第49回(2010)静岡ホビーショー♪レポート&レビュー タミヤ(株式会社タミヤ ※旧社名:田宮模型)

49th SHIZUOKA HOBBY SHOW 2010 REPORT&REVIEW TAMIYA 
2010年(平成22年)5月15日(土)・16日(日) 静岡県静岡市の『ツインメッセ静岡』にて一般公開

(☆★このページの写真は全部で44枚掲載しています。)
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第49回静岡ホビーショー~タミヤの展示コーナー タミヤ~ラジコン実演コーナー
 タミヤのコーナーの様子です。静岡の地元企業で有名なメーカーであるだけに、展示コーナーは他メーカーと比べてもとても広くなっています。

 タミヤのラジコン実演コーナーです。多くの人が興味深そうに見ています。

タミヤ~1/35 RCタンク バトルシステムシリーズ
 今年夏に発売される予定のタミヤの新しい商品「1/35 RCタンク バトルシステムシリーズ」です。
 左がドイツ軍のパンサーG後期型、右がソビエト軍のT-34-85です。
 パンター戦車に搭乗したエースとしては、1944年7月のフランス、サン・ロー/クータンス間の十字路でアメリカ戦車M4シャーマンをたった1輌で迎え撃ち、近接戦闘で9輌を撃破、1輌を中破させた第2SS装甲師団のエルンスト・バルクマンSS曹長が有名で、彼は同年12月、古いパンターD型で「バルジの戦い」に参加して、夜間に敵戦車の列に紛れこみ、ハッチから漏れる車内灯の色で識別し攻撃を行い、M4戦車数輌を撃破しています。

 ガイドパネルです。2.4GHz帯の電波を使用した新プロポシステムの採用で、バンド交換の手間無く多台数でのバトルが楽しめるとのことです。
 T-34-85はドイツ軍のパンサー戦車に対抗すべく誕生しました。ソビエト軍戦車部隊は1943年後半においても、1941年時と同様の76.2mm砲装備のT-34が主力のままでした。しかしこの砲ではパンターの前面装甲に対して威力不足で、撃破するためにはパンターの側面に廻りこまなければなりませんでした。一方パンターの主砲はどの方向からでも遠距離からT-34を撃破できたため、パンターに対抗すべく、85mm砲と三人乗りの大型砲塔を装備したT-34-85戦車が開発されました。

タミヤ~1/35 RCタンク バトルシステムシリーズ(パンサーG後期型・ソビエトT-34/85)
 今回発表されていた戦車は、ドイツ軍の「パンサーG後期型」とソビエト軍の「T-34-85 中戦車」でした。この戦車は車速、旋回スピードを細かにコントロールができるようです。また、車体内部にスピーカーが設置されていて、エンジン、主砲、機銃発射音、さらにはバトル時の被弾音、撃破音、命中前の敵弾飛来音までも再現されているようです。すごいリアル感ですね。

 実演コーナーを撮影したものです。建物の影からパンサーG後期型が現れました。
 この戦車は他にもさまざまなリアルな戦車アクションが盛り込まれていて、超信地旋回は停止状態から、主砲発射時には反動が、バトル時の撃破効果として主砲が下がって不動となるようです。
 う~ん、すごいですね♪実戦の雰囲気を少しでも演出するようにとても工夫がされています。

 T-34-85が3台に対してパンサーG後期型が1台で挑む!なんて感じになっています。
 実際、戦争末期にはこのような状況は多く見られたように思います。
 単純に生産数だけで比較してみてみますと、パンサーG型は約3,100両、T-34-85は22,559輌とされていて、この型だけみても生産数は実に約7倍もの開きがあります。しかし、戦車の個体の性能を比較すれば、パンサーG型のほうが主砲の性能、装甲の頑強さなどについてT-34-85よりも優れていました。たとえば、パンターG型は2000mでT-34-85の前面装甲を貫くのに対し、T-34-85はようやく500mでパンターG型の砲塔前面装甲を貫くことができたそうです。

 ドイツ軍側のパンサーG後期型は、建物などの遮蔽物を利用して戦闘を行うことにしたようです、みたいな感じの構図の写真です。
 このシリーズでは、オプションとして『バトルポイント(仮称)』を展開予定だそうで、『バトルポイント』通過時には、片側キャタピラが不動になるアクションが盛り込まれるそうです。さながら地雷といった感じのものでしょうか。

1/16RCT タイガーⅠ用 ダイキャストトラック
 戦車の砲塔の上にある黒っぽいパーツが受光部で、戦車の後部にアンテナのように立っているのが『バトルインジケータ(仮称)』です。インジケータLEDの色、点灯・点滅により、戦車モードや被弾状況を把握することが可能になっています。

 「1/16RCT タイガーⅠ型用 ダイキャストトラック」とありました。箱を見ると「METAL」って書いてありますので、いわゆるリアルな鉄製のキャタピラってことでしょうか!?すごいなぁと思って撮影してきました。
 実際にラジコン戦車に装着して動かすと、実車みたいに「キュラキュラ」と金属音が聞こえてきたらすごいリアルですね!反面キャタピラが重くなりそうなので、モーターや転輪などの足周りに負荷がかかるなどの影響はどうなのかなと素人な自分は考えてしまってすみません。手に触れてみたわけではありませんので、重量とかそもそも鉄でできているのかはわかりませんのでご了承くださいm(_ _)m。
 なお、ティーガー戦車の搭乗者で有名なのはミハエル・ヴィットマンで、彼は様々な車両を乗り継ぎ戦い続けて最後はティーガーに搭乗し、ヴィレル・ボカージュの戦いでは27両の敵車両を撃破しています。彼の通算撃破数は戦車138両、対戦車砲132門。

タミヤ~1/16スケール ラジコン戦車 IV号戦車、パンター戦車
 1/16スケールのラジコン戦車、ドイツ軍IV号戦車(左)とパンター戦車(右)です。
 1/16スケールとなると、かなり大きく感じて迫力満点です。
 IV号戦車はドイツ戦車の中で最も生産数が多く、改良が限界に達した大戦中期以降も主力であり、敗戦時まで使用され続けました。ドイツ陸軍兵器局は、大戦末期に出現したT-34-85との比較試験を行って、IV号戦車はあらゆる比較項目でT-34-85に圧倒されるという結論に至っていましたが、全ての生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕があるはずもなく、グデーリアンの強い反対もあって、本車の生産を中止するという選択肢はなかったようです。
 IV号戦車はドイツの同盟国などにも輸出され、G型以降の型がイタリア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、スペイン、トルコの各軍に配備されて、戦後もしばらくの間使われていたようです。また、チェコスロヴァキアが保有していた中古を購入したシリア軍のIV号戦車が、中東戦争でイスラエル国防軍のセンチュリオンと交戦した記録があるとのことです。

 左側と同じラジコン戦車製品を角度を変えて撮影したものです。
 IV号戦車はバリエーションも多く、A型(先行量産型。短砲身24口径75mm砲搭載)、B型、C型(B型とC型では砲塔・車体装甲板が前面30 mm に強化され、車体前方機銃が無くなり、ピストルポートが設置される)、D型(車体前方機銃が復活、側面と後面の装甲厚を15 mm から20 mm に強化)、E型(車体前面装甲を50 mm に強化)、F型(車体の形状を変更し基本装甲を全体的に強化)、F2型(長砲身の7.5cm Kw.K.40 L/43を搭載)、G型(F2型が改称されたもの)、H型、J型(生産の簡略化が主)が生産されています。
 なお写真のIV号戦車の砲塔に取り付けられている装甲版は「シュルツェン」と呼ばれ、対戦車銃から側面装甲やハッチを防御する外装式の補助装甲板で、1943年4月から標準装備となっています。これは後に成形炸薬弾に対して有効であることも判明します。また、遠方のシュルツェン装備のIV号戦車を連合軍がティーガーIと誤認して攻撃して、「タイガー撃破!」と喜んだケースの多くはこれであったとのお話もあるようです。

タミヤ~1/16RCT ソビエト重戦車 KV-2
 「1/16RCT ソビエト重戦車 KV-2 フルオペレーション(完成品)」です。
 KV-2は、第二次世界大戦中にソビエト連邦で使用された152mm榴弾砲を搭載した重戦車です。その巨体ゆえに、ドイツ兵からはギガント(巨人:GIGANT)と呼ばれました。ご覧のとおり砲塔が大きくとても特徴的な戦車です。
 KV-2は、2名の装填手を要する分離装薬式の砲弾は発射速度は遅く、また、砲塔は大幅に大型化しているにも関わらずターレットリング径はKV-1と同じで、数tもある砲塔を支えることに多大な無理を生じさせていました。重い砲塔は、車体が傾いた状態では満足に回転させることもできず、通常のKV-1でさえ難がある機動性と信頼性はさらに低くなったとされています。
 そのような運用上の制約がある車両でありながら、KV-2は通常の戦車と混成で同じように扱われたため、いたずらに消耗を重ねることになったようです。このため、KV-2の生産は開戦後ほどなくして打ち切られ、1940年から1941年にかけて増加試作型を含め202輌が生産されましたが、ソ連戦車としては比較的少数の生産数で終わっています。
【タミヤ】 KV-2 初期生産型

1/16RC ソビエト KV-2重戦車 ギガント フルオペレーションセット
  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 KV-2の独ソ戦での有名な記録は、リトアニアのラシェイニャイ市内での戦闘です。
 ラシェイニャイ市内のドイツ第6戦車師団とドゥビーサ川橋頭堡の歩兵部隊を分断するために送り込まれた、たった1輌のKV-2は、橋頭堡に向かう増援部隊のトラック12台を撃破、街道上の分岐点に居座ってドイツ軍を食い止め続けます。これを排除するため、5cm対戦車砲の部隊が送り込まれましたが返り討ちにあい、続く8.8cm高射砲1門も設置中に砲撃され破壊されてしまいます。
 夜になって突撃工兵が爆薬攻撃を仕掛け、履帯を破壊して行動不能に追い込んだものの、完全撃破には至りませんでした。
 翌日、軽戦車が囮となっている間に設置された8.8cm高射砲が水平射撃で6発を命中させます。しかし貫通したのは2発のみで、乗員はまだ生存していて砲塔が動き始めたため、工兵により被弾孔から手榴弾が投げ込まれたことによってようやく完全に沈黙したそうです。
 なお、上の写真左上に見えるのは「KV-1」です。
【タミヤ】 KV-1 1939年型

1/16RC ソビエト KV-1重戦車 フルオペレーションセット
  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タミヤ~ドイツ重駆逐戦車 ヤークトタイガー 中期生産型 オットー・カリウス搭乗車 タミヤ~ソビエト襲撃砲戦車 SU-122
 「ドイツ重駆逐戦車 ヤークトタイガー 中期生産型 オットー・カリウス搭乗車」です。カリウス中尉を含むフィギュア3体とDKWオートバイ、第512重戦車駆逐大隊を中心としたデカールが5種類付属しているようです。オットー・カリウス(Otto Carius)は、戦車長として150両以上の敵戦車を撃破し、ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉やクルト・クニスペル曹長、エルンスト・バルクマン親衛隊曹長と共に、最も優れた戦車兵の一人として認められています。
 ヤークトティーガー(ドイツ語: Jagdtiger)の制式番号は「Sd.Kfz.186」で、第二次世界大戦後期に使用されたドイツの重駆逐戦車であり、重戦車ティーガーII の車台の延長型を利用しています。
 搭載する12.8cm PaK44は大戦中最強の対戦車砲といわれ、連合軍のいかなる戦車であろうとも撃破することが可能で、建物の反対側に隠れたM4中戦車を撃破したという記録もあるようです。
 前面最大250mmに達する分厚い装甲と、55口径128mm戦車砲という巨大な攻撃力を兼ね備えていましたが、機動性は劣悪で、高い防御力の対価である大重量(75t)は、敵軍に撃破される前に、重量によるエンジンや変速器、ブレーキの故障の頻発や燃料消費が多いといった事態を引き起こしたため、戦闘による被撃破より、燃料切れや故障、軽度の損傷でも牽引不能のために放棄され、自爆処分された車輌の方が多かったといわれています。
 生産数については工場側の記録では、1944年7月から1945年4月までの生産数は82輌とされていますが、48輌のみが完成したとする説もあり、また逆に部隊配備のための輸送記録では100輌を越えていて、生産中に工場が爆撃されたこともあって実際の生産数は不明確だそうです。
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1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.307 1/35 ドイツ 重駆逐戦車 ヤークトタイガー 中期生産型 オットー・カリウス搭乗車 35307
1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.295 1/35 ドイツ 重駆逐戦車 ヤークトタイガー 初期生産型 35295

 「ソビエト襲撃砲戦車 SU-122(ウェザリングマスター・人形7体付き)」です。
 SU-122は、122mm榴弾砲M-30を搭載した自走榴弾砲です。この砲は、発射速度や砲弾初速の遅さゆえに対戦車用としてはあまり向いていません。SU-122は大半がT-34シャーシから作られましたが、1944年中に作られた一部の物にはSU-100用に作られたシャーシを使った物もあるそうです。
 生産数について、近年のロシアからの資料では最終的には1,100輌ほどが製造されたらしいですが、一説には1943年8月に生産を終え、637輌の生産にとどまったとする説もあるようです。
 なお、写真右側に少し写っているのはSU-85です。
 ドイツ軍が1943年初めに投入したティーガーI戦車を捕獲したソ連軍は、この戦車を撃破するためにはT-34のF-34 76.2mm砲では至近距離まで接近しないと無理であり、また122mm榴弾砲では対戦車戦闘には不利であることを悟ります。そのため、これに対抗するためには85mm高射砲やA-19 122mmカノン砲クラスの火器が必要と判断され、SU-85が生産されるようになりました。
 SU-85は分類としては自走砲ですが、性格としては85mm対戦車砲D-5Sを搭載する駆逐戦車であるとされます。1944年にT-34-85の大量生産が開始され、SU-85は7月には生産を終えています。
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ソビエト 襲撃砲戦車 SU-122 (ウェザリングマスター・人形7体付き) (1/35 スケール限定シリーズ)~タミヤ

タミヤ~ソビエト戦車 BT-7 1935年型 イタレリ~アウトブリンダ AB40装甲車
 「ソビエト戦車 BT-7 1935年型」です。
 BT-7はソ連で開発された快速戦車で、騎兵部隊の支援や、長距離侵攻を目的に開発されました。1935年から生産が開始され、1940年までに各型合計4,600輌から5,328輌(諸説有り)程度生産されました。
 このBT-7は日本とも関係が深く、1939年5月から9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争事件であるノモンハン事件に投入されています。
 BT-7と火力支援型BT-7Aは増援としてノモンハン事件に投入され、日本陸軍を苦戦させましたが、日本陸軍の九四式37mm速射砲や75mm野砲によって通常型30輌、指揮官型27輌、火力支援型2輌を全損、または損傷大につき後送となっています。特にハチマキ型アンテナの目立つ指揮官向け戦車の損害の比率が大きかったようで、日本陸軍が優先攻撃目標にしたことが伺えるようです。
 戦後、ノモンハン従軍の元日本兵に日本のTV局が番組取材で収録した記録によると、ソ連戦車には乗員ハッチ外側から南京錠による施錠がなされていたとの証言があるそうです。これは将兵の逃亡を防ぐ目的及び督戦のための処置ではないかとの証言であったようです。もしこの話が本当であるならば、ハッチが外側から施錠されているため、戦車が撃破された場合乗員は脱出できないことになります。

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ソビエト戦車 BT-7 1935年型(1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.309)~タミヤ

【ノモンハン事件に参加した日本軍兵器】
九七式戦闘機乙型(キ27乙)】 【九七式中戦車】※4両のみ
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 「イタレリ 1/35ミリタリーシリーズ アウトブリンダ AB40装甲車」です。
 AB40およびその小改良型のAB41は、第二次世界大戦中にイタリアで量産された装輪装甲車です。日本では、イタリア語で装甲車を指す表音をカナ表記にした「アウトブリンダ」が本車両の呼び名としてよく知られています。
 1940年にイタリア軍に制式採用され、1943年9月の休戦までに624両が生産されました。イタリア休戦後は、引き続きドイツ軍やイタリア社会共和国(RSI)軍で大戦終了まで使用されました。
 車体は圧延鋼板のリベット接合で、避弾経始を考慮し傾斜装甲が取り入れられていましたが、車体前・側面で9mm、砲塔前面で18mmと、比較的軽装甲でした。
 後進用に戦闘室後部に後ろ向きの副操縦席が設けられているのはこの時代の装甲車としては一般的で、その隣には防御用に後方車体銃が設けられていましたが、これは背の高いエンジン室に遮られ、射界は限られたものだったようです。また、戦闘室とエンジン室の間には隔壁がなく、このため熱気や騒音で車内の居住性はよくなかったようです。
 足回りは4輪駆動独立懸架、4輪操舵で、車体中央に置かれたデファレンシャルから X 字形に4輪に駆動軸を伸ばした独特の機構でした。この機構のため、各車輪はサスペンションの作動の自由度が高く、高い不整地走行性能を発揮させることができたようです。ただし、ギア部が複雑になり整備が難しく、また高速走行時に車輪がぶれる難点もあったようです。
 車体左右中央部には、埋め込み式にスペアタイヤが置かれ、起伏の大きい不整地で車体中央が接地するのを防ぐ役割も担っています。
 初期の生産車は砲塔にブレダM38 8mm機関銃の連装を備えるだけでしたが、この仕様の生産車は少数に留まり、1941年からはL6/40軽戦車と略同型の砲塔にブレダ20/65 20mm機関砲を搭載した型へと生産が切り替わり、これが主量産型となりました。20mm砲搭載型も当初は同じAB40の名称でしたが、1942年にAB 41の別名称が与えられました。
 AB40/41は、騎兵部隊、自動車化歩兵部隊、機甲師団の偵察部隊、軍警察部隊などに配備され、第二次大戦を通して全戦線で使用されました。

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イタレリ 1/35 アウトブリンダ AB41装甲車 (タミヤ・イタレリシリーズ:38442)

イタレリ~ドイツ連邦軍レオパルト1A5戦車 タミヤ~1/48 MMコレクション シトロエン 11CV スタッフカー フランス軍所属車(完成品)、ケッテンクラート インファントリーカート牽引セット(完成品)
 「イタレリ 1/35ミリタリーシリーズ ドイツ連邦軍 レオパルト1A5戦車」です。
 レオパルド1(Leopard 1、ドイツ語では語尾のdが濁らず『レオパルト』)は、西ドイツが開発した戦後第二世代主力戦車で、1964年から生産され、ヨーロッパのNATO各国(デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、イタリア、ギリシャ)はもとより、トルコ、ブラジル、カナダ、オーストラリアやチリ、レバノンなどにも輸出されています。
 第二次世界大戦後に西ドイツが開発を再開した初の戦車であり、開発開始は1956年で、部隊配備の開始は1965年でした。
 105mm砲を搭載し、NBC戦に対応した30t級の戦車として開発がすすめられました。一時はフランスやイタリアとの共同開発となりましたが、各国の事情により、西ドイツの単独開発に戻っています。
 本戦車は以下のとおり多数の改良型が存在しています。
・レオパルド1
 第1~第4バッチ生産車両。
・レオパルド1A1
 砲安定装置やサイドスカート等の追加改良を行った既存車両。
・レオパルド1A2
 第5バッチ生産車両(前期型)。レオパルド1A1と同等の改良を最初から施して生産された。
・レオパルド1A3
 第5バッチ生産車両(後期型)。
 レオパルド1A2と殆ど同じだが砲塔を中空装甲形式に換装している。
・レオパルド1A4
 第6バッチ生産車両、レオパルト1A3と殆ど同じだが新型の射撃統制装置を搭載している。
・レオパルド1A5
 射撃統制装置をEMS18へ換装した既存車両。
・レオパルド1A6
 主砲を120mm滑腔砲に換装した試作車両。

 現在は「レオパルト2」の各バリエーションタイプの戦車が主力となっています。

【参考】レオパルド2A5 (Leopard 2 A5)
 A4にKWS IIという改良を行った車両で、隔壁装甲または楔装甲と呼ばれる空間装甲板を砲塔前面及び側面に付加しました。重量は59.7tに増加しています。また、射撃統制装置を改良し、車長用ハッチ後方に全周旋回可能な車長用サイトを増設した事によりハンターキラー能力を獲得しました。

【レオパルド2A5(ドイツ陸軍)】
      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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イタレリ プラモデル 1/35 ドイツ連邦軍 レオパルト1A5戦車[タミヤ]《予約商品07月発売》
1/35 MM レオパルト2A5 35242


 タミヤの「1/48 MMコレクション(完成品)」は、精密感で定評のある1/48MMシリーズを組み立て、基本塗装に加えてウェザリングまで施したシリーズです。ミニカー感覚でコレクションや展示を楽しむことができます。
 上の写真は手前左が「1/48 MMコレクション シトロエン 11CV スタッフカー フランス軍所属車(完成品)」、手前右が「1/48 MMコレクション ケッテンクラート インファントリーカート牽引セット(完成品)」です。
 シトロエン・トラクシオン・アバン (Traction avant) は、フランスの自動車メーカーシトロエン が1934年から1957年まで製造していた前輪駆動の乗用車およびその派生シリーズを指す通称で、トラクシオン・アバンのシリーズには4気筒の中型乗用車として「7CV」「11CV」が、また6気筒の大型乗用車として「15CV」が存在しましたが、7CVは戦前に生産されたのみで、全期間を通じた主力は1.9Lエンジンを搭載した11CVであり、その上位モデルとして1938年以降2.9L級の15CVが生産されました。
 世界でも極めて早い時期に、前輪駆動とモノコック構造を採用した自動車の先駆の一つであり、軽量かつ低重心で操縦性に優れ、かつ室内も広いという理想的な乗用車でした。その性能は1930年代-1940年代においては極めて高い水準にあり、万人に好まれ、広く知られた製品となりました。
 Traction avantとは、元々フランス語で「前輪駆動」を意味する言葉ですが、このシトロエン最初の前輪駆動車が余りに有名になったために、これを指す固有名詞として通用するまでになりました。
 1999年には、全世界の自動車雑誌編集者等によって選出された「カー・オブ・ザ・センチュリー」( Car of the Century )の自動車100選に入選し、うち特に傑出したとされる25台にも含まれました。
 第二次世界大戦で、ドイツ軍は接収したトラクシオン・アバンの性能の高さに注目し、独ソ戦、北アフリカ戦線、西部戦線で使用しました。軍用車塗装と灯火管制用ライトカバー装備を施された少なからぬ11CVが、ドイツ軍のスタッフカーとして利用され、また、ドイツ軍のフランス占領地におけるゲシュタポなどの官憲でも多用されたそうです。
 なお、上の写真奥に見えるのは第二次大戦中のイギリス軍で幅広く使われたピックアップトラック型軍用車「イギリス小型軍用車 10HP ティリー」です。
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1/48 MMコレクション 1/48 ドイツ無線指揮車 Sd.Kfz.250/3 グライフ(完成品) 26536
1/48 MMコレクションシリーズ No.37 1/48 アメリカM20 高速装甲車(完成品) 26537
1/48 MMコレクションシリーズ No.34 1/48 日本陸軍95式小型乗用車 くろがね四起 (完成品) 26534
1/48 MMコレクションシリーズ 1/48 ドイツ 大型軍用乗用車 シュタイヤー 1500A/01 (完成品) 26538
1/48 MMコレクションシリーズ No.43 1/48 イギリス 小型軍用車 10HP ティリー 完成品 26543
1/48 MMコレクションシリーズ No.39 1/48 アメリカ 2 1/2トン 6 × 6 カーゴトラック 完成品 26539
1/48 MMコレクション No.41 1/48 アメリカ軽装甲車 M8 グレイハウンド (完成品) 26541
1/48 MMコレクション No.44 1/48 ハノマーク D型 シュッツェンパンツァー 完成品 26544


タミヤ~1/48 MMコレクション ケッテンクラート ゴリアテ牽引セット(完成品)、イギリス・ブレンガンキャリヤー Mk.Ⅱ(完成品) タミヤ~1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ 日本海軍 コマツ G40 ブルドーザー
 上の写真は手前左が「1/48 MMコレクション ケッテンクラート ゴリアテ牽引セット(完成品)」、手前右が「1/48 MMコレクション イギリス・ブレンガンキャリヤー Mk.Ⅱ(完成品)」です。
 ケッテンクラート(独:Kettenkrad)は、第二次世界大戦期にドイツで開発された有名な最小型の半装軌車で、各地の戦場で活躍しました。1941年から1944年にかけてNSU社ほかにより8,345輌が生産され、大戦後にも550輌が再生産されています。3輪オートバイ(トライク)の一種のように見えますが、後輪を車輪ではなく、無限軌道とした独特の構成が特徴で、操縦席の他、エンジンルームの後に、後向きに2名分の座席が備わっています。
 制式名称はクライネス・ケッテンクラフトラート(Kleines Kettenkraftrad)で、逐語訳すると「小型装軌式オートバイ」、軍の制式番号はSd.Kfz.2です。
 ゴリアテ (Goliath) は、第二次世界大戦でドイツ軍の使用した、遠隔操作される軽爆薬運搬車輌のドイツ軍内での通称で、大きく分けて電気モータータイプ (Sd.Kfz.302) とガソリンエンジンタイプ (Sd.Kfz.303) の2種類が存在しました。最高で100 kgの高性能爆薬を内蔵し、有線で遠隔操作され無限軌道で走行し、目標に到達したらやはり遠隔操作によって自爆します。主な使用目的は、地雷原の啓開や敵固定陣地の破壊です。
 ユニバーサル・キャリア (Universal Carrier) は、イギリス陸軍向けに開発された装軌式汎用輸送車で、もっぱらブレンガン・キャリア (Bren Gun Carrier) として知られていますが、必ずしも常にブレンガン(軽機関銃)を搭載していた訳ではなく、第二次世界大戦中、人員や物資の輸送、機関銃の搭載車輌として、連合国軍により多用されました。Mk.IIは牽引装置を備えた派生型です。
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1/48 MMコレクション No.45 1/48 イギリス小型軍用車 10HP ティリー迷彩仕様(完成品) 26545
1/48 MMコレクション M4A1シャーマン第1機甲師団第13戦車大隊(完成品) 26519
1/48 MMコレクション No.40 1/48 ドイツ大型軍用指揮官車 コマンドワーゲン 完成品 26540
1/48 MMコレクション No.42 1/48 クルップ プロッツェ 6輪軽トラック 完成品 26542
1/48 MMコレクション ドイツ重戦車タイガー I 初期生産型(完成品)
1/48 MMコレクション ヤークトパンサー後期型212号車(完成品) 26518


 「1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ 日本海軍 コマツ G40 ブルドーザー」です。
 このようなものまで製品化されているのか♪ととても興味深く思い撮影してきました。
 コマツブルドーザーG40(小松1型均土機)は、昭和18年7月に小松製作所粟津工場で製造され、日本のブルドーザーの元祖であるとされています。
 第二次世界大戦中の昭和17年12月、それまで人力のみに頼っていた前線における飛行場・航空基地建設のスピードアップなどの目的で、海軍施設本部より小松製作所に対し、重土工機械であるブルドーザーの生産要請があったそうです。短納期が要求されたため、これに応えるため、1からの開発ではなく、すでに開発・製造していた既存の農耕用G40ガソリントラクターをかき集めガソリン機関トラクターの前方に、油圧装置と押土用のブレードを装着するという改造により誕生したのが、国産初のブルドーザーG40であり、これが「小松1型均土機」と呼ばれ、日本のブルドーザーの元祖となったそうです。
 出力50馬力のガソリンエンジンを搭載し、先進的な油圧式ドーザーブレードを採用するなど優れた性能を備えていました。1943(昭和18)年当時のブルドーザーの作業機は、米国製でもケーブル式が主流でしたが、本機は油圧方式を採用しており、非常に画期的であったのです。
 重量4,600kgで、終戦までに148台が生産されたそうです。
 これら戦時中に生産されたブルドーザーの中には、施設隊とともに北方や南方諸島の戦線に海外輸送が行われたものもありましたが、そのほとんどが途中で撃沈されたともいわれています。
 コマツテクノセンタ(静岡県伊豆市徳永697:完全予約制とのこと)には世界で唯一の現存機が展示されています。
 この世界で唯一の現存機は、戦時中にフィリピンで稼働し、終戦後、米国の接収で他の兵器とともに海中に投棄されました。しかし、その後船舶の航行の障害になるとのことで引き揚げられ、昭和36年頃にオーストラリア・シドニー郊外の農家に買い取られたそうです。そしてオーストラリア・シドニー郊外の農場で使用されていたものが1979(昭和54)年に発見され、35年ぶりに祖国である日本に帰還し、現在に至っています。
 
1979年に、このG40は35年ぶりに故郷日本の石川県に帰還したそうですが、当時はマスコミを賑わすニュースとなったそうです。
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1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ No.65 1/48 日本海軍 コマツ G40 ブルドーザー 32565

スーパーマリン スピットファイア Mk.Ⅷ タミヤ~1/48 零戦二一型/三二型/五二型/五二甲型/五二丙型
 「スーパーマリン スピットファイア Mk.Ⅷ」です。
 スーパーマリン スピットファイア (Supermarine Spitfire) は、イギリスのスーパーマリン製単発レシプロ単座戦闘機で、第二次世界大戦においてイギリス空軍を始めとする連合軍で使用されました。楕円形の特徴的な主翼を持ち、翼断面は高速を発揮するために薄くなっていました。主任設計技師であるR.J.ミッチェルとジョセフ・スミスを始めとする彼の後継者たちによって設計されたスピットファイアは、パイロットたちからの支持は厚く、第二次世界大戦のさまざまな状況で活躍しました。基本設計が優秀であったことと、戦況に応じたエンジンの出力向上によって長期間にわたり活躍し、23,000機あまりが生産され、1950年代まで使用されました。
 Mk.ⅧはMk. VIIと同じく、マーリン60系エンジンを装備していましたが、より汎用性を高め、Mk. Vに続く主力戦闘機を目指した型でした。しかし、改良点の多かったことが災いし、Mk. VIIIは1942年11月から生産されていたものの、生産が軌道に乗り始めるのは1943年までずれ込み、このように生産化に手間取っている間に、フォッケウルフ Fw 190Aへの対抗策として応急的に開発されたMk. IXが先に生産され、その結果、主力戦闘機の座はMk. IXに奪われてしまいます。
 在マルタ島、在イタリアの部隊やインド空軍、オーストラリア空軍などへMk. VIIIが送られました。合計で1,658機が生産され、終戦まで運用されました。Mk. VIIIの航続距離は、クリーン状態で1060kmと、スピットファイアの戦闘機型で最も長いものになっています。
 スピットファイアは、ドイツによるイギリス本土上陸作戦の前哨戦としてイギリスの制空権の獲得のために行われた航空戦であるバトル・オブ・ブリテンにおける勝利の立役者とされ、その設計者のミッチェルとともに、「The First Of The Few(邦題「スピットファイア」)」という映画にもなって称賛されています。
 スピットファイアは太平洋戦線にも投入されました。本格的な導入は、1942年(昭和17年)秋からで、日本軍によるオーストラリアへの爆撃に悩まされた同国政府の要請によりイギリス空軍(RAF)から3個中隊(100機程度)がオーストラリア空軍(RAAF)に配属されました。1943年(昭和18年)2月からポートダーウィン上空で来襲する日本海軍の零戦と数次に渡って会戦しましたが、結果は撃墜した零戦3機に対し撃墜されたスピットファイアは38機と惨敗を喫しています。このことは、これまで零戦と対していた米空軍P-40戦闘機隊の「一撃離脱戦法に徹すべき」という忠告を聞かず、零戦が得意とする格闘戦に正面から挑んでいったことと、対戦した日本海軍の二〇二空、七五三空部隊が搭乗時間1000時間以上の熟練パイロットで構成されていたことも敗因といわれています。

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スーパーマリン スピットファイア Mk.VIII (1/32 エアークラフトシリーズ No.20)~タミヤ
1/32 エアークラフト No.19 1/32 スーパーマリン スピットファイア Mk.IX C 60319
1/48 傑作機シリーズ スピットファイア Mk.V TROP.
1/48 傑作機 No.32 1/48 スーパーマリン スピットファイア Mk.I 61032
1/48 傑作機 No.33 1/48 スーパーマリン スピットファイア Mk.Vb 61033
1/48 スピットファイアMk.Vb イギリス空軍クルー7体セット


【零式艦上戦闘機】
【翔鶴から発進準備中の
零戦二一型(A6M2b)】
【1941年12月7日(日本時間12月8日)、ハワイ真珠湾に向けて空母赤城を離艦する零戦二一型(A6M2b)】 【零戦三二型(A6M3)】
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 著名な撃墜記録保持者
  ・岩本徹三(『最強の零戦パイロット』、『零戦虎徹』)…202機
  ・坂井三郎(『大空のサムライ』)…64機
  ・菅野直(『ブルドッグ』、『イエローファイター』、『菅野デストロイヤー』)…72機
 
 ・その他 西澤広義、杉田庄一、笹井醇一、荻谷信男

 「1/48 零戦」各タイプです。
 零式艦上戦闘機は大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機で、零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られ、アメリカ陸軍のムスタングP-51、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機です。
 大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられました。しかし、大戦中期以降は連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位性は失われていってしまいます。
 開発元は三菱重工業で、堀越二郎技師が設計主務者です。中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数10,430機の半数以上は中島製となっています。

・写真右下…「1/48 日本海軍 三菱 零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)」
 二一型は空母への搭載を前提として本格的に量産された型です。翼端を50cmずつ折り畳める機能が追加された他、着艦フックや無線帰投方位測定器といった艦上機用装備も追加されました。太平洋戦争の緒戦期に実戦投入され真珠湾攻撃にも参加し、その長大な航続距離と卓越した運動性能、20mm機銃2挺の大火力はアメリカ軍に衝撃を与えました。また、主翼強度を増す設計変更が行われ、採用当初には509.3km/hだった最高速度が533.4km/hにまで向上しています。生産数は三菱製が740機、昭和19年春まで生産された中島製(ライセンス生産)が2,821機です。

・写真左下…「1/48 日本海軍 三菱 零式艦上戦闘機三二型(A6M3)」
 三二型は二一型の後継型で、1942年4月頃から量産が開始され、同年秋頃には実戦投入されました。エンジンを2速過給機付きの栄二一型(離昇1,130hp)に換装し、二一型の主翼端の折り畳み部分を切り落としたように50cmずつ短縮した角張った翼端の形状が特徴です。また、20mm機銃の装弾数は60発から100発に増加し、武装も強化されました。しかし、配備初期はエンジンにトラブルが多く、機体改修に伴う燃料タンク容積の削減および栄二一型の燃費の悪さから航続距離・航続時間は低下してしまいました。折りしも実戦配備時期が長大な距離を往復する航空作戦が中心となったガダルカナル攻防戦と重なってしまい、航続距離の減少が問題となったため、燃料搭載量を増した二二型の開発・配備が促進されたことから、期待を担って登場したにも関わらず、生産数は三菱での343機にとどまっています。

・写真右上…「1/48 日本海軍 三菱 零式艦上戦闘機五二型/五二型甲(A6M5/A6M5a)」
 五二型は二二型の発展型で、折り畳み機構を廃して翼幅を三二型と同じ11mに短縮したものの、二一型や二二型のように円形に整形された翼端を持つ主翼と、エンジン排気による空気の整流・推力増強を狙い排気管を分割して機首部の外形に沿って配置する推力式単排気管が外見上の特徴です。五二型は三二型と同一エンジン装備で正規全備重量で200kg近く増加しているにも関わらず、最高速度は約20km/h、上昇力も向上していて、推力式単排気管の効果を垣間見ることができます。後期生産型から翼内燃料タンクに自動消火装置を設置して防御力を高めています。
 五二甲型はドラム給弾式の九九式二号三型20mm機銃をベルト給弾式の九九式二号四型20mm機銃に換装した型で、給弾方式としてベルト式を採用することによって翼内スペースを有効に活用できるようになり、装弾数はそれまでの100発から125発まで増加しました。さらに主翼外板を0.2mm厚くして強度を高めたことで、急降下制限速度は740.8km/hに達しました。
 五二型は三菱では1943年8月から生産が行われ、甲・乙・丙型を含めて終戦までに約6,000機が生産され、零戦の最多量産型になりました。

・写真左上…「1/48 日本海軍 三菱 零式艦上戦闘機五二丙型(A6M5c)」
 五二丙型は甲・乙を踏襲してさらに武装と防弾装備を強化した型で、武装面では三式13.2mm機銃を両主翼に1挺ずつ追加して計3挺に増やしており、防弾装備面では座席後部に操縦員頭部保護用の55mm防弾ガラスを追加しています。

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1/48 傑作機シリーズ 零戦 21型~タミヤ
1/48 傑作機シリーズ 零戦 32型~タミヤ
1/48 傑作機シリーズ NO.103 三菱 零式艦上戦闘機 五二型/五二型甲~タミヤ
プラモデル 1/48 零戦52丙型[タミヤ]《発売済・取り寄せ品》

【零戦五二丙型(A6M5c)】
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


イタレリ~YB-49 フライング・ウィング イタレリ~ノースアメリカン XB-70 試作戦略爆撃機
 「イタレリ YB-49 フライング ウィング」です。
 YB-49は、アメリカの航空機メーカーであるノースロップ社が、第二次世界大戦終結直後にアメリカ空軍のために開発した全翼重爆撃機の試作機です。2機が製作されたYB-49は、同様な形状でレシプロエンジン推進のYB-35の発展型であり、同機をジェット化したものでしたが、実戦配備されることはなく、より一般的な形態のコンベア B-36が採用されました。しかしながら、レーダーに捕捉されにくいという機体設計概念自体は、ステルス機として知られる現在配備中のB-2 スピリット開発の際に活用されました。
 YB-49は1947年10月1日に初飛行し、その有望性が実証されることになります。YB-49は40,000ft(12,200 m) よりも上の高空を6時間に渡って飛行するという非公式の滞空記録と、カリフォルニア州のミューロック空軍基地(当時)からワシントンD.C.のアンドリュース空軍基地へと4時間20分で飛行する大陸横断速度記録とを達成しました。
 一方で、ジェット化による弊害も存在し、初期のジェットエンジンの性能が悪かったこともあり、航続距離が大幅に短くなったり、操縦が難しくなるといったことが挙げられました。なかでも最悪なものとして、試作機の1機は1948年6月5日の事故によって失われ、パイロットのグレン・エドワーズ大尉ら乗員5名全員が殉職してしまいました(エドワーズ空軍基地は彼にちなんで名付けられたそうです)。事故原因は完全には解明されていませんが、深刻な構造的欠陥が存在したとされています。
 1948年9月には、空軍はノースロップに対し偵察機型のRB-49Aとして発注し、コンベアを生産担当企業としましたが、翌年の1月までには計画は中止となってしまいました。空軍テストパイロットのロバート・カーデナス少佐による報告の中で、機体が非常に不安定であるとされたことが中止の一因とされています。
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1/72 ノースロップ YB-49 フライング ウイング~イタレリ


 「イタレリ ノースアメリカン XB-70 試作戦略爆撃機」です。
 ノースアメリカンXB-70(North American XB-70)は、アメリカ空軍の試作戦略爆撃機で、製造されたのは2機のみです。愛称のヴァルキリー(Valkyrie)は北欧神話の戦乙女ワルキューレの英語読みです。
 アメリカ空軍の「ヴァルキリー計画」に基づき、ノースアメリカン社が開発した戦略爆撃機です。最高速度マッハ3でアラスカ - モスクワ間を無着陸で往復可能な超音速戦略核爆撃機として計画されたものの、大陸間弾道ミサイルの発達などで存在意義を失ったことなどから制式採用には至らず、また試作機のうち一機は空中衝突事故で失われてしまいました。
 現在は残された一機がオハイオ州ライト・パターソン空軍基地の国立アメリカ空軍博物館に展示されています。識別点としては機首下が白いのが現存する1号機(シリアルナンバー:62-0001)、黒いのが事故で失われた2号機(シリアルナンバー:62-0207)です。
 XB-70の外見上最大の特徴は、デルタ翼の両端が高速飛行中は折れ下がることです。これはしばしば衝撃波を抱え込むための工夫であるともいわれますが、それよりも超音速飛行時には能力不足となる垂直尾翼の能力を補うため、及び空力中心の後方移動を補償するためであるとされています。
 また、機首のうち風防前部の上面は低速時には凹んだようになっていますが、高速飛行時にはここが持ち上がりフラットな機首となります。これはコンコルドの機首が折り下がるのと同じように、地上および低速域での前方視界を確保するためのものです。
 近未来的なデザインに悲劇的な結末も相まってか、飛行当時はもとより引退後もなお非常に人気の高い機体です。
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タミヤ イタレリ 1/72 飛行機シリーズ 1/72 XB-70 超音速爆撃機 38082

フェラーリ F310B、F1-2000など 1/14RCTR MAN TGX
 フェラーリのF1マシン各型のプラモデルです。「F310B」、「F1-2000」が見えます。F1は観ていますが、各マシンの型はよくわかっていないので、マシンを一目見て、型式を言える方は尊敬いたします。
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1/20 グランプリコレクション No.45 1/20 フェラーリ F310B 20045
1/20 グランプリコレクション No.48 1/20 フェラーリ F1-2000 20048
1/20 グランプリコレクション No.52 1/20 フェラーリ F2001 20052


 「1/14RCTR MAN TGX 26. 540 6×4 XLX フルオペレーションセット」です。
 F1チームのトランスポーターとしても活躍するドイツ・MAN社のトレーラーヘッドの中で、トラック・オブ・ザ・イヤー2008を受賞した「TGX 26. 540 6×4 XLX」を再現した「電動ラジオコントロールカー」だそうです。アルミ製チャンネル材採用のフレームや、金属製リーフスプリングを使用した本格的な足まわりとのことです。また、3速ミッションを搭載して走行中のギヤチェンジができ、車体に搭載されたマルチファンクションコントロールユニット(MFC-01)が、トラックならではの様々なアクションに実感のサウンドを同調させ、車体振動を連動させて存在感を演出するそうです。エンジン音は大排気量ディーゼルエンジンを搭載した実車の鼓動が音源で、実車が発するほぼ全ての音を再現し、各種のライト点灯も送信機で操作できるというリアルさが追求された製品です。
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RCTR トレーラーヘッド MAN TGX 26.540 6×4 フルオペレーション (1/14 ビッグトラックシリーズ No.24) 56324


ホンダ RC166、ヤマハ YZR-M1 ホンダ CX500 ターボ
 タミヤのオートバイプラモデルです。「Honda(ホンダ) RC166」、「YAMAHA(ヤマハ) YZR-M1」が見えます。
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1/12 オートバイシリーズ No.113 1/12 Honda RC166 GPレーサー 14113
1/12 オートバイシリーズ No.116 1/12 ヤマハ YZR-M1 '05 No.46/No.5 14116


 「Honda(ホンダ) CX500 ターボ」です。
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Honda CX500 ターボ (1/6 オートバイシリーズ No.35) 16035


スズキ RGB500 '80 #10 スズキ RGV-Γ(XR89)'99~#10 ケニー・ロバーツ Jr. 仕様、#9 青木宣篤 仕様
 「マスターワークコレクション SUZUKI(スズキ) RGB500 '80 #10」です。
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マスターワークコレクション No.68 1/12 スズキ RGB500 '80 #10 21068


 「マスターワークコレクション SUZUKI(スズキ) RGV-Γ(XR89)'99 #10」です。左側が「#10 ケニー・ロバーツ Jr. 仕様」で、右側が「#9 青木宣篤 仕様」です。
Amazon】 マルサンホビー】
マスターワークコレクション No.70 1/12 RGV-Γ (XR89) '99 #10 (完成品) 21070

予約受付中!タミヤ1/12スズキ RGV-Γ(XR89) ’99 #9”青木宣篤”(完成品)


スズキ RGB500 '80 #21 チームガリーナ カワサキ ZZR1400 キャンディサンダーブルー
 「マスターワークコレクション スズキ RGB500 '80 チームガリーナ #21」です。
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マスターワークコレクション No.69 1/12 スズキ RGB500 '80 チームガリーナ #21 (完成品) 21069


 「マスターワークコレクション カワサキ ZZR1400 キャンディサンダーブルー」です。
 写真奥のボードには「ZZR1400 パールメテオグレイ」も見えます。
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マスターワークコレクション No.83 1/12 カワサキ ZZR1400 キャンディサンダーブルー 完成品 21083
マスターワークコレクション No.82 1/12 カワサキ ZZR1400 パールメテオグレイ 完成品 21082


1/12 ヤマハ YZR-M1 '05 #46 バレンシア パーツパネル タミヤ~ミニ四駆
 「1/12 ヤマハ YZR-M1 '05 #46 バレンシア パーツパネル」です。
 こうして見ると、バイクのプラモデルのパーツはけっこう繊細で折れやすそうなパーツが多いことがわかります。


 「ミニ四駆」の実演走行をやっていました。
 子供達が興味深そうに見入っています。


タミヤ~工作シリーズ タミヤ~工作シリーズ
 タミヤの「工作シリーズ」です。
 小さい子どもの小学生の頃に、この工作シリーズの完成品を夏休みの自由研究として学校に提出したことが1回あるような記憶があります。今思えば楽してかつ楽しんでできる自由研究として若干の悪意があったように思いますが、学校の先生は寛大だったのか、何も言われなかったように記憶しています。
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楽しい工作シリーズ No.107 ショベルドーザー工作基本セット (70107)
楽しい工作シリーズ No.94 歩く象工作セット (70094)
楽しい工作シリーズ No.95 ミニバイク工作セット (70095)


 上の写真も左と同様タミヤの「工作シリーズ」です。
 このシリーズは子どもの頃に作った経験がある方が多いのではないでしょうか。「プーリー」や「電池ボックス」などが懐かしいです。いろいろなパーツを使って銀玉を連射できるシステムの開発に着手しましたが、うまくいかなかった思い出もあります。子どもの頃はとにかくラジコンやリモコンなど動くものに感動していた記憶があります。
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楽しい工作シリーズ No.89 歩くティラノサウルス工作基本セット (70089)
楽しい工作シリーズ No.88 歩くトリケラトプス工作基本セット (70088)
楽しい工作シリーズ No.68 壁づたいねずみ工作基本セット (70068)


タミヤ~ソーラー工作シリーズ「ソーラー発電工作セット」、「ドラえもんソーラーカー『ソラえもん号』工作セット」 風力発電 エレクラフトシリーズ
 タミヤの「ソーラー工作シリーズ」です。
 「ソーラー発電工作セット」、「ドラえもんソーラーカー 『ソラえもん号』工作セット」などが見えます。
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エレクラフトシリーズ No.24 ソーラー発電工作セット 75024
ソーラー工作シリーズ No.6 ソラえもん号 工作セット 76006


 風の力でエコを体験、「風力発電 エレクラフトシリーズ」です。
 「手回し発電工作セット」、「ループウィング 風力発電工作セット」が見えます。
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エレクラフトシリーズ No.25 手回し発電工作セット 75025
エレクラフトシリーズ No.21 ループウィング 風力発電工作セット 75021


メカ・スイマー~ロボクラフトシリーズ 泳ぐ「メカ・スイマー」
 ロボクラフトシリーズの「メカ・スイマー」です。
 背泳ぎ、クロール、バタフライをこなすようです。
Amazon ★その他「ロボクラフト」
メカ・スイマー (クロール/バタフライ/背泳) 71126 (ロボクラフトシリーズ No.26)~タミヤ
ロボクラフト メカ タイガー
ロボクラフト メカ カンガルー


 左の写真同様、ロボクラフトシリーズの「メカ・スイマー」で、水槽の中をぐいぐい泳いでいました。
 最近はプールに行っていないので、泳いで脂肪を燃焼させなければ!と思わされる光景ともいえます。
Amazon】~★その他「ロボクラフト」
ロボクラフト メカ ラビット
ロボクラフト リモコン ボクシングファイター
ロボクラフト メカ ダービー


「メカ・スイマー」のパーツ、「メカ フグ」、「メカ フィッシュ」 タミヤ物販コーナー
 上の写真左側は「メカ・スイマー」のパーツです。写真右側には「メカ フグ」と「メカ フィッシュ」が見えます。
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ロボクラフト メカ フグ
ロボクラフトシリーズ No.25 メカ フィッシュ 尾ヒレ走航タイプ~タミヤ


 例年、タミヤの展示コーナーの一角に設けられている販売コーナーです。とてもにぎわっていました♪




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