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1/24スケール 痛車「ToHeart2 AE86 スプリンタートレノ 前期型」と「涼宮ハルヒの憂鬱 FD3S RX-7」です。
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1/24スケール 痛車「魔法の天使クリィミーマミ ホンダ ビート」と「らき☆すた ロードスター 1800RS」です。
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1/24スケール 痛車「リトルバスターズ! FC3S RX-7 後期型(1989年式)」です。
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1/24スケール 痛車「AIR FC3S RX-7 後期型 RE雨宮仕様」です。
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1/24スケール 痛車「魔法少女リリカルなのはStrikerS JZX100 チェイサー 2.5ツアラーV」です。
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1/24スケール 痛車「灼眼のシャナII エスティマ アエラス(’06) Gパッケージカスタム」です。
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1/24スケール 痛車「けいおん! ランサーエボリューションX」です。
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1/24スケール 痛車「CLANNAD -クラナド- アフターストーリー JZZ30 ソアラ 2.5GT-ツインターボ・L」です。
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1/24スケール 痛車「うみねこのなく頃に VERTEX JZX100 チェイサー 後期型」です。
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1/24スケール 痛車「ひぐらしのなく頃に アリスト V300」です。
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1/24スケール 痛車「一騎当千 アルファード MS/AS 後期型 カスタム」です。
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1/24スケール 痛車「ラブプラス FD3S RX-7」です。
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「1/500 ふしぎの海のナディア ノーチラス号 メタリックVer.」です。 『ふしぎの海のナディア』(Nadia, The Secret of Blue Water) は、NHK総合で1990年4月13日から1991年4月12日にかけて、金曜日19:30-20:00に放送された全39話のテレビアニメです。 ジュール・ヴェルヌによるSF小説『海底二万里』及び『神秘の島』を原案としていて、監督は庵野秀明氏、キャラクターデザインは貞本義行氏となっています。
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「ヱヴァンゲリオン新劇場版:破 2号機 エントリープラグ 式波・アスカ・ラングレー」です。 上の写真の真ん中下あたりにアスカが見えます。 製品情報によると、LEDライトが着いていて、リレー回路により白とオレンジに光が点灯するようです。これは、LCL溶液をイメージしているそうです。単4電池3本使用のようです。 また、マグネット式カバー開閉で、固定もできるようです。
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「1/43 ダイキャストムービーコレクション No.30 西部警察ミニカープレミアムBOX(3台セット)」です。「SUPER.Z」、「マシンRS-1」、「マシンRS-2」となっています。 『西部警察』(せいぶけいさつ)は、石原プロモーションが制作し、テレビ朝日系列で放送されていたテレビドラマのシリーズです。内容は警視庁西部警察署捜査課の大門部長刑事(渡哲也)とその部下たち(大門軍団と呼ばれている)と上司の木暮課長(石原裕次郎)が凶悪犯と戦う姿を描くものです。 日本のテレビドラマの常識をはるかに超えたド派手な爆破シーンやカースタント、男達の熱い人間ドラマが評判を呼び、シリーズ化されました。 大門のショットガンが炸裂する、悪役との銃撃シーンには強烈な印象が残っています。
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「キャラもふ 坂本龍馬」です。 いわゆる「キャラクターぬいぐるみ」で、全高が約23cm程度なようです。 坂本龍馬といえば、現在NHKにて大河ドラマ「龍馬伝」が放送中です。毎週楽しみに見ています。
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「キャラもふ ヘタリア AxisPowers」と「キャラもふ ストライクウィッチーズ」です。
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「立体パズル 4D VISION 人体解剖」と「立体パズル 4D VISION 動物解剖」です。 これらは海外模型メーカーFAME MASTER社の立体パズル、「4D MASTER」シリーズです。 意外な展示でありましたので、正直びっくりしました。この一角だけ別次元のようなコーナーに感じました。小学校や中学校の理科室を思い出すかのような光景かもです。 「スーパーデラックス胴体解剖モデル」、「手解剖モデル」、「耳解剖モデル」、「眼球解剖モデル」、「頭部断面解剖モデル」などが見えます。
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「立体パズル 4D VISION 人体解剖」の「DX心臓解剖モデル」、「雌性生殖器解剖モデル」、「雄性生殖器解剖モデル」、「胴体解剖スケルトンモデル」などが見えます。
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「立体パズル 4D VISION 動物解剖」の「カエル解剖スケルトンモデル」、「ネズミ解剖スケルトンモデル」、「犬解剖スケルトンモデル」が見えます。
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アオシマの展示コーナーにあった「カウンタック LP400」の実車です。 今回展示のカウンタックは1970年代に全国各地で開催された「スーパーカーショー」で展示された車だそうで、 当時のコンディションを保ちながら現在に至っているとのことです。 子どもの頃はいわゆる「スーパーカー」に憧れたものでした。カウンタックはそのカッコよさからトップクラスの知名度と人気だったような気がします。 「スーパーカー消しゴム」なんていうのも流行しました。 |
「1/24 ランボルギーニ カウンタック LP400」と「専用エッチングパーツ」です。 |
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「カウンタック LP400」を後ろから撮影したもの(リアビュー)です。 なお、日本で定着している「カウンタック」は日本国内でのみ通じる呼称であって、『クンタッシュ[kunˈtɑʃ]』が原語にもっとも近いとされる発音だそうです。 |
「1/700 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 ひゅうが」です。 「ひゅうが型護衛艦」は海上自衛隊が過去に保有した護衛艦の中で全長、排水量共に最大規模の艦型で、1番艦である「ひゅうが」は平成16年(2004年)度予算で建造が行われた為16DDH、2番艦「いせ」は平成18年(2006年)度予算で建造された為18DDHとも呼ばれます。 |
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上の写真ですと、「ひゅうが」の甲板下の格納庫までよく見えます。 本キットは洋上モデル(フルハルモデルではない)で、甲板下の格納庫が再現されているようです。また、エレベーターの上昇、下降状態を再現できるようです。 「ひゅうが」は、中期防衛力整備計画(平成13年度)~(平成16年度)に基づく平成16年度計画13,500トン型ヘリコプター搭載護衛艦2319号艦として、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド横浜工場で建造され、2006年5月11日に起工し、2007年8月23日進水、2009年3月18日に就役の後に第1護衛隊群第1護衛隊に配属されました。 「ひゅうが」は、VLSから発射する艦対空ミサイルを主な装備として速射砲は持たず、単艦での戦闘は考慮されていないようです。また、設計時点では固定翼V/STOL機の運用は考慮されていないようです。 |
従来のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)は広いヘリコプター甲板と大きな格納庫を持ち、他の護衛艦に比べればヘリ運用能力が高かったのですが、それでもヘリコプターは、20分おきに1機しか発着艦できなかったのです。そのため、飛行中のヘリコプターに問題が起こった場合、すぐに着艦が出来ない場合があるなど運用に不安がありました。また、格納庫内ではメインローターを広げての整備が行えなかった為、そのような重整備を行う場合には甲板上に出して行う必要があり、その間発着艦を行う事は出来ず、悪天候の場合にその様な整備を行う事も出来なかったのです。 これに対してひゅうが型は、同時に哨戒ヘリ3機が発着艦が可能で、さらに輸送用ヘリなどの発着スポットも1つ備えています。格納庫と甲板上を合わせて最大11機のヘリコプターを搭載可能であり、広い整備スペースでメインローターを広げ、天候や他のヘリの発着艦に影響されずに整備も出来る様になったようです。 |
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「1/700 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 ひゅうが」のパーツの試作品のようです。 意外にパーツ数は少ないようにも感じてしまいます。総パーツ数は約300パーツだそうです。 なお、ご存知のとおり「ひゅうが」という艦名を持った戦艦が旧日本海軍にありました。 「日向(ひゅうが、当時の艦名表記は旧仮名遣いでひうが)」は、大日本帝国海軍の戦艦で、伊勢型の2番艦です。 日向は竣工後、第一艦隊第一戦隊に配備、最新鋭の戦艦として、「長門」竣工まで連合艦隊旗艦を勤めます。その後、日本海軍はミッドウェー海戦において空母4隻を失い、日向はその時期に第五砲塔を爆発事故で失うこととなり、そのことがその後の本艦と同型艦「伊勢」の運命を大きく変えることになります。日向は後部の5番、6番の主砲を撤去し格納庫及び飛行甲板を設けて航空戦艦となります。 日向の歴代艦長には、後に連合艦隊司令長官として捷一号作戦等を指揮した豊田副武や、航空戦艦改装案を推進し、後に第四航空戦隊司令官として日向に深く関わることになる松田千秋をはじめ、宇垣纏・西村祥治など、戦史上重要な人物が多く名を連ねています。
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「1/700 海上自衛隊ミサイル艇 おおたか しらたか」です。 「おおたか」、「しらたか」は「はやぶさ型ミサイル艇」であり、海上自衛隊が保有するミサイル艇です。2002年から2004年の間に6隻が竣工しました。同型艦には「はやぶさ」、「わかたか」、「くまたか」、「うみたか」が就役しています。 海上自衛隊は1993年と1995年に全没型水中翼艇の1号型ミサイル艇3隻を就役させましたが、就役後波浪時の船体強度や耐航性、中速域での運用が不能などの問題が明らかとなりました。そのため1号型ミサイル艇の建造は3隻で打ち切られてしまいました。そして問題点を改良して新たに建造が計画されたのが「はやぶさ型」で、平成11年度計画で2隻が予算化されたのですが、能登半島沖不審船事件を受けて不審船対処も考慮に入れた性能向上のための改良で予算が追加されたのです。 速力は最大44ノット、主兵装は前甲板の62口径76mm単装砲と後部に搭載している90式艦対艦誘導弾連装発射筒2基となっています。また、12.7mm重機関銃M2用の銃架が艦橋後部に両舷各1基ずつ搭載されています。
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「軽巡洋艦 多摩」です。 「多摩(たま)」は、軽巡洋艦「球磨型」の2番艦で、艦名は多摩川に因んで命名されました。 1918年8月10日八四艦隊計画(後の八八艦隊計画)の一隻として三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工され、1920年2月10日に進水、1921年1月29日に竣工しました。 その後、1922年に第一艦隊に編入、1937年に第三艦隊に編入、1941年第五艦隊に編入されました。 1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で空襲により大破、その後アメリカ海軍の潜水艦「ジャラオ」 (USS Jallao, SS-368) の雷撃により撃沈されてしまいました。
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「1/350 アイアンクラッド 軽巡洋艦 多摩」のディテールアップパーツのエッチングパーツです。 このキットは、「軽巡洋艦 多摩」のアリューシャン作戦時と対空兵装を強化したころの2タイプをつくれるように選択式になっているそうです。 アオシマのこのシリーズ名の「アイアンクラッド(IRONCLAD)」とは、後に近代的海軍艦艇の礎となった、19世紀に登場した鋼鉄艦のことのそうです。このシリーズでは、過去から現代までの艦船を「鋼鉄艦」と捉え、1/350スケールで商品化していくとのことです。 |
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「軽巡洋艦 多摩 1942」です。模型完成品の台座のプレートに「多摩 1942」と書いてありますので、おそらくアリューシャン作戦の北方迷彩時のものだと思われます。 |
「軽巡洋艦 多摩 1944」です。模型完成品の台座のプレートに「多摩 1944」と書いてありますので、おそらく昭和19年6月に連合艦隊直属となり、第十一水雷戦隊旗艦となった頃に対空兵装が強化され、カタパルトを撤去するなど外見が変わって時の仕様のものだと思われます。 |
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「重巡洋艦 羽黒」です。 「羽黒(はぐろ)」は、妙高型重巡洋艦の4番艦で、艦名は山形県の羽黒山に因んで命名されました。 就役後は第2艦隊第4戦隊に所属、1934年(昭和9年)5月に近代化改修に着手、1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第2艦隊第5戦隊に所属し、フィリピン攻略に参加しました。 その後1942年(昭和17年)に珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦など数々の海戦に参加しています。
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左と同じ「重巡洋艦 羽黒」の完成品を大きめに撮影したものです。 |
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「重巡洋艦 羽黒 1944」です。模型完成品の台座のプレートに「羽黒 1944」と書いてありますので、おそらく「1944年(昭和19年)」時の状態のものだと思われます。 |
左と同じ「重巡洋艦 羽黒 1944」を正面左側から見たものです。 羽黒の兵装は、50口径3年式2号20cm(20.3cm)連装砲 5基、40口径89式12.7cm連装高角砲 4基、保式13mm4連装機銃 2基、留式7.7mm機銃単装 2基、92式4連装魚雷発射管 2基(使用魚雷 90式61cm16本)となっています。 |
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「ドラゴンモデルズ(DRAGON)」のAFVの模型です。 ドイツ軍3号戦車F型、アメリカ軍M2ハーフトラック(M21 自走迫撃砲)、38(t)戦車 E/F型と思われる製品などが見えます。 ドイツ軍Ⅲ号戦車F型(Panzerkampfwagen III ausf F)は、1938年12月 - 1940年7月に作られた量産型で、435輌が生産されました。 アメリカ軍の兵員輸送用装甲半装軌車「M2ハーフトラック」は1940年からオートカー社で生産が開始されましたが、大量配備のためM2、M3ともにホワイト・モーター社とダイヤモンドTモーター社でも量産されました。装甲兵員輸送車型をベースに、対戦車自走砲や対空自走砲、自走迫撃砲などのバリエーションがあり、4000両近くが生産されました。 LT-38(チェコスロバキア軍名称・LTvz.38、ドイツ軍名称38(t)戦車)は第二次世界大戦前にチェコのČKD社(Českomoravská Kolben Daněk)が開発・製作していた軽戦車です。1939年のミュンヘン会談の結果、ナチス・ドイツによりチェコスロバキアが併合され、ČKD社も翌年にBMM社(ボヘミア・モラビア機械製造会社 B.M.M.)に組織改編されてしまいました。LTvz.38は併合後に本格生産が開始されたため、チェコ陸軍向けとして発注されていた車輌の全てにあたる150輛がドイツ国防軍向けとして完成させられたのです。ドイツ軍は第二次世界大戦開戦時から多くの38(t)を実戦投入し、ポーランド戦では第3軽師団に100輌ほど配備されていました。ノルウェー・デンマークへの侵攻作戦にはほとんど軽戦車が用いられ、38(t)は15輌のみが参加しています。フランスや低地諸国に対する西方戦役では、エルヴィン・ロンメル将軍が指揮した第7機甲師団、また第8機甲師団では主力戦車であり、計228輌以上が配備されていました。装甲・火力共に初期のIII号戦車に匹敵する戦車でしたが、狭い砲塔に2人が詰め込まれていたそうです。また、砲塔旋回装置は重い手動式で、車長は砲手を兼ねるため指揮に専念できず、3人用砲塔のIII号戦車より操作性や戦闘力では劣っていたようです。その後もバルカン半島の戦い、バルバロッサ作戦に投入されました。後者の場合、第7、8、12、19、20の各師団に623輌が配備されていて、作戦に投入されたドイツ軍戦車全体の18%程を占めていたそうです。なお、北アフリカ戦線には1輌も送られていなかったようです。しかしT-34などの強力な新型戦車には対抗し得ず、主力の座を退いて偵察・連絡任務や後方での警備任務、装甲列車の搭載車輌となり、シャーシは自走砲に転用され戦車としての役目を終えました。 なお、「ドラゴンモデルズ(Dragon Models Limited 、DML)」は、香港の大手模型店ユニバーサル・モデルズ(Universal Models Ltd. )の関連企業で、プラモデルの開発と製造を行っています。創設者はフレデリック・リャン氏で、1/35スケールの戦車模型を主力製品としている著名メーカーです。
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「ドラゴンモデルズ(DRAGON)」の「ヤークトパンサー 初期生産型/G1型(ツィンメリットコーティング)」と「T-34/76中戦車 1943年型(第112工場)」だと思われます。 「ヤークトパンター(Jagdpanther)、制式番号:Sd.Kfz.173」は、パンター戦車の車台をもとに、前面及び側面装甲の傾斜に沿って延長・拡大された戦闘室を持つドイツ軍の駆逐戦車で、開発当初は重突撃砲とも呼ばれていたようです。ドイツ駆逐戦車の中では最優秀であり、西部戦線においてヤークトパンター18両に対し戦車61両、対戦車砲9門の損害を与える戦果を挙げています。しかし、長大な砲身と厚く面積の広い前面装甲のためノーズヘビーであり、また砲塔を持たず照準のため車体を左右に振る動きがパンター以上にトランスミッション系への負担をかけ、その部品寿命はパンターの半分と言われたそうです。生産数は1944年1月~1945年3月の間にMIAG、NMH、MBA各社により計415輌と比較的少数に終わっています。ヤークトパンターは生産中も細部の改良が続けられており、例えば操縦席前面のペリスコープ部分など、12種類もの形状の違いが確認できるそうです。また機関部上面のレイアウトは当初パンターA型に準じていましたが、途中からG型に準じたものに変更され、それぞれの長さの違いから戦闘室後部の傾斜角度が異なっているようです。前者はヤークトパンターG1型、後者はヤークトパンターG2型と分類されました。 「T-34 1943年型」は、それまでのT-34の車長視界の悪さを改めるため、「ナット」砲塔(試作戦車T-34Mの物から発展した「ナット」と呼ばれる1942/43年型の六角形の砲塔は主に鋳造製で、上面だけが圧延鋼板)に上面左側にキューポラを装着したタイプです。
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「ドラゴンモデルズ(DRAGON)」の「1/350 ドイツ海軍戦艦 シャルンホルスト 1943」です。 シャルンホルスト (Scharnhorst, DKM Scharnhorst) は第一次世界大戦後にドイツ海軍が建造した巡洋戦艦で、シャルンホルスト級巡洋戦艦の1番艦(ネームシップ)です。艦名はナポレオン占領支配からドイツが独立戦争を起こした際に活躍したプロイセン陸軍の将軍、ゲルハルト・フォン・シャルンホルストに由来します。ドイツ海軍は戦艦に分類し、イギリス海軍は巡洋戦艦に分類したそうです。 1939年1月7日に就役後、数々の海戦を経た後、1943年3月~7月まで、ノルウェーで戦闘訓練を実施、9月には「シチリア (Sizilien) 」作戦でスピッツベルゲン島を艦砲攻撃します。同年12月25日、敵輸送船団JW55B攻撃のため出撃し、翌26日、英艦隊と交戦中、英国戦艦デューク・オブ・ヨークの砲撃を受けて損傷、更に他の英国艦から雷撃を受け、沈没しました(北岬沖海戦)。
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「キャラクターブロック 宇宙戦艦ヤマト 沖田十三 艦長席上のレリーフ」です。 イスカンダルへの旅の後、重度の宇宙放射線病にかかってしまったヤマト艦長の沖田十三が再び「ヤマト完結編」で ヤマト艦長に復帰するまで、ヤマトの艦長席上に掲げられたレリーフです。サイズは約W200×H290×D(15~60※厚みによる)cmだそうです。 このようなものが商品化されるととても興味深いものがあります。なお、沖田艦長の声を演じたのは納谷悟朗さんです。
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