トミカ フォーミュラカー・レーシングカー |
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スポーツカータイプ TOY展示室 TOMICA TOY Gallery |
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コルト F2000 1972年11月に発売された「コルト F2000」(No.51)のトミカ(日本製/No.51-1)です。 「コルト F2000」は、三菱が日本グランプリフォーミュラレースに投入したフォーミュラカーで、1971年に永松邦臣選手のドライブにより優勝を獲得しているそうです。
「三菱 コルト F2000」は、最高出力約290馬力(PS)の1,994cc直列4気筒DOHC「三菱 R39B」自然吸気(NA)エンジンを搭載していたそうです。 なお、1971年に日本グランプリで優勝を獲得した「三菱 コルト F2000」の実車は、現在では愛知県岡崎市にある「三菱オートギャラリー」にて展示されていることがあるそうで、見学の際は予約をすることで、入館料は無料で見学することができるそうです。 ただし、展示車両は定期的に入替がおこなわれるそうなので、本車の実車を見たい方は、あらかじめ事前に必ず「三菱オートギャラリー」に展示の有無の確認をする必要があります。 また、同施設はコロナウイルス感染症の感染拡大防止のために休館している時もあるので、行ってみたい方は必ず事前に開館しているかどうかを確認してください。
COLT F 2000 tomica NO 51 S=1/50 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥180円 スーパースピード 発売期間 1972年11月~1979年9月 2021.04.04現在 |
スポーツカータイプ ※スポーツセダン、スペシャルティカーを含む |
フォーミュラカー・レーシングカー |
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ニュートヨタ-7 1971年7月に発売された「ニュートヨタ-7」(No.23)のトミカ(日本製)です。 写真のトミカは、本来車体に貼られているべき「7」(フロント)や「TOYOTA」(リアウイング)などのシールがすべて剥落してしまっているものと思われます。
NEW TOYOTA 7 NO.23 S=1/58 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥180円 発売期間 1971年7月~1980年7月 (参考~トミカの定価推移・税別〉 1970年9月 ¥180円(発売開始) 1974年 ¥220円 1976年 ¥240円 1980年 ¥280円 1981年 ¥320円 1991年 ¥360円 2014年2月1日 ¥450円 (参考~消費税率の推移) 1989年(平成元年)4月1日 3.0% 1997年(平成9年)4月1日 5.0% 2014年(平成26年)4月1日 8.0% 2019年(令和元年)10月1日 10.0% 2019.07.23現在 |
トヨタ7 2005年2月に発売された、トミカと「ネコ・パブリッシング」とのコラボレーション「トミカ・コレクターブック No.11 カー・マガジン エディション」に付録として同梱されていた「トミカリミテッド」の「トヨタ7」です。 このトミカの「トヨタ7」は、1970年の日本GPに出場するために造られたものの、日本GPが中止となり、出場することができなかった3代目「トヨタ7」の2台のうちの、ブルーのラインの「トヨタ7」となっているようです。 なお、もう1台の赤いラインの「トヨタ7」は、「トミカリミテッド 0050」として2005年2月に発売されているようです。
NEW TOYOTA 7 NO.23 S=1/58 MADE IN CHINA トミカ・コレクターブック No.11 カー・マガジン エディション 当時発売価格 ¥2,000円(税込/消費税率 5%) 2019.01.07現在 |
ホンダ F1 「株式会社ホンダダイレクトマーケティング」(企画販売)から発売された「HONDA MINIATURE CAR」の「ホンダ F1」のトミカ(日本製/No.73-1-11)です。 カーナンバーが「5」となっているのが特徴です。
HONDA F-1 tomica NO.73 S=1/54 MADE IN JAPAN 2021.01.18現在 |
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タイレル P34 フォード 1977年10月に発売された「タイレル P34 フォード」(No.F32/外国車シリーズ・イギリス車)のバリエーションのうちの1台となっているトミカ(日本製/No.F32-1)です。 「タイレル P34」は、当時のF1コンストラクター「ティレル(タイレルともいう/チームオーナー ケン・ティレル)が、F1史上初および唯一の奇抜な6輪車として開発・製造し、F1世界選手権の1976年第4戦スペインGPから1977年最終戦まで投入したマシンで、「シックスホイーラー」とも呼ばれています。 この「タイレル P34 フォード」のトミカは、カーナンバー「3」、マシンのカラーリングが白と青のツートーン、エンジンが見えるカウルとなっていますので、1977年のF1世界選手権の第6戦モナコGP(決勝リタイア)と第7戦ベルギーGP(決勝3位)あたりに投入された、ロニー・ピーターソンの搭乗車がモデルになっているものと思われます。
「タイレル P34」(ティレル P34)は、当時のティレルのデザイナーであるデレック・ガードナーの設計により開発されたF1マシンで、フロントタイヤを小径にして空気抵抗を減少させて、トップスピードを向上させるために考案されたそうです。 しかしながら、当初期待されたトップスピードの向上は思い通りにはいかず、4輪のフロントサスペンションは剛性不足がドライバーから指摘されたりしたものの、1976年のシーズンでは、ドライバーズ・チャンピオンシップでジョディー・シェクターが3位(49P/優勝1回、2位4回)、パトリック・デパイユが4位(39P/2位4回、3位1回)、コンストラクターズ・チャンピオンシップは3位(71P)、ポールポジションが1回、ファステストラップを2回記録するなどの好成績をあげたそうです。
「ティレル P34」デビューの2年目となる1977年のシーズンは、シェクターに代わりマーチから移籍したロニー・ピーターソンがドライブすることとなり、プレシーズンテストでは期待されたトップスピードの向上も達成されたものの、シーズン決勝では思うような成績をあげられず、マシンにさまざまな改良を施しますが、独特な小径前輪タイヤのグッドイヤーとの開発が進まないという問題や、デザイナーのデレック・ガードナーのチーム離脱が決まるなどの悪条件が重なり、「ティレル P34」は1977年のシーズン投入が最後となり、2年弱で姿を消すこととなりました。 1977年のシーズンでは、ドライバーズ・チャンピオンシップでロニー・ピーターソンが14位(7P/3位1回)、パトリック・デパイユが9位(20P/2位1回、3位2回)、コンストラクターズ・チャンピオンシップは6位(27P)となったようです。
なお、「ティレル P34」のエンジンは、排気量2,993cc、最高出力405馬力(hp)のフォード・コスワースDFV 90度V型8気筒エンジンを搭載しています。
TYRRELL P34 FORD (※パッケージ表記) TYRRELL P-34 FORD tomica © 1977 TOMY NO.F32 S=1/52 MADE IN JAPAN 「タイレル P34 フォード」(No.F32-1) 発売期間 1977年10月~1983年1月 2020.12.09現在 |
ロータス 78 フォード 1978年1月に発売された「ロータス 78 フォード」(No.F36/外国車シリーズ・イギリス車)のトミカ(日本製/No.F36-1-1)です。 「ロータス 78」は、当時のF1コンストラクター「チーム・ロータス」が、F1世界選手権の1977年と1978年のシーズンに投入したマシンで、「ロータス」における呼称は、スポンサーの名を冠した「ジョン・プレイヤー・スペシャル・マークⅢ」(John Player Special Mk.Ⅲ)となっているそうです。 ジョン・プレイヤー・スペシャル(John Player Special)は、イギリスの「インペリアル・ブランズ」のたばこのブランドで、「ロータス 78」は、その広告塔としても走る黒い車体と金色の文字などがとても特徴的なF1カーとなっています。 この「ロータス 78」のトミカは、カーナンバー「5」となっていますので、マリオ・アンドレッティの搭乗車がモデルになっているものと思われます。
「ロータス 78」は、当時のロータスのコーリン・チャップマン(ロータス・カーズの創業者)、トニー・ラッド(エンジニアリング・ヘッド)、マーティン・オグルヴィ(車両エンジニア)、ピーター・ライト(空気力学)らの設計により開発・製造されたF1マシンで、当時のF1界に、車体下面と地面の間を流れる空気流を利用してダウンフォースを得る「グラウンド・エフェクト革命」を捲き起こしたことで知られるそうです。 「ロータス 78」が投入された1977年のシーズンでは、ドライバーズ・チャンピオンシップでマリオ・アンドレッティが3位(47P/優勝4回、2位1回)、グンナー・ニルソンが8位(20P/優勝1回、3位1回)、コンストラクターズ・チャンピオンシップは2位(62P)、ポールポジションが7回、ファステストラップを5回記録するなどの好成績をあげたそうです。 1978年のシーズンでは、マリオ・アンドレッティが第5戦モナコGPまで「ロータス 78」に搭乗して参戦し、第6戦ベルギーGPからはボディデザインの美しさから「ブラックビューティー」と呼ばれた「ロータス 79」に搭乗して参戦することになり、年間6勝(64ポイント)を挙げて、フィル・ヒル(1961年)以来2人目となるアメリカ人のF1ワールドチャンピオンとなっています。
「ロータス 78」は、アルミニウムモノコックで、変速機はヒューランド FG400 5速マニュアル、エンジンは最高出力480馬力(hp)の2,993cc V型8気筒 フォード・コスワース・DFVのNA(自然吸気)エンジンを搭載し、タイヤはグッドイヤーとなっていたそうです。
なお、1978年に発売された「トミカ スーパーカーCセット」(8台セット)に入っている「ロータス 78 フォード」のトミカ(日本製/No.F36-1-2)は、車体色が赤色基調となっているのが特徴です。
LOTUS 78 FORD tomica ©1978 TOMY NO.F36 S=1/59 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥240円 発売期間 1978年1月~1982年1月 2020.12.17現在 |
マクラーレン M26 フォード 1978年1月に発売された「マクラーレン M26 フォード」(No.F39/外国車シリーズ・アメリカ車)のトミカ(日本製/No.F39-1)です。 この「マクラーレン M26 フォード」のトミカは、一般的にはカーナンバーが「1」となっているようですが、写真のトミカはカーナンバーが「7」となっているバリエーションになります。
「マクラーレン M26」は、マクラーレンがF1世界選手権用に開発したF1マシン(フォーミュラカー)で、デザイナーはゴードン・パトックが担当し、1976年から1978年までの間に計7台が製作されて、優勝3回を記録したそうです。
「マクラーレン M26」は、アルミハニカムを使用したアルミニウムモノコックのシャシー構造で、車両重量は590kg(→585kg)、エンジンは最大出力485馬力の2,993ccV型8気筒「フォード・コスワースDFV」エンジンを搭載し、ギアボックスは6速MTとなっているようです。
McLAREN M26 FORD tomica ©1978 TOMY NO.F39 S=1/56 JAPAN 発売時価格 ¥240円 発売期間 1978年1月~1980年12月 2019.12.10現在 |
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紫電 77 BMW 1978年4月に発売された「紫電 77 BMW」(No.71)のトミカ(日本製)です。 「紫電 77 BMW」は、1977年(昭和52年)に「富士グランチャンピオン(富士GC/グラチャン)シリーズ」にてデビューした「グループ6」のクローズドクーペで、由良拓也氏が1975年に立ち上げたレーシングコンストラクター「ムーンクラフト」が開発・製造した、高原敬武選手のGCマシンなのだそうです。
「紫電 77 BMW」は、当時の考えとして、クローズドボディのほうが空力的に有利と考えられていたため、富士グランチャンピオンシリーズにおける史上初のクローズドボディとなったそうです。 マシン開発には、レーシングカーデザイナーの森脇基恭氏(車体設計)と由良拓也氏(ボディデザイン)が関わっていて、車体製作は「伊藤レーシング」が担当したのだそうです。
当時の「高原レーシング」のスポンサーだったという「Garage 伊太利屋」の文字が、車体のフロント部分、側面、リアウイングに見えています。
当時、華々しくデビューした「紫電 77 BMW」だったそうですが、レーシングカーとしての実戦での性能面ではさまざまな問題を抱えてしまったようで、目立った戦績は残せずに終わったようです。
SHIDEN 77 BMW ©1978 NO.71 S=1/62 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥240円 サスペンション 発売期間 1978年4月~1981年7月 2019.07.23現在 |
アルピーヌ ルノー A442 ターボ 1978年4月に発売された「アルピーヌ ルノー A442 ターボ」(外国車シリーズ・フランス車/No.F48)のトミカ(日本製/No.F48-1)です。 「アルピーヌ ルノー A442」は、フランスの自動車会社「アルピーヌ」(Alpine)によってデザイン・製造され、アルピーヌの親会社である「ルノー」(Renault/フランス)のエンジンを搭載した「ル・マン24時間レース」に投入されたプロトタイプレーシングカーです。 このトミカは、ゼッケンナンバー「8」となっていますので、1977年6月のル・マン24時間レースに参戦し、フランス人のパトリック・デパイユ(Patrick Depailler)とジャック・ラフィット(Jacques Laffite)がドライブした、ルノー2.0L V6ターボエンジン搭載のA442がモデルとなっているものと思われます。
アルピーヌ・ルノーは、1977年6月のル・マン24時間レースには、4台のA442を投入しましたが、結果は4台すべてリタイヤとなったのだそうです。(ポルシェ936/77が優勝) しかし、翌年1978年のル・マン24時間レースでは、アルピーヌ・ルノーはA443、A442B、A442を2台の計4台を投入し、A442Bが2位のポルシェ936/78の追撃をかわし、ディディエ・ピローニとジャン=ピエール・ジョッソー組のA442B(2号車)が総合優勝を果たしたのだそうです。
ALPINE RENAULT A442 TURBO (※パッケージ表記) ALPINE RENAULT A442 tomica ©1978 NO.F48 S=1/57 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥240円 2020.11.26現在 |
フェラーリ 312 T3 1978年11月に発売されたフェラーリ 312 T3」(No.F59/外国車シリーズ・イタリア車)のトミカ(日本製/No.F59-1)です。 「フェラーリ 312 T3」は、F1コンストラクター「フェラーリ」が、F1世界選手権の1975年から1980年まで投入したF1カー「フェラーリ 312Tシリーズ」(312T、312T2、312T3、312T4、312T5)のうちの1つで、「312 T3」は1978年の第3戦南アフリカGPから1979年の第2戦ブラジルGPまで使用されたそうです。 この「フェラーリ 312 T3」のトミカは、カーナンバー「11」となっていますので、カルロス・ロイテマンの搭乗車がモデルになっているものと思われます。
「フェラーリ 312Tシリーズ」は、当時のフェラーリのチーフデザイナーだったマウロ・フォルギエリにより設計されたF1マシンで、1975年から1980年まで使用され、通算27勝を挙げ、コンストラクターズタイトルを4回、ドライバーズタイトルを3回獲得した輝かしい戦績を持つF1カーなのだそうです。 「フェラーリ 312 T3」が投入された1978年のシーズンでは、ドライバーズ・チャンピオンシップでカルロス・ロイテマンが3位(48P/優勝4回、3位3回)、ジル・ヴィルヌーヴが9位(17P/優勝1回、3位1回)、コンストラクターズ・チャンピオンシップは2位(58P)、ポールポジションが2回、ファステストラップを2回記録という成績をあげたそうです。 なお、勇猛な走りで伝説的なドライバーともなっているジル・ヴィルヌーヴは、1978年の最終戦となる地元のカナダGPで、この「フェラーリ 312 T3」(カーナンバー12)に乗ってF1初優勝を挙げています。
1979年のシーズンでは、開幕戦アルゼンチンGPと第2戦ブラジルGPに使用され、ジョディー・シェクターがリタイヤと6位、ジル・ヴィルヌーヴがリタイヤと5位と、あまり振るわなかったようで、第3戦南アフリカGPからは「フェラーリ 312 T4」が投入され、シーズン中はワンツーフィニッシュを3回、計6勝を挙げるなど着実な成績を残し、フェラーリはコンストラクターズタイトル(113p)を、ジョディー・シェクターはドライバーズタイトル(51P)を、ヴィルヌーヴは2位(47P)を獲得しています。
「フェラーリ 312 T3」は、平らなボディ形状が特徴的で、車両重量は580kg、最高出力約515馬力(hp)の2,991cc水平対向12気筒「フェラーリ Tipo(タイプ) 015」NA(自然吸気)エンジンを搭載し、変速機は5速MT、タイヤはミシュランとなっていたそうです。
FERRARI 312 T3 tomica ©1978 TOMY NO.F59 S=1/55 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥240円 2020.12.21現在 |
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ブラバム BT46 アルファロメオ 1978年12月に発売された「ブラバム BT46 アルファロメオ」(No.F61/外国車シリーズ・イギリス車)のトミカ(日本製/No.F61-1-1)です。 「ブラバム BT46 アルファロメオ」は、1978年のF1シリーズ第3戦「南アフリカGP」においてデビューし、1979年の開幕戦「アルゼンチンGP」まで使用されたF1マシンで、当時のドライバーだったニキ・ラウダ、ジョン・ワトソン、新人のネルソン・ピケのドライブにより、トップグループの一角として活躍したマシンです。
デザイナーは、後にマクラーレンのF1マシン「MP4/4」(1988年にセナ、プロストにより全16戦のうち15勝、セナが初のドライバーズチャンピオンとなったホンダエンジン搭載のマシン)やロードカー「マクラーレン・F1」を開発したことでも知られるゴードン・マレーが担当し、1977年に発表され、ラジエーターやオイルクーラーに代わる表面冷却システム(サーフェイス・クーリング)という新機軸を採用して注目を集めたそうです。 しかし、新機軸の表面冷却システムは、テスト走行において、ボディ表面に発生する境界層が冷却装置の熱交換を妨げ、真冬のシルバーストーンサーキットでも水温がオーバーヒートしてしまったそうで、対策が実戦デビューに間に合わず、実戦では使用されなかったそうです。
実戦デビューした「ブラバム BT46」は、ラジエーターはノーズに戻され、二重フロントウイングの間に薄い一体型のラジエーターを置く「ラジエーターウイング方式」とされ、オイルクーラーはエンジンカウルの横に張り出して設置されたそうです。 また、エンジンは、最高出力500馬力のアルファロメオ水平対向12気筒エンジンを搭載し、フレームは「BT44」で成功した三角断層のフルモノコックで、そのほか、ダンロップ製カーボンブレーキディスク、ダッシュボードの切替え式デジタルディスプレイ、データロガー装置、内蔵式エアジャッキなどの当時としては意欲的な技術が採用されていたそうです。 なお、1978年の第8戦「スウェーデンGP」では、テールエンドにラジエーター冷却用の大型ファンを設置した「ファン・カー」と呼ばれた「BT46B」を投入し、ニキ・ラウダが優勝したそうですが、レース後に他のコンストラクターから、リアエンドに取り付けられた冷却用ファンが、ほこりや小石を撒き散らして後続車に危険を与えるとのクレームを受けて、レギュレーションに違反するものではないが安全上の見地から即刻使用停止とする裁定が下され、次レースから同システムの使用が禁止されたそうです。
「ブラバム BT46」は、1978年のシーズンを通して安定して速かったそうですが、ニキ・ラウダとしては見込みに反して信頼性が低かったようで、全16戦中6戦がマシントラブルによるリタイアとなり、優勝は2回(上述のBT46Bの優勝1回を含む)、2位が2回、3位が1回と健闘したものの、ドライバーズランキングは4位(44ポイント)で終わったそうです。(ジョン・ワトソンは2位が1回、3位が2回、ドライバーズランキングは6位/25ポイント)
BRABHAM BT46 ALFA ROMEO tomica © 1978 TOMY NO.F61 S=1/56 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥240円 2020.05.21現在 |
トミカ シェブロン BMW 1980年11月に発売された「トミカ シェブロン BMW」(No.F69/イギリス車)のトミカ(日本製/No.F69-1)です。 「トミカ シェブロン BMW」は、1978年(昭和53年)に「トミー」(当時)がスポンサーとなってデビューしたF2マシン「シェブロンB42/BMW M12/7」なのだそうです。
1978年(昭和53年)の全日本F2選手権(全7戦)では、「トミカレーシングチーム」で長谷見昌弘選手がドライブし、デビュー戦となる第1戦の鈴鹿サーキット(3月4日~5日)で2位に入賞し、その後も上位入賞を果たし、長谷見選手はシリーズポイントランキングで、星野一義選手に次いで第2位となったようです。
TOMICA CHEVRON BMW (※パッケージ表記) CHEVRON B42 BMW TOMICA ©1978 NO.F69 S=1/51 MADE IN JAPAN 2020.07.24現在 |
トミカ シェブロン BMW (トミカミュージアム) 2004年9月に発売された「トミカミュージアム ギフト館 M-30」の「トミカ シェブロン BMW」のトミカ(中国製/No.F69-1)です。
CHEVRON B42 BMW ©1978 NO.F69 S=1/51 MADE IN CHINA 発売時価格 ¥360円(税別) 2019.07.23現在 |
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ムーンクラフト スペシャル 1981年7月に発売された「ムーンクラフト スペシャル」(No.71)のトミカ(日本製/No.71-3-1)です。 「ムーンクラフト スペシャル」(MCS)は、1979年に富士グランチャンピオンレース(通称:GC、グラチャン)が、単座席車の参戦が可能とされた時に、由良拓也氏(ゆら たくや)が代表を務めるレーシングカーコンストラクター「ムーンクラフト」がGC用にカウルを製作したそうで、そのムーンクラフト製のカウルを装着したレーシングカーのことをいうそうです。 通称「ムーンクラフト スペシャル(MCS) カウル」を装着したマシンは、GCレースが単座席化した1980年代初頭に圧倒的な強さを誇ったのだそうです。 このトミカは、長谷見昌弘選手がドライブした「バーダルカラー」がモデルとなっているようです。
このトミカは、車体のカラーリングやペイントされた文字などが異なるバリエーションが何種類か存在します。
MOON CRAFT SPECIAL tomica © TOMY NO.70 S=1/60 JAPAN スーパースピード 発売期間 1981年7月~1987年1月 2021.03.27現在 |
ビッグリグレーサー 1982年7月に発売された「ビッグリグレーサー」(No.F38)のトミカです。 この「ビッグリグレ-サー」のトミカは、アメリカのトラックレースに出場する車両をベースにしたもののようです。
BIG RIG RACER NO.F38 S=1/98 JAPAN 発売時価格 ¥320円(税別) 2018.10.31現在 |
ニッサン スカイライン ターボC 1984年8月に発売された「ニッサン スカイライン ターボC」(No.74)のバリエーションの1つとなっているトミカ(日本製/No.74-4)です。 車体各部には、「11 TOMICA SKYLINE TURBO C」、「NISSAN SKYLINE」、「MINIATURE DIECAST MODELS TOMICA 11」、「GSR DUNLOP」、「NISSAN」、「SHOEI」、「TOMY」などと書かれたシールが貼られています。
このトミカの「日産 スカイライン ターボC」は、1984年に開催された全日本耐久選手権に出場するために開発された「グループCカー」で、長谷見昌弘選手がドライブしたゼッケンナンバー「11」の「LM04C 日産 スカイライン ターボC トミカ」がモデルとなっているそうです。
SKYLINE TURBO C (※パッケージ表記) NISSAN SKYLINE GROUP-C tomica ©TOMY NO.74 S=1/64 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥320円 カウル脱着可能 発売期間 1984年8月~1990年7月 2020.08.01現在 |
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ウィリアムズ ホンダF-1 1987年10月に発売された「ウィリアムズ ホンダF-1」(No.62)のトミカ(日本製)です。 この「ウィリアムズ ホンダF-1」のトミカは、裏板刻印に「FW11B」とあり、カーナンバー「5」(レッドファイブ)となっていますので、「ウィリアムズ」が1987年F1参戦時の「ナイジェル・マンセル」搭乗車になるものと思われます。
「ウィリアムズ FW11B」は、パトリック・ヘッドの設計により1987年のF1世界選手権参戦用に開発されたF1マシンで、エンジンは排気量1,494cc、公称最高出力1,050馬力(ps)以上のホンダ製 V型6気筒ターボエンジン「RA167E」を搭載しています。(マンセルいわく予選では1,500馬力を出した) 第11戦のイタリアGP(1987年9月6日/モンツァ・サーキット)では、ウィリアムズとしては初となるアクティブサスペンションを投入、ネルソン・ピケが使用して優勝を獲得(ポールトゥーウィン)したそうです。
「ウィリアムズ FW11B」に乗った1987年のマンセルは、チャンピオン争いで着実にポイントを獲得していたチームメイトのネルソン・ピケに後れをとり、逆転の可能性をかけて第15戦日本グランプリ(鈴鹿サーキット)に臨みますが、予選1日目にS字コーナーでクラッシュし、背中を痛めて欠場することとなり、ピケがドライバーズチャンピオンを獲得しました。(ウィリアムズはコンストラクターズチャンピオンを獲得)
WILLIAMS HONDA F-1 (※パッケージ表記) WILLIAMS HONDA FW11B TOMICA ©TOMY NO.62 S=1/58 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥320円 発売期間 1987年10月~1991年6月 2019.08.26現在 |
ロータス ホンダF-1 1987年10月に発売された「ロータス ホンダF-1」(No.78)のトミカ(日本製/No.78-5)です。 この「ロータス ホンダF-1」のトミカは、裏板刻印に「99T」とあり、カーナンバー「11」となっていますので、「ロータス」が1987年F1参戦時の中嶋悟(なかじま さとる)氏の搭乗車になります。(以下敬称略)
「ロータス 99T」は、ジェラール・ドゥカルージュの設計により1987年のF1世界選手権参戦用に開発されたF1マシンで、エンジンは排気量1,494cc、公称最高出力1,000馬力(ps)以上のホンダ製 V型6気筒ターボエンジン「RA167E」を搭載し、アクティブサスペンションを装備したマシンとしても知られています。 また、この年の1987年からロータスのメインスポンサーが長年の「JPS(ジョン・プレイヤー・スペシャル)」から「CAMEL(キャメル)」に変更となり、ボディカラーも漆黒に金色文字のJPSカラーからキャメルイエローへと変更されています。 中嶋悟は、デビュー時には34歳で、本人も自ら「無理はしない」と言っていたように、派手な速さは無かったものの、コンスタントに走り続ける姿から、当時のフジテレビのF1中継実況アナウンサーだった古舘伊知郎氏から「納豆走法」と呼ばれることもありました。
「ロータス 99T」は、1987年のシーズンにおいて、空力に弱点があり、搭載したアクティブサスペンションが技術的に未成熟なこともあって、全16戦で、セナは2回の優勝で57ポイント、中嶋は最高位4位で7ポイントの獲得、ロータスのコンストラクターズランキングは3位という結果になったようです。 中嶋悟は、1987年から1989年まではロータス、1990年と1991年はティレルのドライバーとして活躍し、予選最高位6位、決勝最高位4位、ファステストラップ1回、F1キャリアにおける総獲得ポイントは16ポイントとなっています。 中嶋悟はF1キャリアにおいて表彰台(3位以内)に上がったことはありませんが、日本国内の各選手権で活躍していた頃から雨天時の走行に定評があり「雨の中嶋」とも呼ばれていて、1989年の最終戦オーストラリアGPでは、降りしきる雨の中、3位を走るリカルド・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー)を猛追して、中嶋自身初のファステストラップを記録し、表彰台まであと一歩に迫るという素晴らしい走りを見せてくれたこともあります。 また、デビュー時の1987年には、この「ロータス 99T」をドライブし、第7戦イギリスGPにおいて4位に入賞し、同じホンダエンジンを搭載したウィリアムズ・ホンダの2台とともに、ホンダエンジン搭載車で1-2-3-4フィニッシュという偉業を達成しています。(1位~3位はマンセル、ピケ、セナの順)
なお、中嶋悟の息子である中嶋一貴(なかじま かずき)も、2007年にウィリアムズからF1ドライバーとしてデビューを果たしています。
LOTUS HONDA F-1 (※パッケージ表記) LOTUS HONDA 99T TOMICA ©TOMY NO.78 S=1/55 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥320円 発売期間 1987年10月~1991年8月 2020.01.23現在 |
フェラーリ F-1 1992年1月に発売された「フェラーリ F-1」(No.117)のトミカ(日本製/No.117-2-1)です。 この「フェラーリ F-1」のトミカは、スクーデリア・フェラーリが1991年のF1シリーズ第7戦「フランスGP」から最終戦「オーストラリアGP」まで実戦投入した「フェラーリ・643」がモデルとなっています。 カーナンバー「27」となっていますので、マクラーレンから移籍しフェラーリ2年目となる、「プロフェッサー」の愛称で知られる「アラン・プロスト」(当時36歳)がドライブしたマシンがモデルとなっています。(最終戦はプロストのシーズン途中のチーム離脱により、ジャンニ・モルビデリがドライブ) なお、もう1人のチームメイトであったジャン・アレジのカーナンバーは「28」となっています。
「フェラーリ・643」の設計は、スティーブ・ニコルス、ジャン=クロード・ミジョーによるもので、エンジンは3499cc V型12気筒NAエンジンを搭載し、トランスミッションは7速セミAT、タイヤはグッドイヤーとなっていて、登場時はマクラーレンのデザインやウィリアムズFW14の影響を受けているといわれたようです。 1991年のF1シリーズ第1戦「アメリカGP」には、シーズンオフのテストで快調だった「フェラーリ・642」が投入され、プロストが2位、アレジがファステストラップを記録(12位完走)するなど好調でしたが、マクラーレン・ホンダの速さに及ばす、その後はフロント周りを頻繁に変更したり、複数のダンパーを試したりしたものの、ウィリアムズ・ルノーにも追いつかない状況となったため、第7戦フランスGPから「フェラーリ・643」が実戦投入された経緯があるようです。(ただし、開幕前からすでにフェラーリ・643の登場は噂されていたそうです。)
第7戦フランスGPに投入後の「フェラーリ・643」の成績(全10戦)は、アラン・プロストが2位2回、3位2回、4位1回、リタイア4回、ジャンニ・モルビデリが6位1回、ジャン・アレジが3位2回、4位2回、5位1回、リタイア5回で、優勝は無し、ポールポジションとファステストラップもいずれも記録無しという、フェラーリとしてはふるわない成績となりました。 タイトル争いに加わることができず、このような成績しか残せない性能のマシンであったため、プロストは第15戦日本GPを4位で完走したものの、レース後に「今のフェラーリは赤いカミオン(大型トラック)だ」と発言し、その結果、最終戦開幕前のシーズン途中でのチーム解雇へとつながってしまいました。
「フェラーリ・643」は、低ダウンフォース時にマシンが不安定になるようで、ジャン・アレジは「路面のフラットなサーキットでは速いが、バンピー(でこぼこがあってマシンが跳ね上がりやすいこと)なサーキットではマシンを押さえつけるだけで精一杯だった」と語っているそうです。 後のミハエル・シューマッハ、ルーベンス・バリチェロ、それに監督のジャン・トッドらによるフェラーリの黄金・最強時代(2000年~2004年)を思うと、フェラーリにとっては低迷期(1991年~1996年頃)であったと言えるでしょう。
FERRARI F-1 (※パッケージ表記) FORMULA 1 TOMICA © 1991 TOMY NO.117 NO.120 MADE IN JAPAN 発売時価格 ¥360円(税別) 発売期間 1992年1月~1999年11月 2020.06.11現在 |
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トヨタ F1カー 2003年9月30日に発売された「トヨタ F1カー」のトミカ(中国製)です。 この「トヨタ F1カー」のトミカは、トヨタ自動車を母体とする「パナソニック・トヨタ・レーシング」がF1世界選手権に参戦2年目となる2003年のシーズンに投入したF1マシン「TF103」がモデルとなっています。 2003年のシーズンは、ドライバーはオリビエ・パニス(当時36歳・フランス出身)とクリスチアーノ・ダ・マッタ(当時29歳・ブラジル出身)で、写真のトミカはカーナンバーが「20」となっていますので、オリビエ・パニスがドライブしたマシンがモデルとなっています。
「TF103」は、グスタフ・ブルナーと高橋敬三氏による共同設計作となっていて、エンジンは2,998cc V型10気筒 自然吸気の「トヨタ RVX-03」を搭載し、トランスミッションは7速セミAT、タイヤはミシュランとなっています。
2003年のシーズンは、パニスが入賞3回・6ポイント、ダ・マッタが入賞4回・10ポイントの計7回入賞・16ポイントを獲得し、コンストラクターズランキングは8位となり、参戦初年度の2002年の入賞2回、コンストラクターズランキング10位よりは成績を伸ばした形となりました。(ただし、2002年までは1位~6位までがポイント獲得対象だったのが、2003年には1位~8位までがポイント獲得対象に拡大されている点に注意)
パナソニック・トヨタ・レーシングは、シャシー、車体、エンジンをすべて自作で参戦するフルコンストラクターとして2002年から2009年のシーズンまで8年間にわたりF1に参戦し、決勝レースの最高成績は2位(5回)、予選ではポールポジションを3回獲得、コンストラクターズランキングは、2005年にヤルノ・トゥルーリとラルフ・シューマッハの活躍により最高4位(88ポイント)という成績を残しています。 2009年には、第16戦ブラジルGPにて、前戦の第15戦日本GPの予選で負傷したティモ・グロックに代わり、リザーブドライバーの小林可夢偉(こばやし かむい/当時23歳)がF1デビューし9位で完走し、最終戦アブダビGPでは小林可夢偉は6位に入賞し、2007年の「スーパーアグリ」の佐藤琢磨以来2人目となる完全日本製によるF1マシンおよび日本のコンストラクターと日本人ドライバーによるポイント獲得を達成したそうです。
TOMICA © 2003 TOMY MADE IN CHINA 発売時価格 ¥600円(税別) 2020.07.18現在 |
F1カータイプ 2008年6月に発売された「トミカ&プラキッズ F1カータイプ」のトミカです。 発売時には、F1ドライバースタイルのプラキッズが同梱されていたようです。 車体カラーは、赤と白になっていて、F1ブーム時代のアイルトン・セナ(ブラジル)とアラン・プロスト(フランス)が所属していた「マクラーレン・ホンダ」のマシン「MP4/4」・「MP4/5」を彷彿とさせるデザインとなっています。 FORMULA 1 1991 MADE IN CHINA メーカー希望小売価格 ¥600円(税別) プラキッズ(F1ドライバースタイル)1体付き 2017.11.13現在 |
マツダ 787B 2009年3月に発売された「MAZDA Racingcar Collection」(全6種)のうちの1台となっていた「マツダ 787B」('91年ルマン24時間レース総合優勝)のトミカ(中国製)です。
MAZDA 787 B 1991 NO.34 S=1/64 MADE IN CHINA 2018.12.17現在 |
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トミカ レーシングカー 2009年に開催された「トミカ博」にて販売された「トミカイベントモデル NO.19」の「トミカ レーシングカー」です。 車体は、白色と赤色のツートーンカラーで、車体にはトミカと書かれたロゴマーク、トミカのキャラクター「Tくん」が描かれ、カーナンバー「3」、「TOMICA」、「トミカ博 TOMICA EVENT MODEL」と書かれています。
©1991 TOMY MADE IN CHINA 2019.03.25現在 |
Honda F1 レーシングカー ニッポン 2011年1月1日(土)に発売された「アピタ ピアゴオリジナル 元旦スペシャル」の「Honda F1 レーシングカー ニッポン」のトミカ(ベトナム製/No.73-1)です。 このトミカは、「トミカ40周年記念 Honda F1 レーシングカー」と書かれたネームプレート付となっていたようです。
このトミカの「Honda F1 レーシングカー ニッポン」は、ホンダが1968年のF1世界選手権参戦用に開発したF1マシン(フォーミュラカー)「ホンダ RA302」をモデルとして発売されたトミカの「ホンダ F-1」(No.73-1/発売期間 1974年6月~1978年4月)がベースとなっています。
HONDA F-1 tomica NO.73 S=1/54 MADE IN VIETNAM 発売時価格 ¥500円(税別) 2020.07.01現在 |
フォーミュラ ルノー 3.5 2014年8月16日に発売された「フォーミュラ ルノー 3.5」(No.14/初回特別カラー)のトミカです。 このトミカは、フランスの自動車メーカー「ルノー」のモータースポーツ部門「ルノー・スポール」が、2005年から2015年までヨーロッパの各国を転戦する形で主催していたレース「フォーミュラ ルノー 3.5」に使用されていたフォーミュラカーなのだそうです。 「フォーミュラ ルノー 3.5」は、一般に「ワールドシリーズ・バイ・ルノー」と呼ばれ、F1とF3の中間に位置づけられるカテゴリだったのだそうです。 FORMULA RENAULT 3.5 2014 NO.14 S=1/69 MADE IN VIETNAM メーカー希望小売価格 ¥450円(税別) 通常カラー 紫色系 初回特別カラー 黄色系 発売時価格 ¥450円(税別) 発売期間 2014年8月~2016年12月 2018.05.28現在 |
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ドラッグカー 2014年6月に発売された「ドラッグカー」(No.128)のトミカ(ロングトミカ)です。 この「ドラッグカー」のトミカは、アメリカが発祥地とされる、直線コース上で停止状態から発進しゴールまでのタイムを競う「ドラッグレース」専用のレーシングマシンを、トミカオリジナルデザインでロングトミカとして商品化されたもののようです。 車体には、「TOMICA」、「DRAG RACER」と書かれています。
DRAG CAR 2013 NO.128 MADE IN VIETNAM メーカー希望小売価格 ¥900円(税別) 通常カラー 赤色と青色系 初回特別カラー 金色と黒色系 2019.07.04現在 |
ドラッグカー(初回特別カラー) 2014年6月に発売された「ドラッグカー」(No.128)の初回特別カラーのトミカ(ロングトミカ)です。 車体には、「TOMICA」、「GO FAST」と書かれています。
DRAG CAR 2013 NO.128 MADE IN VIETNAM メーカー希望小売価格 ¥900円(税別) 通常カラー 赤色と青色系 初回特別カラー 金色と黒色系 2018.10.31現在 |
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