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「童友社」の展示コーナーです。 童友社の展示コーナーは、本メーカーの著名な定番シリーズ「日本の名城」が例年荘厳な素晴らしさで展示されているので、とても印象深い展示コーナーになっています。 |
童友社の定番シリーズ「名城」です。いろいろな城を作ったものです。しかしなぜか組み立てるのが下手だったためか、瓦屋根の部分が綺麗に仕上げられなかったような記憶があります。緑色の粉状のパウダーを地面部分に撒いたのが懐かしく思い起こされます。 写真右側の一番手前は「ひこにゃん」でよく知られる彦根城です。
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「1/32 大型戦闘機」シリーズです。零戦21型の真珠湾攻撃隊バージョンと爆戦バージョン、紫電改、疾風などが見えます。 「紫電改」は、太平洋戦争中盤の1943年後半以降、劣勢の度を濃くしていった日本海軍戦闘機隊に、アメリカ軍を中心とした連合国軍の最新鋭戦闘機と互角に戦える強力な戦闘機として登場しました。特に大戦末期、源田実大佐の下、全国から歴戦のパイロットが集められ松山基地で編成された第三四三航空隊(2代目。通称「剣」部隊。以下「三四三空」と略)は、集中配備された「紫電改」と腕の立つパイロットを組み合わせ、更に徹底的な改良が施された無線機(無線電話機)を活用した編隊空戦法により大きな戦果を挙げたとされています。アメリカ軍のグラマンF6Fヘルキャットとの空中戦でも味方被害ゼロの初陣を飾っています。 「疾風」は帝国陸軍から「大東亜決戦機」として大いに期待され、大戦後期の主力戦闘機として多数機が飛行戦隊など一級線部隊に配属されて実戦参加し、対戦したアメリカ軍からも「The best Japanese fighter(日本最良戦闘機、日本最優秀戦闘機)」と評価された傑作機ですが、搭載した新型エンジンの「ハ45(海軍名「誉」)」の不調や、潤滑油とガソリン(オクタン価)の品質低下、点火プラグといった交換部品の不良不足、整備力の低下などにより全体的に稼働率が低く、また、設計通りの高性能を出すのが難しかったため、大戦後半に登場した陸海軍機の多くと同様に評価の分かれる機体となってしまいました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「日本の名城 作品展」コーナーです。大阪城、姫路城、名古屋城、江戸城、鶴ヶ城、松本城などのパッケージも見えます。
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「日本の名城」作品展のコーナーです。 真ん中の白く雪が積もった城は鶴ヶ城でしょうか…とても情緒的な冬景色の雰囲気を醸し出していて素敵でした。 |
「名城」シリーズの各種完成品です。 こうして見てみると、戦国時代から江戸時代にかけての日本の歴史に思わず思いを馳せてしまいます。 |
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「赤とんぼ(水上式)」です。 九三式中間練習機(赤とんぼ:K5Y、連合軍コードネームはWillow)は第二次世界大戦中の日本海軍の飛行機で、練習機です。日本軍の練習機は目立つようにオレンジ色に塗られたことから別名「赤とんぼ」と呼ばれていましたが、本機はその内の代表的な機体のひとつです。 制式採用後すぐに大量生産が開始され、海軍のあらゆる練習航空隊に配備されて1945年の第二次世界大戦終戦まで用いられました。安定性・信頼性が非常に高く扱い易いながらも、同時に高等曲技飛行も可能なほどの操縦性を持ち合わせ、多くの練習生がこの機体から巣立っていきました。水上機型(K5Y-2)も相当数生産されて、水上機の搭乗員養成に貢献しました。 第二次世界大戦の中期以降は、実用機の性能向上から本機は初歩練習機として使用されることも多くなりました。また、戦争末期には、実用機不足と当機がアルコール燃料でも稼動可能なことから、機体の限界に近い250kg爆弾を積み込んでの特攻に駆り出され、駆逐艦一隻を撃沈しているようです。こんな機体まで駆り出す時点で日本軍の敗北は既に決まっていたと言わざるを得ません。また、一部の機体は民間でも使用されたようです。 川西で60機が作られた後、九州飛行機、日本飛行機、日立、富士、中島、三菱の各社において陸上機、水上機合計5591機が生産されました。多くのメーカーが生産に加わっているのは、軍が主力企業以外の民間工場にも航空機制作の習熟を行なわせる施策をとっていたための持ち回り当番とされたそうです。この内半数近くは、日本飛行機製であったようです。製造機数の多さと練習機という任務から、終戦時に残存していた機体数は海軍の機種の中では最も多かったみたいです。 |
「1/35 中国主力戦車 ZTZ99B」です。 99式戦車(中: 99式主战坦克、英: ZTZ-99/WZ-123B)は、中華人民共和国の第三.五世代主力戦車です。98式戦車の開発実績を踏まえて開発された98式戦車の改良型であり、欧州の技術が多く取り込まれ、独自開発のレーザー誘導兵器及びレーザー検知式アクティブ防御システムも導入するなど従来の中国人民解放軍の戦車とは異なるユニークなものとなっています。そのため1輌あたりの価格も高価となったようで、現状では廉価モデルである96式戦車とのハイ・ローミックスの形で配備が進んでいるようです。本車の特徴であるアクティブ防御システム(JD-3)は98式戦車の物を引き継いでいるみたいです。 2001年にNORINCO(北方工業公司(North Industries Corporation・通称ノリンコ或いはノーリンコ Norinco:中国最大の兵器製造企業)が開発を公表したもので、本車の生産は2000年から開始され、2001年中に約40輌が配備され、以降毎月10輌程度のペースで生産されていると見られています。 2007年3月24日にアメリカ軍のピーター・ペース海兵隊大将(当時、2007年9月に退役)が中国軍の基地を訪れた際、99式戦車の行進間射撃を見物したそうですが、その時99式戦車はAPFSDS弾六発全てを1400 mの距離から目標に命中させたそうです。これが事実とすれば、本車はかなりの攻撃力を持つと判断して良さそうです。
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズです。 初めてみたので、異色さを強烈に感じて少しビックリしたものです。 しかし、なんだか懐かしさも感じてしまうようなキットです。 「メカニカルドラム」、「エアリアルスクリュー」、「アーマードカー」などが見えます。 レオナルドの「メカニカルドラム」は大きな太鼓を乗せた荷車です。持ち手を引いて車輪を回転させると連結している歯車も回り左右のプログラム式回転ドラムを回転させます。これには、杭がたくさん差し込んであり、その杭で10本のドラムスティックを弾いて太鼓を叩き演奏します。さらに杭の位置でリズムを変えて演奏もできるようです。 「エアリアルスクリュー」は、宙に浮く原理として、空気には密度があり、その空気を圧縮し、かき分けることで上昇するという考え方です。大きなスクリューで目に見えない空気の存在を利用するというアイデアが素晴らしく、その美しいらせん状のフォルムから一般的にダ・ヴィンチのヘリコプターと呼ばれることが多いかと思います。 「アーマードカー」は戦場での新しい移動法として考え出されました。古代から考案されていたのが亀の甲羅を思わせる装甲車で、敵の攻撃を跳ね返し、また大砲を360°配置することで威嚇しながら進む装甲車だったみたいです。 【『童友社』HPより引用】
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この「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズは塗装済みキットのようです。 写真の案内ボードにも書いてありますが、このシリーズはレオナルド・ダ・ヴィンチの多種多様な発明のスケッチを立体化、キット化したものです。 レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、本名:Leonardo di ser Piero da Vinci、1452年4月15日 - 1519年5月2日) はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られます。「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれているそうです。 絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残しています。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっています。膨大な手稿(ノート)を残していて、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていました。 日本では、以前、レオナルドの描いたヘリコプターの図案が全日空の飛行機の垂直尾翼にデザインされていました。機体へは描かれなくなったみたいですが、現在でも社章となっているようです。
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズの「カタパルト」と「セルフプロペラカート」です。 カタパルト(投石機)は、当時すでに知られた兵器に、新しくバネ仕掛けを利用して再研究したもののようです。特にバネ仕掛けの部分について、いくつものパターンをスケッチしていたようで、本当の研究はカタパルトとしてではなく、その構造の方だったみたいです。 レオナルドのセルフプロペラカート(自走車)は、ラフなスケッチみたいですが複雑な構造で構成されている事がわかるようです。2つの逆回転をするはめば歯車と渦状バネに加えて、発進時一気にバネが戻らないように時計のエスケープメント(脱進機)に似た構造や、小さな部分ではありますが、バネを巻くためにブレーキのような役割をする部分さえ描き込まれているそうです。 【『童友社』HPより引用】
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズの「ボンバー」と「マルチバレルド キャノン」です。
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズの「スウィング ブリッジ」です。
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ」シリーズの「パドルボート(外輪船)」です。 レオナルドの「パドルボート(外輪船)」は、河川での交通手段を前提として考えられているそうです。動力には、上流へ向かう際に大きな推進力が必要なため、すでに原理として他の技師により考案されていた水車羽(外輪)を使っています。水車羽に動力を伝える仕組みとして、箱型ギアやペダルの利用を図示した事は、他の技師とは全く違う考案のようです。 【『童友社』HPより引用】
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「1/700スケール 世界の潜水艦」シリーズです。 海上自衛隊のおやしお・はるしお型潜水艦、ロシア海軍のキロ級・タイフーン級・オスカーⅡ潜水艦、ドイツ海軍の各種Uボート、アメリカ海軍のガトー級潜水艦、旧日本海軍の伊-400潜水艦などの名だたる世界の潜水艦がラインアップされています。 伊四〇〇型潜水艦は、3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載し、潜水空母とも俗称され、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大の大きさであり、全長はアメリカ海軍のガトー級を37メートル上回る122メートルでした。理論上は地球を一周半可能という長大な航続距離を誇っていました。パナマ運河を搭載機で攻撃するという作戦が考案されましたが、本艦が完成した頃には、日本海軍は連合国軍により国土周辺の制海権、制空権ともに失って壊滅的な状態になっており、すでに時期を逸していました。同型艦3隻が就航しましたが、いずれも具体的な戦果をあげる前に敗戦を迎えてアメリカ軍に接収・調査された後、海没処分されました。 晴嵐(せいらん)は、日本海軍が第二次世界大戦中に開発した水上攻撃機で、設計生産は愛知航空機、型式名はM6A1です。伊四〇〇型潜水艦による戦略爆撃の目的で開発され、小型軽量の急降下爆撃が可能な潜水艦搭載用の水上攻撃機(海軍での分類は特殊攻撃機)でした。昭和18年(1943年)11月に初号機完成、生産数は28機です。
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左の写真同様、「1/700スケール 世界の潜水艦」シリーズです。主に完成品を撮影してみました。 これを見て、どの型がどこの国の何と言う潜水艦か言い当てられる方はすごいです。海上自衛隊も大歓迎では!? 海上自衛隊の「はるしお型潜水艦」(はるしおがたせんすいかん、JMSDF SS HARUSHIO class)は、昭和61年度計画で建造された海上自衛隊の通常動力型潜水艦で、1987年(昭和62年)から1995年(平成7年)までに7隻が建造されました。うずしお型、ゆうしお型に続く、海上自衛隊における第3世代の対潜型潜水艦で、ゆうしお型よりやや大型(排水量+200t、船体長+1m)の準同型艦で、外見上の識別点は艦首上甲板の音響要撃受信機の隠顕式ドームだそうです。 電動機の回転数の減少、制振機構の多重化、7翼ハイスキュード・スクリューなどの採用により、海上自衛隊の潜水艦にとって積年の課題であった静粛性は大幅に向上し、うずしお型に始まる日本の対潜潜水艦の技術及び運用のレベル(とりわけ静粛性)は、本級の整備によって、ようやくNATO軍潜水艦部隊の水準に並ぶに至ったと言われます。艦体はゆうしお型と同じく複殻構造であり、さらに高張力鋼のNS110を用いていることにより潜行深度が増しています。また、居住区の改善による居住性の向上も図られました。また、赤外線探知装置、曳航式VLFブイ・アンテナなどを海自潜水艦としては初めて採用し、曳航式ソナー・アレイを当初から装備した(2番艦以降、1番艦は後日装備)ことにより、捜索能力が向上しています。 海上自衛隊の「おやしお型潜水艦」(おやしおがたせんすいかん、JMSDF SS OYASHIO(second) class)は、1990年代より竣工して海上自衛隊で運用されている通常動力型潜水艦です。ネームシップおやしおは二代目で、初代おやしおは伊-201を参考とし、1960年に竣工した戦後国産第一号の「SS511 おやしお」です。従来の“涙滴型”から“葉巻型”を採用し、船体構造も完全複殻式から部分単殻式へと変更されました。技術の進歩によって、潜航深度の増大、航続力の増加、情報処理能力の向上が図られていると同時に自動化も進められ、定員も前級のはるしお型潜水艦より5名減っているそうです。 艦首上部に6門の魚雷発射管を集中装備し、直線化した船体中央部にはコンフォーマル・アレイ・ソナーが装備されていて、探知能力が向上しました。また、被探知防止として無反響タイルを主要部分に装着するなど様々な新技術が取り入られています。高度に自動化された点も本級の特徴です。
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