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「ハセガワ(Hasegawa)」の展示コーナーの様子です。 小さい頃にハセガワの「F-104スターファイター」のプラモデルを作った記憶があり、とても親しみ深いメーカーです。 |
ハセガワの「アイドルマスタープロジェクト」の「アイマス機」です。Xbox360用ゲームソフト「エースコンバット6」と「アイドルマスター」コラボにより誕生したようで、キャラクターをあしらったデカールは発色の良いシルクスクリーン印刷を採用しているとのことです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「F-15E ストライクイーグル アイドルマスター 如月千早」です。 【如月千早】 青味のかかった長い黒髪と、華奢な体が特徴的。非常に生真面目な性格で、何事にも厳しい。将来、歌手(ヴォーカリスト)として生きていきたいと希望しており、アイドル活動はその腰掛け程度にしか考えていない。それゆえ、当初はグラビア撮影などの歌に関係の無い仕事を軽視している。元々根は朗らかで優しい性格だったが、家族関係の悪化により現在の性格が形成された。 ~引用参考参照『Wikipedia』以下同様 |
「F-16C ファイティングファルコン アイドルマスター 双海真美」です。 【双海亜美・真美】 所属アイドルの中で最年少の双子。唯一の小学生でもある。芸能活動は双子であることを利用して亜美と真美が時々入れ替わって活動しているため、ゲーム中でも双子合わせて1キャラクターとして扱われる。2人とも悪戯好きだが、悪気は無い。ただ、真美の方が少し我慢強い。2人は髪を結んでいる位置と服装の色合い以外では見分けることが至難なため、髪型を変えられると親しい人でも判らなくなる。声は真美の方が若干低い。父親は医者で、母親との馴れ初めも父親が受け持った患者と言う事であった。プロデューサーのことを「兄ちゃん」と呼び、メールでは「兄(C)」と書く。また、事務所メンバーの大半を愛称で呼んでいるが千早、あずさには「お姉ちゃん」と呼ぶ。口癖は「んっふっふ〜」。 |
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「F-22 ラプター アイドルマスター 天海春香」です。 【天海春香】 シリーズにおいて、メインヒロイン的立場になる事が多い少女。幼い頃から歌を歌う事とお菓子作りが大好き。優しく素直で前向きな性格だが、感情が高ぶると手がつけられなくなるらしい。少し天然でドジっ娘な面があり、地面に何も無い所でもよく転ぶ。都心から離れた所にある実家から始発電車で2時間かけて通勤している。亜美・真美につけられた愛称は「はるるん」。やよいや愛には「春香さん」と呼ばれ慕われている。 チャームポイントは髪に結んだ2つのリボン。決まった口癖はないが、ゲーム中で発する台詞「プロデューサーさん、○○○ですよ、○○○!」はTHE IDOLM@STER関連の他ジャンルやステージイベントで頻繁に流用されており、彼女、更にはタイトルを代表するものとなっている。 |
「三菱 F-2A アイドルマスター 双海亜美」です。 |
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「F-14D トムキャット アイドルマスター 三浦あずさ」です。 【三浦あずさ】 所属アイドルの中では最年長かつ最も胸が大きく抜群のスタイルで、天然でおっとりしている典型的な癒し系お姉さん。青味のかかった黒いロングヘアと、髪は千早とやや似ている。赤い瞳も印象的だが、Live for You!特典アニメでは何故か色が異なり、一般的な色になっている。プロデューサーは彼女に対してのみ「さん」付けで呼び、かつ敬語で話す。極度の方向音痴で、ただの散歩が常識的にありえない場所への遠足となってしまうこともしばしば。趣味に犬の散歩とあるが、犬を飼っているのかは不明。占いも好きなようで、ダウンロードコンテンツなどでその一面を見ることができる。 両親に早く落ち着くよう催促されており、自身も「運命の人に会う」という目的から、短大卒業後にアイドルデビューという変わった経歴を持つ。但し、アイドル活動の部分は親から反対されている。運命の人絡みのイベントでは割と積極的でも、恋愛自体は実はとても奥手。 |
ハセガワの「アイドルマスタープロジェクト」の第2期シリーズです。 「F-117A 萩原雪歩」、「F/A-18F 秋月律子」、「A-10A 音無小鳥」です。 |
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「A-10A サンダーボルトⅡ アイドルマスター 音無小鳥」です。 【音無小鳥】 765プロダクションの事務員の女性。いつも事務員の制服を着てインカムをつけている。インカムで見えにくいが口元にホクロがある。年齢は20歳代後半。9月9日生まれ。スリーサイズは不明。妄想癖がある。亜美・真美からつけられた愛称は「ピヨちゃん」。765プロのアイドルたちとは異なり、窪岡俊之によるデザインではなく、スタッフによるデザインである。 公式に発表された彼女の姿は、すべて緑色の制服を着て頭にインカムを付けた姿である。元々はゲームとは別のアーケード版公式サイトのFAQコーナーを担当するキャラクターだった。その丁寧な回答ぶりからか一部のファンから根強い人気を獲得する。 |
左と同じ「A-10A サンダーボルトⅡ アイドルマスター 音無小鳥」です。 パーツは米国レベル製のようです。 |
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「F/A-18F スーパーホーネット アイドルマスター 秋月律子」です。 【秋月律子】 冷静沈着で頭が切れる眼鏡っ娘。元々は事務員として働いていたが、人手不足により候補生の1人にされた。デビュー後も、アイドル業と並行して事務の仕事を続けている。また、メディアミックス作品ではプロデューサーとして振舞う場面もある。 性格は勝気で、はっきりした物言いをする。根性論や精神論を嫌い、理論や理屈を優先し、合理性を重んじている。様々なことに対する分析力にも長けており、自分のことすら冷静かつ客観的に分析できる一方で、想定外の事態が起こると何も対処できないこともある。また、自分の気持ちを素直に表現することは苦手、勝気さゆえに挑発に乗りやすい欠点もある。 趣味は、分析と資格取得。自らのファン層を「特殊でマニアック」と分析している。パソコンに精通し、ツールを自作することも可能。機械系も得意で、「盗聴機と発信機セット」のような物まで作ってしまうほど。同時に、ラブロマンス系の小説を好んで読むという一面も持っている。 眼鏡以外では2本のおさげ髪が特徴。 |
左と同じ「F/A-18F スーパーホーネット アイドルマスター 秋月律子」です。 一部のデカールにはパール系顔料を使用して特殊な発色を表現しているようです。 |
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「F-117A ナイトホーク アイドルマスター 萩原雪歩」です。 パーツは米国レベル製のようです。 【萩原雪歩】 小柄な少女。臆病で悲観的な性格を変える為に、一念発起してトップアイドルを目指す。ところが、すぐ弱気になったり、泣いてしまったり、時には思いつめるあまりに変わった行動をしてしまう。特に激しく落ち込むと地面に穴を掘って埋まりたがる癖がある。 家庭はそれなりに裕福にして非常に厳格らしく、父親は雪歩のTV出演を見て激怒し765プロに抗議しようとする程厳しいらしい。お茶を愛飲しており、特に緑茶が大好きで食べ物は焼肉が好きである。苦手なものは男性と犬で、男性とは至近距離で会話が出来ず、犬に関してはチワワのような小型犬でさえ通り道にいると怖くて前に進めなくなる程である。他にもエビのヒゲが苦手らしいが、ヘビに対しては全く動じない。また、お笑いは嫌いではないらしく、ツボにはまることもある。 |
ハセガワの「アイドルマスタープロジェクト」の第2期シリーズの3機を一緒に撮影したものです。 |
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「マクロス」のバルキリーです。 「VF-1J/A バルキリー バーミリオン小隊」、「VF-1A/J/S バルキリー」、「YF-19」と思われるものが見えます。右上に少し見えるのは「VF-19A SVF-569 ライトニングス」だと思います。 |
「マクロス VF-1A/J バルキリー(たまごひこーき)」です。 「たまごひこーき」にはキャラクターがいて、F-15イーグル・F-4ファントムⅡは「羽澄れい(はずみ)」、F-14トムキャット・F-18ホーネットは「エイミー・マクドネル」、F-16ファイティングファルコン・スペースシャトルは「クレア・フロスト」となっているようです。 |
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ハセガワの「マクロス」のコーナーです。 「YF-21」、「SV-51γ ノーラ機(マクロスゼロ)」、「VF-0D(マクロスゼロ)」と思われるものが見えます。 |
「MODEMO」のコーナーです。 「MODEMO(モデモ)」はハセガワが展開する鉄道模型のブランド名です。 写真のボードには「京福電鉄 モボ631型 "江ノ電号"(M車)」、「江ノ島電鉄 10形(M車)」、「江ノ島電鉄 1500形 "嵐電号"(M車)」が見えます。 |
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「MODEMO(モデモ)」の鉄道模型ジオラマです。 江ノ島電鉄が通る情景をイメージしたためでしょうか、海の波が打ち寄せる海岸が見えて、海岸線の道路は自動車で混み合っているようです。 |
「名鉄 モ780形」、「江ノ島電鉄 10形(M車)」です。 「名鉄モ780形電車」は、1997年(平成9年)から2005年(平成17年)まで名古屋鉄道(名鉄)で使用されていた路面電車車両で、名鉄において岐阜市内線及び揖斐線近代化の一環として1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて日本車輌製造にて7両が製造された両運転台車両です。 2005年(平成17年)4月1日の名鉄岐阜600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)の廃止により、名古屋鉄道において廃車となり、7両全車が豊橋鉄道に譲渡されました。 【引用参考参照『Wikipedia』~以下「鉄道車両」に関する説明も同様】 |
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写真右上には都市景観風のジオラマが見えますが、よくよく見てみると「KATO製 ユニトラム」を使用しているようです。 写真右下には「東急 300系(310F ターコイズグリーン)」が見えます。 |
「東急 300系」の各種車両が見えます。 東急300系電車は、1999年(平成11年)7月11日に営業運転を開始した東京急行電鉄の軌道車両で、「デハ300形」とも称されるそうです。世田谷線で使用されていたデハ70形、デハ80形、デハ150形の老朽取り替えとバリアフリー化、冷房化を目的に製造した2車体3台車の連接車で、東急での連接車の導入は「ペコちゃん」ことデハ200形以来となったそうです。2001年(平成13年)2月11日にデハ150形の営業運転を終了し、世田谷線の全車両が300系となったとのことです。 |
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JMC(JOYFUL MODELLERS' CONVENTION OF HASEGAWA)の各入賞作品が展示されていました。 |
こちらも左同様、JMCの入賞作品の展示の様子です。 |
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ドイツ「Revell(レベル)」製品の「スターウォーズ」シリーズです。 「Revell(レベル)社」はアメリカおよびドイツの模型メーカーで、両社ともプラモデル、ダイキャスト製ミニカー等を生産・販売しています。ドイツのレベル社は、アメリカのレベル社が自社製品のドイツ国内での販売を目的に作った子会社の後身だそうです。 「ドイツレベル」は1970年代、アメリカレベルの支配を離れ、独自の製品を開発し始め、それらの模型製品はアメリカへ輸出され、高い評価を得て会社が成長したそうです。 |
「リパブリック・ガンシップ」です。 「リパブリック・ガンシップ(共和国攻撃用ガンシップ)は、『スターウォーズ』シリーズ中の「クローン大戦」で利用される「低飛行強襲型兵員輸送艇(LAAT/i)リパルサーリフト・ガンシップ」です。 「リパブリック・ガンシップ(共和国攻撃用ガンシップ)」は、クローン・トルーパーが装備する多目的航空機で、対地攻撃や兵員輸送に効果を発揮します。全長17.4m、全幅17mで、高速機動性に優れ、またホバリングや急上昇などが可能であるため、前線への兵力の展開や防衛線の弾力的な運用など、戦術的には装甲兵員輸送車(あるいは歩兵戦闘車)と攻撃ヘリコプターの性格を併せ持つタイプの装備で、あえて実在の航空機に例えると、ロシア製の「ミルMi-24ハインド」に近い設計思想であるともいわれ、また、戦闘中は後方貨物室がオープンデッキとなっていて、この点は「ブラックホーク」に非常に似ているとされます。 特別に教育されたクローン・トルーパーによって操縦され、武装はミサイルとブラスターを備え、また兵員輸送時には輸送中の兵員が携行している火器によっても対地攻撃が可能のようです。 【引用参考参照『Wikipedia』~以下『スターウォーズ』に関する説明も同様】 |
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「マグナガード・ファイター」、「V-19 トーレント・スターファイター」です。 「マグナガード(MagnaGuard)」もしくは「ボディガード・ドロイド(bodyguard droid)」は、アメリカ映画『スター・ウォーズ』に登場する架空のドロイドで、グリーヴァス将軍ボディーガードとして知られます。 マグナガードは自立および戦闘プログラムがインプットされたドロイドであるため、完全に独立して活動する事が可能であり、頭を落とされようとも動ける限り戦い続けます。またエレクトロスタッフと呼ばれる棒状の武器を装備し、これを使用しての攻撃・防御を得意とし、エレクトロスタッフは両端から電撃を発し、また強固なレア・メタルの装甲が施され、ライトセイバーでさえも受け止める事が可能です。グリーヴァス将軍は戦いによって生じた傷跡が敵に恐怖を与えると考えているため、ほとんどのマグナガードは薄汚れたケープをはおり、塗装もところどころ禿げています。 |
写真手前左が「アナキン ジェダイ・スターファイター(クローンウォーズバージョン)」、右側が「オビ=ワン ジェダイ・スターファイター(クローンウォーズバージョン)」です。 写真奥のほうには「リパブリック・ガンシップ」が見えます。 |
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「リパブリック・ガンシップ」です。 |
「オビ=ワン ジェダイ・スターファイター(クローンウォーズバージョン)」です。 |
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「アナキン ジェダイ・スターファイター(クローンウォーズバージョン)」です。 |
ハセガワのマシーネンクリーガーシリーズ(Maschinen Krieger)です。 『マシーネンクリーガー』(Maschinen Krieger ZbV3000)は、SFイラストレーターの横山宏氏による雑誌の連載企画及びその登場メカのプラモデルのことで、上の写真画像にも見られるように略して『Ma.K.』と表記される事が多いそうです。元々のシリーズ名は「S.F.3.D.」であったのが、この企画がホビージャパン誌を離れた後はこの名称を使えなくなったため、新たに「マシーネンクリーガー」の名称が与えられたとのことです。 核戦争の荒廃から復旧した29世紀の地球を舞台に、その覇権を争う地球独立政府傭兵軍とシュトラール共和国軍との戦いを描いています。 「エクサイマーレーザー」とは、赤外線レーザーの通用しない耐熱性セラミック装甲に対して傭兵軍にて開発されたそうで、波長0.2µmの紫外線で大気貫通力に優れ、装甲板を衝撃で粉砕します。しかし、埃や湿気、雨には弱いそうです。対ナッツロッカー用にS.A.F.S.に装備されたのに始まり、その後両軍の主力装備となったとされています。 【引用参考参照『Wikipedia』~以下『マシーネンクリーガー』に関する説明も同様】 |
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「反重力装甲戦闘機 Pkf.85 ファルケ」です。 「ファルケ」は戦争中盤に登場した反重力装甲戦闘機で、反重力装置による高い運動性と間接視認システムによる完全装甲を備え、この機体で傭兵軍は制空権の奪回に成功するようです。 |
こちらも「反重力装甲戦闘機 Pkf.85 ファルケ」ですが、写真左上には「ルナダイバー スティングレイ」が見えます。 「ルナダイバー」は月面攻撃機で、重装甲と大出力のプラズマロケットモーターを備え、月面の敵施設への一撃離脱や降下部隊の火力支援に当たります。 |
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「ブルーインパルス ヒストリー(F-86F/T-2/T-4)(3機セット)」です。 一昔前は航空自衛隊のT-2と思われる練習機が小学校の頭上を飛んでいたものです。 |
写真手前から「1/450スケール」の日本海軍「戦艦 武蔵」、「戦艦 大和」、「航空母艦 赤城」です。 この3隻は太平洋戦争における日本海軍の最も著名な艦艇と言っても過言ではないほどの人気があるように思います。 |
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日本海軍「戦艦 長門 "昭和十六年 開戦時"」です。 長門は1917年8月28日に八八艦隊計画の第一号艦として広島県の呉海軍工廠にて起工、1919年11月9日に進水、1920年11月15日に竣工します。建造費は当時の価格で4,390万円に上ったそうです。。ワシントン海軍軍縮条約において41cm(16in)主砲艦の建造が制限されたため、長門と姉妹艦の「陸奥」、イギリスのネルソン級2隻、アメリカ合衆国のコロラド級3隻を指して世界最強の7隻として「ビッグ7」と呼ばれました。 太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦です。
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日本海軍「戦艦 長門 "レイテ沖海戦"」です。 長門は、1936年に「戦艦 陸奥」と共に大規模改装を行い、ボイラーの換装と装甲の追加、対空機銃の増設を行っています。外見上は煙突がボイラーの換装に伴い太い一本の物に替わったほか、前檣および後部指揮所の形状も大きく変化しました。そして、両舷にバルジを設け、艦尾も延長し、全体的に重厚となり、防御能力が向上しました。 長門は以下の表のように能力向上等のために大改装などを行っています。
※ ←は左に同じ(変更無し)。空白は不明。1944年は推定を含む。 |
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1/350の「戦艦 長門」のディテールアップパーツ「戦艦 長門 昭和十六年 開戦時用 木製甲板」です。 |
日本海軍「軽巡洋艦 矢矧 "天一号作戦"」です。 「軽巡洋艦 矢矧 (やはぎ)」は阿賀野型の3番艦で、艦名は、長野県から岐阜県を経て愛知県に至る矢矧川(現在は矢作川と表記)にちなんで命名されました。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目となります(以前に筑摩型防護巡洋艦の2番艦に「矢矧」の名が使われているそうです)。 矢矧は1942年(昭和17年)10月25日に進水、1943年(昭和18年)12月29日に竣工し、1944年2月にリンガの哨戒および訓練のためシンガポールへ派遣されます。同年5月、空母「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」、重巡洋艦「妙高」「羽黒」とともにシンガポールからタウィタウィへ向け出発します。 1944年(昭和19年)6月19日、第十戦隊旗艦として小沢治三郎中将が率いる部隊に属してマリアナ沖海戦に参加します。そしてこの海戦において、矢矧と駆逐艦「浦風」はアメリカ潜水艦「カヴァラ」に雷撃された「翔鶴」から乗員570人を救助することとなります。 1944年6月終わりから7月初めにかけて呉でドック入りした後、7月8日に多くの戦艦、巡洋艦、駆逐艦と共に呉を出航し、シンガポールへ向かいます。 1944年10月、矢矧は栗田艦隊に属してレイテ沖海戦に参加します。10月24日のシブヤン海海戦で艦隊はアメリカ海軍第38任務部隊からの空襲を受け、戦艦「武蔵」が沈み、戦艦「大和」と「長門」も命中弾を受けましたが、矢矧は無傷でした。矢矧は10月25日のサマール沖海戦でもレイテ沖海戦でも被害は受けず、他艦と共に米駆逐艦「ジョンストン」(USS_Johnston, DD-557)を撃沈しました。10月26日にも艦隊は空襲を受けましたが、矢矧には命中弾はなく、無事にブルネイに帰投します。 1944年11月15日、矢矧は第二水雷戦隊の古村啓蔵少将の旗艦となります。矢矧は日本への帰還を命じられ、1945年3月まで日本海域に留まりました。 そして1945年(昭和20年)4月6日、天一号作戦に従事することとなり、「大和」以下駆逐艦8隻と共に沖縄へと出撃します。4月7日、アメリカ軍の航空攻撃により魚雷数本(一説には6本以上)をうけ、航行不能となり、炎上し、「大和」より僅かに早く沈没しました。 なお、沖縄出撃の際に艦長と副長が相談の上、20日分以上搭載していた米麦を5日分のみを残して徳山軍需部へ返納したそうです。また撃沈された後の乗組員救命用に大量の角材を積載して出撃したそうです。このことは、沖縄出撃(特攻)を命じられた方々の悲壮な覚悟がいかばかりのものだったかが伝わってくるものだと考えさせられるものだと思います。
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写真真ん中上(Z21)が日本海軍「戦艦 三笠 "日本海海戦"」で、写真手前左下(Z22)が「甲型駆逐艦 雪風 "天一号作戦"」です。 「戦艦 三笠(みかさ)」は敷島型戦艦の四番艦で(同型艦に敷島、初瀬、朝日)、奈良県にある三笠山にちなんで命名されました。。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将、NHKドラマ「坂の上の雲」で一躍有名になった秋山真之らが座乗し、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊に勝利しました。当時は列強各国から後進国と見られていた日本の勝利は世界を驚愕させ、タイムズ紙など有力紙が確認のため発表を遅滞させるほどであったといわれています。現在は神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されています。 「駆逐艦 雪風(ゆきかぜ)」は陽炎型駆逐艦の8番艦で、太平洋戦争を戦い、当時の艦隊型新鋭駆逐艦であった朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そして「島風」の計50隻の中で唯一終戦まで生き残り、「奇跡の駆逐艦」と呼ばれたことで有名な艦です。日本海軍の駆逐艦は、激戦区に投入されたため、非常に損耗率が高かったのですが、雪風は戦果を上げつつほとんど無傷で終戦を迎えました。
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日本海軍「戦艦 陸奥」です。写真奥の上(Z25)に見えるのは「航空母艦 赤城」です。 上の写真左下に少しだけ写っているのは「南極観測船 宗谷」です。 「戦艦 陸奥(むつ)」は旧陸奥国を名前の由来に持つ長門型戦艦の2番艦で、八八艦隊計画二番手として、1918年(大正7年)に横須賀海軍工廠にて起工され、1921年(大正10年)10月24日に就役しました。 陸奥は1番艦の長門と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛されたようで、戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門や、陸奥であったといわれています。 第二次世界大戦中には僚艦長門らと共に温存されていましたが、1943年6月8日、原因不明の爆発事故を起こし、瀬戸内海西部の柱島沖で沈没してしまいます。 そして戦後に浮揚作業が行われ、1970年には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が現在展示されています。艦体の一部が現在も沈没場所に残っていて、沈没場所は浅い瀬戸内海ですが、潮流が速く、視界も悪いため潜水するのは危険な場所だそうです。現在は艦体の約70%が浮揚され、艦橋部と、艦首部等を除く艦の前部分などが海底に残っているそうです。2007年4月7日には、第六管区海上保安本部は測量船「くるしま」のマルチビーム探測機を用いて陸奥の船影を捉え、一般公開されたみたいです。
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日本海軍「航空母艦 赤城」です。なお、写真左下に見えるのは「戦艦 陸奥」です。 |
「日本海軍 艦載艇セットA」、「日本海軍 艦船装備セットB(水雷兵装&電波兵器)」、「日本海軍 艦載水上機セットA」が見えます。 「日本海軍 艦載艇セットA」のパーツ内容は、17m水雷艇、12m内火ランチ、11m内火艇、9mカッター、6m通船、ボートダビット、キャプスタン、九四式方位盤、演習砲、汽笛などとなっているようです。 「日本海軍 艦船装備セットB(水雷兵装&電波兵器)」のパーツ内容は、九二式四連装魚雷発射管(防楯付/無)、魚雷格納箱、魚雷、爆雷、爆雷投下台/軌条、二一号電探、二二号電探、一三号電探、逆探、九四式方位盤、6m測距儀、九四式高射装置、九五式機銃射撃装置、二式哨信儀、各種双眼望遠鏡、25mm三連装機銃、13mm連装機銃、9m内火艇などとなっているようです。また、エッチング製の魚雷発射管用ジャッキステー/ハンドル/扉、魚雷スクリュー、爆雷投下軌条フレームなどが付属しているようです。 「日本海軍 艦載水上機セットA」のセット内容は、九五式水偵察×3機、零式観測機×3機、零式三座水偵×4機、呉式二号カタパルト×3基、滑車台×3台となっているようで、エッチング製プロペラ、フロート用張線、レーダーなども付属しているようです。また、艦載機の部隊符号や機体番号などの各種デカールが付属しているみたいです。 |
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「日本海軍 艦船装備セットA(機銃&光学兵器)」、「1/350 長門級用 ディテールアップパーツ」が見えます。 「日本海軍 艦船装備セットA(機銃&光学兵器)」のセット内容は、96式 25mm 単装機銃、連装機銃、3連装機銃や弾薬箱、89式12.7cm 連装高角砲をはじめ、各種照準装置、方位盤、観測鏡、測距儀、ウインチ、フェアリーダー、リール、通風筒など、充実しているようです。 |
「日本海軍 空母艦載機セット」です。 セット内容については、パーツはクリアー成形で、零式艦上戦闘機 21型 ×3機、九七式三号艦上攻撃機(武装は魚雷と爆弾の選択式) ×6機、九九式艦上爆撃機 11型 ×3機となっていて、日の丸、機番のデカールが付属しているようです。 |
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「1/350 日本海軍 軽巡洋艦 阿賀野」です。 「軽巡洋艦 阿賀野(あがの)」は軽巡洋艦、阿賀野型の1番艦で、艦名は新潟県と福島県を流れる阿賀野川にちなんで命名されました。 阿賀野が就役したのは1942年10月31日で、時はすでに太平洋戦争のターニングポイントと呼ばれるミッドウェー海戦を過ぎていて、戦局は悪化していた情勢下でした。第10戦隊の旗艦になったものの、水雷戦隊を駆使しての戦闘はほとんど無く、阿賀野にも出番は回ってこなかったようです。 1943年11月1日、それまで輸送作戦の任務についていた阿賀野に出撃が命ぜられ、第2警戒隊の1隻としてブーゲンビル島沖海戦に参加しました。この海戦の後、停泊中に敵航空機の雷撃、米ガトー級潜水艦「スキャンプ」(USS Scamp, SS-277)の魚雷攻撃を受けて損傷してしまいます。 1944年2月16日、先の損傷を内地において修理するための回航途中に、米バラオ級潜水艦「スケート」(USS Skate, SS-305)の2本の魚雷が阿賀野を襲います。この攻撃で航行不能となった阿賀野は炎上後に沈没してしまい、阿賀野型軽巡洋艦最初の犠牲となってしまいました。水雷戦隊旗艦として建造された阿賀野は、結果的にその本領を発揮する場を与えられず戦没することとなってしまったため、その高性能とは裏腹に時代に合わぬ用途を背負わされてしまった艦の悲劇とも言われます。
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「1/350 日本海軍 軽巡洋艦 阿賀野」に全てのディテールアップパーツを使用した部分完成品が展示されていました。 写真画像の左下には、阿賀野の特長とも言える航空甲板とカタパルトが見えます。 阿賀野のカタパルトと航空甲板の組み合わせは、短時間で艦載機を2機連続で発艦させることを可能にしていたようです。カタパルト(射出機)上の一機を射出した後、航空甲板上の2番機を軌条により射出機上に移動させて素早く2機を発艦させる仕組みです。 本艦は第二次大戦中に日本海軍が完成させた数少ない戦闘用の軍艦でしたが、前述のとおり就役時には水雷戦隊の時代は既に過去のものとなっていました。そのため、水上艦主兵、航空副兵を唱えていた宇垣纏ですら、この新鋭艦の就役を見て「あんなフネを作っても爆弾1発で吹っ飛んでしまう」と苦々しい思いを吐露したといわれています。 |
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「1/350 日本海軍 軽巡洋艦 阿賀野」の封入特典「カラー塗装図」です。 |
「1/350 日本海軍 軽巡洋艦 阿賀野」の封入特典「主要張線参考図」です。 |
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「軽巡洋艦 阿賀野」が「5,500トン級軽巡洋艦」からスタイルと攻撃力が大きく変化したことを説明したボードです。 |
ハセガワの展示コーナーの一角に例年設けられている販売コーナーの様子です。 |