒はこの地に生きる人々に、幸福感や勇気、元気といったものを与えたのではないでしょうか。 前述のとおり、佐久間ダムの完成によってすっかり小和田の風景が変わってしまった寂しさを紛らわすために飲んでいた方もいらっしゃるかもしれません。 |
住居跡の内部~住居入口っぽい 写真下のほうには、靴を脱ぐ場所と住居内の奥のほうへ続く廊下のような部分が見えています。 また、写真上部の天井には、昭和時代を象徴するかのような裸電球を備えた笠付き電灯が見え、右下に見えるダンボールには「詰合ゼリー」と書かれています。 |
住居跡の内部~朽ち果てつつある障子がすごい 写真をご覧になっておわかりのとおり、住居跡内部にある障子(しょうじ)の紙の朽ち果て具合が、ほんとうに怪談にでてきそうな、いい具合で朽ち果てつつあるのがすごかったです。 |
住居跡内部の様子~土間 写真左側に見える空間は、古い日本家屋によく見られる、作業場や炊事場として使用された、いわゆる土間(どま)となっているようです。 写真左奥が上述した台所用品などが見られた場所で、左側には住居跡西側にかけられているブルーシートが見えています。 |
住居跡を西側から見る 写真左側に見える窓ガラスから住居跡内部を覗くと、上述の台所用品などが見られます。 写真右側を見ると、住居跡にブルーシートがかけられているのがわかります。 |
住居跡南西側にある「塩沢まで1時間」の案内標識 塩沢集落は、小和田駅から直線距離で東北東に約1.7km、自動車やオートバイが通行できる天竜川林道沿いにある集落です。 製茶工場跡や住居跡、ダイハツ ミゼットが遺棄されている場所辺りからは、天竜川沿いを東方向(中井侍方面)へ行くことのできる小道が続いていて、その道を歩いて約1時間で塩沢集落に到達できるようです。 天竜川沿いの小道を北東方向へ約20分ほど歩いていくと、途中に、かつて中井侍駅方面へ続いていた高瀬橋(現在は崩落・通行止め)へ行く道と、山のほうへ上る道が分岐していて、山のほうへ上る道を行くと塩沢集落のほうへ出ることができます。 小和田駅から塩沢集落へ向かった人達のレポートを拝見させて頂くと、道中は山中の道で厳しい上りもあり、結構大変そうですので、小和田駅から塩沢集落へ行ってみたい人は、それなりに体力や装備品に十分注意していただければと思います。 また、塩沢集落へ出れば一安心というわけではなく、天竜川林道を歩いて大嵐駅方面へは約14km、中井侍駅方面へは約12kmと相当の距離があることも要注意です。 チャレンジャーになりたいわけでなければ、小和田駅と塩沢集落を往復するぐらいにとどめておくのが良いと思われますし、あまり無理をして小和田駅から塩沢集落に行くのも避けたほうが良いと思います。 |
住居跡と製茶工場跡を北側から見る 天竜川のほうへ少し下りて行った場所辺りから撮影したもので、写真左側が住居跡、右側が製茶工場跡になります。 |
住居跡と製茶工場跡を北側から見る② 天竜川沿いにある小道まで下りて行った場所辺りから撮影したもので、写真左側が住居跡、右側が製茶工場跡になります。 |
住居跡を北西側から見る 天竜川沿いにある小道まで下りて行った場所辺りから撮影したものです。 |
住居跡と製茶工場跡を北側から見る③ 天竜川沿いにある小道まで下りて行った場所辺りから撮影したもので、写真左側が住居跡、右奥側が製茶工場跡になります。 写真右側に製茶工場のほうへ上っていく道が見えていますが、この道を上がって行くと小和田駅まで続いています。 この道は、小和田駅が三信鉄道により1936年(昭和11年)12月30日に開業されてから佐久間ダムが完成する1956年(昭和31年)10月までの約20年間にわたり、今は天竜川に水没してしまった小和田の集落の人々にとっての駅前通りとして利用されていたことでしょう。 なお、約20年間と書きましたが、水没することになった小和田の集落の移転は、当然ながら佐久間ダム完成以前には完了していたでしょうから、実際には確実に20年以下となります。 |
住居跡を北西側から見る 住居跡を北側から見ると、まるで2階建ての旅館だったかのような立派な佇まいを見せています。 なお、写真手前側の平地の部分は、通路として歩ける場所になっています。 |
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住居跡下から東方向を見る 写真奥方向が東方向で中井侍駅方面(天竜峡・飯田方面)になります。 写真左下(北側)のほうには天竜川が流れていて、かつてはこの辺り一体の今は水面下となってしまった天竜川沿いには、家屋などの建物が10軒程度はあったことが古い写真からわかっています。 そして、写真奥のほうの小道の先に、何やら見えていますが… |
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住居跡北東側に遺棄されているダイハツ ミゼット (←写真左) そうです。 住居跡北東側の天竜川沿いを通る小道の道端には、秘境駅の小和田駅と一体となって知られていると言っても過言ではない、遺棄されたダイハツ ミゼットがあります。 かつては小和田の地と別の集落や町を行き来して活躍したであろうこのダイハツ ミゼットは、今はその役目を終えて、この地で静かに時間をかけて朽ち果てようとしています。(ミゼットがこの場所にある経緯は諸説有り) |
小和田駅(小和田-中井侍) こわだ |
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