(☆★このページの写真は全部で11枚掲載しています。)
第49回静岡ホビーショー(2010)トップページはこちらから♪
第48回静岡ホビーショー(2009)の様子はこちらから♪
第47回静岡ホビーショー(2008)の様子はこちらから♪
「フジミ模型(FUJIMI)」の展示コーナーです♪ 以下はフジミの「1/350 艦船モデルシリーズ」です。 |
「F22 ラプター」です。エンジン付きのようで試作品みたいです。 F-22はロッキード・マーティン社とボーイング社が共同開発した、レーダーや赤外線探知装置等からの隠密性が極めて高いステルス戦闘機です。愛称は猛禽類の意味のラプター(Raptor)。 2009年現在においてF-22には実戦経験はありませんが、その高いステルス性とファーストルック・ファーストショット・ファーストキルを前提とした運用・戦闘スタイルから、世界最高水準の戦闘能力を有するとされています。2006年にアラスカで行われた「ノーザン・エッジ演習」においては、延べ144機を「仮想撃墜」し、F-22は1機の損害も出さなかった実績があります。 また、F-15を超える機動性や旋回性能などから、有視界戦闘(レーダーに頼らず、目視での戦闘)においても卓越した戦闘力を持っています。一方で、アメリカ空軍で行われた戦闘機を使った有視界飛行での模擬格闘戦で、EA-18GやT-38に「撃墜」されたことがあり、F/A-18Fに機関砲で撃墜された可能性もあるそうです。 F22と言えば、日本の航空自衛隊の次期戦闘機の導入問題を思い起こさずにはいられません。次期戦闘機の選定にあたって、当初防衛省はアメリカのF-22A、F/A-18E/F、F-15FX、F-35、フランスのラファール、欧州のユーロファイターの6機種をF-Xの候補として挙げ、調査を行っているとされていましたが、日本政府が2008年12月末に候補機からF-22を除外し、F-35、ユーロファイタータイフーン、F-15FXの3機から選定する旨の発表がなされました。これにより徐々に次期F-Xの候補が絞られた形となりましたが、各候補機については、その設計技術や機能・性能という機体本来の違いだけでなく、多くの中小国では1個飛行隊クラスの購入にとどまるのに対し、歴史上から見ても、戦闘機の大規模な購入実績がある日本のF-Xに売り込むことによって、莫大な利益が見込まれる事等から、政治的・経済的要因等から発生する各種問題が交錯していて、選定作業が難航しているようです。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
「1/12スケール スズキGSX-R750 ヨシムラ 1986年TT-F1仕様」です。 |
「1/12スケール Honda(ホンダ) モンキー(2009年)」です。 |
出ました♪「きゃらdeCAR~るシリーズ 1/700 けいおん! USSキティホーク」です。 けいおん!のキャラ達が可愛く甲板に貼られています。これならパイロットも萌えられそう!? キティホーク (USS Kitty Hawk, CVA-63) は、アメリカ海軍のキティホーク級航空母艦(改フォレスタル級)の1番艦です。艦名は、ライト兄弟が世界で初めて飛行機による有人動力飛行に成功した丘「キティホーク」にちなんでいるそうです。2008年まで「コンスティチューション」に次ぐ古参艦(オールドネイビージャック)でしたが、2009年1月31日をもって退役したようです。 |
左と同じく「きゃらdeCAR~るシリーズ 1/700 けいおん! USSキティホーク」です。 キティホークは、1956年1月27日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工し、1960年5月27日にニール・H・マッケルロイによって進水、1961年4月29日にフィラデルフィア海軍造船所で艦長ウィリアム・F・ブリングル大佐の指揮下就役しました。 就役当時、ソ連が空母建造に乗り出していたため、アメリカ政府は空母の運用を多角的に検証しており、就役間もないキティホークや同型艦アメリカに当時CIAが運用していたU-2A高高度偵察機の空母運用を前提とした実験を行い、アメリカ政府の新たな空母戦略の尖兵となったとされています。 キティホークは、2001年のアフガニスタンに対する対テロ戦争では3分の1に満たない数の艦載機でパキスタン沖の北アラビア海に進出、アメリカ陸軍特殊部隊(デルタフォース)の支援のため陸軍の特殊作戦ヘリコプターを搭載します。なお、この作戦の詳細は一切公表されていないため謎に包まれているそうです。 |
「トラックシリーズ 富士丸特急」です。 フジミ模型はその他「トラックシリーズ」として以下のようなものも展開されています。 |
「1/500 日本海軍戦艦 長門 開戦時」です。 戦艦長門は完成後に連合艦隊旗艦となり、第二次世界大戦後に有名になった戦艦「大和」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として、国民から親しまれました。太平洋戦争開戦時には戦艦「大和」が完成前で、連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していました。太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦でもあります。 |
「1/20GPグランプリシリーズ ウィリアムズ・ルノー FW14B 1992年 イギリスグランプリ仕様」です。 1992年、アクティブサスペンションをはじめとするハイテク装備を大きな武器にチャンピオンマシンとなったのが、この「ウィリアムズFW14Bルノー」です。この年、エースドライバーのナイジェル・マンセルは開幕から5連勝を含むシーズン9勝、ポールポジション獲得14回など、圧倒的な強さを発揮して、革新的マシンとともに世界チャンピオンに輝きました。 なお、ナイジェル・マンセルはF1通算31勝を記録するも、ドライバーズチャンピオン獲得は1992年の1度のみとなっています。 【以上『フジミ模型』HPから引用】 |
「1/350 日本海軍航空母艦 瑞鶴 レイテ海戦時」です。 瑞鶴(ずいかく)は、翔鶴型航空母艦の2番艦で、太平洋戦争中、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで活躍しましたが、1944年(昭和19年)10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没しました。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦だったそうです。 瑞鶴は1941年(昭和16年)9月25日に就役し、姉妹艦の「翔鶴」とともに第五航空戦隊を編成しました。第五航空戦隊は南雲忠一中将指揮下の第一航空艦隊に属し、真珠湾攻撃のため1941年(昭和16年)11月16日に択捉島単冠湾を出撃し、12月8日、瑞鶴は他の5隻の空母と共に真珠湾に対し2波にわたる攻撃を行いました。瑞鶴からは計58機が出撃し未帰還機ゼロという幸運なスタートを切ったそうです。 1942年(昭和17年)5月、MO作戦においてMO機動部隊に編入されポートモレスビー攻略作戦の支援に当たり、8日米第17任務部隊と交戦しました(珊瑚海海戦)。瑞鶴は米軍機の攻撃時にスコールに身を隠したため損害は受けなかったそうですが、多数の艦載機と搭乗員を失い、その再編のため日本本土へいったん戻ることになりました。そのため、ミッドウェー海戦には参加しませんでした。ミッドウェー海戦で赤城など正規空母4隻を失ってからは、翔鶴とともに機動部隊の主力空母となったのです。また、ミッドウェー海戦の戦訓から、搭載機の編制が艦戦27、艦爆27、艦攻18に改められたようです。 その後、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦に参加し、1944年10月、小沢治三郎中将が指揮する囮部隊の旗艦としてフィリピン北東へ進出、同月25日、米第38任務部隊からの空襲により沈没しました。(エンガノ岬沖海戦)。 |
空母赤城(あかぎ)は、大日本帝国海軍に所属した航空母艦で、太平洋戦争初期の重要な海戦において、機動部隊の旗艦として活躍しました。艦名は赤城山にちなんで命名されています。 日本海軍が計画した八八艦隊計画により、天城型巡洋戦艦2番艦として呉海軍工廠で建造されましたが、完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約が締結されたため、条約に従って主力艦としての廃艦処分を回避するために、当時は補助艦艇であった航空母艦に改造されることになったのです。 機密保持がそれほど厳しくなかった昭和初期までは艦影が公開されて、広く一般に愛されたようです。 赤城は、第一次上海事変発生時には予備艦とされて一部改装工事を受けていて、日中戦争で空母部隊に出番のあった序盤も近代化改装を受けている最中だったため、太平洋戦争の真珠湾攻撃が本格的な初陣となりました。 【赤城からの真珠湾攻撃参加機】 [第一次攻撃隊] 九七式艦攻27機(水平爆撃隊15機=指揮官:飛行隊長淵田美津雄中佐、雷撃隊12機=指揮官:飛行隊長村田重治少佐)、零戦9機=指揮官:飛行隊長板谷茂少佐 [第二次攻撃隊] 九九式艦爆18機=指揮官:分隊長千早猛彦大尉、零戦9機=指揮官:分隊長進藤三郎大尉 開戦後は第一航空艦隊の旗艦として真珠湾攻撃、ラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃と転戦。セイロン沖海戦では、他の空母とともに英海軍重巡洋艦「ドーセットシャー」、空母「ハーミーズ」を撃沈するなど破竹の進撃を続けました。 そして1942年6月に参加したミッドウェー海戦で、赤城はアメリカ海軍空母「エンタープライズ」艦載機の急降下爆撃を受けて2発が命中、1発が至近弾となり、命中した2発は1発目が中部エレベーター付近に命中し、飛行甲板を突き破って格納庫内で炸裂、2発目が後部甲板で炸裂し、舵も破壊しました。当時、赤城の飛行甲板上では上空警戒機の発艦準備中で、そのうち1機が発艦を終わったときでした。格納庫内には艦攻、艦爆全機があって攻撃準備中のため燃料を満載し、魚雷、爆弾を装備中でした。中央部に命中した爆弾により、これらが誘爆を始め、赤城の致命傷となりました。 元が巡洋戦艦だったこともあってか、赤城はなかなか沈まず、しばらく燃えながら円を描き、12時過ぎには機関部が火災により全滅。 雷撃処分を任された第四駆逐隊の嵐、萩風、野分、舞風から各1本放たれた4本の魚雷のうち2ないし3本が命中し、1942年(昭和17年)6月6日午前2時、北緯30度30分、西経178度40分、赤城は艦尾から沈んでいったそうです。 |
タミヤ | アオシマ | ファインモールド | 童友社 | フジミ模型 | バンダイ | ハセガワ |
東京マルイ | ウッディジョー | プラッツ(PLATZ) | 塩川光明堂 | トミーテック | KATO(カトー) | グリーンマックス |
ディディエフ(DDF) | さんけい | ヨコモ | 京商 | ヒロボー | エブロ(EBBRO) | オートアート(AUTOart) |
hpi racing(HPI) | テトラ(TETTRA) | 川田模型(KAWADA) | STUDIO27 | 斎藤製作所(SAITO) | モデラーズクラブ合同作品展 | |
1/700 ウォーターラインシリーズ | 自衛隊広報展示コーナー | モデラーズ mini フリマ | 会場設営状況等 |